Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    HATOJIMA_MEMO

    @HATOJIMA_MEMO

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 9

    HATOJIMA_MEMO

    ☆quiet follow

    なかなかくっつかないミス晶♀シリーズ最新 7話目

    #まほやく男女CP
    Mahoyaku BG CP
    #ミス晶♀

    タイトル未定 第7話ミス晶長編 七
     グランヴェル王城、談話室。
     最近は王侯貴族のみならず賢者の魔法使い達も出入りするようになったその一角で、少し不思議な取り合わせの二人がいた。
     かたや、布地は上質ではあるが貴族と並べると簡素な装いの娘。
     城に訪れる同じ年頃の女子の大半は花弁の如く裾が舞うドレスを纏い、毛足の長い絨毯でなければそれは高らかに音の鳴る靴を伴とするものだが、娘は今から街に繰り出しても、野山に分け入っても障りの無い格好をしていた。
     名を、真木晶。異界よりきた賢者である。
     かたや、北の国の雪より白く、計算で誂えられたもの以外の皺は一つも見当たらない祭服に身を包んだ壮年の男。
     相対している娘と違い、男の服装は袖も裾も長く、生地には上質な重みがある。これを着る者は指先一つ動かす事なく、その周囲が手足となるのだと言葉なく示す装いだった。
     名を、アルセスト。聖ファウスト聖堂に属する司祭である。
     身に纏う権威とは裏腹に、アルセストは晶に穏やかに微笑みかける。晶も応えるように口端を上げるが、その瞳には、僅かな緊張の色があった。
     この奇妙な茶会の切っ掛けは、およそ一時間程前に遡る。

    「書類がまだ届いてない?」 
     思っていたよりも大きく響いてしまった声に、晶は慌てて唇を引き結んだ。しかし既にハの字に下がっていたクックロビンの眉が更にぐっと引き下がるのを見て、遅かったと悔いる。
    「すみません、本っ当にすみません……!」
    「大丈夫です、大丈夫ですから! クックロビンさん、頭上げて下さい!」    
     ほぼ九十度に腰を折る相手を宥めながら、晶は心の中だけで溜息をつく。つい先程、アーサーの執務室前で同じように頭を下げられたばかりなのだ。
    (文官の人が、急な来客だって言ってたけど)
     王子という立場と、アーサーの性格。そして何より恐縮はしていたものの慣れた様子の周囲を見れば、いつもの事なのだろうと納得は出来る。書類が遅れる事だって、人の手を介する以上あって当然だろう。
     そんな、「その程度の事」が、偶然、立て続けに起きているだけ。それだけだというのに、首の裏側をちりちりと炙るような焦燥感を晶は拭えない。
     それでも、口角を無理やり引き上げ、頭を下げ続けるクックロビンの顔を覗き込む。
    「アーサーもまだお仕事があるそうなので、談話室で待っていてもいいですか?」
    「は、はい! それは勿論! ……あっ」
    「助かった」という感情を隠しもしない顔は、晶の隣で沈黙していたオズを見て「しまった」と青ざめる。
    「す、すみません……お待たせしてしまって」
    「……」
    「本当、その……すみません……ごめんなさい……」
     オズは黙ったまま、一度ゆっくりと瞬きををして、視線をクックロビンへと向ける。たったそれだけの動作なのにこうも威圧感が凄まじいのは流石というか、何というか。案の定視線を受けたクックロビンの頭は、萎れる花のように再び下がっていく。これはいけない。
    「だ、大丈夫! 怒ってないです……よね?」
