あさのうた
「きっと、一人で泣いてるね」
寂しがりやの少年が待ち続けた朝は残酷だった。待ち続けて待ち続けて、やっと再会出来た人との別れはどれだけ心痛むだろう。そんな感情をとうに忘れた頃から、もう人間として明るい世界には戻れないのに、未練がましさから一人の少年を異界に迷わせてしまった。それを非難出来るのは教室にひとり残った少年だけだが、きっと責めてはくれないだろう。
廊下で足を止めた少年の草鞋を、朝の光に溶け込んだ白い影は振り返らない。黒い目隠しの下から何を責められようとも紡ぐは一人。彼に対する懺悔のみを唄う。それを解ってか鬼の怪異から返事はなかった。
心細い夜も訪れず、心休まる朝にも帰れない少年を案じる浅はかさが少女の足下に影を残す。柔らかい朝の光に引き伸ばされた悔恨の影を。
この罪深き身を跡形も無く葬り去らなければ。人知れない涙に報いることはきっと出来ない。
「そう焦らさなくてもアンタの望みはすぐに叶うよ」
「私の望み……?」
「そう、もう少し待ってれば出て来る」
朝日に似合う少年らしい明るい声だ。少女の知己だった少年を陥れようとした鬼は扉を見つめほくそ笑む。意地悪そうな笑みは少年を待ちわびている。人が泣こうが苦しもうが愉快に笑い転げられるのが怪異だ。それは白く霞んでしまったこの身も同等で、ますます少年に合わせる顔がない。
いつ扉を開いて出て来るだろう、泣き腫らした目にせめて何か一つでも報いることは。
「あの子に謝らないと……」
「必死だなあ、そこまでして人間らしく振る舞いたい? そんなにアイツに許されたいの?」
「あの子が泣いてるのは、私のせいだから」
「それが傲慢だっての。子供だから分からないか」
「あなたもあの子も大人には見えないけど」
「アンタよりは上だと思っていいよ。実際は違ってても、いや違ってるからこそ分かるって言うかさ」
腰に手を当て言い切る姿は自信に溢れて見える。どうしてこんな人が『むこう』に行って帰ってきたんだろう。少年を助け、祭りに誘おうとするその執着心は何処から湧き上がったのか。理解出来ない薄気味悪さに少女は自身の腕を抱く。
「……あの子が泣いてる理由も分かるの?」
「さあ。俺が知ってるのは赤く広がった血の匂いだけだよ。人間なんてそれで十分。惨めに転がってるボロ雑巾があったら片付けたくならない?」
「雑巾だなんて言わないで。あの子は一生懸命だっただけだよ」
「へえ、誰が血塗れの雑巾にしたんだっけな?」
「……」
悔しいと憤るのは浅はかで自分勝手だ。でもそれが事実だから唇を噛んでも仕方ない。目尻に涙が浮かんでも少女が昔の友達を取り込もうとしたことは消せない。大人しくて、優しい男の子を陥れた。
だから焦んなくても大丈夫だって、と俯いた頭を撫でる手は冷たいけど優しいのに。笑顔を貼り付けたまま血だまりに手を差し伸べる異質さが怖いのだ。
何故縋るんじゃなく、さよならと手を振ることが出来なかったのか。
さびしくて縋りついて、一緒に逝こうとまで言わせてしまった。こんなに悔やむなんて知りたくなかった。償えない罪をせめて彼にだけは罰してほしかった。
きっとあの子は怒ってないよって優しい声で許してくれるんだろう。それを聞いて安心したいだけの心を見透かして、最初にこう言ったのだ。
アンタの望みはすぐに叶うよと。
「……ゆるされたかったの。あの子を裏切ったのは私の方なのに、勝手だよね」
友達とわだかまりを残したまま別れるのは絶対に嫌だった。思い出せないけど、大切な人たちに別れを告げられないままここに迷い込んでしまったはずだから。
「──アレはそんなこと気にしてないと思うけどな」
「うん、でも受け入れるだけが優しさじゃないと思う……」
「アンタみたいな小さな女の子を突き放したら後味悪いだろ。それでなくとも大人しそうな面してる野郎に無茶言うなって……俺は斬られたけど」
「私も……。あれ痛くてびっくりしちゃった……」
「痛いつーか痛快だったな。溶けて消える間際に燃え上がったロウソクみたいで」
よっぽど助けたかったんだろうな。と首を鳴らす。憎悪、焦燥、憤怒……一体どんな顔で刀を振るったんだろう。少女には永遠に分からない感情。
小さく笑って、熱くなった目を拭って顔を上げる。
二人分の影が伸びる明るい廊下に少年が足を踏み出すその時を待つ。
2016.12