「はぁ? 単独任務ぅ?」
耳を疑うような言動をした親友兼相棒兼仕事仲間の傑に問い返すと、うるさっと言いながら両手で自らの耳を塞いだ。
「そんなに大きな声を出さなくても聞こえているよ」
「当たり前でしょ、聞こえるように言ったんだから」
数メートルも離れていない距離で聞こえなかったら、一度耳鼻科に行ったほうがいい。それに、今はそんな問題を話している時間でもない。
「悠仁が単独任務に行ったって聞こえたんだけど、幻聴だよね?」
「君の耳は正常すぎるほど正常だよ」
それはつまりイエスということだ。何それ、僕は何も聞かされていないんだけど。ここのトップである僕の知らない仕事って何だよ。
「昨日、君達は休みだっただろう。その時に急ぎの任務をふっかけられたんだよ。任務の内容的に悠仁が最適だと思い、朝一で向かってもらった」
「だから起きた時居なかったんだ……」
久々に二人で丸一日休みを貰ったから、ゆったりとした時間を過ごさせてもらった。主にベッドの上でだけど。しかし起きると隣にいたはずの熱はなく、リビングに準備された少し冷めた朝食だけが残されていた。その隣に「先にでる」と書き置きはあったけれど、まさか急な任務だなんて。
「それ悠仁に言ったのいつ?」
「昨晩の九時頃、かな。返信は明け方だったよ」
「あー、あれ傑からだったのか」
お風呂から戻ると、悠仁はパンツ姿でベッドに寝転びながら携帯を覗いていた。引きしまったふくらはぎと弾力のあるお尻が目に止まり、思わず飛びつきそのまま行為に雪崩れ込んだ。これだけ返信させてと言われて聞けるはずもなく、持っていた携帯をポイっとベッドの下に投げた覚えもある。きっと喉が渇いたのか明け方に目を覚まし、その時思い出して返信したのだろう。
「それで、どんな任務?」
朝食も一緒に食べられないような任務だ、緊急性が高くて厄介な案件だけど悠仁でも対処出来ると判断されたから彼に白羽の矢が立ったのだろう。ただ一つ心配なのは、もう何度か任務をこなしているが単独での任務はこれが初めて。それまで傑だったり僕だったり、時々七海と共に行動させていたからいつか独り立ちさせないとなとは思っていた。その記念すべき日を傑に勝手に決められたのは、ちょっといやかなり悔しい。
「最近、若者の間で流行っているらしい違法ドラッグだ」
そう言いながら傑はポケットに手を入れ、携帯を取り出し指を何度か動かしこちらに画面を見せてきた。どうやらニュース記事のようだ。
「先日、交通整理中の警官が二人乗りのバイクに轢かれた。警官は軽症で犯人もすぐに見つかった。犯人は高校生。調べに対して容疑を認め、身体検査をしたところ、二人とも同じキャンディーを持っていた」
「へぇ、そんなに流行ってるキャンデーなの?」
「一部では、ね」
傑に携帯を返すと、また違うページを開きこちらに差し出す。
「……確かにただのキャンディーじゃなさそうだね」
真っ二つに割れたキャンデーの中心には白い粉。うまく作ったものだと感心する。これだとパッと見た時何も変わった様子がない、普通のキャンディーに見えてしまう。
「一応確認だけど、ただの砂糖という可能性は?」
傑は首を横に振る。
「成分は鑑識が詳しく調べているようだが、まだこちらに情報は来ていない」
「ひき逃げ及び公務執行妨害だけかと思ったら、予期せぬ魚が釣れたってわけか」
しかも高校生が気軽に手にしている時点で、警察と政府としても慎重にしかし早急に動かなければならない。マトリや公安も動いているだろうけれど、早期解決を狙って僕たちのところにも協力を要請してきたのか。
「それで、何で悠仁が僕の許可もなく任務に行ったの?」
少なくとも、傑や七海でも僕がこんな状態になるのをわかっているだろうから先に僕を通す。任務の内容を先に悠仁に伝えるとしても、だ。それなのにあの子はもうすでにここには居ない。
