無配「たとえば、週に一度来るガレットと酒が好きな客」【そういうところ】
※レノフィガです
※二人に肉体関係があります(行為の描写はありません)
※大丈夫な方だけお願いします
余った二人をくっつけるという、ザ・平成の腐女子みたいなことをしてしまった。書いてみたかったので本望です。
ファウストの教会での礼拝の後。ネロから教会に届けられたケータリングの食事を、フィガロとレノックスは教会奥の事務室で二人つついていた。
「礼拝に間に合ってよかったね」
「そうですね。雪が止まなければ着けないところでした」
「そっちの仕事はどうなの?」
「のんびりやらせてもらってますよ。最近新しい犬が来て、トレーニング中です」
「軍に戻ってくれって言われない?」
「何年前の話ですか? もう言われませんよ」
レノックスはスプーンを手に取りながら微笑んだ。
「歴戦の戦士のきみが牧場で羊飼いなんて、もったいない気がするけどな」
「俺が望んだことです。それに、たまにファウスト様が来て、ふわふわの動物に和んでいかれるので俺は何も」
「そりゃあよかったね」
レノックスは軍を退役してからは教会の農業部に再就職し、青空の下で羊の放牧をしたり、畑仕事をしたりして教会の食糧の確保に注力している。
フィガロは大鍋から取り分けられたシチューをスプーンで掬った。
「料理が美味しいから、ついこの男は殺すのはやめとこう、って思っちゃうんだよね」
「美味しいですよね。体に染み渡ります」
ハーブソーセージを一口齧るとフィガロは顔を顰めた。
「これ、北の国風の味付けだぜ。媚びてるつもりなのかな?」
「フィガロ様にと渡されましたから。客の好みに合わせたシェフの親切な気遣いでしょう」
「あいつに味方するわけ?」
「俺はファウスト様の味方ですから」
「お前……」
フィガロは納得できないという顔をしていた。
「意地悪をするからファウスト様が心を閉ざしてしまわれるんです」
「意地悪してるつもりはないんだけど、どうもあいつの件はあの子とうまくいかないね。俺、意地悪してる?」
「はい。……ですから、ファウスト様は俺に何でも話してくださいますよ」
「マウント?」
「そうかもしれません」
「お前も意地悪になったよなあ。皆が俺をいじめる。それで、何でも、とは?」
フィガロはやれやれと言わんばかりに首をすくめたが、レノックスは涼しい顔のまま、どこ吹く風だ。
「例えば、北の国で……」
レノックスが話そうとすると、フィガロは頬を引き攣らせた。
「わーわーわー! そうだった。聞きたくないよ! あれでしょ? 温泉旅行に行った話でしょ?」
「旅行じゃないです。ファウスト様が出張で北の方の教会に訪問する時に、ネロを連れて行ったんです」
「出張からのしっぽりお楽しみ旅行じゃないか。バレて教会の中にもっと波紋が広がればいいのに」
「秘密は完璧でした。やる気の時のファウスト様のツッコミどころのなさは完璧です。『休みの前日に訪問したら遊び半分で来たと思われるかな?』と、就任してから五本の指に入るほど悩んでいらっしゃいました。すぐに帰らず宿をとって温泉に浸かるくらい、誰も咎めたりしないのに。可愛かったです」
「う……それは可愛いな。それで? どうせ温泉宿でしっぽりヤったんでしょ。やだやだ。北の男は北の方に行くと元気になっちゃうからなあ」
「礼拝が終わって、懇親会が終わって、宿に帰ったらネロが待っていたのだそうです」
「はあ」
「確かにネロは元気になっていて」
「やっぱりな」
「旅行が嬉しかったのか、晩酌用の料理を作りすぎてしまって、頑張って二人で食べたとおっしゃっていました」
部屋に帰るとネロがちょっと怒った様子だったので驚いたのだという。実際は怒っていたのではなく、照れ隠しだったことが後で分かったそうだ。
「頑張って二人で食べた。微笑ましい話じゃないか。それで?」
