さよなら、また何処かで
文化祭が終わって仁は気が抜けた毎日を送っていた。秋も深まるこの季節に突如加わった新要素が目に入る。
「あ、新のにーちゃんまた来てっぞ」
「本当だな、毎日毎日仲睦まじい事だ」
「……すげーブラコン」
「どっちが?」
どっちも。と溜め息を吐く仁に、橋本と貴文も顔を見合わせて同意した。逢坂兄が高校に復学してから、一日足りとて兄弟が一緒にいる姿を見ない日はない。廊下や教室で談笑している二人は誰よりも太い絆を感じられた。
普段ならそれをからかいのネタに弄り倒す仁だが、事情が事情だけに見ている事しか出来ず、フラストレーションだけが溜まっていく。
「俺、新のあんな幸せそーな顔見たの初めてかも。にーちゃん大好きなんだなー」
「そうだな、優しいお兄さんなんだろう」
視界の端に見上げてはにかむ新と弟を優しく見つめる兄が映る。仲が良すぎて新が女子ならまんまカップルだ。
逢魔ヶ時の世界で出逢った『先輩』から感じた冷たい印象は緩和しつつある。人間性が摩耗していた怪異の時とでは違って当然だ。共通してぶっきらぼうに思える話し方も慣れれば個性だ。
逢坂始だ、と握手を交わす様は兄を通り越して父親の貫禄すら感じ、新が彼を支えにするのも頷けた。逢坂家にとってなくてはならない存在なのも分かる。だからと言って納得出来る筈もなく、二人を見る度、目付きが鋭くつり上がっていった。
「にーちゃん何だって?」
「ああ、近くまで来たからついでに寄ったらしい」
「仲が良いな」
「……そうかな、普通だと思うが」
「顔、ニヤついてるぞー」
仁が大人しい分、二人が新をからかい始める。控えめだがノロケ話にしか聞こえない。苦痛過ぎて席を立った。それを見つめる新の視線に気づかず、教室の扉を潜る。
そんな日々を過ごしている内、唐突に帰り道の途中でぷっつり来てしまった。はぐらかす為の口で本音をぶつけ、勢いに任せたまま強引に抱き締める。小柄ながらも程よく付いた筋肉のせいで抱き心地はよろしくない。何か言われる前に口を塞いで聞かなかった振りをする。
否定も肯定も何も聞きたくない。
「……仁」
終始、新はぼんやりと見上げるだけだった。
「気づかなくて済まなかった」
「……何でお前が謝るんだよ、ここ罵る所だろ?」
「勿論腹立たしいが、俺も悪いから君も頭に来たんだろうし」
「だからってさ普通許せるか?」
「許すつもりは毛頭ないが」
当然だが玉砕だよな。襲った相手を好むお人好しなど聞いたことがない、それはただの馬鹿だ。
「……俺も君のことは好きだし」
乱れた制服を整えながら新は呟く。
「ウソだろ」
「嘘じゃない。大体、嫌ならもっと本気で抵抗するだろう」
「…………え、マジで言ってんの?」
小さくだが確かに頷く。お人好しの馬鹿がいた。それから手を繋いだり色々と付き合ったりしてみたが、表面上は今まで通りだったから、俺も新も誰にも言わなかった。
怠いけど悪くない毎日。あの時祭りのむこうに行っていたらまた違っただろうか。
…………少し引っ掛かる、僅かな違和感。
「どうかしたか?」
「何でも……そっちこそどうしたんだよそのカッコ」
いつの間にか地味な色の甚平に身を包み、狐面を顔に付けている新。文化祭にクラスの皆で着た甚平だ。短い袖と裾から伸びる手足がこの季節には寒々しく映る。
手に木で拵えた刀を携え、一息に引き抜いた。同時に遊びに来ていた新の部屋がぐにゃりと歪んで、何も無くなる。
広がるのはひたすらに果ての無い、黒い空間。
「……新?」
「充分君の遊びに付き合った。そろそろ終いでいいだろう? 鬼」
「鬼って……ヒデーな、そんな呼び方ないだろ」
認めたくなくて、仁は一歩後退る。足下を中心に黒い地面に波紋が揺らいでは消えていった。
「君は」
「止めろ! これでいいんだ、このままで……」
「人が――人間の世界が嫌で、全て憎んで呪って怪異になったのに?」
「ただの夢なんだからいいだろ、好きにさせろよ。何でお前に邪魔されなきゃならないんだよ!」
よりにもよって、逢坂新(その姿)に。
遠藤仁が怪異にならない世界。それは逢坂兄弟も無事で、仲良し四人組で修学旅行に行って、退屈だけど平凡な日々を過ごす優しい世界。誰も怪異にならない、犠牲にならない、恐らくこれ以上無いハッピーエンド。それを夢見て何が悪いのか、戯れに仮初めの世界で遊んで何が悪い?
そうでもしなきゃ仁は報われない、傷が増える毎日の中で楽しみも知らないで、彼は何の為に存在(いた)のかと。
全て捨ててきた筈なのに、考えても仕方ないことばかり。
「怪異になることを選んだのは君だろう。なのに未練がましく仁の思い出に縋り、あまつさえ俺(逢坂新)の存在すら浮かび上がらせる」
「だからなんだよ」
まだ仁の姿で眉をつり上がらせる鬼に対し、俺が困るんだ。と狐の怪異は受け流して、息を吐き出した。
「怪異が過去に縋るなんてあり得ない。過去がないから怪異なのに。なまじ覚えているから振り返って、懐かしんでしまう。それは人間の性であって特権だ、怪異(君)じゃない」
「回りくどい事言ってないでお前が俺の寂しーい一人遊び邪魔する訳をさっさと言えよ。何が困るってんだよ」
「『遠藤仁』と『逢坂新』はもう存在しない……存在(いない)ものを呼び起こしてもらっては困る」
上段に刀を構える。いつでも斬れるように息を整え、鬼を見据える目は面越しでも酷く冷たいのが伝わってくる。
そういう事か。
鬼に仁(人)の記憶があるせいで周りに影響が出る事が怖いのだ。消え去った筈の逢坂新の残滓を呼び起こし、逢坂兄が弟を思い出す。それはあってはならない事。
現世に帰した兄が弟に縛られない為にどんな小さな可能性でも潰す。『自分』すら躊躇いなく。
二度と逢坂始を異界に近づけさせない為に。結局、アイツははじめ兄ちゃんが一番大事で、仁の事は兄の十分の一程も思ってくれないのだ。分かってたけど。
「好きだって言ってくれたのにな」
「別に嘘じゃない、と言えたらいいが生憎と判らない」
「うん、そこは嘘言ってほしかったな」
「すまない」
刀が風を切り、仁の姿が肩から斜めに割れて霧散する。狐が刀を鞘に納めると黒い空間にも縦に亀裂が走り、崩壊を始める。
「…………」
最後に狐が何と呟いたのか鬼は知らない。
「うあ? ビビった……」
「突然何だ、狐に化かされたみたいな顔で」
「何か引っ掛かる言い方だな~、夢見てた気がしてさ」
「目は開いていたが些細な事か、悪い夢だったのか?」
「や、覚えてないけど、多分悪くなかったんじゃねえかな……お前何かした?」
「さあ。いい夢ならよかったじゃないか」
祭りの何処かで他愛ないお喋りをする鬼の怪異と狐の怪異がいる。狐の怪異が微笑んで、お終い。
『……さよなら、また何処かで』
2014.11