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    karanoito

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    karanoito

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     教室の扉が開いたのは帰り支度を整え、カバンの紐を肩にかけた時だった。現れたのは部活に出ているはずのクラスメイト。汚れたTシャツにジャージのズボン、部活中の姿そのままで手を上げた。
    「よー、始。まだ帰ってなかったんだ?」
    「橋本」
     今から帰る所だ、と頷く。近づいてきた橋本から鼻血の跡がうっすらと見えた。怪我をして戻って来たらしい。
    「痛々しいな」
    「顔面スライディングしただけだから平気平気。それより保健室の先生どこ行ったか知らない? 一応診てもらえって追い出されたのにいねえの」
     知らない、と首を振ると鼻を擦りながら、グラウンドへあっさり引き返していく。
     何でもない放課後の風景。青く晴れ渡った空、部活中の生徒のかけ声、廊下を行き来する足音。いつも通りの日常だ。
     ――本当に?
     窓際の一番後ろの席が自分の席だ、教師も生徒もみんなそう言っている。しかし全く見覚えはなかった。この教室にも、クラスメイトの顔にも。
    『どうしたの委員長?』『ここ三年生の教室だよー?』『文化祭ボケか?』
     文化祭の後、登校した学校は全くの別物になっていた。いつもの教室、知らない生徒。君は二年でしょ、と潜ろうとした扉の前で軽くあしらわれる。知っている顔が一人もいない。
    『いや俺は……』
     どういうことだ? たとえ入る教室を間違えたとしても、学年を間違えるはずがない。二年と三年では大違いだ、教科書だって――
    『数Ⅱ……?』
     カバンから出てくるのは二年の教科書だけ。自分の筆跡で記入された名前に疑う余地はない。通い慣れた学校が異世界の如くのし掛かってくる。廊下に立ち尽くす頭上からやがて鳴り始めるチャイム。
    『どうした逢坂? 三年の教室に何か用事か』
    『……いえ』
     毎日出欠を取っていた担任すらこの体たらくだ。
     用がないなら早く戻りなさい。鳴り終わった予鈴と共に、目の前で扉が閉まる。自分の居場所は何処にもなかった。
     授業を受ける気になれず、向かった保健室でも反応は同じ。皆自分を知っているのに、知らない。それは足下から奈落の底へ落ちていきそうな不安しか呼ばなかった。一眠りしても気分は晴れないまま昼休みへ。
    『始くんいる? 具合が悪いって聞いたんだけど大丈夫?』
     千尋兄さんだ。昼休みの合間を縫って来てくれたらしい。見知った顔に安堵する。小さい頃から千隼と一緒に面倒を見てもらって……いや、この認識はズレている、解っているのに正せないこの気持ち悪さ。きっと千尋さんも――
    『……千尋さん、俺はいくつに見えますか?』
    『いきなりどうしたの? 誕生日ならちゃんと覚えてるからプレゼントは心配しなくていいよー』
    『いいから答えてください、お願いします』
    『うん、ちーちゃんと同じ16でしょ? 昔からずっと幼なじみだもんね』
     にこやかに笑っている。これも擦り合わされた状態なんだろう。この世界で自意識だけが噛み合わない、吐き気が込み上げてきて教室に戻るどころじゃなかった。そもそも行くべき教室が分からない。これもいずれ修正され、あるべき姿に収束される。
     何かを忘れているとしても、とっくに思い出せないから。
     新聞やメディアと自意識を照らし合わせた結果、知らないことが増え始めたのは七年前。通りで周りと話が噛み合わない訳だ。伝承の通り神隠しにでも遭ったとでもいうのか? 自分の居場所は何処にある?
    「……」
     取り出した上履きの色は赤。無意識の内に選ばされていたことに今更気付いた。つまりこれは、
    「誰かの代替か」
     辻褄合わせのために、存在が抜けた穴に填められたのだと、そう考えるしかなかった。きっとここから抜け出せない。
     そうして、この状況を受け入れる方を選んだ。
     見知らぬクラスメイトたちに囲まれ、授業を受ける。いなくなった誰かの代わりに。すんなりと受け入れられるのが不気味で仕方なかったが、一月も続けていれば慣れるものだ。誰も疑問に思わない所で声高に叫んでも、こちらが異端者として排除されるだけ。
