【As you wish, Mr.Hyde.】 今にも底の抜けそうな紙袋が二つ、どさりとフローリングに下ろされる。溢れんばかりの荷物、そして良く見知った来訪者を交互に見比べて人狼が尋ねた。
「なんだこれ」
「かわい子ちゃんたちからの贈り物だ。毎年この時期事務所に届く。……無碍にも出来ないからな、いくつかはこうして持ち帰るんだ」
「マジかよ……これ全部か……?」
愕然とする人狼を横目に、ハイドは手が痺れたと笑うだけだった。今日は二月十四日、いわゆるバレンタインデー。氏に言わせれば、これでも送られてきた段ボールの大半を事務所に置いてきたのだという。
「さすがは天下のハイド様だ……」
「まあ、悪い気はしない」
ソファに腰を下ろし、スリッパを蹴飛ばしてしまうと吸血鬼はくじ引きのように紙袋へと腕を突っ込んだ。無作為に取り出したファンレター。封を開き便箋を取り出すと、丁寧にしたためられた文字の列をなぞった。一通り目を通した後で再び腕が伸ばされる。次にハイドが掴み取ったのは厚みのある化粧箱だった。リボンを解けば、中には宝石にも見紛うチョコレートが敷き詰められていた。どれにしようかと迷う指先。気まぐれに選んだ一つを口の中に放り込んだ時、ガラがおもむろに通勤カバンを漁り始めた。
「おれなんてたったこれだけだよ」
ハイドの奥歯が躊躇いなくチョコレートを噛み砕く。狼男の手の中にはひとつの小さな箱。情熱的な赤いリボンの施されたそれは誰の目から見ても特別な贈り物のように見えた。──ただ一人、鈍感な人狼を除いて。
「……おい。なんだ、それは」
「何って、見りゃ分かるだろ。職場で貰った義理チョコだよ。最近入ってきた若いのが、日頃のお礼にってくれたんだ。こんなおっさんにチョコなんてなあ……」
気を遣わせちまった、と口では申し訳なさそうにしながら、僅かに口角が上がっているのをハイドは見逃さなかった。
「何故義理と分かるんだ」
「おいおい、新人さんとおれは下手すりゃあ二回りも違うんだぞ? これが義理以外のなんだってんだよ」
「それはおまえが決めることではない」
ハイドは語気を荒くしてファンからの差し入れを手当たり次第に開封してみせた。繊細な包装を破り、リボンを力任せに引きちぎった。選りすぐりの高級チョコレート、その数々は無造作にハイドの口に入り、テーブルの上には瞬く間に空き箱の城が築き上げられていく。
「おい、スニッカーズじゃないんだぞ……折角ファンに差し入れてもらったんだろ。もうちょっと落ち着いて、味わって食べろ」
「うるさい」
ハイドはそっぽを向き、目を合わせようともしない。彼の不機嫌の理由を探るようにガラはハイドの顔を覗き込んだ。
「……もしかして、妬いてんのか?」
「妬いてない! 妬くとしたら、何百とチョコレートを受け取っている私に、おまえが、だろう!」
状況を鑑みるにハイドの言うことはもっともだった。だが、ガラはハイドが多くのファンから慕われ、愛されることを一片の嘘偽りなく──喜ばしいことだと感じていた。
吠える仔犬を宥めようと腕を伸ばす。が、ハイドはむくれてその腕から逃げる。ご機嫌斜めな恋人に、いよいよガラは実力行使に打って出た。
「おれもおまえさんに渡したいものがあるんだが」
特別な贈り物をちらつかせる絆創膏の腕。膨れっ面が僅か一瞬緩んだが、ほだされないと言わんばかり、ハイドは険しい表情を崩さない。
「そんなありきたりなもので私はなびかない。そもそも、甘ったるいものはあまり好きじゃない」
「そう言わずに、受け取ってくれ」
「……」
不機嫌な口元は沈黙を保っていたがしばらくすると牙を覗かせ、試すように言い放った。
「口移ししてくれるなら、考えてやってもいい」
馬鹿真面目な男の困り顔を堪能出来れば、それで気は済むはずだった。ところが人狼は躊躇うことなく箱を開けると赤いハートの一粒を啄み、愛する人の唇に押し付けそのまま喰んだ。すっかり油断していたハイドは口内への侵入者を拒めない。絡め合う舌の上でチョコレートは瞬く間に形を失った。貪られる高揚感は今まさに求めていたもので、吸血鬼は被食の悦に身を委ねた。
「……ん、ぅ、」
先に口を離したのはハイドの方だった。胸焼けしそうな接吻に、つい喘ぐ。
「ハイド様の仰せのままに」
「ぬぐう……おまえ、仕返しされる覚悟は出来てるんだろうな?」
恨み言を吐く吸血鬼は口元を拭うと次のチョコレートに指を伸ばした。