今日もAはここにいる
コンコン、と今日もまたドアがノックされる。またかと、知らない内に少年の口からため息が漏れて。
三日も付きまとわれればいい加減彼を怖がる気持ちも失せた。内からドアを開けて、ちょっとそこに座れとAを招き入れる。
部屋に招き入れられたAはうれしそうに床に正座して、投げかけられる言葉を待っている。座布団を取り出して彼に寄越すと向かいに自分も胡座をかいた。
「毎日毎日付きまとうのも大概にしろ、こっちはお前に構ってやる程暇じゃない。いい加減にしろ」
「探してた兄さんとやっと出会えたから、もっと一緒に居たいんです。迷惑でしたか」
「迷惑だな」
「でも兄さんが俺のAになれって言ったんですよ。その時点で俺は兄を探してた弟のAになったんです。もっと兄さんと一緒にいて繋がりたいと思うのは当然でしょう?」
少年が選んだAはYの怪談で聞いた兄弟の真似事をやろうとしていた、確かに片親だが俺に生き別れの弟がいるなんて事実はない。あんな突拍子もない話によく共感出来たものだと感心する。全くいい迷惑だ。
俺じゃ駄目ですか、とAは肩を落として見るからに落ち込んでしまった。だから最初からそう言ってるだろうに。
「勝手に繋がるだの何だの言われてもな。確か、異界と通じた弟を手にした兄は何らかの力を得て一族を繁栄させる、だったか。俺は権力なんぞ欲しいとは思わない」
「それは心配要りませんよ、Y先輩のAは不完全ななり損ないですから。繋がっても兄さんが特別な力を得ると言う事は決してありません」
「要するにお前の自己満足という事か。ますますもってメリットがないな」
それがAですから、と彼は顔を上げて笑みを浮かべる。雪の日にAから感じた悲壮感と不気味さはすっかり消え失せて、親しみやすさが生まれていた。幽霊も俗されては刺が抜けるらしい、それでも彼の兄弟ごっこに付き合ってやる気はないが。
「そうですね、俺は仲睦まじい兄弟になりたいだけであなたには何も得はありませんね」
「分かったなら諦めて成仏なり何なりしろ」
「お断りします。独りは寂しいから嫌です」
こんな風にお互い譲らない膠着状態を三日続けて、いい加減飽き飽きしている。彼が気を遣って、なるべく自分の邪魔にならないように、ひっそりと最低限の接触に留めてるのは知っている、それでも得体の知れない存在に気を許す事は出来ない。
「メリットがあれば考えてくれますか」
「幽霊のお前に何が出来る」
「そうですね……俺はいくつかのAの集合体ですから大体の家事なら出来ますよ、彼らはほとんど母子家庭で育ってるから得意な方です。それじゃ足りませんか? なんなら性欲処理でもしましょうか、この三日間禄に出来てないから溜まってて辛いでしょう?」
「……お前は何を言ってるんだ」
上手いって義父は褒めてくれましたよ、とAは少年に向かって身を乗り出した。太股を撫でる彼の手はゾクリと冷たい。くすくす、と小さく狂った笑い声を立てるAに悪寒を感じて息を飲む。
「知ってますか、義理の親からの子への虐待って意外とありふれてるんですよ? Aの母親も俺と同じ寂しがりやでした。そんな人が何の支えも無しに平穏でいられる筈はないでしょう、ならどうするか。母子二人で支え合ってる場合がほとんどですが、いくつかのAの中には父の代わりに他人を求める母もいたとは考えられませんか?」
「母が連れ込んだ男に虐待されていたと?」
「TやJのAは小学生でしたから可能性は低いとして、誰かの話に家にはいたくなかったと言っていたAがいましたね、Rだったかな。彼はどうして家にいたくなかったんでしょうか? Y先輩のAは母子家庭でしたね、彼はどうだったんでしょうか?」
彼の熱弁は、普通の暴力ならまだよかったと暗に示してるようで、思ってもみなかった事を聞かされた俺は一体どうしろと言うんだ。
まるで脅迫されてる気分だ。
「兄さん顔色が悪いですよ、本気にしましたか? すみません、ちょっと悪ノリが過ぎましたね」
「……本当に冗談か?」
「本当かどうかはあなたが判断する事ですよ、兄さん」
彼の手が離れて立ち上がる。それじゃまた後で、と背を向けるその背中に、待てと声を掛けていた。
「はい、何でしょうか」
振り向いた彼の頭に手を乗せて、力任せに撫でた。
兄さん痛いです、と困ったように呟くAの頭をいつまでも撫でていたい気分だった。
2015.3