俺は汚れちまったから(ネロ晶♀) 渾身の力を込めて右の拳を頬にめり込ませると、薄汚い男はあっけないほどの軽さで風を切り吹っ飛んでいった。
「ね、ネロ?」
戸惑いと共に零れた名前を他人事のように聞き流しながら、水でも払うように血に濡れた手を開いてぱっぱと振る。
中央市場特有のざわめきは不自然なほど聞こえなくなっていて、晶の半径数メートルで何かが目まぐるしく状況が変わっていることだけを認識していた。
左手で抱え込んだ晶の視界を覆い隠したまま、ネロは声に軽く笑む気配を乗せている。
「怖かったろ。悪いな」
「いえ……ええと、今なにが起きたのでしょうか?」
* * *
数刻前。
尖った視線が背中を刺し貫いたことに気がつくと、ネロは晶に悟られぬよう、エプロンのポケットに筋張った手を突っ込んだ。相手の気配は少し遠く、人間か魔法使いかの区別はつかない。こちらに投げかけられたのが悪意に満ちたそれであることだけが手に取るようにわかる。
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