もう一つの物語 いつも通り、レジェンドたちは打ち上げと称してミラージュのバーで飲み食いどんちゃん騒ぎを繰り広げていた。ステージ上では上機嫌にマイクを持つチャンピオンの姿。ライヤーフライヤーのメンバーとして音楽活動をしていて、自分のボーカル曲もいくつか持っているアジャイは、他のメンバーと比べても歌唱力が抜群だった。それもあってか、アジャイがリクエストを受けてステージ上で歌を披露することは少なくなかった。
「アジャイ、やっぱり歌上手いわよね」
近くに座っていたワッツが舞台上のアジャイから目を離さずにつぶやく。確かに、力強くもどこか優しげな歌声は、試合で疲れたレジェンドの心を癒やしているだろう。
「アネキは学生時代からずっと歌がうまかったからな」
「そうなの?」
「そうさ。アネキはハイスクールの頃、歌の上手さを買われて、学園祭の主演を演ったことがあるのさ」
遠い昔。懐かしいあの頃に思いを馳せる。そう。あのときは――。
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「なんで俺がそんな事しなきゃいけないんだよ」
「仕方ないでしょ。ロミオ役の子が試合近くて練習出れないっていうんだもん」
クラスのみんなから推薦を受けたアジャイは、学園祭の出し物として「ロミオとジュリエット」のジュリエット役をやることになった。(押し付けられたともいうか)
ロミオ役のクラスメイトは、いわゆる『イケメン』と呼ばれる部類で、大層舞台映えするだろう人間だった。ただ、フットボールのチームに所属していることもあり、練習は最低限。もちろんそれなりに自主練で形にはしてくるのだが、舞台というのは一人でどうにかできるようなものでもない。誰かが一緒にいたほうが、明らかに練習はしやすい。そこで白羽の矢が立ったのが俺だった。
アジャイは練習役として俺を指名した。俺は裏方として大道具や小道具を作る係となっていたので丁度良かったのだろう。台本通りに役を演じるのはガラじゃない俺は、何度もそれを断ったが、ただ台詞を読むだけだと言われて、渋々引き受けることになった。
元々、俺とアジャイは一日のうちほとんど一緒の時間を過ごしていたので、ゲームしたり漫画を読んでいる時間が劇の練習に当てられるだけで、生活自体は殆ど変わらなかった。
最初のうちは台本を読むだけだったのだが、次第に動きや劇中歌、更にはダンスまで付き合わされることになってしまった。とは言え、ただただ大本を読むよりは体を動かすほうが性に合っており、なかなか楽しんだというのもまた事実だった。
事件が起こったのは本番2日前。ロミオ役のクラスメイトが、サッカークラブの試合で大怪我をし、舞台に出られなくなってしまったのだ。サブキャストならともかく、今から主演の代役を探すなど正気の沙汰ではなかった。舞台を中止するしかないとクラスメイトが落胆していたとき。もう一人の主演が口を開いた。
「シルバなら代役できると思う」
俺は耳を疑った。俺が?ロミオ役を?冗談じゃない。そう返そうとするが、クラスメイトの視線が一気に集まり、言葉に詰まってしまう。畳み掛けるようにアジャイが続けた。
「シルバは私の練習に毎日付き合ってくれてたからね。セリフはもちろん、歌やダンスもほぼ完璧よ」
「おいおい、シェ。それ本気か?」
アジャイと出るシーンはともかく、他のシーンはほとんど覚えていない。2日あればどうにかごまかせる程度に完成させることは不可能じゃないかもしれないが、それでもかなり無理な提案であった。
しかし、俺は知っていた。アネキが本番に向けてどれだけ努力してきたか。どれだけ毎日真剣に取り組んできたか。その努力を無意味にするのはどうしても憚られてしまった。
「……いいぜ。ただ、完璧に出来なくても文句言うなよ」
気づいたらそう口にしてしまっていた。アジャイのホッとしたような表情とクラスメイトの何処か不安そうな目はなかなか対照的で印象に残った。
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「――ってなわけで、俺とアジャイは本番を完璧にこなして舞台は大成功!称賛のスタンディングオベーションで会場が埋まったって――」
「何が大成功よ」
急に割り込んできた声。同時に俺は右耳を引っ張られる。後ろを振り向くとアジャイが不機嫌そうに眉を寄せていた。どうやら自分のステージを終えてこちらに戻ってきていたらしい。ステージ上ではミラージュが拳を握りながら熱唱している最中だった。
「あの後、すごく大変だったんだからね!」
「ねぇ、何があったの?」
興味津々といった様子で、ワッツが先を促す。俺にとっては先程話したことが全てだ。バトンタッチだとアネキに目配せするとアネキはため息をついて続きを話し始めた。
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シルバは私が思っていたよりもずっと完璧にロミオ役を演じることが出来ていた。ロミオとジュリエットが揃っている場面はもちろん、ロミオ単独のシーンも2日しか準備期間がなかったとは思えないくらいにこなしている。まるで最初からシルバがロミオ役だったように錯覚するくらいに。
