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    Stjerne31

    @Stjerne31のポイピク垢。
    主にワンクッション必要そうな絵(エロとか)に使う予定。

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    Stjerne31

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    春に百々人と鋭心が逃避行という名の思いつきガバガバ日帰り旅行するだけの話です。
    未来捏造です。

    ##百鋭

    春仕舞い「……………ん、」
    鋭心は形の良い眉毛を寄せて、しょぼしょぼと目を瞬かせた。ベッドには辛うじて横になってはいたが、どうやら昨晩寝落ちたようだ。この部屋の元の主が色々としてくれたのだろう。握っていたスマホを付ければ朝の6時を少し回ったところだった。ロックを解除すると、履修登録途中の画面が表示された。操作するとすぐに「タイムアウトしました」の文字が出てきて、鋭心を追い出してしまった。
    昨日はたしか、映画系や演技系の授業を履修するか否かを迷っていたのだ。いやそれもそうだが、それだけのせいではない。
    鋭心はあまり春が好きではない。成長したことの実感や、変化したことへの確信を持たないまま問答無用で年上にさせられるからだ。変わりたくてもそう簡単に変われない。どこか置いてけぼりにされているのを一番感じるのがこの季節だった。
    ぼんやりとした眼でスマホを見ていた鋭心であったが、「バッテリー残量はあと10%です」と表示でパッと目が覚めた。そういえば今日は仕事はどうだったか。
    高校生の頃に危うくレッスンに遅れかけたこともある。鋭心が勢いよく身を起こしたところで、こんこんと部屋の扉がノックされた。
    「起きてる?」
    「あ、ああ……それより百々人、仕事のスマホは、」
    そう鋭心が応えると、何も答えずに百々人はにこりと笑って部屋に入ってきた。別にノックしなくともここは彼の寝室だというのに。
    百々人は大学進学を機に一人暮らしを始めた。小さいながら、油絵の作業場もあるような物件だ。そのかわり寝室も大の男が寝るには少し小さい。それが2人揃えば尚更。
    百々人は起き上がった鋭心の隣に座った。焦る鋭心の体をぎゅうと抱き寄せた。寝起きの鋭心に比べて、彼の体温は少し低い。
    「マユミくん」
    「おい……」
    「逃げちゃおっか」
    買い物行こうか、と言わんばかりの声色でそんなことを提案された。鋭心は目を丸くする。この男は何を言っているんだ。逃げるなんて。
    「今からならまだ大丈夫だから。間に合うよ」
    そう言って百々人は笑った。相変わらず柔らかく人好きのする笑みを向けられると、なんだかそれでもいい気がしてきた。まあ百々人がいいならばそれでも、そんな風に選択を彼に委ねてしまうのは無責任なことだろう。そう分かっていても、鋭心はうっかり頷いてしまった。
    「決まり。朝ごはんは電車の中でこっそり食べちゃおう?服着替えてて」
    百々人はそう言って、部屋から出ていった。部屋に取り残されて、暫くボーッとした後に大人しく洗面所に行って顔を洗う。あらかたの身支度をしたら、もう一度寝室へと戻り、備え付けられたクローゼットを開けた。百々人の服の中からいくつか置いてあるものを取って着替えていく。ぽやぽやとした頭のままもう一度鏡の前で手櫛で髪を整えたが、どうしても寝癖が治らなかった。仕方がなく、クローゼットの持ち主のキャップを拝借した。そのまま部屋を出ると、百々人は小さな鞄を持って玄関先でスマホをいじっていた。鋭心の姿を見るとスマホを黒のボディバックに入れて手招きする。ボディバックには前回の逃避行で手に入れた謎の魚のマスコットも、ゆらゆら揺れて、鋭心を誘っているようだった。
    「百々人、」
    「行こっか」
    ドアが開かれると、目を刺すような朝日が隙間から漏れてきて、鋭心は思わず目を瞑った。2人で外に出る。今が何時かも分からない。多分、かなり早い時間だ。鋭心はされるがまま外へ踏み出した。
    そのまま電車を乗り継いで、さらに乗り継いだその先。「いかにも」な田舎のワンマン列車に2人は乗っていた。前の電車で軽い朝食を食べ終え、何度かうつらうつらとしていた鋭心は、完全に寝落ちていたことに気づいて体をビクッと揺らした。百々人は向かいの窓の外を眺めていたが、鋭心の動きに驚いたような顔をした。しかし何も言わない。逆にそれが恥ずかしくて、鋭心はさっさと居住まいを正した。
    ガタンガタン、と規則正しい音が聞こえる。ここはどこなのだろうとスマホで確認しようとしたが、持ち上げても電源ボタンを押しても、うんともすんとも言わない。ああ、そういえばバッテリーの残量が少なかったなと今朝の出来事を思い出す。まあ百々人のものが生きているならばそれでいい。ただの四角い板に変わってしまったそれを、鋭心はサコッシュの中にしまった。
    視界を正面に向ければ、宝石をばら撒いたかのように光る海が窓一面に広がっていた。どうやら今回の逃避先は海辺らしい。東京のコンクリートジャングルではあまりお目にかかることのない光景に、意味もなくどろどろとした心の中が少し洗われたような気がした。
    「……綺麗だな」
    「そうだね」
    会話は盛り上がるわけでもないが、これだけのやり取りに酷く落ち着く。暫く無言のままで乗っていると、終点を告げるアナウンスが聞こえてきた。
    駅以外何もない場所に降り立った2人は、同時に体を伸ばした。大きく息を吸い込むと潮の匂いがしてくる。そういえば最近水上オートバイクに乗れていなかった。また時間があるときにしっかり乗って、海とも戯れたいものだ。
    そんなことを考えつつ、何気なく伸ばされた百々人の手を鋭心は握る。
    とりあえず駅の出入り口らしいところへ行くと、券売機と切符を捨てる場所だけがあった。不要な切符を捨てて、2人は駅を出る。
    自分たちしか存在しないのではと錯覚してしまうほど、波の音しか聞こえてこない場所に放り出されてしまった。
    「お腹空いてない?」
    「……正直、おにぎりは呼水だった」
    「だよね、僕もだよ。なんか、歩いた先に漁港があるらしいんだけど、そこの海鮮丼が美味しいんだって。行く?」
    「行く」
    海鮮丼、という言葉にさらに心が高揚する。ここがどこだか分からないが、こんな田舎の海辺の海産物なんて絶対に美味しいに決まっている。鋭心は考えるよりも先に、口が返事した。
    「えーっとねぇ、割と歩きます」
    「ほう。どれぐらいだ」
    「2キロ」
    「問題ない。腹ごなしだ」
    海と道と、遠くにポツポツとしか見えない民家の先を見据えた鋭心はそう言った。百々人も楽しそうに頷く。



