清澄のことが好きだ、と自覚したのはいつだっただろう。
正直はっきりとは覚えていない。
気が付いたときには既に彼のことを目で追っていた。
穏やかで上品な立ち振る舞い、綺麗な言葉遣い、整った顔立ち。
苦手なことにも一生懸命で、誰にでも優しくて、俺のこともいつも心配してくれて…
そんなの、好きにならないわけがない!
でもそんなこと、誰にも言えなかった。
口にしてしまったら、なにかが壊れてしまう気がして。
同じ事務所の仕事仲間で、友人で…そんな心地の良い関係に甘えていたい。
そう思う自分と、この胸の内を明かしてしまいたいという相反した想いが鬩ぎ合う。
俺は仄かに芽生えてしまった恋心を持て余していた。
ある日、事務所で清澄と偶然二人きりになった。
「木村さん、どうぞ」
「あ、ありがとう!」
清澄は俺のために温かいお茶を入れてくれた。
ソファに掛けるとふう、と息を吐いてお茶に口をつける。
あーあったかい…幸せだなあ。
「本日は冷えますから、温かいほうがよろしいかと思いまして」
「ホント、急に寒くなったよなー!」
清澄は向かい側に座って手元のお盆を膝に乗せた。
ひとつひとつの所作が美しいなと改めて思う。
こんなにきれいな清澄が、もし俺のためだけに微笑んでくれたとしたら…
そんなことが過ってしまい、頭をぶんぶんと振る。
いまはラッキーなんだ!清澄とこうして二人でいられるだけで幸運じゃないか!
むしろこんな楽しい時間を過ごしてしまったら帰り道で不運に遭うかもしれない。
「ふー、清澄のお茶は本当においしいよ」
「喜んでいただけたのなら私もうれしいです」
清澄が小首を傾げて微笑んだ。あ、かわいい。
「ほんっとうに美味しいよ!何度飲んでも世界でいちばん!」
「ふふ、木村さん。褒めすぎではないですか?」
「そんなことないよ!」
「そんなに褒めてくださるのでしたら、今度私の家へいらっしゃいませんか?」
「きっ、清澄の家!?」
突然の誘いに思わず声を上げる。
お、俺が清澄の家に…?
「木村さんには一度きちんとお茶を楽しんでいただきたいのです」
仕事の時のような真剣な眼差しでこちらを見つめてくる。
俺にとっては願ってもない提案だ。清澄と親交を深める一大チャンス。
「行く!ぜひお邪魔させてほしい!」
「それではオフの予定を合わせましょうか」
清澄は嬉しそうに鞄から取り出した手帳を開く。
俺も手早く携帯のカレンダーを開いた。
清澄の家でお茶をいただけるなんて、こんなに良いことがあっていいんだろうか!?
案の定、帰り道では靴紐が切れかけたけど、今の俺には痛くも痒くもなかった。
数日後、清澄と約束した日がやってきた。
待ち合わせは鎌倉駅。
そわそわしながら待っていると、目の前に高級そうな黒い車が1台止まった。
ひっ、と思わず変な声が出る。
車の後部座席の窓が開くと、そこには見慣れた顔があった。
「木村さん、お待たせしました」
「わっ、き、清澄か…びっくりした…」
「車でお迎えに上がることをお伝えしていませんでしたね、すみません」
どうぞ乗ってくださいと言われ、俺はいそいそと車に乗り込んだ。
数分だろうか…数十分だったようにも感じた。
しばらく走ると、とある屋敷の前に車が止まった。
「着きましたよ」
でかい。
とにかくでかい。
茶道の家元として有名な清澄家だ、そりゃ一般家庭とは違うとは思ったけど…
大きな門、手入れの行き届いた庭園。
想像以上にどっしりとした家構えに、俺は思わず息を飲んだ。
「どうぞお入りください」
そこから先は実のところよく覚えていない。
清澄に丁寧にもてなされて、気づけば綺麗な茶室に呼ばれていた。
道具や作法など何もわからなかったけど、気にせず楽しんでと言われたのでその通りにすることに。
お菓子は繊細で可愛らしく、季節に合わせた見た目になっていたし、抹茶もとても美味しかった。
なによりお茶を点てる清澄の所作がとても洗練されていて、繊細で、あまりにも美しかった。
自分一人のために開かれた贅沢な茶会が終わると、急に肩の力が抜けてしまった。
「な、なんかめちゃくちゃ緊張した…」
「緊張させてしまいましたか、すみません」
「いや!俺が勝手に緊張しただけだから!」
そもそも好きな子の実家に行くというだけで緊張するものだ。うん。
「でもすごく楽しかったよ。貴重な体験させてくれてありがとう!」
「少しでも楽しんでいただけたなら良かったです」
清澄が嬉しそうに頬を緩ませた。
うん、かわいい。やっぱり笑顔が好きだなあ。
「ところで木村さん、この後はどうなさいますか?」
この後…確かにお茶を頂くところまでは約束してたけど、それ以外のことは決めてなかったな。
せっかくだし、江ノ島の方まで行ってみたい。
そう伝えると、かしこまりました、と清澄は頷いた。
江ノ島まで清澄の家の車を出してもらった。
適当なところで止めてもらい、二人で歩くことにした。
夕方の少し冷えた海風が頬を撫でて、俺は清澄が寒さを感じていないか心配になる。
いくらか歩くと、海辺の方へ出られる道が出てきた。
「俺、ちょっと海の方に行きたいんだけど…清澄その足元だと難しいかな?」
「いえ大丈夫です。行きましょう」
二人少し間をあけて砂浜を歩いてゆく。
波打ち際まできて、不意に清澄の方を見てはっとした。
瞬間、時が止まった。
夕暮れ時の水面に反射したオレンジの光がきらきらと輝いて、まるでステージの照明のように清澄を照らしている。
穏やかに吹く風が深緑の髪をさらりと揺らす。
その隙間から金糸雀色の瞳がこちらを真っ直ぐに見ていた。
だめだ、と思った。
もう、この気持ちからは逃げられない。
ばくばくと胸が鼓動し、くらくらと眩暈もする。
全力疾走したときのように息も切れてかなり苦しい。
伝えたところでどうなるかなんてわからない。
でも、どんなことが起きたって不思議じゃないんだ。
怖いけど伝えよう、君に、この想いを、
「清澄、俺は――」
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