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    karanoito

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    karanoito

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    主とA

    そしてAはいなくなった

     兄さんと彼は微笑む。陰に隠れて見えない顔に何度呼ばれ、付いて来られたかもう数えるのも止めてしまった。豪雪の日、あの怪談話から彼は後ろを付いて来ては笑い話しかける、まるで本当の兄弟のように。
    「兄さん、勉強を見てもらっても構いませんか」
     部屋のドアをノックする音。昨日は隣に座って大人しくTVを観ていた。いつものように返事はしない。机の前で彼が諦めるのをひたすら待った。こうやって無視をし続けてその内彼が諦める、それを何回繰り返した事だろう。
     こんな先延ばしは無意味だと解っている、あれは自分が形を与えた怪談だと解っていても認められはしない。認めてしまったら何処とも知れない所へ連れて行かれるだろう、そんなのは御免だ。
     ノックの音は止まない。粘り強く静かに叩き続ける彼がドアの向こうにいる。耳を塞いで全て忘れてしまったら今まで通りの穏やかな日々に戻るのか。
     あり得ない。
     もはやそんな事では済まされない、返事をしてしまった以上穏やかに終わる事なぞ決してあり得ない。俺は誰のAになればいいですか、と尋ねたあれに返事をしたのは自分なのだ。もう彼がいない日に戻る事はない。
     こうやって彼の存在を目の当たりにしても未だに怪談を信じない自分がいる。ここまで来たら意地なのかもしれない、しかし自分を兄さんと呼ぶ哀れなAは確かにここにいる、認識している。
     怪談を幽霊を信じなければ、いずれ消えてくれるのではと心の何処かで祈っていたのかもしれなかった。
     勉強が進まないノートの上でシャーペンを握り締めている間に、ノックの音は止んでいた。ドアの向こうの気配も消えている。重苦しいため息と共に肩から力が抜ける。
     酷く渇いた喉が水分を欲しがったが、静かな内に終わらせてしまおう、とシャーペンを握り直して白いノートに走らせた。



     一段落付いて喉を潤した後、ペットボトル片手に部屋に戻ると彼が待っていた。机の側に立って俯く彼はやはりどんな顔かは判らない。
     電気は点いたままなのに酷く薄暗く感じた。
    「勉強は終わりましたか?」
    「……」
    「俺に勉強を教えて下さいませんか」
     諦めたのではなくこちらの勉強が終わるのを待っていただけだと気づく。ゆらりと体を揺れてゆっくりと彼がこちらを向いた。
     もう逃げられないのだと悟った足は一歩も動かなかった。兄さんと彼が呼ぶ、本当の兄弟のように。おぼろ気な顔の中で嗤った口が見えた。
    「兄さんでは駄目ですか? なら名前を窺っても?」
     目の前まで近づいた彼は見上げて言った。中学生くらいに見える小柄な体は同じ高校の制服を身に纏っている。
    「……逢坂、始だ」
    「始さん。いいお名前ですね」
     口元しか見えない顔が柔らかく微笑んだ気がした。今まで不鮮明だった顔は目を凝らせば造形が判る一歩手前まで陰が薄くなり始めていた。最後の一押しはすぐそこにある。
    「俺には名前がありません。あるのは怪談で語られるAという便宜上の名前だけ――雪の日、楽しそうに怪談を話すあなたたちを見ていました。名前があったら俺も仲間に入れるかもしれない。名前のあるあなたたちがとても羨ましかった」
     器が出来れば次は当然中身を造る。すでに中身があればそれに名前を付ける。手順を踏んでようやく彼は人間になれる。喚び出した逢坂始の弟として。
    「始兄さん、あなたが名付けてくれませんか」
     怪談ではなく人間になりたいとAは言う。それが可能なのかは分からない、名前のある怪物が生まれるだけかもしれない。
     それでももう後戻りは出来なかった。彼に返事をした時からこうなる事は決まっていた。それが彼に与えた「怪談」だ。
    「……新。逢坂新だ」
    「あらた? どういった意味があるのでしょうか」
    「お前は俺が造った新な怪談だろう。新しく出来た造られたもの、だから新」
    「新、新しく出来たもの……。それが今日から俺の名前。ありがとう、兄さん」
     俺が造った新しい怪談、生まれてしまった偽物の弟は自分によく似た顔で頷いた。何度も名前を呟いては頷く姿はもう完全に人間のそれだった。頭に触れるとちゃんと温かい。
    「それでは改めて、勉強を見てもらってもいいですか始兄さん?」
     新になったAは握り締めたノートを見せてお願いする。さっきと全く同じ台詞なのに、全く違う温かみのある肉声。それが妙に心地よく、「弟」に自然と笑いかけていた。

    2015.2
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