    頭上からは鳶の鳴き声が聞こえてくる。防波堤によじ登ってみたり、砂浜を見つけたら寄り道をしたりしながら2人は田舎の町を歩いていた。
    マップアプリ上では道のりの半分まで来たところで、急な坂道が2人の前に立ち塞がる。
    「わー、しんどそう」
    ダンスや長期ロケの経験でそれなりに動いているつもりではあったが、それでも2人は目の前の道に軽く顔を引き攣らせた。しかし、これを乗り越えなければ海鮮丼にはありつけない。
    「百々人見てみろ」
    鋭心はそう言って、坂道の先を見るように促した。百々人がそちらへ目を向けると、中腹あたりに白髪の老女が大きな荷物を持ちながら、一生懸命えっちらおっちらと登っているのが見えた。
    「俺たちが行かないわけにはいかない」
    「そうだね」
    意を決して2人は坂を登り始める。その瞬間だった。
    「あ、」
    その声は百々人からだった。
    先を歩いていたら老女の体がぐらっと揺らいだ。瞬間、両手に持っていた袋が道に落ち、オレンジ色の中身がバラバラと溢れる。
    鋭心はすでに動いていた。
    「大丈夫ですか」
    老女のところまですぐに距離を詰めた鋭心は、よろめいた彼女の肩を抱いた。
    その後ろで、坂道を転がっていったオレンジ色の中身を腕いっぱいに抱えた百々人も2人に追いつく。
    「体調は?怪我は?」
    「あらまあ、2人とも綺麗な顔ねぇ……お迎えかしら」
    「…………」
    「ふふ、ごめんなさい。お礼が先だったわね、ありがとう。それと体は大丈夫よ。重くてよろめいちゃったの」
    老女はそう言ってほっほっと笑ってから、落ちていた袋を広げて、その中にオレンジ色の物体を入れるように言った。
    「これねぇ、ご近所さんから貰った甘夏なのよ」
    「お持ちします」
    「悪いわよ」
    「丁度重いものを持ちたい気分だったので、持たせては頂けませんか?」
    「変わった気分ね」
    鋭心の言葉に老女はコロコロ笑った。じゃあお願いします、と鋭心に袋を渡す。片方を百々人が持った。
    「すまない。俺はまた勝手に決めて……」
    「僕も重いもの持ちたかったから丁度良かったよ?」
    こそこそと耳打ちをすれば、百々人がそう言った。鋭心は目を丸くする。
    「ごめんなさいねぇ。今日孫がいなくて、車出せなかったから……」
    「そうだったんですね。よろしければ家までお待ちします」
    「本当に?助かるわ」
    この坂を下ってすぐよと告げた老女の道案内を聞きながら、2人は甘夏だらけの袋を持って歩き始める。
    男手が二つもあれば運ぶのは容易かった。あっという間に頂上へ辿り着き、高台から海を見下ろしながら、登りより緩やかな坂を歩き始める。
    坂には桜の花びらが散っていた。しかし桜の木は見当たらない。どこからやってきているのだろうと鋭心は思いながら歩いていると、前を歩いていたら老女が立ち止まる。
    「ここよ」
    「差し支えなければ玄関先まで……」
    「え?寄って行かないの?」
    「はい?」
    どうやら鍵をかけていないらしい引き戸を開けた老女に、言われるがまま2人は家に招き入れられた。
    「お礼させてちょうだい。お昼は食べた?」
    「あ、いや、僕たちこの先の漁港で海鮮丼食べようと思ってて……」
    「あら、今日その店やってないわよ?」
    「えっ」
    あれよあれよという間に居間に通された2人は、老女の言葉に顔を見合わせた。
    「あそこの店主って私と同級生なんだけどね、趣味でやってるようなところで……ちゃんとしたお店みたいに毎日やってるわけじゃないのよ」
    彼女はそう言いながら、緑茶を2人に差し出す。逡巡した上にそれに手を伸ばして飲んだ。いたって普通の緑茶であったが、歩いて疲れていた2人の体には沁みる。
    「一応電話して聞くわね」
    「あ、いや、そこまでしなくても、」
    「いいのよ〜」
    鋭心の焦った声が面白かったらしい老女は、また快活にほっほっと笑いながら、ガラパゴス携帯を取り出して電話を始めた。数コールで繋がった電話で少し会話をした彼女は、それを閉じて2人の方を見る。
    「やっぱりやってないって」
    「そう、だったんですね……」
    「この辺、観光地でもないからご飯屋さんもないし……」
    その言葉に、今日の逃避行を計画した百々人の顔が「まずい」の表情に変わった。
    「ご、ごめん……僕、そこまで調べてなくて……」
    「いや、そういうこともある。気を落とすな」
    見るからに申し訳なさそうにして縮こまる百々人に、鋭心は思わず笑ってしまう。鋭心の寂しさを敏感に察してこうして連れ出してくれるところはいっそ眩しさすら覚えたが、今は年相応の愛らしさを感じてしまう。そんなことを言ったら、この負けず嫌いは複雑そうな顔をするのだろうと分かったから鋭心はそれ以上何も言うことは無かった。
    「大丈夫よ!私料理上手だから!海鮮丼食べたかったのよね?息子が漁師で、今丁度良いのがあるのよ!食べていきなさいよ、ね!」
