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    karanoito

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    karanoito

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    仁×新

    人魚姫の雑談

     手っ取り早くお伽噺はどうだろう。説明するに事欠かない材料がふんだんに詰まった文献を彼は取り出す。薄い薄い絵本だ。
    「お前、人魚姫ってどう思う?」
     男子高校生の指が捲るに似つかわしくないそれは新もよく知るお話だった。小さい頃一度は読んだ童話はホラーとはかけ離れていて、不釣り合いにも程がある。それがそうでもないんだよなと整った顔立ちの友人は熱弁し始めた。
    「メルヘンってホラーと大して変わらないんじゃないかって俺は思うんだよ。ほら、姫や王子は一見華やかだけど、案外胸くそ悪い展開が待ってるだろ? 王妃に殺されかけたり、呪いでカエルにされたり……実はスプーン一匙分の差しかない。そして、その一端を担ってるのが魔女だ」
     また魔女か。彼は魔女がいたくお気に入りの様子だ。前にも魔女のことを熱く語って……いや、それは夢の話だったか。
    「しかし、人魚姫の魔女(魔法使い?)はそんなに悪者じゃなかった気がするが」
    「あれは舞台装置の役割だったな。でも彼女がいなければ悲恋にはならなかったろ? 片恋のまま今まで通り水の底で暮らしていたはずだ」
     泡になるまで行かなかったと。彼の言う通りならここまで語り継がれる話にはならなかっただろう。「悪」を一手に引き受ける魔女あっての物語。それでも、お伽噺が怪談と紙一重の位置付けだとは新には到底思えなかった。
    「ホラーも同じだよ。魔女の代わりに怪異がいるだけ。登場人物を振り回し、不幸に陥れる存在が夢物語をホラーに塗り替えるんだ。その可能性は紙一重、だからこそメルヘンとホラーのジャンルは隣り合わせに近いんじゃないかってさ」
     こじつけな感じが否めない。悪役がいるだけでジャンルが成り立つならアクションと恋愛だってお隣さんになってしまう。新が口を挟むと頁を手繰る指は止まって、彼は黙って唇を引いた。
    「ホラーじゃなくても悪役はいるもんだろ。悪役のいない話を探す方が難しくない? 根底に流れる不安定な空気がとても近く見えるんだ、俺には。こうやって悪意を一匙垂らすだけで……ほら、理不尽なホラーの出来上がり」
     面白いだろ? と本の次に指は空想のスプーンを傾ける。ざらりとした喉を押さえる。まるで何かを口に捩じ込まれたような異物感。
    「…………っ?」
    「声を囚われた気分はどう? 人魚姫が恐ろしくなった?」
     そう、声だ。声を取り上げられた。非難の口を開くが痺れた舌が低く唸っただけだった。彼はもう一度スプーンを掬い上げる。その上にはきっと失われた声が――
    「無駄だよ、対価に払ったんだから永遠に戻せない。たとえ王子さまと結ばれたって姫から愛の言葉は囁けない。そういう約束だから」
     違う、俺は対価を支払って何かを得ようとしていない。抗議の腕が彼のシャツを掴むと、事もあろうかスプーンの先を口に咥え、飲み込んでしまった。少年の声を飲み込んで三日月のように目を細める。
    「寂しくて冷たい、甘い氷菓子みたいな……これがお前の声か」
    「……」
    「何? 睨み付けても返せないって言っただろ。諦めろよ、人魚姫に幸せなんか訪れないんだから」
     優越に満ちていたはずの語尾は震え、新の口を食んだ。意地悪な赤い舌が口内をくすぐり、跳ねた前髪を揺らして茶髪の「人魚姫」の姿はぼんやりと薄らいでいく。――愛してるよ、王子さま? と微笑って指が頬を撫でたのが最期だった。
     呆気なかった。いつから目の前にいたのかも思い出せない。同じ男子高校生、同じ夏の制服、名前も知らない彼は学校によくある怪異の類だったのか。
     ――寂しくて冷たい
    「……迷惑な怪異だ」
     汗ばんだ喉を撫でる。呟くとちゃんと聞き慣れた声が出た。

    2018.6
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