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    karanoito

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    POIPOI 207

    karanoito

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    仁×新

    雪が溶けたら

     寒い冬の日、偶然道で出くわした新は見るからに顔色が悪かった。
    「お前、顔赤くない?」
     伸ばした手が触れた新の頬は信じられないくらいに熱くて、運良く(悪く?)目前に見えていた彼の家にお邪魔する。夏の時といい、具合が悪いのに何で買い物に出てるんだコイツは。
     熱を測るまでもなく寝巻きでベッドに押し込む。風邪薬は氷枕はお粥の作り方は、とテンパる自分の問いに一つ一つ答えた後、落ち着けと掠れた声で新は絶え絶えの息を吐いた。
    「昨日雪が降っただろう、それでつい外に」
    「風邪引くまで雪遊びしたってか。ずいぶんと寒さに弱い冬生まれだこと」
    「悪かったな」
     からかってる場合じゃなかった。冷却シートを額に貼り付けた彼に食べれる? と階下で作ってきたお粥を指し示す。黙って首を振るコイツに、食べさせようかと蓮華を振ってみせるがこれも横に首を振る。
    「喉を通らないから」
     水で無理矢理薬を流し込むと、君はもう帰った方がいいと新は頭まで布団を被った。信用されてないなー俺……布団に視線を落としながらそれが気遣いだと思い至った。
     ここは彼の自宅で、当然一緒に住む家族がいる。その家族に問題があることを仁はすっかり忘れていた。
     初めてこの家を訪ねた時、玄関の扉の向こうに立ったのは新じゃなくて独り言を呟く女性だった。多分母親だろうけど、様子がおかしくて殆ど会話にならなかった。彼女に会わない内に帰った方がいいのは何となく解る。
     出来れば人と会わさず隠したい、彼にとってあの母親はそんな存在。家には多分誰もいないから、と俯く横顔を思い出し、そうっと物音を立てずに新の部屋から廊下に出る。
     階段の上から見下ろす一階は闇が深く沈み込み、誰もいないようにしか見えない。
     新なの? と若い女性の声がした。顔が強張る。真っ暗闇にぼんやりと浮かぶ人影を仁の目は捉えた。いつから居たんだ。そもそも暗闇で一体何を……
    「いるなら返事をしてちょうだい、新」
    「……」
    「ねぇ、いるんでしょう?」
     影が動いた。階段の下から見上げてくるねっとりとした視線に、金縛りに遭ったように足は縫い付けられて。
     その粘っこい目に、そうだ、キッチンで様子を窺っていたんだと腑に落ちる。おそらく家に戻ってきてからずっと。慣れない料理に四苦八苦する見知らぬ男の背中を警戒して暗闇に潜んでいた――辻褄を合わせたら背筋が寒いことにしかならない。
     新? と近づいてくる空虚な目に何も答えられなかった。階段を踏む音が響いて、後退った背中はすぐに壁に阻まれる。
    「…………新はどこ?」
    「新くんなら熱出して寝込んでますけど……俺は友人で、看病に」
    「違うわ、あの部屋には『新』のお人形しかいないのよ。あの子はお人形遊びが好きだったから……」
     仁が指差した新の部屋には見向きもせず、彼女は壁に向かって爪を立て、呟く。
    「出てきてちょうだい、ねぇ……どこにいるのよ、どうして私の元に帰って来てくれないの……」
     食い違っていると思った。彼女の言う「新」は仁の知る逢坂新じゃない。なぜ別人をわざわざ嫌ってる名前で呼ぶのかは分からないが、盲執のような執着はとどまることを知らずにその名を呼ばせる。偽名を使ってまで、求める何かに追い縋ろうとする姿に冷や汗が顎を伝った。
    「新ならちゃんといるだろ、この家に。アンタの側に」
    「嘘よ、だって名前を呼んでも近づいてこないもの。きっと新じゃないのよ」
    「その名前は俺の友人の名前なんだよ、アンタの探してる『新』じゃない」
     ひどく冷めた声が出たのはきっと苛立っていたからだ。新が寝込んでいる時にこの女性(ひと)は別人のことばかりで、ちっとも息子を気にかけない。一人きりの部屋で心細い思いをしているかもしれないのに。
    「でも新なのよ、私がそう決めたからあの子は『新』なの。他人のあなたに何が解るのよ、出ていって! 帰りなさいよ!」
     階段の上で彼の母親らしい何かが喚き散らしている。神話の邪神のような長い黒髪を振り乱し、振り回す女性の腕は仁の喉元を引っ掻いて。
    「そんなみっともない姿見せたらナントカって奴に嫌われるんじゃないの、おばさん」
    「何言ってるのあの子が私を嫌うはずないじゃない……あの子は私のものなんだから。私の傍から離れたりしないのよ……」
    「そうかよ」
     腕を掴む。見上げる彼女の瞳に負けないくらいの冷たさで、二度とその名前を呼ばないでくれと言い捨てて手を放した。
    「――おかえりなさい、母さん」
     二階の奥からか細い声で近づいてくる彼に彼女は返事をしなかった。
    「新」
    「もう遅いから暖かくして寝た方がいいよ……仁、君も」
    「そうね、寒いから探しに行かないとあの子が凍えてしまうわね……早く見つけてあげないと……」
     やっぱり会話が成立してない。俺と母親の間に立った新は気にした様子もなく、ブツブツと一人呟きながら階段を下りていく彼女を見送った。
    「悪かったな、あの人がいて。驚いただろう?」
    「そんなのいいから大人しく寝てろよ、声掠れてるの気付いてないだろ」
    「平気だ」
    「足もふらついてるし」
    「寝起きだからな」
    「喉でも渇いた? 何か持ってきてやるから大人しく休んでろって」
    「それは助かるけどトイレに立っただけだから」
    「付いてこうか?」
     さすがにそれは勘弁してくれ、と困ったように新の眉尻が下がった。