「あの子が言ったんだよ。もう一人で任務に行けるって。こちらが止める前に、出て行ってしまったよ」
そう言いながら傑が人差し指で指したのは、窓。まさかそこから出ていったのか、ここ四階なんだけど。悠仁ならやりかねないと思うのも頭が痛い。
「いい機会だ、一人でやらせてみよう。本人がやる気なら、尚更ね」
「それには賛成。だけど様子は見に行く」
「今からかい?」
「今から」
「これから会議だけど」
「僕はパース」
「そういうと思ったよ」
ハァとため息を吐く傑に幸せが逃げるよと忠告すると、そんなもの私にあったかなと冗談にしては結構きつい回答が飛んできたが、僕が出ていくのを力の無い手をひらひら動かし見送ってくれた。
伊地知が捕まらなかったのでタクシーに揺られてやってきたのは、昼間も賑やかな若者の街。一日中人が集まるこの場所に、悠仁が居ると彼の携帯に入れているGPSが教えてくれている。もちろん、合意の上で位置情報を共有している。僕のことを探すなら悠仁に聞くのが早い、というのはこの数ヶ月ですっかり組織内の全員の共通認識となった。
あと数十メートル先に居るらしいが、姿は見えない。建物の中だろうかとふと顔を上げると、ビルの屋上からひょっこり顔を出している悠仁と目が合った。あちらも僕に気づいたのだろう、あっと口を開いて驚いている。どうやって入ったのか、いや彼のことだから上から行ったのだろう。残念ながら僕はそんなところに行けないので、人差し指を下に向けながら「降りてきて」と声に出さず口だけを動かす。にこりと笑顔を向けるのも忘れずに。すると悠仁は顔を引っ込め、手を出しOKサインを出してすぐに引っ込めた。きっとすぐに降りてくるだろう。ここで待つことにする。
ほんと、悠仁は所々ぶっ飛んでいる。己の身体能力に自信があるのはいいことだ。それを誰も否定しない。ただ、もう少し人間らしく行動してほしい。窓から出ていくのはやめてほしいし、不法侵入は任務の時だけにしてほしい。今回も、普通に探していたら絶対に見つからなかたので、GPS様様だ。今後のことを考えても、少しお説教はしておいた方がいいだろう。
「ねぇおにーさん」
声のする方に視線を下げる。そこには二人組の制服姿の女子高校生が僕を見上げていた。まだ昼前なのに何でこんな時間に居るのだろう。
「私ら、暇なんだよね。お兄さん一緒に遊ばない?」
「暇って、学校は?」
「テストだったからもう終わったよー」
そんな時期なのか、学生時代なんてはるか昔過ぎて覚えていない。彼女たちの言うことが本当なら、これから同じような制服の学生がこのあたりに増えるのか。もしかすると、あのドラッグキャンディーのことについて何か知っているかもしれない。
「君たちさ」
今話題のキャンディーと言って伝わるだろう。周りくどいことは嫌いだから聞いてみようとすると、右肩にドンっと何かが強くぶつかる。まるでトラックがぶつかってきたかのような衝撃だ。僕じゃなかったら、耐えきれずに三メートルほど飛ばされていただろう。しかも腕にまとわりつく力も驚くほど強い。誰だこんなことするのは、と視線を下に向けるとピンクベージュの髪を揺らしながら、耳を赤くした悠仁がさらにぎゅっと僕の腕に抱きつく。
「ご……悟、くん!」
こちらを見上げた悠仁と目が合う。いや、どうしたの。悟くんなんて、ベッドの上でも呼ばれたことは無い。それなのにこんな人前で呼ばれて、混乱状態だ。
「ほら、クリームたっぷりのフラペチーノ飲みに行くんでしょ」
「ん?」
「じゃあね、バイバーイ」
そんな約束していないけれど、僕が答えるよりも先に悠仁にずるずる引きずられながら女子高生たちから遠のく。ポカンと口を開けて状況が必死に理解しようとしている姿に、僕も同じ気持ちだよと心の中で同意しておいた。
「ねーゆーじー。僕の腕、抜けそうなんだけど」
