貴方ノ影ヲ想ウ
「……どうしてだろう」
窓の縁に浅く腰を掛ける狐面の少年。机一つ分隔てた距離を置いて、黒い目隠しをした着物の少年が立っている。朝陽が昇る教室の中には、二つの人影しかない。
「俺のしていることは、誰かの後追いに過ぎない。何故かそう思うんだ」
その言葉は鬼の怪異に向けて言ったようにも独り言のようにも聞こえて、鬼は返事はしなかった。
少年の問いに答えられる者はここにはいない。かつて警備帽を被った少年が校舎を徘徊し、迷い込んだ人間の世話を焼いていた事を知らない。入れ替わりに彼はいなくなったから。
倣うように狐の怪異は刀を振るい、人間の世話を焼いている。それは彼の面影を追うように。
「…………」
少年は窓からぶら下げた足を振る。夜明けが過ぎればこんなにも学校は静かだ。
明るくなった校舎の外を数人が歩いている。学校の文化祭から逢魔ヶ時の世界へ迷い込む人は後を絶たない。無事に帰る人もいれば、自分が解らなくなって白い姿でさ迷う者、怪異に招かれて仲間入りする者、運命は様々だ。
前世って奴かな、と窓を向いた鬼は気のない返事をする。
「そんな奴一人くらいいてもおかしくないよな、俺は知らないけど」
「そうか」
ここではだれも気にしないから疑問に思う必要もない。彼らは祭りさえ楽しめればそれでよかった。
「思う存分好きなこと出来ていいよな。飴や金魚すくいの店出したり、ただ祭りを練り歩いたり、人間脅かしたり」
「ここには色々な怪異がいるな」
「その中に、一人くらい迷い込んだ人間を助ける怪異がいてもいいと思うワケ。俺は」
「……好きにしても構わないと思うか?」
「いいんだよ、都合が悪ければ世界のどっかから邪魔が入るだけだし」
「そうする。ありがとう」
見えないけど狐は微かに微笑ったようだ。鬼の少年は窓から離れ、机の間を通り抜けて教室の戸に手を掛ける。目隠しの奥から眺めた窓のむこうは変哲もないグラウンドが広がっているだけだった。
ガラリと開いた廊下は暗く、いつぞやの景色を思い起こさせた。今日と同じように朝陽が昇る教室の中、立ち尽くす一人の少年の姿を。
藍色の甚平を着た背中はどこか寂しげに窓の外を眺めていた。狐面に隠された表情は何を見ていたのか、今でもそれは分からない。
二つに隔てられた境界で外を見つめる彼は、一体何を思っていたのだろう。外に出たいのか、外に会いたい者がいるのか。
やがて廊下に小さな人影が飛び出してきたが、目隠しをした少年には気づかずに廊下の奥に消えた。
「……ひとつ訊いていいか?」
まだ窓の縁で足をぶらぶらさせている彼に、ずっと訊いてみたいことがあった。
足が床に着く。こちらに近づく足音を背中で聞きながら、
「何だ?」
「外に出たいと思ったこと、ある?」
「別に。祭りと学校の中で充分だろう」
事も無げに答える狐の怪異。当たり前の答えに鬼は満足したように頷いて、
「じゃ、また祭りで」
ピシャリと戸は閉じられた。
2014.12