    「もう遅いし泊まって行きたいんだけど、駄目?」
     絶対首を縦に振らないと分かってはいるが、昨日降り積もった雪がちらほらと残る夜道を今更帰る気にならない。窓の向こうに覗く雪景色に手を沿えていた新がベッドの上から振り返る。
    「……俺の風邪が君に移るのは困る」
    「俺は気にしないけど、移った時はお前が看病してくれるんだろ?」
     お決まりの台詞を笑顔と共に口に出す仁に、喉を詰まらせて激しく咳き込む。夜は熱が上がるから気を付けないと、と背中を擦った。
    「冷却シートぬるくない? そろそろ取り替えるか」
    「自分でやるから、君はもう少し離れてくれ」
    「そんなに気にしなくても」
     額に触れる前に遮った手は何だか熱かったような。看病してやるって言ってる時くらい甘えたらいいのに。
     強く反対されないのを良いことに居座り続け、とうとう根負けした新から押し入れの布団を提供される。遠慮なく布団を床に敷き、苦しくなったらいつでも叩き起こしてと中に潜った。微睡む頭に、もう充分だからと優しげな声が降ってきた気がした。
     朝になると彼は勝手に部屋を出て朝食を作っていた。それに気付いたのがドアの向こうから自分を呼びに来た声だったから情けない。あれだけ念を押したのに。
     顔色は大分良くなっているが、まだ頬がほんのりと赤い彼に連れられてキッチンに降りていく。食卓に並んだトーストに目玉焼きとサラダをご馳走になってる間、ずっとあの人が入って来ないか気にしていた。
    「母さんなら当分起きてこないから安心していい。さっき外から帰ってきた所だ」
    「うん……昨夜は悪かった、お前のお袋さんにキツく当たっちまって」
    「そうだな、君はかわすタイプだと思ってたからちょっと驚いた」
     まだ食欲が出ないのか新は昨日のお粥を啜っている。自分でもらしくない自覚はあるから、新がそういう感想を抱くのも無理はない。いつもなら極力波風を立てるような選択はしない、そう計算して行動出来る。
     でも昨夜は違った。気付いたら頭に血が上っていて、ほぼ初対面の相手に似つかわしくない態度で接したどころか喧嘩腰になって、本当に俺らしくない。
    「あの人が喚くなんてほとんどないから、どんな煽り方をしたらああなるんだろうと思ってた」
    「笑い事じゃないだろ、あんな……お前を無視して」
     ああ、それかと合点が行ったような顔で蓮華をテーブルに置く彼の前で、サラダのレタスを噛み千切る。
    「別人をお前の名前で呼んで、あんなの腹が立って当然だ」
    「いつものことだからいいんだ。地雷さえ踏み抜かなければ普段は大人しいし」
    「大人しいもんかよ。ほらここ、引っ掻かれた跡」
     首筋を指し示すと気付いた新の目の色が失われて、顔色が白く変わっていく。食事も早々に席を立って、手当てを受けた後、帰ってくれと玄関まで背中を押される。
    「……二度とこの家には近づかないでくれ」
     ほとんど泣き声で、頼むから早く帰って、二度と来ないでくれと繰り返す。大した傷じゃない、忘れて寝るほどの引っ掻き傷は彼を激しく動揺させて、他人である仁を追い出そうとしている。
     そうして誰もいなくなった家でひとりになる。狂った家族を見捨てられない彼は人知れず静かに狂気に飲まれていく――
     それじゃ駄目だ、あの母親に啖呵を切った意味がない。
    「ちょっと待てって、頼むから落ち着けよ! また熱が上がるだろ!」
    「俺のことはいいから……君は自分をもっと心配して……」
     細い肩が大きく上下して呼吸が乱れる。ほら、言わんこっちゃない。
     苦しそうに胸を押さえる新を部屋に運んでから、落ち着いた寝息を立てるまで優に一時間。どっと疲れた。昨日から調子の狂うことばかりで、ため息が零れる。一体何をしてるんだろと振り返っても、結局は目の前の寝顔に収束していく。
     熱を出して心配なのも、唯一の家族に蔑ろにされて苛立ったのも、大事な友人だからこそ。こんなに大切なんだからせめて側にいて心配くらいさせろよバカ、とまだ熱い新の手を握った。



