あの日、屋上で別れた続きを
久しぶり、と記憶のままのA先輩が首を傾げて立っているのは悪夢としか言い様がなかった。何でこんな事になってんだ、二度と会いたくなかったってのに。
「俺がいなくてもちゃんと勉強してるか?」
相変わらず口やかましい。他に言うことないのかよ。中坊みたいな小柄な細い体も、中性的な静かな声色も全部そのままの先輩に、返事なんかとても出来なかった。返事をしたらこれまでの全てが終わっちまう、そんな気がして。
――もし俺の姿を見かけてもそれは君を連れて行こうとする悪霊だから。
そう言ってたから、絶対に応えてやる気はなかった。
「どうしたんだ。もう、俺の事なんか忘れてしまったのか?」
穏やかな声は俯いた俺のすぐ傍まで近づいていた。二年の赤いラインが入った上履きが目の端に映る。俺の顔を覗き込む先輩が寂しそうに眉を下げるのが判った。
振り返ったのにずいぶんと優しい結果だ。てっきり血みどろの化け物が手招いてるんじゃないかって身構えてたのによ。こんな事ならあの時だって――
別れるのは仕方ないとしても、もうちょっとマシな別れ方があったんじゃないかってよ。あの先輩を忘れないために。世話になった礼とか握手だとかいろいろ出来たんじゃないか? 不気味だとか怖いとか思っちまったらもう俺の負けだ、だから一気に屋上から出たのは間違いじゃない。
それをアイツは全部飲み込んで後輩を無事に帰す方を選んだ。守られるのは俺じゃなくてアンタの方だろうが、いちいち先輩ぶるんじゃねぇ。あの寂しがりやがどんな気持ちでさよならを口にしたのか、どんな顔をしていたのか知らねぇけど余計なお世話だ、ちくしょう。
文句を垂れたら、先輩は後輩を守るものだ、とか小生意気に言いやがるんだ。あの小さい体で、きっと。
「元気そうでよかった。君は俺に会いたくなかっただろうけど、また会えてうれしい」
「……アンタも変わらないよな、人の顔見るなり勉強ってどんだけだよ。他に気になる事ねぇのか」
「君とはよく勉強してたから懐かしくて、つい。俺はそんなに変わってないか?」
「二、三ヶ月そこらで簡単に変わってたまるかよ」
「それもそうだな」
肩を竦めるA先輩に、アンタも座れよ、と空いた椅子を指差す。
「あの頃みたいに話そうぜ、それでまた勉強教えてくれよ」
「君はそれでいいのか?」
「もう遅いって分かってるからな」
「……」
誰の声が引き金になってAを招き入れる羽目になったかは判らない。何で俺が選ばれたかも。でも誰かを連れて行きたいって話なら付き合ってやれる、今度こそアンタを独りにしない。
実際に俺が会ってた先輩とは違う存在だろうと知ったことか。俺が話した話が元だってんなら、それはもう本人と言っていい。
俺が見てきた先輩そのものだ。
「何で俺が選ばれたのかは知らねぇけど、まあ引き返せないってんなら腹は決めた。仕方ないから傍に居てやるよ。アンタ、寂しがりやだからな」
アンタの気が済むまでな、とRは顔いっぱいに笑みを浮かべて笑う。困った先輩で済まないなと控えめに微笑う先輩の差し伸べた手を取る。
ああ、そうだ。一度でいいからまた笑ってほしかったんだ。俺と別れた後、きっとアンタは泣かないにしろ悲しんだだろうから。肩を震わせ声を押し殺して、たったひとりで。
ようやく独りぼっちの屋上にさよなら出来るなら、俺はそれでいい。
雪のように冷たい先輩の手を握り締めながら、立ち上がる。屋上で別れたあの日、振り返った結末に繋げるために。
図書準備室の電気が点いた時、そこには四人の姿しかなかった。粗暴なRは雪にかき消えたようにいなくなっていた。きっとAに連れて行かれたのだろう。
済まないな、とだれかが呟いてから準備室の電気は消えた。
2015.3