     そう言いながらも、むっつりと黙り込み、あまつさえ薄く眉間に皺を寄せたオズを見てしまっては晶の語気も弱まるというもの。それでも、数々の困難を乗り越え、共に日々を送る中で培ったものが背を押してくれた。
     視線を合わせた先。感情の色が窺いづらい赤い瞳が、やがて根負けしたように瞼の奥へと隠れる。
    「……怒っていない」
    「よ、よかったあ……! ものすごく怖い顔をしてるから、俺てっきり……」
    「じゃ、じゃあ、談話室にいますから! 行きましょうオズ!」
     晶がオズの広い背中を押してその場を去ったおかげで、べそをかきながらも一言多い書記官は世界最強の魔法使いの不興を買うのを免れた。
     そうして、ようやく訪れた談話室。見張り番の兵士に挨拶しながら目にした部屋の様子に、晶は目を丸くする。
     いつもなら歓談する貴族らしき人々がちらほらといる空間に、今は誰もいない。
     驚く晶に、老齢に差し掛かった兵士が「驚かれましたか」と和やかに話しかけた。
    「今日は講話がある日なので、皆様そちらに向われれたようですな」
    「講話?」
    「月に何度か、聖ファウスト聖堂の司祭様が城にお見えになる日に催されるのです。しかも今日は、アルセスト司祭が来られるので」
     アルセスト。不意に耳に飛び込んできたその名に、晶の心臓が跳ねる。そうなんですねと返した口元がぎこちなくなってしまった気がしたが、老兵は気にした様子もなく続けた。
    「他の方のも何度か聞いた事はありますが、難しい話もあの方は分かりやすく伝えて下さってねえ。人気があるんですな。お人柄も良くて」
    「そうなんですね……あの、あちらの席を使わせてもらっても?」
     ちなみに、連れは終始無言だった。
     ごゆっくり、という言葉に見送られながら、窓際の、よく空が見える席にオズと向かい合って座る。城を訪れてから、ようやく少し落ち着けた気がした。
     しかし。
    (アルセストさんが、来てるんだ)
     その事実が妙に引っ掛かって、晶は身と心の全てをふかふかの椅子に預けられずにいる。
     アルセストと会ったのは、先日の一度きり。ちょっとした行き違いは晶自身の勉強不足のせいで、苦くはあるが嫌な記憶ではない。それでも、やはりどこかで身構えてしまう自分がいた。
     ニコラスの最期を、彼はどう聞いたのだろうか。ノーヴァに唆されて世界に甚大な被害を招いた事実は伏せられた筈だが、唐突な友人の死に、アルセストは何を思ったのだろう。
    「賢者」
     不意に呼ばれて、そこで初めて視線が下がっていた事に気付いた。顔を上げると、暖炉の炎を映したような赤に自然と目がいく。
     オズは、表情を大きく変える事が少ない。乏しいとも言える。それでも、春の訪れを寒風の合間に感じるが如き些細な違いに、気付ける事が増えたから。
     眉間に皺こそ寄っていないが、こちらを観察するかのようにじっと注がれる視線に……そこに滲む配慮に、晶は微笑む。
    「大丈夫です、オズ」
    「……まだ日は高い。先に魔法舎へ送ってやる事も出来る」
    「大丈夫です」
    「……」
     逸らされない眼差しは「本当に?」の問いかけの代わりだ。晶もまた声には出さず笑みで応える。背凭れの柔らかさに密かに感動しながら己の緊張の大元を見つめれば、なんて事はない。大勢の人に慕われる人物に対する緊張と、友を亡くした相手との対面への、気後れだ。
     大丈夫、と今度は心の中で、自分へ向け呟く。
     元いた世界で同じ状況になっていたなら、きっと周囲に合わせた、型通りの配慮をして終わりだった。同情や悲しみを抱いても、それは表面をなぞるだけのものになっていただろう。
    (でも、今は)
     目の前に座る、やや困惑しているオズを見る。魔法使いは、言葉を、心を大事にする生き物なのだと最初に晶の心に刻んだ、世界で最も強い魔法使い。
