目が覚めて、一瞬田舎の祖母の家の座敷だと錯覚した。布団からの低い目線や高い天井、その際を飾る透かし彫りなどが作る景色と、石油ヒーターの懐かしい匂いが呼び起こす記憶のせいだ。
エマソンはがばりと身体を起こすと、即座にその郷愁を振り払った。覚醒とともに現状と昨夜の記憶が結びつき、青ざめる。ゆっくり眠ったおかげか目は覚め、アルコールを分解し終えた頭も体もすこぶる具合がよい。ともかくごそごそと布団を這い出すと、その動きに誘発されたように隣の布団が蠢いたのでハッとした。
「おはようございます……」
「おはようございます! あの……」
ご迷惑をおかけしました、と初手で謝る。親しい人間同士がより集まっただけの忘年会の気やすさに調子に乗って飲み過ぎてしまった感覚はありありと思い出せる。この年下の友人が足腰の立たない自分を担ぎ上げ、仕方なく自宅へと連れ帰ってくれたことも。
体を起こしたシバがまだ眠そうな様子で瞬きを繰り返し、現状把握に努めたようだった。それから布団の上に正座をして小さくなって恥いるエマソンに、宥める
「別に気にしないでほしいっス」
「いや、気にしますよ……」
友人と言ってはみたものの、正確にはエマソンから見たシバは職場の先輩にあたる存在である。醜態を晒した上にとんだ手間をかけさせてしまった。
「ミスターのご家族にもご迷惑を……」
「大丈夫ッス」
起き出したシバが布団を畳むのに合わせて自分も立ち上がってその行動を真似ながら、エマソンはそれ以上を踏み込ませない物言いだなと察する。夜中のやりとりの記憶の中の、若そうに聞こえた青年の声。
「エマソンさん、今日の予定は?」
昨日が仕事納めであったので、特に予定のない休日ということになる。一人暮らしのアパートの部屋の大掃除くらいだろうか。
そう答えると、シバはどこか遠慮がちに提案をした。
「バイクでよければ送っていきますよ」
これ以上の迷惑は、などと思う反面で、シバが親切な申し出をしてくる時は常に自分の提案が余計お節介になることに怯えていることを知っているエマソンである。
「助かります!」
図々しいくらいにありがたく受ければ、シバの表情は少しだけ嬉しそうに緩む。エマソンにはそれが、少し嬉しい。
「朝ごはんできてるから食ってけよ」
なる、乱暴な誘いに応えて、シバは仕方なくエマソンを伴って台所を仕切る暖簾をくぐった。迎えるダイニングテーブルにて、一足早く食事を終えたらしいコサイタスが静かにおはようと声をかけてくるので、短く挨拶を返した。
エマソンはしきりと恐縮しているようだったが、そういえば彼にとってはヘリオスもコサイタスも「職場の偉い人」なのである。
ヘリオスが揚々と差し出してきた2人分の膳を見て、シバはおそらく殺意と呼んで差し支えないであろう衝動を自覚した。わかめと豆腐の味噌汁に、形良く皿に並んだ黄色の卵焼き。そして茶碗に盛られた赤飯。
「赤飯ですか?」
「おう。美味いからな。ウチじゃたまに炊くんだよ」
ヘリオスが流れるように言った出まかせに、エマソンはそうなんですね、と微笑した。
「俺も好きです。美味いですよね」
「だってよ、シヴァ」
「……」
大いにからかいを含んだ目線に溜め息を返す。ヘリオスがその呼び方をする時は自分を子供扱いしているということだ。このメニューもどうせ手の込んだ揶揄の一種だなのだろう。赤飯に罪は無いが。
急須から注いだ緑茶を含みながら新聞を眺めていたコサイタスが我関せずというていで口を開いた。
「今日の予定は?」
「午前中のうちにエマソンさんを送ってきます。そのあとは特に」
「なんだ、もう帰っちまうのかよ」
ヘリオスがつまらなそうに言いながらコサイタスの隣の椅子を引く。エマソンさんにも用事があるんスよ、と反論しながら、シバは味噌汁に口をつけた。
「卵焼き美味しいです」
「お、エマソンくんは甘い派で良かったか」
「美味いもんならなんでも派です」
シバの複雑をよそに、エマソンは如才なく感じが良い。異質な形をしているであろう家族の食卓に違和感なく混じりながら、勧められるままにおかわりを平らげていく。
びっくりしませんでしたか、と駐輪場で尋ねられて、エマソンはその質問の意味を計りかねて瞬きをした。
「名誉学長と科学館の館長さんですよね? 名誉学長のご親戚だとは知ってはいましたけど、一緒に住んでるとは思わなかったですね。それはびっくりしました」
「……」
ので、素直に驚いたことを告げると、シバはそれはそうなんですけどという顔をした。渡された手袋を渡されるまま身につけていると、シバは少し躊躇ってから口を開く。
「ウチの家族、普通じゃなくないスか」
「え、そうですか?」
「……」
エマソンが首を傾げたので、シバはいい意味で拍子抜けをしたようだった。苦笑よりも少しばかり微笑ましい感じに微笑み、それから小さく咳払いをした。
「まあ、でも、なんか緊張させてしまって申し訳なかったっス」
「いやこちらこそ、朝飯美味かったです。なんかばあちゃん家を思い出しました」
促されてヘルメットを被り、そろそろ馴染んできた大型二輪の後部座席に尻を落ち着ける。
バイクと防寒着の準備をしてくると言ってシバが一足先に玄関を出ていったときに、コサイタスが話しかけてきた言葉を思い出した。
「良かったらまた遊びに来るといい」
よくある社交辞令だと思いひたすら恐縮したエマソンだったが、彼の家族とエマソンが言葉を交わすたびにシバが面映ゆそうな様子でいたことを一緒に思い出すとヘルメットの中で小さく笑った。中高生の頃に友人の家に遊びに行った時の友人の反応によく似ていたのだ。
温まりつつある朝の冷気を割いて出発したバイクは年の瀬の街中を進んでいく。しがみついているシバの背中が温かい。