     目を覚まして最初に気付いたのは重なった手のひら、繋がった手に安心を覚えたと同時に疑問が湧き上がる。どうしてこんなに親身になってくれるのかと。
     友達とは言えここまでする必要も義理もない、特に彼は人との距離を計ることに長けている。不利益を被る前に静かに距離を離すことも出来るはずだ。
     なのに熱を出した自分を心配し、あの人と対面してまで庇ってくれた。寂しがり屋の新にはうれしかったが、だからこそ戸惑う。理由が分からないから。
    「いつもからかってばかりのくせにこんな時だけ……」
     宥め疲れたのか、手を繋いだままベッドに伏せた寝顔に聞こえないように囁いて。握り締める自分の手はまだ熱かったが、それは熱のせいだけじゃないとはっきり自覚する。
     こんな時だけ優しくするなんてずるいじゃないか、吊り橋効果だか何だか知らないが誤解させる方が悪い。胸のむかつきを彼に押し付けて繋がった手に頬を寄せる。
     顔が熱いのは熱がまだ下がり切ってないから、吐き出す息が苦しいのは喉が腫れてるから、動悸がするのは……近くに君がいるから。
     恋患いでもしてるみたいなこんな自分を知られたくない。今まで通り側にいて、学校でまた会えるならそれでいい。それがいい。
     ああ、でも母さんが。いつ彼に危害を加えようとするか分からない。学校にまであの人は来ないからと油断して後ろから、なんて洒落にもならない。そんな状況に彼を置くわけには……
    「……そうじゃない、頭を冷やせ。何を要らぬ心配をしてるんだ俺は……」
     頭の隅に残った熱に浮かされた心配事は現実じゃない、ただの杞憂。この家に近づけさせなければ大丈夫。あの人の関心は探し人にしか向いてない。ずっとそうだったから。
     寒そうに仁の肩が震えて、このままだと風邪を引いてしまうと毛布を手繰り寄せる。ベッドから乗り出して毛布で包む際、微かに肩が身じろいだ。
     起こさないようにそろりと再び布団に戻って、握った手に小さく囁いた。
    「いい夢を」
    「……いや、起きてるけど」
     びくっと大きな声に怯えた猫のように体を震わせる新に、何かごめんと両手を合わせたくなってしまう。慌て過ぎて、手を振り解くどころか却って強く握り締める始末。
     いつから起きてた? と唇を尖らせる彼に、
    「からかって~辺りから? 口を挟む空気じゃなかったから黙ってたけど、悪かった?」
     答える。ほとんど最初からじゃないか……と新は穴に入る代わりに布団の端を掴んで引き上げる。何だろうな、この居たたまれなさ。見てはいけないものを見てしまった気分だ。
    「あのさ、喉渇かない? 水でも持ってこようか?」
    「……ジュース飲みたい。甘いりんごの」
    「りんごジュースな。ちょっと買ってくるから待ってろ」
    「買いに行かなくても冷蔵庫にある。けど君が一人で取りに行くのは駄目だ」
     無茶苦茶を言う。だったらどうするんだよ。飲んで来るから君はここにいてくれ。ずるい、俺もほしいと危うく口喧嘩になりかけて、二人揃って顔を見合わせる。そして同時に噴き出した。
    「君はどうしてそう、下らない所で意地を張るんだ」
    「お前が頑固なんだよ。あ、そうだ。二人で飲みに行ったら解決?」
    「俺もそれを考えてた」
    「早く言えよコノヤロ。さっきの時間は何だったんだ」
    「君が引かないのが悪い」
    「お前が」
     このやり取りはもういい。すっかり調子を取り戻した新はドアのノブを回して悠然と部屋を出て行く。待てよ、二人で行くんだろ! と廊下を進む背中を追いかけた。



