【stand up】「ガラ、休憩だ」
背後から名を呼ばれ、狼男は足を止めた。気配が背中まで迫って来るや否や、声の主はウンザリだとばかり、息を吐く。
「休憩って……おれたち、さっきまでコーヒートークに居たんだよな?」
両名は確かに五分前まで馴染みの喫茶店で寛いでいた。ガラハッドとゾボを頼み、バリスタ、それから偶然居合わせたジョルジと街の噂や騒動について会話を交わし別れたばかりだ。にも関わらず再び休憩を所望するこの友人をガラは訝しんだ。傾き始めた陽のせいかハイドの表情は翳り、どこか居心地が悪そうに見えた。
「具合でも悪いのか?」
「……ああ、もう一歩も歩けそうにない。助けてくれ」
かつて、オークに集団で殴られようが、ストーカーに刺されようが、皮肉を吐いて飄々としていた男が今、明確に助けを求めている。数十年に及ぶ付き合いの中でも初めてのことで、ガラは咄嗟にスマートフォンに手を掛けた。「911」をコールしようとした時、その手を制止したのはあろうことかハイド自身だった。
「……靴擦れだ」
「は?」
「靴が合わなかったんだ。足が痛い」
悪びれる様子もなく言い放つハイドに狼男は大きく息を吐き、そして胸を撫で下ろした。苛立ちと安堵が同時に押し寄せ、言うべきはずの文句を言い淀む。
「……とりあえずそこ、座れ」
ガラは道端のガードパイプを指差した。周囲を見渡してもベンチらしいベンチは見当たらない。ぎこちない足取りで指示された場所へなんとか寄り掛かるとハイドは悪態を吐いた。
「ホームレス対策だかなんだか知らないが、最近はすっかりベンチを見なくなった」
「爺さんのセリフだぞ、それ」
揶揄をものともせず、ハイドは鼻を鳴らした。
「そうだ、若者からすれば……事実、私は爺さんと言って差し支えない年齢になる」
そこまで言い終えてガラを見上げる赤い瞳が「察せ」と言わんばかり、何かを物語る。通りの少し先から、酒に酔ったサキュバスの愉しげな笑い声が聞こえてくる。
「……おぶってくれなんて言わないよな?」
「まさか! お姫様抱っこしてくれるなら私はそれで構わない」
呆れ果て、言葉を返せずにいるガラの反応を楽しむようにハイドは口角を上げた。
「履いた瞬間、嫌な予感はしたのだがな……なに、優秀な医療事務員クンが世話を焼いてくれるだろうと思ってな」
「確信犯にかける情けは無い」
「待て、ガラ、おい! 置いていくな薄情者!」
行ってしまうふりをしたガラが、しかし追い縋る友の声を無視し切ることは出来ずに戻って来る。そしてハイドの前に傅くと今日おろしたばかりなのだと言うかたい革のローファーを優しく脱がせた。そのまま派手な赤のソックスを剥ぎ、皮膚の捲れてしまった痛々しい踵を空気に晒す。
その、手つきに。患部へと向けられた真剣な眼差しに。何故かハイドの胸は高鳴った。見てはいけないものを見るようで、つい視線を逸らす。
一方、ガラはジャケットの内ポケットから取り出した絆創膏を慎重に、けれど迷いなく傷口に重ねた。予期せぬことにハイドの脚が跳ねる。
「さ、これで歩けるだろ。……別に急いでる訳じゃないんだ、焦らずゆっくり行けばいいさ」
絆創膏のゴミをポケットにしまうとガラはからりと笑って見せた。
「むう、求めていたものとは違ったが……」
ハイドは確かめるように踵の絆創膏に触れると、目を伏せ笑みをこぼした。
「不思議と悪くない気分だ」