「あんた、それだけできるなら最初からロミオ役やればよかったんじゃない?」
「こんな面倒なこと、シェに頼まれなければやってないぜ」
学校の帰り道、シルバは面倒くさそうに答えた。
「それも明日で終わりだ。学園祭が終わったら新作ゲームでもやろうぜ!一昨日発売したばかりなんだよ」
「いいわよ。でも、まずは明日の舞台を成功させることが第一優先よ」
分かってるって、と彼は笑った。推薦したとは言え、どこか不安も残ったまま、私たちは帰路についていた。
本番当日。用意された衣装を身にまとい、開演する。こういう演劇の舞台に主演として立つのは初めてだった。お稽古の発表会として舞台に立つことは少なくなかったが、これはこれで緊張する。舞台袖でガチガチに緊張した私の背中に触れる手。どこか優しく感じるそれはとてもあたたかかった。
「大丈夫だ。アジャイの努力は嘘をつかない」
こんなときにそんな気の利いたことが言えるなんて。意外な幼なじみの言葉に少々驚くが、同時に私の心が落ち着いていくのもわかった。
「ありがとう、シルバ」
「これくらい楽勝さ」
一歩踏み出せば私は『アジャイ・シェ』ではなく『ジュリエット』。彼は『オクタビオ・シルバ』ではなく『ロミオ』。何度も練習を重ねたからなのか、それに対して違和感を感じなかった。
舞台は大きな問題なく進み、物語はクライマックス。ジュリエットは仮死の毒を飲み、彼女の死を悟ったロミオが後追いで服毒。仮死状態から生き返ったジュリエットは、ロミオの死を知り彼の短剣でその生涯の幕を閉じる。悲しい恋の物語だ。隣で『ロミオ』が倒れ、いよいよ私の最後のセリフ。それを口にしようとした瞬間……。
「あーやめだやめ!こんな暗い物語、性に合わないぜ!」
目の前に倒れていたはずのシルバが急に体を起こす。私も、客も、そして舞台袖にいるであろうクラスメイトたちも全く話についていけない。
「こんな結末、退屈だろう?ロミオの毒は致死量じゃなく、奇跡的に生還。ジュリエットも副作用なく、二人はその後幸せに一生を過ごした。このほうが断然楽しいだろ?」
「ちょ……!シル……」
ハッとする。こいつは馬鹿だけど、本当にどうしようもないくらい馬鹿だけど、今私がこいつに何を言ったって状況が好転することはない。この状況を乗り越える手段を考えなければいけない。
『ロミオ……?本当にロミオなの?無事なのね?』
『ああ、ジュリエット。運は俺たちに味方したみたいだ。さあ、俺たちの未来に向かって、乾杯でもしようぜ』
私は『元々そういうもの』だったことにする。ウィリアム・シェイクスピアに、そしてこれまでこの作品を大切にしてきた人々に心のなかで土下座をしながら、後でこいつをぶん殴ろうと心に決める。
『……これは、どこかで紡がれたかもしれない、もう一つの物語。ボタンを掛け間違えて、それでも前に進んだ二人の未来がどうなったのかは、彼らしか知らない』
クラスメイトのファインプレー。誰の声かを気にする余裕はなかったが、そのナレーションに大分救われる。後でしっかりお礼をしなければならない。
客席は困惑の色を隠せないが、それでも拍手がパラパラと聞こえてくる。多少の安堵と隣でヘラヘラしている男への怒りが湧き上がってきた。
私たちは(私は完全にとばっちりだが)その後教師にこっ酷く叱られ、保護者からのクレームがあったことも知らされた。
もう二度とこいつに重要な役割は任せない。私はその時心に誓ったのだった。
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「誰が称賛してたって?」
「クラスメイトとか、一部の観客からは好評だっただろ?」
「圧倒的不評だったわよ!」
確かに、クラスメイトは逆に面白かったと言っている子もいたし、衝撃の展開を評価する声も無くはなかったが、それでもあんな思いは二度とごめんだ。
「あんた、あのとき私がどれだけ頭をフル回転させてリカバリーしたと思ってるのよ」
「そこはさすがアネキだったよな!」
いい加減にしなさい!!と再び耳を引っ張ると、シルバは「いててっ」と眉を寄せた。
「ふたりとも、昔から変わらないのね」
そんなわたしたちを見て、ナタリーが目を細める。確かに私たちはあの時から全く変わっていないのかもしれない。これまでの私達を振り返り、ため息が漏れる。
「おっ!じゃあ俺たちでまたやるか?題名は、オクタビオとアジャイ!……語呂が悪いな」
「バカ言ってんじゃないよ。あんたに振り回されるのはゴメンだね」
JAJAJAと笑うシルバの笑いに、私もつられて吹き出してしまう。彼と私は結局、どんなにボタンを掛け間違えても前に進んでいく、私達の『ロミオとジュリエット』そのものなのかもしれない。
舞台ではなく現実で。私たちは今後もともに歩んでいくのだろう。その未来がどうなるかは、きっと私達しか分からないのだ。