この時、君に恋をした
人間に興味を持つのはよくない兆候だ、彼をこちらへ引きずり込んでしまうかもしれない。
「危険だからあまり怪異に近付くんじゃない。前にも言っただろう」
「その中には先輩も含まれてるんですか」
「当然だ」
「だったら無理です」
怪異に近い少年は今日もすこぶる生意気だ。ふいと涼しい顔で視線を逸らして薄暗い廊下を歩く。その足の運びは淀みない。肩にブレザーを羽織ってその隣を付いていく。
どれだけ危険な目に遭っても、彼は毎日逢魔ヶ時にはこちらへやって来て校内を散策する。青白い寝不足の顔を引っさげて、懲りずに何度でも。しかし少女の探索は捗っていないのが判る、色々あって結局は自由に動けていない。
今夜もそうだ、説明された七不思議の怪異とやらの探索はおおよそ彼女と関わりはないだろうに手伝っている。
「あの鏡か」
「俺が行きます」
「何があるか分からん、気を付けろ」
「はい」
言いながら音も無く鞘から刀を抜き放つ。鏡を見据えながら彼が一歩近付いていくのを階段の下から見守る。
そして鏡面を覗き込んだ。
瞬間、嫌な気配を感じ、階段に足をかけていた。ニタリ、と鏡面の少年の顔が歪んで波打った。
これは外れだ。
少年も気付いた様子で刀を握り直し、後ろに下がった。鏡から抜け出したそれが手を伸ばしたのが先か少年が手にした刀を一閃させたのが先だったか。
階段の踊り場は狭くて動き難い、距離を離す為に時間稼ぎになるようにと剣筋は怪異の足を狙っていた。これがまずかった。
「うっ……」
少年の姿を真似た怪異がベシャリと床に這いつくばると同時に本物も床に膝を突いた。階段を上りきり、うずくまる少年の肩に手を置く。足をやられたのか、押さえた手の隙間から鮮血が滲むのが分かった。
なるほど、攻撃のダメージが本物にも届くのか。
「立てるか」
「ちょっと……無理そうです、走れません」
「その様だな」
顔を歪ませる彼を肩に担ぎ上げると身を翻して、来た道を引き返す。体が小さいとはいえ随分と軽いな。
声を上げる少年はひとまず無視だ。階段を数段まとめて跳び降り、駆け出して怪異から距離を取る。
「あのっ……降ろして下さい……」
「走れないと言っただろう」
「確かに言ったけどっ、こんな格好……」
「アレに襲われたくなければ我慢しろ」
ぐうの音も出ない少年は仕方なく唇を噛み締めた。
床に這いつくばって全力で追いかけてくる怪異に捕まったらどうなるか、理解している少年はそれ以上駄々をこねる事はなかった。傷が痛むのか、それとも歯がゆさからか、潤んで赤くなった目は悔しそうに床を見つめている。
取りあえず逃げてはいるが、さてどうするか。攻撃は通じない、もちろんこのまま逃げ続けられる訳もない。先輩、と肩の上から小さく少年が呟いた。
最悪彼だけでも救けなければ。
「心配するな、お前だけは必ず救けてやる」
「……足を引っ張ってすみません」
「気に病まなくてもいい」
「……はい」
生憎と少年の顔は見れなかったが、僅かに微笑んだ気配がした。
機転を利かした吉田の策で怪異を退けた後、大丈夫かと肩に乗せたままの軽い体に問いかける。もう平気です、と床に下ろした足はあっさりと立ち上がった。怪異がいなくなったせいか、傷は残らなかったようだ。
すみません、お世話をかけましたと深々とお辞儀をする少年に小さく頷いて、警備帽を被り直した。
「無事ならいい」
「この借りはちゃんと返しますから」
「そんなもの返さなくても別に構わない」
いえ、と腕で目元を拭ってから彼は顔を上げた。
「必ず、返します」
強い決意がこもった瞳に何かが射抜かれた感覚がした。帽子のつばを引き、動揺を隠す。
この時、恋をしたのだと気付いたのは最後の日、祭りで再会してからだった。
2015.4