     彼と……彼らと出会った今。正解も間違いもない巡り合わせに怯えず、誠実に向き合える自分でありたいという心に従う事を、晶は選んだ。
     未だこちらの様子を窺うオズに、悪戯っぽく笑いかける。
    「一緒に帰ろうって誘ったのは私ですから。アーサーも楽しみにしてくれていましたし」
     アーサーの名前に、オズの表情が苦味走る。眉を顰め、視線をテーブルに落とす様はクックロビンあたりが見たら背筋を凍らせるのだろうが、晶の目には微笑ましい姿としか映らなかった。
     しばらく迷っていたオズだが、やはり養い子の存在が効いたらしい。頷いてもらえた事にほっとした晶が口を開きかけた、その時だった。
     オズが何かに気付いたように、視線を走らせる。間を置かずに、入り口の方からざわめきが伝わってきた。
     どうしたんだろう。晶がそちらに首を傾けた矢先に、その声は飛んできた。
    「オズがいるのですよ……!」
     押し殺しきれなかったらしい叫びは、こちらに聞かせようとしたものではないのだろう。それでも聞いてしまった以上、無反応を貫ける程晶は図太くはなかった。ただ当人はというと、聞こえていただろうに特に何の反応もない。
    (オズが怖いだけの魔法使いじゃないって、分かってくれる人も増えたんだけどな……)
     アーサーの働きの甲斐もあり、王城内では無闇矢鱈とオズを恐れる者は減った。しかし世界に遍く染み込んだ彼の虚実入り混じった伝説は根強く、時折こういう事がある。
     ざわめきはまだ続いていた。少し様子を見てこようかと腰を上げかけた晶だったが「いい」と視線と共にオズに制される。
    「私は外にいる」
    「オズ、それは」
    「心配せずとも、お前の目の届くところにいる」
    「あ、待って……!」
     制止の言葉も虚しく、目の前の椅子が空になる。どこに行ったのかは、コツコツと叩かれた窓の向こうに見えた黒い鳥の影で分かった。アーサーにも明かしていない、オズのお忍び姿だ。とりあえず帰った訳ではないと胸を撫で下ろした晶だったが、慌ただしくしていたせいで近付いてきた足音への反応が遅れた。
     ……床を打つ音がいやに大きく聞こえたのは、晶の心の問題だろうか。
    「こんにちは、賢者様」
     振り返った先の数日前と変わらぬ穏やかな微笑に、晶はぎこちない笑顔を作ったのだった。

    「講話まで少し時間があるので、もしよろしければお茶でも」……そう言われてしまえば、晶には断る術などない。用意された紅茶の芳香を味わいながらカップをソーサーへと戻せば、アルセストが口を開いた。
    「お口に合いませんでしたか?」
    「い、いえ! 美味しいです!」
     慌てたあまり勢い込んでそう返すと、よかったと言うふうに目が細められる。
    「では……緊張されてますか?」
     反射的にいいえと言い掛けた晶だったが、そこで止まる。少し迷って、それからおずおずと首を縦に振った。
    「食事の場でのマナーは、こちらの世界に来てから初めてちゃんと学んだので……失礼があったらすみません」
     正直にそう言ってから、軽く頭を下げる。
     晶が元いた場所にもテーブルマナーは存在したが、必要とされる場に参加した事は殆ど無かった。あっても、その場凌ぎで何とかなる程度のもの。賢者としてこの世界に呼ばれたばかりの頃だって、そういったものとは無縁で済んでいた。
     しかし賢者としての働きを重ね、人々の信頼を得始めた頃からか。そうした場への招待が、依頼に紛れて舞い込むようになった。
     最初は異変を理由に断りを入れていたのだが、それを逆手に取られ「異変解決のお礼に」と断りづらい誘導をする相手が増えたのだ。貴族社会に詳しい人々に相談し、うんうんと頭を悩ませた末に、依頼が疎な時は誘いを受ける事にしようと決めた。
     食事やパーティーでの立ち居振る舞いは貴族であるヒースクリフやラスティカを中心に教えてもらってはいるものの、一朝一夕に熟せるものでもない。どうしたって不安は拭えなかった。
