万代の約束 任務帰りに疲れ切った賢者がキッチンに足を向けると、得も言われぬいい匂いがただよっていた。
(なんだろう、すごくよく知っている香り……脂で揚げた……すごくジャンキーな……どこかで嗅いだはずなのに思い出せない。一体なんだろう……)
賢者がフラフラとテーブルに近寄ると、そこには匂いのもとが納められたと思しき小さな紙袋。紙袋には油が染みていて、ひと目でそれとわかった。
「賢者さん、お帰り。お疲れ様」
顔を上げると、ネロが優しく微笑んでいた。
「ネロ、ただいま戻りました。いきなりで申し訳ないんですが、このいい匂いは……」
「あ〜……それな。それは……」
「万代のコロッケだ」
ネロは気まずそうだったが、それをシノが遮った。
「めちゃくちゃ美味いんだ。ネロの買い出しについて行って買った。ここに来る前はよく食ってた」
「でもさ、万代のコロッケなんてものがあったら、シェフの俺は型無しだろ?」
ネロの気まずそうな表情は、焦りからくるものだったらしい。
「そんなに美味しいんですか?」
「かなり美味い」
「そうだな、俺も万代の隠れた名品だと思うよ」
「コロッケは隠れてないぞ」
「安くて一袋五個入り、三百エンもしねえ何の変哲もないじゃがいもコロッケだが、味付けが上手いんだ。意外と軽くて、いくつでもいけそうに思えちまうんだぜ」
「そんなに……!?」
是非食べてみたい。そう思うと、匂いもあいまってよだれがあふれてきた。
「それ、なんですか?」
さっきからいい匂いがすると思ってたんです、とやってきたヒースが尋ねる。
「万代でコロッケ買ってきた」
「万代か……。ブランシェット領にもあるよ」
「ふふん。ブランシェット領には万代もあるんだぜ」
シノは誇らしそうだ。ブランシェット家に仕えていた時代も、万代でよく食料品を買っていたらしい。
「まあ……俺はあんまり行かないけどね」
「どうして? そこそこ安くて生鮮品の質もいいと思うんだが……」
ネロは心底不思議そうだ。
「そうなんですか?」
料理人のこだわり話が聞けそうで、つっこんでみる。
「特に肉は何の肉でもきれいだし安いよ。オからはじまるあそことは大違いだ」
「やめろよ。国際問題だぞ」
「この間万代がオの本丸に出店したからね。これから全面戦争になるかもしれない……」
「潰し合われちゃあ敵わねえな……」
「で、どうしてヒースは万代に行かないんだよ。どうせ船のマークのチェーンとか、赤くて四文字のチェーンしか行ったことがないんだろ?」
シノは憤慨した。そんなに憤慨するほどのことだろうか?
「いや……あそこ、電子マネー使えないだろ……?」
従者の圧に気圧され、ヒースは気まずそうに白状した。
「万代ペイじゃあ、ちょっとね……」
「あ〜……もうそんなことはない。今は各種ペイメントが使える」
ネロが助け舟を出す。
「そうなの!?」
「ああ。以前までは頑なに導入を拒んでいたが、さすがに時代に迎合したのか、ちょっと前から使えるようになったんだぜ」
ヒースの顔がパッと綻んだ。
「じゃあ今度一緒に買い出し行こう。こないだ見つけた、しゃれにならないくらいマズい茶でも教えてやるよ」
「シノ!」
ヒースは満面の笑みになった。
「あー!!」
そうこうしていると、スノウとホワイトがやってきた。
「「万代のコロッケじゃん!」」
「スノウとホワイトも知ってるんですか?」
「知っとるに決まっとろう♪ 万代は天の恵みじゃ。かつて、いや今も、北の国には万代を中心にして発展している街が数多あるのじゃ」
「そんなに?」
万代、何者なんだ。すごすぎる。
「おっ万代のコロッケじゃねえか」
後ろにたブラッドリーも万代のコロッケを目にすると、嬉しそうだ。
「ブラッドリーも知ってるんですか?」
「北の国で知らねえやつはいねえよ。俺も昔、万代の経営権を巡ってドンパチやってたぜ」
「万代の経営権……?」
「だってしょうがねえだろ。うちの団で一番ちっこい奴が初めて万代のコロッケを食べたときに、料理人になるって言い出したんだから、手に入れてやらなきゃよ。しかも、そいつは今も料理の腕で口を糊してやがるんだからたいしたもんだ」
「その話はやめろよ……」
ネロが急に焦った様子になった。
