鬼の求愛
文化祭最終日、着替えに向かった空き教室でのんびりと寛いでいる人影。窓を背にして、壁にもたれた仁が新に気づいて微笑う。姿が見えないと思ったらこんな所にいたのか。
袖を通したクラスTシャツに合わせた小道具が頭上で主張する。ホラー好きな彼が選んだのは鬼の面、こっちは狐面だからちょっと被ってるような気がした。
「何だ、お前まだ着替えてなかったの」
「君こそまだいたのか。そのままサボるんじゃないぞ」
「まだ大丈夫だって」
後ろ手に戸を閉め、特に気にせず仁に背を向けた。甚平とTシャツの入った袋を床に置き、ループタイを緩める。
新、と呼ぶ声に振り向いた拍子に頭に降りかかる違和感。さらりとした麻布が耳を撫でて視界の前に垂れ下がる。爪先のすぐ近くに現れたのは窓際にいたはずの赤いラインの上履き。
仁の仕業か……ずい分声が近いと思ったら。
紺色の甚平を新の頭に被せた張本人の苛立つ笑みが目に浮かぶようだ。
「何する……」
「お前青いの似合うなー。こうやって被ったらちょっとヴェールぽくない?」
「見えない」
「まあ、そう言わずにさ。ただのおふざけなんだし」
頭から振り払う前に麻布をたくし上げられ、取り除かれた暗い視界から覗く仁の顔は思いの外真剣で。
居心地が悪くて胸が苦しくなってきた。
聞きたくない。
後退りしようとした新の腕を掴んでうろ覚えな誓言を紡ぐ。そんな君は見たくない。
「俺は嘘つきだから誓わないけど、お前は俺に誓ってくれる?」
「俺は……」
――永遠二愛スルコトヲ、誓イマスカ
長い指が前髪を掻き分け、苦笑に歪んだ唇が額に近づく。途中で途切れた誓言は誓いの口づけに。
……こんなの狡すぎる。永遠の誓いなんて重過ぎてとても口には出来ないのに、簡単に胸は苦しくなって、額が熱くなるのを止められない。着替えるのも忘れて、俯いた頬を彼の手のひらが撫でていく。
今すぐ離れたい。でも足は動くどころか、やっぱり駄目? と窺う仁に小さく頷き返すのが精一杯で。
……早くヴェールを取らないと。
連れ浚われてしまう、彼の中の「鬼」に、引っ張られる。
「あーあ滑っちゃったか。永遠の誓いなんて柄にもない事するもんじゃないな……無理矢理浚った方がらしかったかな? 鬼なんだし」
「……」
一緒に行くよな? と寂しそうに笑う君が顔を出す前に。
「冗談だよ。ほら、そんな困った顔すんなって。もうすぐ始まるから早く着替えろよ」
「……ああ」
甚平を肩に担いで仁が教室から出て行くと壁に背を着く。背中に汗が広がるのが分かった。
斜めに付けていた鬼面が顔に回っていたらどうなっていたか、生きた心地がしなかった。
2016.9