     それを聞いたアルセストは、穏やかな笑みを絶やさぬまま頷いて「お気になさらないで下さい」と続ける。 
    「生家は貴族ではありますが、私自身は信仰に生きると決めた身です」
     目くじらを立てはしないという言葉に礼を言いつつも、ミスをした時に肩を落とすのは自分自身なのだと晶が気合いを入れ直す中、アルセストは眉尻を下げ、困ったような表情を浮かべた。
    「寧ろ、心得違いは私達の側ですね。こんな大勢で押しかけてしまって……驚かれたでしょう」
     アルセストの視線につられるように顔を向けた先で、彼に付き従って入室した面々が頭を下げる。数にして十人程。半分は外に、半分は空いた席についている。彼らは歓談するでもなく、こちらに視線を向ける事もないが、意識を注がれているのは明らかだった。
    「講話があると伺ったので、その準備なのかなって……」
     晶の言葉に、アルセストは緩やかに首を横に振る。
    「そちらは、この身一つで事足りるのです。ただ、私は足が少し不自由なもので」
     そこで言葉を切って、傍に置いた杖を軽く掲げて見せる。
    「皆、気遣って手伝いを申し出てくれるのですよ。……若い者達に教会の外での務めを学ばせるという名目で、度々連れ出してしまっています」
     苦笑混じりではあるが、慕われる事への気後れは感じない。愛おしげに細められた目元に刻まれた皺から、アルセストの人柄と人気ぶりが伝わってくるようで晶もつられて微笑んだ。
     それからしばらく、晶はこれまでの依頼の話、アルセストは司祭の仕事の話を幾つか交わす。対面するまでの緊張が嘘のような、穏やかな時間が過ぎて行った。
    「……アルセスト様、そろそろ参りましょう」
     どこからか聞こえた鐘の音が終わるより先に、晶達に一番近い席にいた人影が滑るようにしてアルセストの傍へと侍る。目元で切り揃えた黒髪の隙間から覗いた横顔に、廊下での対面の折に兵士に厳しい言葉を投げていた青年だと気付いた。
    「ああ、もうそんな時間か。ありがとう、リアン」
    「いえ」
     短い返事だが、ぶっきらぼうな印象は受けない。立ちあがろうとするアルセストに手を貸すリアンの姿勢や眼差しから、深い敬意を払っているのは会って二度目の晶にさえ分かった。
    「今日は、色んなお話をありがとうございます。とても勉強になりました」
    「こちらこそ、目の覚めるような冒険譚をありがとうございます」
     お互いに礼を言いながら、入り口へと向かう。見送りにと足を止めた晶に「それでは」と一度は背を向けたアルセストだったが、何故か振り返った。髪と同じ枯葉色の瞳が、静かに晶を映す。訪れた静寂に、緊張が揺れ戻る。
    「賢者様」
    「は、はい」
    「……世界救済の重責に、思い悩まれる事は多いかとお察しします」
     唐突に切り出された話題に、晶は目を見開く。
    「お一人で抱えるのが辛くなった時は、どうか教会を……私をお訪ね下さい。話すだけで楽になるなどと軽々しい事は言えませんが、人の苦悩に触れる機会は多い方だと自負しておりますので」
     出会ってからの時間とは釣り合わない厚情に、喜びもあったが戸惑いが勝る。ありがとうございますという言葉が上滑りしていないか不安だったが、アルセストは気にした様子もなく微笑んだ。
    「申し訳ありません、突然」
    「い、いえ……その、少しびっくりはしましたけど」
     正直にそう口にした晶に少し微笑みかけ、しかしアルセストの表情はすぐに凪いだ。傲慢な考えだとお叱りを受けるかもしれませんが、と前置きして言葉が続く。
    「私は、全ての人を苦しみから救う……その為に教えがあるのだと信じているのです」
     聞きようによっては、確かにとんでもなく傲慢な言葉だ。しかしアルセストを通して発せられると、不思議とそうした角、或いは匂いが取れて、素朴に、美しく響く。