    「……本当にご馳走になってもよろしいんですか?」
    「いいのよ〜!!ゆっくり寛いでいてちょうだいね」
    老女はそう言ってキッチンの方へ向かった。適当にそこに座ってちょうだいと言われた二人は、顔を見合わせた後にダイニングテーブルに座った。
    キッチンからは食器を出す音や何かを切る音がしてくる。二人はダイニングテーブルに並んで黙って待っていた。窓の方へ目を向けると、やはりどこからともなく桜の花びらがひらひらとこぼれ落ちていた。
    二人でその花びらのいく先を眺めていると、すぐにどんぶりを持った老女が戻ってきた。どんぶりの上には色とりどりの海鮮が豪快に乗せられていて、かなりの量であることが分かる。まるで宝石を散らしたかのようだ。二人の口の中に唾液が溢れる。
    いただきます、と二人で声と手を合わせて食べ始める。
    「お、美味しい……!」
    「良かったわ〜!今朝丁度食べきれなくて漬けにしてたから……」
    沢山食べてね、という言葉通りに二人の箸の動きは止まらない。丁度よく醤油と味醂を含んだ魚と、温かい白ごはんの取り合わせはなにものにも変え難い。ぴりっとしたわさびがまた全体の味をうまく引き締めていて、目がとろんとしそうになる。料理上手というのは本当らしい。
    もぐもぐと口を忙しなく動かす二人を、老女はにこにこしながら向かいの席で眺めていた。
    「二人はどこの人なの?」
    「東京から来ました」
    「まあまあ、なんでまたこんなところに……大学生?かしらね。春休みの旅行?」
    「そんなところです」
    「いいわねぇ、楽しそう」
    老女は気さくに話しかけてくれるが、二人が引いた一線を決して越えようとはしてこなかった。それが何より心地よい。
    どうやら自分たちがアイドルをやっていることを、彼女は知らないようだ。正直これに喜んで良いのかは分からないが、逃避行にこれほど相応しい状況もない。
    二人は他愛もないことを老女と話しながら、しれっとすまし汁まで頂いて食事を終えた。
    「これからまだ歩いていくの?」
    「せっかくなので」
    百々人がそういうと、そう気をつけてねと笑って玄関先まで送ってくれた。そして、「あなたの髪の毛、果物みたいで素敵ね」と言いながら甘夏が入ったタッパを百々人に渡してきた。そして鋭心には、もう使わないからと水筒を渡してきた。よく使い込まれたそれは鋭心が生まれる前に放映されていたヒーローが描かれている。鋭心はそれを斜めにかけた。
    「何もない町だけど、高台の桜がとっても綺麗だから良かったら見ていってね」
    「何から何までありがとうございました」
    二人は頭を下げて出発した。少し歩いて振り返るとまだ老女がいる。大きく手を振りかえして、また歩き始めた。
    「……彼女を見ていると、少しだけ自分の祖母のことを思いだした」
    「マユミくんのおばあちゃんってあんな感じだったの?」
    「いや、そういうわけでもないんだが……なんだろうな……」
    そんな会話をしながら二人が目指すのは、高台にあるという桜だった。どこからともなく雨のように降り注ぐ花びらは、おそらくそこから散っているのだろうと老女は言っていた。先ほどよりもさらに急勾配な坂に二人で唖然としながらのぼっていく。段々前を向けなくなって、二人でアスファルトを見下げるしかなかった。
    「はぁっ……結構キツイね」
    二人でぜぇぜぇと息を切らして、じわりと浮かんだ汗を拭う。そしてふと前を見た。
    「わ……」
    「……見事だな」
    桜に覆い尽くされた小さな公園がそこにはあった。地面も淡いピンク色で染まって、絨毯が敷かれているようだ。高台にあるため、眼下には一面の海が広がっている。青とピンクのコントラストに目が醒めるような感覚をおぼえる。
    さわさわと肌を撫でる風が、汗をかいた体に心地よい。二人は花弁が舞う中を歩いて、高台の端に設けられた唯一のベンチに二人で腰をかけた。
    「喉、渇かないか」
    鋭心はそう言って、老女から受け取った水筒の蓋に茶を入れ、百々人に手渡した。彼は礼を言ってそれを受け取り、海の方を見ながら一口飲んだ。そして返されたカップにもう一度茶を注ぎ、今度は鋭心がそれを飲む。
    「……このあとはどうする?」
    海鮮丼を食べるというミッション自体は終わった。このまま駅の方へ引き返してもいい。しかし、このまま帰ってしまうのはなんだか少し寂しかった。ただ「寂しい」というのは気恥ずかしくて、言葉にできなかった。
    「僕はせっかくだから漁港の方まで行ってみたいな。マユミくんは?」
    驚くほど簡単に欲しい言葉を百々人が口にして、鋭心は思わず彼の方を見た。
    「……俺も、行ってみたい」
    「よかった」
    キミと同じ気持ちで嬉しい、鋭心の返事に百々人はそう返した。
    そろそろ行こうかと、二人は立ち上がる。
    ここの地形は海に抉られたようなカーブを描いているため、高台からだと漁港の存在が遠目だが分かりやすい。桜が舞い散る中でもう一度目的地を確認した二人は、やがて踵を返して元の道に戻って行った。