    「……なかなか思い通りには行かないものだな」
     後日、風邪を引かない俺を見て、馬鹿にしくさったように片目を細め、学校の机に肘を突く新がいた。馬鹿は風邪を引かないとでも言いたいのか、この無表情野郎は。残念がってるその額を小突いて、残念でしたと笑う。
    「そうか、今度は俺が泊まりに行けばいいのか」
    「何言ってんのお前?」
     何を結論付けたらそうなるんだ。よし、と満足げに頷いてスケジュール手帳を取り出す。まさかコイツ本気で言ってる?
    「空いてる日はいつだ?」
    「いや、ちょっと待って。俺ん家は……」
    「どうした、自分の部屋がないのか?」
    「あるけど都合が悪いと言うか……詳しくは言えないけど肩見狭いんだよ、俺」
    「それなら仕方ないな……それじゃ俺の家に」
    「お前、二度と来るなとか言ってなかった?」
     そう指摘すると、そうだったな……と肩をシュンと落として。頭上に垂れた動物の耳が見えそうなくらい落ち込んでる。
     てっきり弱みを握られたままなのが嫌だと思ってたら、まるでお泊まりが出来ずに寂しがってるみたいなこの相違は。あの家にいるのは精神的に疲れるだろうし、偶には息抜きしたいってことか?
    「……場所がどこでもいいなら軽く旅行にでも行くとか」
    「旅行? 君と?」
     思い付きの提案に新が身を乗り出す。本当にいいの? とせがんだお菓子を買ってもらえた子どもみたいな目に我が目を疑う。そんなに喜ぶことか? やっぱり負担が大きいんだろうなと彼の苦労を労って頷く。
     今度は背後に桜の花びらが舞ってる。もちろん例えだが、それくらいうれしそうだ。
    「もう少し暖かくなったらな。じきに春休みだし二泊三日くらいで、橋本と貴文も誘ってさ」
    「そうだな、休みに入ったらみんなで一緒に行こう」
     小さく微笑み手帳を閉じる。控えめだがうれしそうなその笑顔に見惚れてたことに気付いて、慌てて視線を横に逸らす。普段が無表情だから珍しかっただけ、それだけだと言い聞かせながら。
     楽しみだな、と窓の外に目をやる新に続いて、仁も遠くに広がる空を眺めた。

    2015.3
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