    「私など、まだ大いに力不足ではありますが……神に仕えると決めた以上、いえ」
     穏やかさとはまた異なる意志の籠もった双眸と、真正面で向かい合う。柔和な印象の薄れたアルセストは、滑らかだがひんやりとした、大理石の彫像を晶に思い起こさせた。
    「求める方が教会を、私の元を訪れる限り、彼らの救いの道を探すのが己の使命だと思っております」
     そこで一旦、アルセストは言葉を切る。そして自分自身を落ち着けるように一度瞼を伏せ、再び晶と視線を合わせて時には、先刻までの穏やかさを纏っていた。
     少し、リケに似ていると思った。ただアルセストの言葉からは、かの少年にはまだ得られない、答えに至るまでの長い長い時間が重みとなり伝わってくる。リケの溌剌とした意思を若木に喩えるなら、アルセストのそれは幾多の風雪を超え、揺るがない古木だろう。
     柔らかな声が、再び場に落ちる。
    「だから、でしょうか。世界を救うという使命を負った賢者様の働きぶりに、勝手に力を頂いているのです。たった一人で偉業を為さんとする貴方と、信徒を引き連れた私では比べるのも烏滸がましいとは思うのですが……」
     その言葉に引き戻された晶は、呆けていた顔を慌てて引き締める。
    「そんな事ありません! 心配してくれて、ありがとうございます」
     唐突でも何でも、労りには違いない。それなら、礼で以て返せる自分でありたかった。
     それに一つ、訂正しなければならない。
    「確かに大変な役目で、これまでは想像出来なかったくらい怖い経験もしました。でも……」
    「でも?」
     柔らかに続きを促され、晶は、今度は自然に笑う事が出来た。
    「魔法使いの皆や、アルセストさんのように気にかけてくれる人が沢山いるから……一人じゃないので、頑張れます」
     最後の最後で面映さが勝って、誤魔化すように笑ってしまいそうになるのを耐える。相手にも、言葉にした晶自身にも、失礼だから。
     アルセストは僅かに目を瞠って、そしてすぐに慈しみに溢れた笑みを口元に浮かべた。その頭が、緩やかに下がる。晶も、両手を前に揃えて同じく腰を折った。それだけで、別れの挨拶には十分だった。
     晶が姿勢を戻した時には、アルセスト達は来た時と同様、微かな衣擦れだけ響かせて去っていくところだった。ゆっくりと廊下の奥に消えていく一行の姿を見送っていると、ふと気付く。
    (……あれ?)
     最後尾の一人が他と比べ、つっかえるように辿々しく歩んでいた。具合でも悪いのだろうかと何となく見つめていると、不安定に前後へと揺れていた頭が、違う動きをする。
    (あ、振り返っ──)
     目が合った、と感じたのはほんの一瞬。それとほぼ同時に、その姿は廊下の角の向こうへと消えていた。
     窓から差す光が強いせいか、振り返った人物の表情ははっきりとは見えなかった。ただ、僅かにこちらを凝視したその目は、歩き方同様どこか不安定だったように思う。何をされた訳でもないのに、胸の中がざわざわと落ち着かない。晶が一つ、溜息をついた時だった。
    「賢者」
    「うわっ⁉︎」
     真後ろから落とされた声に、文字通り飛び上がる。早鐘を打つ心臓を抑えながら振り返ると、眉間にうっすらと皺を寄せたオズと目が合った。
    「びっくりしたあ……」
    「……何故、そんなに驚く」
    「いきなりだったから……戻ってたんですね」
     そう言えば、微かに険しさを残した表情のまま「問題ないか」と問い掛けられる。意味を捉えきれずに晶が首を傾げれば、オズは静かに、驚くべき事実をさらりと告げた。
    「先程の者達から、魔法の気配がした」
     純粋な驚きから、息を呑む。
    「魔法の? あの中に、魔法使いがいたって事ですか?」