冗談半分、本気半分。現に抱きしめられて血の巡りが悪くなったのか、僕の右腕は肘から下がほぼ感覚がない。それにやっと悠仁も気づいたようで、肩をビクッと震わせてすぐに腕は解放された。止まっていた血が巡るようなじんわりとした感覚を楽しんでいると、悠仁が頬まで真っ赤にして慌てている。
「ごめん五条さん! 折れてない?」
「それは大丈夫」
少し指先が痺れているが、数分で治るだろう。これがもし女性の細い腕だったら、本当にそうなっていたかもしれないぐらいの力の強さだったのは、否定しない。
「ところでさ、悠仁」
「うん? 何?」
そんな上目遣いで首を傾げ可愛く言っても、僕はこれでも怒っているんだ。
「あっ、まさか!」
珍しく察しがいい。悠仁は動物的勘は優れているけれど、それ以外は結構鈍感だから言わないとわからないと思っていたのに。
「急に名前呼んでごめんなさい!」
直角に腰を曲げた悠仁に、今度は僕が首を傾げる番だ。
「名前って、さっきの?」
ぶっちゃけ嬉しかったので、謝られる意味がわからない。悠仁はポリポリと頬をかきながら、視線を逸らす。
「逆ナンされてたからさ、あぁするのが一番かなって」
「逆ナン?」
「違うの?」
確かに一緒に遊ばないかと誘われたので、逆ナンだったかもしれない。そうだとしても、悠仁があんな行動を取る意味がまだ理解出来ない。
「うーん、そうだったかもね。可愛かったから、仕事が無かったら付いて行ったかも」
そんなつもりはさらさら無いけれど、反応を見たくて思ってもいないことを答える。すると、悠仁が僕を見上げながら眉間にキュッと皺を寄せた。
「……ふーん、じゃあ今からでも行けば?」
くるりと体を反転させそのまま歩いて行こうとするので、慌ててその腕を掴む。悠仁の機嫌が急降下したのはわかったが、どうしてそうなったかはわからない。けれど、今はそれよりも離さなければならないことがある。
「待って待って。何で僕がここに来たのか、わかる?」
僕が起きる前に出て行って、しかも僕の許可無しに任務を受けて窓から飛び出して。叱りたいことが山のようにあるのは、僕の方だ。
「俺がちゃんと任務するか見る為?」
「それよりも前。僕に相談せず勝手に任務を受けた理由を教えてくれるかな」
別に怒っているわけじゃ無いけれど、理由ぐらい聞かせてほしい。僕だってこの話を先に聞けば、悠仁に任せてみようと言えたかもしれないのに、順序が違う。
「理由って、別にいいじゃん。夏油さんが俺に直接言って来たんだから、俺に決める権利はあるだろ」
「それはそうだけど、僕がトップだ。最終決定は僕にある」
どんなに小さな任務でも、全て僕の耳に入る。ある程度傑が選別するが、最後の決定権は僕にある。それは悠仁以外の誰もが知っている。
「……俺、もう一年経つんだけど」
「一年?」
「この仕事始めて、一年」
そう言えばそうか。目まぐるしい時の流れの中、すっかり忘れていた。出会ってすぐの頃から色々あったし、彼が目覚めて復帰してからも刺激的な日々を過ごしているので時の流れの早さに驚く。年を取ると一年が短くなるというのは本当だな。来年には悠仁も二十歳だと思うと、感慨深い。
「ずっと五条さんと一緒の任務ばっかじゃん」
「そうだった? 傑と一緒に行ったこともあるでしょ」
「その時も心配だからって、結局付いてきてた」
首を傾げて記憶を辿る。言われてみれば、悠仁の任務にはどんな予定が入っていても同行していた。事前準備には参加しないが、決行当日に顔を出したり最初から関わったり。
「俺、もう一人で出来るから」
腕をすごい勢いで振り払われる。力だけなら、僕よりも悠仁の方が上だ。それを今、改めて証明された気分だ。
「五条さんは黙って見てて!」
僕に向かってべっと舌を出して拒絶を表すと、そのまま走り去ってしまった。次は腕を伸ばすタイミングを逃し、風よりも早く走る彼の姿はすぐに消えた。
「……育て方、間違えたかな?」
ジンジンと痛む手を眺め、その場で柄にもなく大きなため息を吐いた。