    漁港にたどり着いたのは、おやつの時間よりも少し早い時間だった。老女が言っていた通り、海鮮丼を出している店は臨時休業の張り紙がされていた。それどころか、今日は何もやっていない日らしく、それなりに広い漁港は閑散としていた。二人はそこをしげしげと眺めながら海のそばを歩いた。日向にある海は相変わらずピカピカと光を乱反射している。
    二人は一帯を散策したのち、海側を向いたベンチを見つけてそこに座った。なぜこんなところにお誂え向きのものがあるのかは分からない。
    「静かだね〜」
    百々人の言葉に、鋭心は頷く。
    彼の言う通り本当に静かだ。ここは本当にいつも自分たちが暮らしいている場所と同じ国にあるんだろうかとすら思わされる。波の音と、鳶の声、そして時折どこからか聞こえる汽笛の音だけが耳に届く。
    小腹が空いた二人は、タッパから甘夏を取り出して摘み始めた。一緒に持たせてもらっていた使い捨てのお手拭きで手を拭って、ぱくっと放り込む。程よく汗をかいて疲れた体に果糖の甘みがじんわりと染み込んだ。
    鋭心は目深に被っていたキャップを取った。
    「マユミくん、髪跳ねてる」
    「今朝からだ。もう諦めた」
    「だから帽子被ってたんだね。てっきり変装なのかと思ってた」
    「それもあるが、一番の理由じゃない」
    まるで百々人や秀のアホ毛のようにぴろんとはみ出た緋色の髪を、百々人は楽しそうに指先で弄んだ。
    「僕やアマミネくんとお揃いでいいと思うよ。これからそれでいく?」
    「あまり揶揄ってくれるな」
    「揶揄ってないよ。可愛いねって言ってるだけ」
    「……そんな話してたか?」
    そう返すと百々人は甘夏を摘んで、鋭心の口に押し付けた。とろりと蜂蜜が唇を垂れて、仕方なく鋭心は口を開ける。美味い。やはりあの老女は料理上手だ。
    もぐもぐと咀嚼しているところを、百々人は満足そうな笑みで眺めてくる。何が楽しいんだろう。そういえば彼は高校生の頃からよく、果物を鋭心に譲ってくれる。その度にこちらをじいっと見てくるのだ。
    「……あぁ、わかった」
    「何が?」
    「秀とプロデューサーがいないと、静かすぎるんだ」
    分かったというよりも、分かってはいたと言った方が正しいか。
    日常でいつも賑やかにしているのは秀だ。どちらかというと百々人と鋭心はそれを受け身になってこいていることが多い。プライベートであるとその傾向が尚更顕著になる。
    「──そろそろ帰ろうか」
    最後の甘夏を食べ終わって、ぼーっと波の音を聞いていた鋭心はそう言った。
    「ありがとう、百々人」
    鋭心はそう言って笑った。
    ここはあくまでも自分たちがいるべき場所ではないと、分かっていた。鋭心の言葉に百々人は言葉を返さず、つられたように人好きのする柔い笑みを浮かべた。ただステージと違うのは、どうしようもなく年相応に見えた──という感想は流石に都合が良すぎるだろうか。