    「断言は出来ない。魔法科学という事もある」
    「ああ……」
     燃料にマナ石を使う魔法科学道具は、使用頻度があまりに高い者を魔法使いと誤認する事もあると聞いた事を思い出す。オズは瞼を伏せながら「ただ」と続けた。
    「気配はしたが、微かなものだった。魔法使いであれ、道具であれ、大それた事は出来ないだろう」
     この世界における「大それた事」の殆どを実現出来る魔法使いの話を聞いた晶の視線は、もう姿が見えなくなったアルセスト達の影を追って廊下へと向かう。
     あの中に、魔法使いが。
    「以前のチェーリオ司祭長のように、聖堂には魔法使いに厳しい人が多いと思ってました。……何だか、意外ですね」
    「そうか」
    「自分の事を良く思わない人達と一緒にいるのは……大変だと思うから」
     余程、信仰心が厚いのか。それとも……と、外野である晶には逆立ちしても分からない事を考え始めた矢先、薄暗い廊下の先にきらりと光るものが見えた。
    「賢者様、オズ様!」
    「アーサー! お疲れ様です!」
     晶が知る中で最も多忙な十七歳は溌剌とした笑顔から一転し、「お待たせしてしまい申し訳ありません」と表情を曇らせる。晶は慌てて首を横に振った。
    「寧ろ、急がせてしまいませんでしたか?」
    「大丈夫です。話は済みましたし、あちらも……ああ、そろそろ始まる頃合いかな」
     時計をちらと見、アーサーはごく自然に言葉を継いだ。
    「城で定期的に講話が開かれているのですが、そちらに行くとの事でしたから」
    「アルセストさんの?」
     答えの出ない思考から、疑問が零れ出る。
     それとも──それよりも大事なことが、あるのだろうか?

     やっぱり間に合わなかった。
     いくつかの書類を抱え、クックロビンは廊下の片隅で一人項垂れる。本来なら今彼が手にしているものは、昨日手にしていた筈のものだ。もっと言えば、今日の昼前までに点検と精査を済ませて、先刻魔法舎へと帰還した賢者の手に渡っている筈のものだった。
    「賢者様、気にしてたなあ……折角来てもらったのに。オズ様は怒ってないって言ってたけど怖かったし……」
     周りに人影が無いのをいい事に小声で泣き言を漏らしていたクックロビンだったが「それにしても」と珍しく眉を吊り上げる。
    「講話の手伝いをしてたって、ひどいよなあ。そりゃアルセスト司祭は人気のある人だけど、本来の仕事を差し置いてやる事じゃないよ、全く」
     そう言ってしばらくは彼なりに険しい顔をしていたものの、慣れぬ怒りは長続きしなかったようで眉がどんどん下がっていった。
     終いには、はあ、と情けなく溜息をつく。
     クックロビンもよくよく理解しているのだ。こんなところでひとり愚痴を溢しても、何の解決にもならないという事は。
     よし、と鬱々とした気持ちを振り切って顔を上げる。
    「異変で困っている人の為にも、早く魔法舎に持って行こう!」
     そう意気込んだ彼は、勢いづいた余りに曲がり角で出会い頭に上司と正面衝突して説教を喰らう羽目になるとは、まだ知らない。

     恐ろしい。
     怖い。震えが止まらない。
     かの魔王の、その力の気配に間近で触れてからずっと歯の根が合わず、震えと共にかちりかちりと鳴らしてしまう。
    「オズ、オズが……」
    「いい加減にしろ」 
     呼気のように漏らしていた幽かな悲鳴は、冷厳な一言で切って捨てられる。肩を揺らし顔を上げれば、馬車の揺れをものともせずに、冷ややかな視線が黒髪の奥から真っ直ぐこちらを貫いた。
    「城から離れてどれだけ経ったと思っている? いつまでも騒ぐな」
     助祭の地位にあるリアンにそう言われては、一教徒に過ぎない上に新参の己は口を噤むしかない。しかし黙ったところで体の震えは止まらず、こちらを見るリアンの表情には呆れが滲んだ。またその口が開くのを見て、剣呑だろう言葉から逃れるように身を縮めた、その時。
