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    karanoito

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    karanoito

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    仁+新

    Lost world

     世界は思ったよりも単純で、物事はきっと簡単に出来てる筈なのに上手く行かない。こんなにも世界は易しいのに、ちっとも優しくなかった。
     公園のベンチでうつらうつらと舟を漕ぐ友人の膝の上で目を覚ませば、夜明け寸前の白んだ空と雀の噂りが朝を知らせている。
     仁の口からくしゃみが零れる。夏とは言え外で夜を明かすにはまだ辛かった。
     何故コイツが傍に付いててくれるんだろう、と膝の上で寝ぼけた頭が寝返りを打つと、眠そうな声が頭上で欠伸をしてこう呟いた。
    「ん……やっと起きたのか、おはよう」
     黒い前髪の間からつり目が顔を出す。目を擦りながらもう一度欠伸したのは友人の新。
     ああ、公園で吐いてた自分を通りかかったコイツが介抱してくれたんだっけか。と喉の苦味を思い出す。
     昨夜はバイトで知り合ったオヤジと飲んでから一発やったんだけどあんまり汚くて臭かったもんだから別れた後、頭から水を被りながら口を濯いでた。
     その時、逆流して噎せてた所を新が背中撫でてくれて……それからは記憶がない。
    「吐いた後か? 糸が切れたようにずっと眠ってた。外で眠るのはよくないと思ったんだけど、俺の力じゃ君を運べなくてベンチまで引きずってくのが精一杯だったんだ」
     仁が頭を起こしたのに合わせて、そう説明してくれた。タクシーでも呼べばと思ったが新は携帯を持ってないし、膝枕なんかしたお陰で動くに動けず公衆電話にすら辿り着けなかったんだろう。悪い事したな。
    「ごめんな、ちょっと飲み過ぎちゃって逆流したんだわ。助かった」
     本当の事は言えないからそう言い訳をする。吐くまで飲むんじゃないと嗜められ、新とは何事もなくそのまま別れた。
     家に帰ると夜勤明けだったのかリビングで運悪く親父と出くわして、逃げるように部屋に戻る。
    「また朝帰りか、いい身分だな」
     バイトの事を知ってか知らずかそんな侮蔑を背中に浴びせかけて、どっちがと口の中で毒づく。
     何の為に違法なバイトまでして稼いでると思ってるんだ、学校にさえ通うなと言いたいのかアンタは。
     世界にはいい奴も悪い奴もいるけど、自分の周りは屑ばっかりだった。憎みたくないのに少しずつ塵が積もって、心の中で毒を吐く。
     それでもこの腐った親父から離れられたら、少しは好転すると信じて耐えていた。
    「……何なんだよ、これ」
     耐えた結果がこれか。気付いた頃には、独立用に貯めた分に止まらず学費にさえ手が付けられ、貯金の残高は見るも無惨なものだった。その足で親父の部屋に乗り込んで罵っていた。
     面白くない顔で、家族の為に使ったと宣うそのふざけた面に拳を振り上げて、逆に腕を捻り上げられる。
     腐っても警察官だ、この手の対処には手慣れている。
    「家族の為にって、それじゃ俺は何なんだよ! だったら母さんたちがいなくなってそのまま放っておいてくれたらよかっただろ! なのに勝手に引き取って、挙げ句この始末かよ……やってらんねえ」
     鬱積は嗚咽に変わって目から流れ出した。放っておいてくれたら勝手に野垂れ死んだのに、何で引き取った。狭い箱庭に人を閉じ込めて愛でる訳でもなく飼い殺して、一体何が楽しいんだ。
     家族になれないのは解ってたけど、憎いなら憎いでせめて干渉しないで空気のような存在でありたかった。
    「……自分の物をどう扱おうと私の勝手だろう」
    「離せよっ! くそが!」
    「口が悪いな、いい子にしないからお前は家族にはなれないと昔から言ってるのにまだ解らないのか」
    「知るか、離せって言ってんだろ!」
    「母親似で分からず屋だな、お前は。──顔だけでなく体の具合もさぞかし似ているのだろうな」
     呂律の回ってない舌足らずな声音が耳元で囁いた。後ろから腕を回してTシャツの下に太い指が入り込んでくる。
     この時明らかに親父は酔っていて自分を母親と見間違えたんだと思う。そうじゃなきゃ男に手を出したりなんかしないだろ。
     ……気が付いたら親父の頭はかち割れてて。まだ温かい鮮血が仁の爪先を真っ赤に染め上げていた。
     床に散らばった煙草の吸い殻にも手に握り締めた灰皿にも覚えがなくて、ひたすら呆然と床に倒れた後ろ頭を見下ろす。
     姿見に、乱れた格好の男が血を被って座り込んでる。
     茶色い髪をした男は瞬きも忘れて、ただ鏡面を疑視していた。
    「……何だ、やっぱり俺か……」
     仕出かした事は大きくて、自分にはどうしようもない。でも、どこか胸は空いていた。
     腕で覆った顔から嗤いがこみ上げてくる中、もう無理だ、と小さく口は呟く。
     こんな世界は、もうたくさんだ。
     親父を殺して胸が空く自分。周りは一部を除けば屑ばっかりで、そんな屑しか集まらない自分こそどうしようもない屑なんだと。
     それじゃ、もう何をしたって仕方ないじゃないか。
     この世界は無理だと、やっと諦められた彼のする事は一つしかなかった。



     夜の内に親父の死体は繁華街に捨てて、翌日、学校に訪れる逢魔ヶ時に間に合うようにふらりと登校する。
     仁が参道に友人を連れて来た頃には体も心ももう異界に融けかかっていた。
    「……お前も一緒に行かない?」
     本当は連れて行きたくなかったけどこれは約束だから。付いて来てくれたらうれしいけど、きっと君は来ないから、せめて最後だけは気の合う友人たちと一緒に過ごしたかった。
     出来る事ならこの祭りの中に永遠に閉じ込めて、楽しい時を過ごせたら。この箱庭(祭り)は世界と違って易しくないからこそ、きっと優しい。
     そう考えた自分は、結局あんなに忌み嫌った親父と何も変わらない。
     最後まで嫌になる。
     俺は、寂しかっただけなんだと小柄な体が見上げてから、目を伏せる。
     じゃあ仕方ないな。寂しい祭りのむこうに彼を連れてはいけない、余計に寂しがる。
     差し伸べた手は握り返される事なく、垂れ下がる。
     溜め込んだ毒を吐くのにももう疲れた。
    「そっか、じゃあここでお別れだな」
    「まっ……」
     独りきりでこの石の鳥居を潜り抜けてむこうへ行ったら、それでお終い。
     そして、一人の少年の世界は終わりを迎えた。

    2015. 2
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