あなたのAじゃない
「俺はあなたの弟のAではありませんよ」
見上げるAの二つの眼は冷たく、頬に触れた手のひらはあっさりと振り払われる。あんなに兄弟になりたがっていた彼がまさか拒絶するとは。胸が小さく疼いた。冷たくされて如何に身勝手に接していたか思い知らされ、二の句が告げられない。
「Aと名乗ったのはお前だろう?」
「確かにあなたのAになりたいからと押しかけたのはこの俺です。でも、夢の中で泣いたり呼ぶのは別人ですから。混同されると迷惑です」
シャツの胸元を握って視線を逸らすAは怒ってるのか悲しんでるのか判別は付かなかった。突き放すような口調は、いつもの馴れ馴れしくまとわりついてくる彼からは想像も付かない。言葉もなく二人は暗い廊下で立ち尽くす。
微かに犬の遠吠えが聞こえてくる夜半過ぎ、泣き声がして目を覚ました。この家で自分を呼ぶ声はAしかいないと隣の部屋をノックして、返ってきたのは俺はAじゃないの一言。散々兄だの弟だのこだわっていた挙げ句がこの仕打ちとは。本当の兄弟になりたかったんじゃないのか。
「呼んでるのはあなたを探してる“本物の”弟であるAでしょう? それは俺じゃない。なり損ないの偽物は本物には適いません」
「何だ、拗ねてるのか」
「事実を言ったまでです」
本物の弟とやらは今でも校舎内を俺を探して彷徨ってる、その彼の声を感じ取ったのだろうとAは言う。あんな怪談を真に受けて拗ねるとは難儀な奴だ。
本物か偽物かなんて悩むだけ無駄だろう、どちらもAなのだから。
勘違いしないで下さいと下から睨み上げる視線は冷たく、普段の十分の一の朗らかさも感じられない。
不機嫌な時に深入りは禁物だ、熱が冷めるまで放っておくに限る。
泣いてないなら別にいいかとドアの前から踵を返す。まだ朝には早い、戻って寝直すとしよう。
「起こして悪かったな」
「いえ……すみません」
「何だ」
「心配して来てくれたのに、気を悪くされたんじゃないかと思って」
「それはお前の方じゃないのか。本物じゃないとか勝手に拗ねていたが、傷ついたならはっきりそう言ったらどうだ」
「……仮に傷ついたとして兄さんに関係ないでしょう、俺が偽物なのに変わりありませんから」
「さっきから聞いてれば偽物とか何を言ってるんだ、下らない。お前は歴としたAだろう」
険しく尖らせていた目を丸くするA。何かおかしな事を言っただろうか。首を傾げる俺を見上げる顔は金魚のように赤い。俯いて、手で隠した口元は震えて見えた。
「……兄さんは時々天然ですよね」
「どういう意味だ?」
「何でもないです。お休みなさい」
俯いたままそれだけ口にすると、小柄な体はドアの向こうに引っ込んだ。人でない者の考える事はよく分からないなと部屋に戻った。
2015.6