「別にいいじゃねえか。単なる美しい思い出話だぜ。まあ今もあるけどな、万代北の国死の盗賊団アジト前店。アジトはないけど、名前がいかつくて他の賊よけになるから残してるらしい」
焦るネロとは対照的に、ブラッドリーは涼しい顔だ。やれやれ。いつものアレを言ってやらねばなるまい。
「そういうことになってるんですか?」
「俺の中では思い出ではないけどなあ?」
「火に油だよ賢者さん!」
不敵に微笑むブラッドリー、焦るネロ。そういうことになっているのかどうかはどうでもいい。
交錯する二人の感情を完全に無視して、少し遅れて入場してきたミスラが長くすらっとした腕を伸ばした。
「あ、万代のコロッケじゃないですか」
誰に何かを尋ねるでもなく――
「ミスラ!」
ミスラは紙袋を雑に開封すると、一つつまんでぱくりと食べてしまった。
「相変わらず美味いな。万代、さすがです」
「えっ!? 勝手に食べたらダメじゃないですか!?」
慌ててシノの方をみると、シノは焦ることもなく首を横に振った。
「いい」
「いいんだ」
「万代のコロッケは美味いから仕方ない。でもそれ以上は駄目だ。オレのだからな」
シノがミスラからコロッケの袋を引ったくったのでホッとした。シノも食べたくて買ってきたのだろうから、ミスラにすべて食べられてしまうのは忍びない。
そこに、南の国の面々が入場してきた。
「あっ! それ、万代のコロッケじゃないですか。すごく美味しいですよね。万代のコロッケ」
ルチルはもぐもぐと頬張るミスラを見ると、微笑んだ。
「美味しいよね〜万代のコロッケ。万代のコロッケにはお世話になったよ」
「俺はそれほどですが、子どもは大抵好きですね」
ニコニコ顔のフィガロの後ろから、レノックスが会釈をしながら現れた。
「ルチルとミチルは大好きで、小さい頃よく食べさせたものだ」
「ミチルが俺の分まで食べちゃった時があってね……」
「フィガロ先生、恥ずかしいです!」
「恥ずかしくなんかないさ。子の食欲が旺盛なのは、こっちとしては、嬉しいもんだよ」
「そうだぞ」
ミチルを見つめて、フィガロとレノックスはニコニコしていた。ルチルは私にそっと耳打ちした。
「でも、最近南の国では急成長したラ・ムーが勢力を拡大していて、次々出店していますね。私ももうラ・ムーのお世話になりっぱなしなんですけど……」
ラ・ムーとは。
「なんでも安くて、本当に助かるんです……」
また新しい名称が現れた……けれど、私の頭にはルチルの甘い吐息しか残らなかった。
「そういうことならお前には一個やるよ。お前にも」
シノはミチルとルチルにコロッケを渡した。幼いころの万代ノスタルジーを共有せし者と感じたのだろう。
「万代のコロッケ……か」
皆が顔を上げると、そこにはオズが立っていた。周囲がしんと静まり返る。それは現れた世界最強に対する恐怖によるものではなく、次になんと言葉を発するのかという興味からだった。
「オズ……オズももしかして……」
賢者が声をかけると、オズはどこか遠くを見つめ、遥か遠い過去を懐かしむように目を細めた。
「フィガロが教えてくれたのだ。すごくいい店があると」
「オズ……」
フィガロは嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「食事を作る気力のない日はよく利用させてもらった」
オズのような立派なイクメンも、疲れた日は手を抜いていい。スーパーの総菜を小さい子どもの食事に出すことに否定的な意見もあるが、料理をする時間で子どもと遊んでやったり、親のリフレッシュの時間を取ることはけして悪いことではない。スーパーで買った総菜を子どもが喜んで食べてくれるなら、それだって愛なのだ。……と、ネットの記事で読んだことがあるような気がする。知らんけど。まあ、スーパーの総菜だって作っているのは従業員のおじさんやおばさんなわけで、大きな意味ではおふくろの味である。料理は一気に大量に作った方がおいしい説もあるし。その最たるものが万代のコロッケである、とはいえなくもない気がする。
「アーサーも大好きだった。万代に嫉妬して燃やしてやろうかと何度か思ったが」
「オズ!?」
「できなかった。アーサーが好きなコロッケを燃やすことなど。それに、私にもあれほどのコロッケを作ることはできない」
