立てたフラグはへし折るもの
資料の片付けを命じられて数十分、新は資料室で悪戦苦闘していた。敵は資料棚の一番上、台に乗っても伸ばした腕はなかなか届かない。手はもう少しで届く所まで来ている。このまま無理矢理ファイルを突っ込んでしまおう、と爪先立ちで腕を伸ばした。
「新? お前こんな所で何して――」
かけられた声に不安定な体はグラリと揺れ、ハラハラとファイルに綴じられていたプリントが宙に舞う。
もう少しだったのに。
いって……と足を踏み外した新の体の下で仁が頭をさすって呻いた。巻き添えにしたのは資料だけではなく彼もらしい。知らずに制服のブレザーにしがみついていた手を慌てて離し、大丈夫かと額に手を当てる。
「悪い、どこか怪我はしていないか?」
「……平気。取りあえず上から退いて」
言われて気づく、押し倒したような態勢になっていることに。すまない、と足を退けて散らばったプリントを拾い集める。
それ何? と指差す仁に文化祭の資料だと説明して、集めたプリントを元通りファイルし、机の上で閉じる。先生に片付けを頼まれたのは過去の文化祭の資料だった。
「片付けようとして背が届かなかったと」
「棚が高すぎるんだ」
ここ? とファイルが並んだ隙間に片付けようとしたファイルを差し込む仁。そんな簡単に届く背丈が羨ましい。笑いたければ笑え。
「この高さはお前には無理かもな、先生も人見て頼めばいいのに」
「背が小さくて悪かったな」
「そうでもないけど? 丁度いい高さじゃん」
何の高さだと訊く前に、微笑った仁から無意識に距離を取る。後ろに引いた右足が一歩、二歩と下がり、机に阻まれた。これ以上下がることは出来ない。
踏み出した踵の次に来たのは前髪を弾く指先。
「デコピンするのに丁度いいんだよな」
「……そうか」
「あれ、怒らない。もしかして違う想像したとか」
「してない。用事も済んだし戻ろう……あれ」
鍵がない。そもそもドアをいつ閉めただろう……すぐ終わるつもりだったから開けたままにして、それから。
「どうした?」
「鍵を見なかったか」
さあ、と首を傾ける彼の横で試しにノブを回してみてもドアは開かない。鍵を紛失したのはともかく、さすがに中から施錠した覚えはないぞ。
閉じ込められたってこと? と何故か仁は目を輝かせて言った。
「部屋の内側に落ちてるかもしれない。探せば見つかるかも」
「見つからなかったら、俺らここで一夜過ごすことになるのかな」
「携帯で外に連絡したらいいだろう」
「没収中。一校まで取りに行く途中だったんだ」
「……なら仕方ない。ドアを破壊して出よう」
「連れないの」
紅く染まりかけた窓の外を気にしながら、床に這いつくばって探し始める新をよそに、人差し指を立てて提案する。
「どうせなら競争しよーぜ! 鍵を先に見つけた方が一つだけ命令出来る」
「こんな状況なのにのん気だな……見つからなかったらどうする」
「その時はその時。取りあえず6時まで探してみるか」
三十分後を指定し、新に背を向けて仁も床を探し始めた。
「見つからないな……」
「なー、これって制服のポケットに入ってたってオチじゃ?」
そんなはずはないが一応ポケットの中を改めてから、新は首を横に振る。どれ、と近づいてきた仁にポケットを摘まんで見せた。
「ほら」
「内ポケットとか入ってない?」
「そんな所にわざわざ……コラ、まさぐるな」
着ていたブレザーの内側をまさぐり、シャツのポケットからズボンまで念入りに調べていく。追い詰められた壁の前でいいように体に触れられる。
「AVとかにこういうシチュエーション有りそう。密室で二人きりになってそのまま……なーんてさ、お約束っぽい」
「馬鹿、冗談も大概に……」
言いかけて思い至る。開け放したドアにどうして鍵が掛かっていたのか、誰かが閉めたとすればそれは目の前にいる彼しか有り得ない訳で。
「最初から君が持ってた……?」
「さあ、どうだか。もし俺が持ってても落ちてたのを拾っただけかもしれない。いつ手にしたかなんて誰にも証明出来ない訳だし」
俺以外はな、とにっこりと笑うその顔が無性に憎たらしく、蹴りたいが密着した体がそれを許してくれない。
「壁際に追い込むのは女の子だけにしろ、男同士で睨み合ってても何も楽しくない」
眉をひそめる新にそうでもないけど? と仁はあっけらかんと頭を振って、
「誰にも秘密のシチュってさ、最高に背徳感出てワクワクする」
子どものように着飾らないで笑う彼を見たのは初めてで、案外根は子どもっぽいのかもしれない。
「お前はこういうの嫌い?」
「別に嫌いじゃないが、それは故意に作り出された密室じゃない場合だ」
「いいじゃん、もっと楽しもうぜ」
「よくない。楽しいのは君だけだろう」
「片付け手伝ってやったのに」
「……それは助かったけど、また別の話で」
「助かったならお礼貰ってもいいよな?」
「う……」
それを言われると弱い。このまま流されるのはいけないと解ってはいても、どうしたら抜け出せるのか上手く頭が回らない。立ち尽くした新の肩に置かれる仁の両手。入ってはいけない領域に踏み込まれるのは時間の問題だ。
肩から手が動いた瞬間、床が傾いた――気がした。二、三度睫毛を揺らす間の短い地震だったが、最後に校舎を縦に揺らしてそれは去っていった。
『………………』
咄嗟にしがみついた仁を「見下ろ」すと、彼は気の抜けた顔で宙を眺めていた。頭をぶつけでもしたのか焦点が合っていない。しがみついたせいで倒れたのか、地震でバランスを崩したのか定かじゃない彼から自分の体を起こして、素知らぬ顔で触れた唇を離す。
「……仁?」
頬に触れ、抓りあげても目蓋は閉じたまま開かない。頭の横に膝を突き、そのまま顔を寄せていく。
……まだ起きるな。
さっき触れ合った唇をもう一度、今度は自分の意思で触れ合わせた。
数秒待ってようやく気が付いた仁が、でかかったなーと倒れた体を起こした。脳震盪でも起こしてやしないかと心配になったが、意識はしっかりしてるし大丈夫だろう。多分。
「帰るか」
先程までのことを忘れたかのように素直に、鍵を手渡してくる顔は少し引きつって見えた。
「地震が怖かったか」
突っ込むと僅かに視線を泳がせる仁が微笑ましくて、ほくそ笑む。
「施錠よし」
「そういえば、さっきの勝負は俺の勝ちだよな?」
「君が見つけたと証明出来ない限りノーカンなんじゃないか」
「えー、それ狡くない?」
「証明出来ないと言ったのは他でもない君だ。異論があるなら聴くが?」
悔しそうに唇を噛む仁に意地悪に微笑みかける。いつもとは逆の立場に、フラグをへし折るのも悪くないなと思った。
2015.2