図書室にて
暇に任せて図書室に足を踏み入れると先客がいた。紺色の甚平姿は本を見繕うとカウンターの前に立ち、三冊の本を積み上げる。何をしているのかと後ろから覗き込んだら、細い指が備え付けのペンを手に取った所だった。
もしかして、と本の一冊を手に取って裏表紙を捲るとやっぱりあった。
異界の中でただ風化を待つだけの茶色く変色した紙――誰も記入していない一枚の貸し出しカードが。
「それ、書く意味ある?」
ないな、と俯いた狐面は気にせずペンで書き込む。コイツにとっては飯を食うくらい当然のことなんだろう。律儀と言うか何と言うか、本を持ち出す度にわざわざやってんのかな、これ。
空欄に彼が書き込んだのはたったの一文字。
「お前狐なんだ」
「便宜上だ。……ここには名前も日付もないから」
「ふうん、じゃあ俺は鬼かな」
「言っておくが他にも記入されてるカードならあるぞ。俺だけじゃない」
「マジで?」
「これとか」
狐が本棚から一冊抜き取ると確かに読めない何かが書き殴られた跡がある。丁寧に書かれた狐の文字とその下に幼児が描いたような落描きが。
「……読めないし、ただの落描きじゃね?」
「サインだ」
「大方お前の真似したとかだろ。貸し出しカードなんて誰も気にしないから。祭りから出て来ないなら尚更」
「祭りか……なら仕方ないな」
納得するとこズレてるし。罫線に沿って丁寧にしたためたカードを元通り仕舞い、もう一冊に手を伸ばす。二度と埋まることのなかった空欄に文字が浮かぶ作業を隣で見下ろしていた。
二冊の本の貸し出しを済ませると、何か言いたげに狐面がこちらを見上げた。ああ、これか。握ったままの貸し出しカードを差し出すと、それにもきっちりとペンを走らせる。大体記入した所でいつまで残ってるか分からないのに、本当に風変わりな奴……
何となく突っ立っていると、左からペンを手渡された。
「ん?」
「君も借りに来たんだろう?」
「いや本選んでないし、書かないけど」
「そうか」
そもそも本を見に来た訳じゃないし。たまたま寄った図書室で変わったことしてる奴がいたから見てただけ。
トントンと本を底で揃える彼に話しかける。
「ここで読むの、それ」
「そうだな……天気がいいから陽当たりのいい所でも探すとするか」
「じゃあ体育館とか?」
「体育館?」
「あそこの天窓デカいじゃん? 天気のいい日は陽だまりになるくらい陽が差し込むから日向ぼっこに最適なんだよ」
「なるほど」
よく昼寝しに行ってると笑うと、少年は興味を示したように口元に手をやって頷いた。じゃ決まりだな。善は急げだ、とっとと行こう。
図書室のドアに向かって甚平の小さな背中を押した。
2016.9