「よ、よかった……」
万代と、万代従業員の尊い命が失われるところだったとは。コロッケのおかげで危機に瀕したが、コロッケのおかげで命拾いしたということだ。つまり、コロッケ最強。
「オズ様……!」
そこにアーサー、リケ、カインの三人組が入場してきた。
「あ、万代のコロッケですか?」
机の上にテンと置かれたコロッケの袋を見てアーサーが満面の笑みを浮かべた。
「あの時は申し訳ありませんでした。オズ様の料理より万代のコロッケが好きだなどと駄々をこねて」
アーサーは恥ずかしそうにオズに寄り添った。『あの時』は数日前みたいな口ぶりだったが、多分10年以上前の話だろう。アーサー5歳とかそれくらいの。だがきっと、アーサーにとってはいつまでもフレッシュな恥ずかしい話なのだろう、頬を染めて気まずそうだ。
「オズさまが作ってくださった料理が一番に決まっているというのに」
「構わない。子どもはそういうものだ」
オズも優しい瞳でアーサーを見つめていた。
「しょうがないな、アーサーにも一個やるよ」
シノはおおらかな微笑みを浮かべていった。
「構わないのか? お前が買ってきたのだろう?」
アーサーは嬉しさと戸惑いがまじりあった表情を浮かべた。
「いい、いい。思い出のコロッケなんだろ?」
シノは万代ノスタルジーに甘い。だがそんなところも彼のいいところだ。すると、リケがおそるおそる言った。
「コロッケ……? そんなにおいしいものなのですか? スーパーの総菜は愛情がこもっていない、冷めるとまずいと聞きますが」
「万代のコロッケには従業員の愛がこもってる! それに冷めても美味い!!」
シノはやや声を荒げて言った。ムキになっている。
「本当にそうでしょうか。教団ではこんなものは誰も食べません」
絶対リケの知らないところで食べてたよ。美味しいもん。でもそれを証明することはできないので、リケにかける言葉はみつからない。リケはつんとそっぽを向いてしまった。
「しょうがない。万代のコロッケに汚名がそそがれたままなのは我慢できない。癪だが、お前も一個食ってみろ」
「シノ……シノがそう言うなら……」
シノは本気で悔しそうだった。
「シノ」
そこで、ずっと後ろで聞いていたファウストが口を開いた。おったんかい。
「シノの分がないじゃないか」
シノの分がない。確かに。
一つ目はミスラが食べてしまった。ふたつめとみっつめはミチルとルチルに。よっつめはアーサー。いつつめは勢いでリケに。万代のコロッケは5つ入りなので、もう完売だ。
「はっ……」
ことの重大さにやっと気づいたシノが目を見開いた。
しかし、時すでに遅し。返してくれなどとは言えない。
「お返ししますよ」
ルチルが言った。
「いや、いい」
「シノさんのでしょう? 僕と兄さまで半分こしますから」
ミチルが言った。
「いや、いい。男に二言はない」
「私も、久ぶりに食べたいと思っただけだから、また改めて買ってくる。シノが食べてくれ」
アーサーが言った。
「いや、いい」
「シノ、シノが食べるべきです。僕は万代のコロッケになんかこれっぽっちも興味がありません」
リケが言った。
「いや、お前は喧嘩売ったんだから食えよ」
シノは少し苛立った。
「しょうがない」
ファウストがシノの肩に手を置いた。
「少し行ったところに万代グランヴェル城下町店がある。あの店はまだ開いてる」
ファウストは自信に満ちた、英雄のように勇ましい表情をしている。
「そんなところに出店していたとは……」
「城下町店といいつつ結構城から離れた住宅街だから、アーサーが知らなくても無理はねえよ。住宅街に出店しがちなイメージがあるよな」
知らなかった、と驚くアーサーにネロが返した。
「この間ポイントカードも作って、ちゃんと万代ペイもチャージしてあるから、僕がおごってやろう」
「万代ペイ使ってる人初めて見た」
「え? ちらほらいるだろ。まあ、老人が多いかな」
ファウストは、老人呼ばわりしてきたネロを冷たい目で一瞥したが、スッと無視して高らかに言い放った。
「行くぞ、僕についてこい」
ちなみに、賢者が後で西の面々に万代のコロッケを知っているか聞くと、「知らない」とのことだった。
「我々が知っているのは『まいばすけっと』ですね」