    きた道を戻るだけの作業。時折何かを見つけては短い会話をする。ただそれだけだ。
    疲れているはずだが、足取りはさほど重いものでも無かった。 
    駅の前の道まで戻ってきたところで、遠くから電車がやってくるのが見えた。百々人がスマホを取り出して、サッと顔を青くする。
    「まって、どうしよう」
    「どうした」
    「あれ多分終電」
    終電?こんな明るい時間に?
    都会生まれ都会育ちの鋭心の頭にそんな言葉が過ぎる。恐らく隣の百々人もそうだろう。しかし放心している間にも電車はどんどん駅の方へ近づいている。
    「百々人、走れるか」
    「いける」
    「いこう!」
    鋭心はそう言って、百々人の手を掴んだ。幸いにも、駅までは100メートルほどだ。走ればまだ間に合うはずだ。
    本当は手を繋がない方が走りやすいことなんて分かっていた。しかし、二人とも汗ばんだ手を頑なに離そうとはしなかった。
    駅舎に入って、慌てて券売機で切符を買う。そして急かしてくる電車に飛び乗った。その後ろですぐにドアが閉まった。
    「あ、危なかったー……」
    「明日は普通に仕事だからな……」
    ゆっくり動き始めた電車の中で二人はぜえぜえと息を切らしていた。幸いにも、行きと同様に誰も乗っていない。
    息が落ち着いたところで二人は座席に座る。やや日が傾いてきて、昼間あんなに青かった海は徐々に橙色へとその水面を変えていた。
    「帰ったら履修登録を終わらせないとな」
    「あー、やんないとだなー。迷ってるんだよね」
    「俺もそんなところだ」
    たたんたたん、と電車が走る規則正しい音が仄かに眠気を煽る。ぼやっとしてきた意識の中で、車窓に飛び込んできた桜が海を覆い尽くした。
    来週は1週間、雨と風が強いらしい。きっと高台で見た桜の花弁も保つのは今週いっぱいだろう。過ぎれば次は若葉の季節だ。
    春はあまり好きではない。しかし、今年は悪くない春仕舞いだった。
    右肩に重みを感じながら、鋭心はぼんやりと窓の外を眺めた。

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