紫陽花の咲く頃に
仁と寄り道をした公園の片隅に紫陽花の群れが鮮やかに咲き誇っている。紫陽花が咲く梅雨の季節になると思い出す、道路の隅に咲くあの紫陽花の事を。
視界の隅で雨に濡れ、ひっそりと咲き乱れる青や白の花弁を見る度、気になっていた。どこでも見かける変哲もない花のはずなのに胸がざわつき、目を逸らす。
クルクルと傘を回して歩いた幼少期からどこか気持ち悪さを感じて、それを誰かに打ち明けたような気もするけど思い出せない。
「この話知ってる? 紫陽花の下には死体が眠ってるんだってさ」
「桜の木の下じゃないのか」
「梶井基次郎だっけ、それ。文学作品(フィクション)じゃなくて、都市伝説じみた逸話なんだけど、紫陽花の下に死体が埋まってるらしい。もちろん人間の。で、その紫陽花がこの辺にあるとかないとか」
桜の木を紫陽花に置き換えただけのよくある怪談かと聞き流していた新の耳に擦り合わせる音が届く。
それは風に揺れる葉のざわめきであり、浮かばれない死者の無念の声でもあった。無責任な噂話に過ぎない紫陽花の怪談はあの日を思い出させる。
幼い日に繋いだ誰かの手を握りしめて、こう呟いた。
「ねえ、あのアジサイ怖いよ」
「見るんじゃない。何か聞こえても気付かない振りをしろ、立ち止まっても駄目だ」
「どうして?」
「善くないモノが漂ってるからだ。手招きされても近づくんじゃないぞ、連れて行かれたくなければな」
それを聞いてからいつも足早に通り過ぎていた。ゆっくり歩いてると紫陽花の傍に立って手を招く何かが見える気がしたから。
怪談かもしれない、そんな事件があったのかもしれない。死体の話が嘘でも真でも、あの紫陽花を顔を上げて見る事は出来ない。
きっと黄泉路から誰かが手を招いている。
「見に行こうぜ、その紫陽花」
「悪いが行きたくない。一人で行ったらどうだ」
「お前怖いんだ?」
「ああ、そうだ」
紫陽花から目を逸らすように公園の入口に足を踏み出す。慌てた仁の声を置き去りにして停めてあった自転車のハンドルに手を伸ばしかけて、新は空を仰ぐ。
灰色に翳った天から落ちる冷たい雫は死者の嘆きか、それとも悔恨の涙か。コンクリートに打ちつける煩いそれを傘で遮断しながら、駆け寄ってくる仁を待った。
2015.6