【腐リベ】キサタケ朝チュン【キサタケ】 ヤってしまった
稀咲鉄太は、酔っても記憶を無くさない。
そもそも自分を律せないほど、酒を飲む事もない。
ビジネスにおいて酒の席は、避けられない。しかし、酔って乱れては本末転倒だ。普段なら嗜む程度に止(とど)めている。
ところが昨夜は、久しぶりに帰国した半間に煽られるままに、強い酒を飲み干した。
隣の席で同じように半間に勧められ、碧い瞳をアルコールで潤ませる様を肴にして飲んでいた記憶もある。
お開きになり自然と押しつけられた時には、互いに足取りも覚束なかった。
「オレん家、この辺だから」とよろよろ道路に出そうになるのを引き留め、肩を貸しながら歩く。タクシーに乗車拒否されるくらいの距離だったから、仕方なくだ。
住所は知っていたが、入り組んだ場所に建つそのアパートを見て、一瞬酔いも覚める。
ズルズルと火照った重い体を引き摺るように階段を上り、二階の奥まった一室にどうにか辿り着く。
「鍵どこだっけかぁ?」
尻ポケットを探ると、四つ葉のクローバーのキーチェーンがカシャリと音を立て床に落ちる。
そもそもこんな部屋に鍵なんているのか?
半間の一蹴りで扉は破れそうだ。セキュリティもクソもない。
「じゃあ、オレはここで」
送り届けた安心感で、またどっとアルコールが回り足下がフラつく。
「危ねぇよ。階段転けんじゃね? 。少し休んでいけば?」
本当は帰るつもりだった。明日も仕事がある。
これからタクシーを捕まえ、家に帰ってシャワーだけでも浴びて……。
億劫だったのも事実。
それよりも
「もっと話聞かせろよ、鉄太」
あれから12年は経ったとは思えない、その柔らかな碧い瞳。
杜撰な契約書に振り回され、使えない部下に頭を抱える日々が、洗い流されるような雨上がりの空の色だ。
「……水くらい飲ませてくれんだろうな?」
ネクタイを緩めると、ふにゃりと笑う。
「ちゃんと水道水以外も出すよ」
招かれるままに、足を踏み出し、そして――
ヤってしまった……
敷きっぱなしの薄いせんべい布団の上はあちこちゴワついていて不快だが、体の表面とは真逆で、身の内は二日酔いもなく、スッキリしている。
そう、長年の、蓄積された、溜めに溜めた、墓場まで持って行く予定だった感情も欲も、全て相手にぶちまけてしまったからだ。
今更後悔で目眩がする。
布団で頭を抱え動けない稀咲の鼻先を、香ばしい匂いが掠めてくる。
一体なんだと顔を上げると、板間に申し訳程度に設置されているキッチンに、花垣が立って何やら料理をしているようだ。
Tシャツと下着だけの姿で、鼻歌を歌っているようだ。元曲は分からなかったが、最近流行りの歌のようだ。
所々調子を外していたが。
「できた。鉄太、テーブル出して」
声を掛けられ我に返る。慌てて下着を探すと、布団の奥から出てくる。あちこち染みが見えて顔を顰めるが、一先ず足を通す。それだけでは心元なくて、頭を巡らすと部屋の隅にシャツとスラックスがくしゃくしゃになって落ちている。
「早くしろよー」
急かされせめてシャツだけでもと羽織り、角に寄せられていたテーブルを中央に運ぶ。ついでにテーブルの上に散らかったビールの空き缶などを避けていく。
このまま迎え酒をしたい気分を押しのけ座り直すと、テーブルに湯気を立てる食事が運ばれてくる。
もやしと豚肉とキャベツとピーマンの、野菜炒め。こってりとした香りは、焼き肉のタレのようだ。
朝からこれを?
思わず無言で見つめるが、相手は気にした様子もない。
「これオレの得意料理なんだ。焼き肉のタレ掛けるとなんでも美味いよな」
「はい」と渡されたのはコンビニでもらえる割り箸で、稀咲は素直に受け取る。
取り皿とお茶は出てきたが、それだけのようだ。
「飯炊くの忘れちゃってさ。思ったより鉄太早起きだったから」
あちこち跳ねた癖っ毛は、整えた様子もない。
シャツの襟ぐりから覗く素肌に、点々と散る紅い跡を目にし、稀咲は視線を逸らすと「いただきます」と食べ始める。
シャキシャキのもやしに、ニンニクの利いた甘めのタレが絡んでいて、予想より美味しく感じる。
何より、塩っ気が体に染み渡るようだ。
恐る恐るの一口が、やがてかっ込むようになる。
「美味いだろ?」
目を細め笑う顔が嬉しそうに見え、稀咲は取り繕う事もできない。
「あ、ああ。思った以上だな」
通学時間帯なのか、窓の外から小学生らしきはしゃぐ声が聞こえてくる。
「宿題やった?」
「YouTube見てて怒られた」
「バカじゃん」
出会った頃の年代だろうか?
稀咲の胸の内に、あの頃の情景が浮かんでくる。
それは花垣も同じだったようだ。
「懐かしいよな。オマエ、こましゃくれたガキだったのに、今は社長さんだもんな」
「フン。オマエは変わらねぇな」
「え? そんな事ねぇだろ。オレだって成長してるし」
「この部屋の状況でよくそんな事言えるな」
はたと乱れた布団が目に入り、互いに視線を逸らすと無言で食事を続ける。
正直アルコールで疲れた胃に、濃いめの味付けは響いたが、完食するのだった。
皺だらけのスーツを手で伸ばし、客用の歯ブラシはないと言われ口をゆすいだだけで、なんとか上辺は整える。
今から急いでも会議には間に合いそうもなかったが、九井と二人と秘書を交えた会談みたいなものだから、予定をずらしてもらえばいい。その後のスケジュールを調整し、とりあえず一度自宅に戻りシャワーを浴びたかった。
稀咲の脳内で、今日の予定が滞りなく計算される。
ネクタイを締めた所で、着替えを済ませた花垣が側に立つ。
「歪んでるぞ」
並び立つと、視線の高さは変わらない。
少し紅く腫れたような唇に、稀咲の背筋がざわりと音を立てる。
気付くと唇を重ねていた。
「……また、野菜炒めを食わせろ」
「……その時は着替えも持参しろよ」
イタズラっ子のように微笑まれ、稀咲は口を結ぶのだった。
げん@yurion1129gen(LPS)