天使なんかじゃ、 校門に天使がいるよ。おっきい天使。
もうすぐ昼休みが始まる4時間目、腹を空かせて集中力も欠けた時間に天使がいると窓際の同級生が言い出した。
天使なんて居ないよ。
天使は黒い服着てないよ。
静かにしなさいと先生は言うが窓際へちらほらと生徒が集まってしまう。
あれって天使じゃないよ、伏黒のさぁ、
「天使なんかじゃねぇよ」
注目が集まる前にぼそりとつぶやき教室を出る。扉を閉める前に、先生に今朝伝えた早退を早めると言ってから。
「あんた目立つから校門で待つなよ」
久しぶり!とへらへら言う前に注意するも「給食食べてこなかったの? 美味しいんでしょ給食って。 ファミレスみたいなもんかな」と返事になってない言葉が続けられる。
今日も五条悟は黒くてしろい。ひとの話は俺だけじゃなくて誰の話も聞かない。目玉が夏によく食べるアイスの色をしている、変な男で強い男だ。
「食べてたらあんたの言ってた時間に間に合わない」
「そーなんだ? じゃ新幹線で何か食べようね」
「新幹線乗るのかよ」
目的を言わないで約束もする。それは急にスケジュールが変わることもあるからだと何度目かの約束で気づいたが、どこに連れていかれるかわからないのは移動や旅行に縁のなかった恵にはストレスだった。
「新幹線嫌い?」
「好き嫌いの話じゃない」
「乗り物好きなんじゃないの、恵くらいの年って」
「人によるだろ」
軽口を叩いて待っていた車に乗り込む。大きく黒い車だ。それは五条みたいな車だと恵は思ってる。
シートベルトを着けると、ここ最近この動作に不満がある五条は拗ねた。
「僕が抱っこするのに」
「いらねぇ」
車の中でも危ないからねとはじめの頃乗る度に五条の膝の間に座っていた。
恵なんて軽いから事故ったら窓から飛び出しちゃうんだよ、こわいね。と言う五条はとても楽しそうだった。
五条も乗り込みシートベルトを締める。いつもは着けないのだろう。何が飛び出すねこわいねだ。五条が乗った途端車がじんわりと五条の呪力で覆われた。その時点でこの車は世界一安全な場所になった。
滑り出すように静かに発車し、窓の外はどんどん知らない場所へと景色を変える。五条は持ち込んでいたお菓子を食べていた。饅頭みたいだけど多分違う。色とりどりで外側もあんこみたいな。それをぽいぽいと口に放って食っていた。
「恵、玉犬安定した?」
半年前に五条の力を借りて影から出て来た犬の名前だ。
「前よりかは。 でも、気づいたら勝手に出てきて布団の横で丸まってたりする」
「はは、かわいーじゃん」
ゆら、と自分の影の中身が喚ばれたと思ったのか動いた。
咎めようとする前に五条が「邪魔するな」と恵の影を指差した。グルル、と地を這うような鳴き声がして、それっきり影は恵の形だけになった。
「僕にヤキモチ妬かせないようにちゃんと躾といてね」
「なんであんたが…いやいいです。 はい、わかりました」
五条は恵にひとめぼれしたのだと言う。僕ひとめぼれしたの初めてなんだよねとアイスの目玉をキラキラさせて、ひとめぼれってすごいねと言っていた。
「可愛がる時はあんただって可愛がるくせに」
五条が玉犬をくしゃくしゃとなで回していた時を思い出す。恵より大きな犬が紙くずを丸めるみたいに撫でられる姿に、五条が自分を撫でたり抱きしめたり、唇を合わせたりする姿は端から見るとこれ以上の異質なものなのだろうと、その時思った。
「僕、可愛がりたい時にしか可愛がりたくないんだよねぇ」
「最低」
「式神はペットじゃねぇし。 前も言ったでしょ、間違えないようにね」
「…はい」
それきり会話は途切れ車も目的地へと到着したのか停車した。
恵は思う。五条が自分を撫でたり抱きしめたり、唇を合わせたりするのは「間違えて」はいないのだろうか。
倫理や道徳は恵にとってどうでも良かった。五条の中で「間違い」ではないか、それが知りたかった。
「恵? 降りるよ、早く行こうよ」
先に降りた五条が長い体を曲げて覗いてくる。
「行くったって、どこに行くんですか。 教えてくださいよ」
「じゃあお弁当僕の好きなのふたつ、半分こしてくれたら教えてあげる」
降りる時掴まった手のひらをそのまま握って五条と恵は歩き出した。
「嫌です。 あんた、弁当買っても他に甘いもん買ってそっちばっか食うくせに」
「僕のひとめぼれは今日もうるさいねぇ」
間違えていても正しくても、恵も五条のいる世界も、五条が全てなのだ。
ひとめぼれと自分の事を呼ぶ五条はきっと、黒を白にする。例え恵が望んでいなくても。そういう男なのだと、恵は思った。