    「リアン」
    「はい」
     素早い返事だった。まるで自分など初めからいなかったかのようにさっと外された視線の向かった先を追えば、リアンの隣に座ったアルセストの微笑みに迎えられる。
    「そう責めるものではありませんよ」
    「申し訳ありません」
     淀みない謝罪を頷き一つで受けてから、アルセストは続けた。
    「魔力を感じ取れる彼と私達では、見えているものが違いますからね。まして相手はかのオズ殿……恐れるなと言う方が難しいでしょう」 
    「ですが、ずっとこの調子では……城でも、賢者達に不審に思われたかもしれませんし」
    「気にされている様子はありませんでしたし、私も彼も、何も恥じるところはありませんが……」
     そうですね、と考え込むように口元に手を当てたアルセストの視線がすい、とこちらへとずれた。震えていた体が、今度は芯から強張る。恐怖もあったが、その殆どは緊張、畏れからだ。
     こちらの緊張を見てとったアルセストはそれを解すように微笑んでくれるが、思った通りの反応を返せはしなかった。こうして同じ馬車に乗るだけでも自分には過ぎた栄誉だというのに、直接視線を交わし、言葉を貰えるなんて、もはや奇跡に近い。
    「いくら賢者様にお会い出来る機会だったとはいえ、慣れない内に連れ回してしまい申し訳ありませんでした。疲れてはいませんか?」
    「ひ、い、いえ、そんな……!」
    「オズ殿の魔力云々は分かりませんが、それは今も感じ取れるものなのでしょうか? そうだとしたら、とんだ負担を掛けてしまって……」
     気遣わしげに眉が下がるのを見て、身が細る思いがした。手狭な馬車の中でなければ頭と手を地に伏せたかったくらいだ。それが出来ない代わりに、慌てて首を横に振る。
    「いいえ、いいえ! もう何も感じてはおりません! これはっ、これはただ、私の小心故の弱音のようなもので!」
    「それは……余計にいけない。貴方を怖がらせる為に供をして貰った訳ではないのですから」
    「だい、大丈夫です!」
     気遣いの言葉を遮るという不敬に、正面に座すリアンからの視線が一段と剣呑さを増す。しかし、今はそれを恐れて黙る訳にはいかなかった。
    「賢者の姿はっ、ちゃんと、ちゃんと見ました」
     御者に聞こえても問題ないとは知っていたが、声は押し殺した。代わりに、はっきりと言う。 
    「や、役目は、果たせます。果たします……!」
     だから、どうか。
    「見捨てないで……」
     赦しを乞うように搾り出した言葉への返答はなかった。代わりに、アルセストの手が、震える己のそれに重ねられる。
    「──見捨てるだなんて、あり得ません」
     思い出すのは、路傍で死にかけた冬のある日。人間には魔法使いだからと疎まれ、盗人の濡れ衣を着せられて村を追い出され、凍え死にそうだったあの夜。あの夜も、この手は今よりもずっとずっとみすぼらしい己に触れてくれた。
    「貴方には、大事な役目を担って頂いているのですから……頼りにしています」
     慈愛に満ちた眼差しに、さっきまでとは別の震えが体の内から湧き起こる。はい、はい、とうわ言のように、どうか、と口にする。
    「どうか、私をお救い下さい……」
    「ええ、必ず」
     迷いなくそう言って、微笑むアルセスト。
     見た事のない神をその姿に思い描きながら、深く、頭を垂れた。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💖💖
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works

    recommended works