     彼らと接していると、自分が高校二年生で、佐野貴文と橋本一成という親しい友達がいる、それが当たり前のように思えてくる……きっと世界もそう望んでいるのだろう。しかし、窓から見える駐輪場を見下ろす度、内心穏やかではいられなかった。
     ここにいる自分が場違いでしかない、そんな意識がずっと拭えなくて、処方してもらった安定剤が手放せない。笑いかけてくれる彼らが悪い訳じゃない、馴染めない自分が悪いのだと。夕陽の沈む何処かでただ責めている。
    「その具合悪いの治してやろうか?」
    「…………また来たのか」
     またって? 着物を着崩し、黒い目隠しをした少年が首を傾げる。角も牙もないが彼は鬼だという。放課後に居残っていると時々こうして現れる、逢魔ヶ時の世界から。文化祭は終わったばかりなのにフライングが過ぎるだろう。それともこれも幻だろうか?
     真実を知りたい自分が、造り出した幻。
    「今日は、狐面を着けた奴は一緒じゃないのか?」
    「? 狐面なら祭りに行けばいっぱいあるじゃん。一緒に見に行く?」
     そういう意味じゃない。この間、人を挟んで言い争った挙げ句、刀で斬られたこともやはり覚えてないらしい。挨拶みたいなものだから気にしないでくれ、と狐面に言われたが、正直心臓に悪い。
     どうやらむこうへ連れて行きたいらしいが、ここは表の学校のまま。肩に触れようとした怪異の手はすり抜け、せいぜいが言葉を交わすだけだ。
     学校での話、家の話、初めて見たものの話、怪異の世界の話……とりとめのない話題が混じり、交錯しながら夕焼けが濃くなる。いつか見たあの日のように。
    「もし、お前の言う通りむこうへ行ったら……」
    「うん?」
     この胸に沈殿し続ける何かが見つかるのだろうか?
    「来る気があるなら来年を待てばいい。俺はきっと忘れてるけど、『みんな』心良く迎えてくれるんじゃない?」
     この教室みたいにさ、とニヤリと笑い、見渡すように両手を広げる。そのまま長く伸びた影に溶け込むように、姿がかき消えていく。夜を待たずに。
    「鬼の戯言に耳を貸さない方がいい。人間が来るべき所じゃない」
     次に現れたのは狐面を被った少年だ。夕陽を背に、静かに佇んでいる。
    「何故だ、あそこは迷った末に狂った人間が行き着く場所だろう?」
    「それは違う。異界はそこに在るだけで、きっと迎え入れられる場所でもたどり着く場所でもないんだと俺は思う」
     だから思いとどまってほしい、歪んで見えてもこの世界が君のいるべき世界だと。狐の怪異はそう正しに来る。同じ怪異でも千差万別だ、他にもっと色々な怪異がいるのだろう。
     逢魔ヶ時の世界に興味を抱いてしまっている時点で、もう取り返しは付かない。いくら彼らが誘い、説得しようとも決断を下すのはただ一人。
    「知らない物や人に囲まれる不安は拭えない。でも、親しくなった人達|と過ごす毎日は楽しいんじゃないか?」 
     そう言われると決心が鈍る。最初は赤の他人でもそこから顔を合わせ、知り合いになって、言葉を交わしながら友情を育むのは決して難しくない。気付いているからこそおいそれと割りきれない。
    「どうか俺たちに気を取られないでほしい。君には、これからもっと楽しい時間が待っているんだから」
    「そうだな」
     冷たい手が頬に触れる。もちろん幻だ。窓は開くどころか、カーテンを揺らす風すら吹いていない。
    「…………どうして寂しそうに微笑むのか、俺には分からない」
     寂しい? だとしたらそれは――
     空想に手を伸ばす。細く冷たい怪異の手にこの手が届いたらたどり着けるだろうか、
     見知らぬ世界の誰かの元へ――
     腕を掴む寸前に彼はかき消える。寂しそうな気配を残して。
     いかないで、と知らない子どもの声が耳に届いた。
     僕をおいていかないで。
    「……置いていったのは」
     お前の方じゃないのか?
     狐の怪異が消えた後に聞こえる声、これが最後の砦なんだろう。悲鳴に似たそれは、扉の開く音に遮られていた。
    「あれ、始くん? 早く帰らないと駄目だよ~」
    「…………。千尋さん……」
     警備員である彼に見つかって暗闇の教室を知る。さ、先生に見つかる前に、帰ろう? 温かい手のひらに背中を押されながら教室を出た。
     またスタート地点だ。いつになったら答えが出るのだろう?

    2021(R3)1.23
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