「ほろ酔いで温泉に入って寝たと」
「その寝た、は」
「睡眠、ですね」
「変なとことか触られなかったのかな」
「マッサージは上手かった、と」
「マッサージだって?」
フィガロの顔が急激に険しくなる。
「体が羽のように軽くなった、と」
「もともと羽みたいに軽いだろうが。くっ……やっぱりいやらしい男だ……」
「でもまあ、それはそういうことでしょうね。ネロもそろそろしたいでしょう。もう100年も付き合って、やっと一緒に朝を迎えられたのですから」
二人が付き合って100年ほどになる。毎週毎週デートや食事はしているが、これまでファウストが外泊したことはなかった。
「ファウスト様は華麗にスルーしてしまったようですが」
「ははは……あの子らしいよね。あいつの悔しそうな顔が目に浮かぶよ」
「フィガロ様、あまりに晴れやかなお顔です。でもまあ、マッサージなんて方便で、本当はしたのかも」
「してないよ! だって帰ってきたあの子の魔力はいつも通りだったもん!」
「……確認したんですか? わざわざ?」
「……え? うん。お前はしてないの?」
「……してませんね」
「逆になんで?」
「なんで、と言われても……」
「そういうところじゃないですか? みたいな顔をしないでくれる?」
「してません」
レノックスはフィガロに微笑みかけた。
「まあ、本当はいやらしいことだって体液が混ざらない程度にはしたのかもしれませんが……」
「AとかBとかってこと? よせったら」
「ABCなんて、もう若い子には伝わりませんよ」
「うるさいな」
「100年ですよ。100年間清いお付き合いをしてくれているんですから、ちょっとぐらいいいんじゃないですか。それにファウスト様の体は俺達のものじゃありません。ファウスト様が良ければいいんです」
レノックスが諭すと、フィガロは少し表情を緩めた。
「一気にいかがわしい話みたいになっちゃったね」
「最初からいかがわしい話です」
「まあファウストがいいならいいけどさ、ほんとは戸惑っていて、辛く感じているかもしれない。そんな時、助けてやれるのは俺達だけだよ」
「それはそうかもしれませんね」
「だろ?」
「俺には……きっと言ってくださると思います」
ファウストはレノックスを信頼しきっていて、デートに着ていく服、場所、持ち物のことから贈り物のことまで、なんでもかんでも相談した。そして、レノックスは主君のどんな些細な相談にも乗った。時には共に悩み、時には主君よりほんの少し経験値の多い者として、真剣に答えを考えた。長きに渡る丁寧で真摯なやり取りのおかげで、二人は主従関係以上の関係を築き上げた。
つまり、この、全てが筒抜けな関係である。
「くっ……あの子、俺の手を煩わせるわけにはいかないってすぐ言うもんな……純粋に悔しいよ」
「同年代従者の強みかもしれません。でも、ファウスト様のピンチの時はフィガロ様も呼びますから」
「頼んだよ」
レノックスはこくこくと頷きなら、先日一緒に釣りに行った時のネロの言葉を思い出していた。
『や~……エッチ? したいけどさ、ヤったらどうせ魔力の香りであんたらにバレるんだろ? そう思うと勃たねえんだよな……はあ、そりゃあそれなりにしたい気持ちはあるよ。もし絶対にバレないなら盛り上がると思うんだけど、フィガロサマやあんたの顔が浮かぶから、まだ……ちょっと……右手で十分かな、はい……』ネロは目を逸らしながらとてつもなく気まずそうな顔をしていた。可哀想に……。
フィガロとレノックスの体液が時たま混ざっていることにネロは気付いているだろう。レノックスは心底申し訳ない気持ちになった。
ちなみにレノックスとフィガロの体液の混じりを、フィガロはファウストに『魔力供給だよ♡』と言って誤魔化している。それに対してファウストは特に疑問を抱いていないらしい。自分たちはぐちゃどろにやることをやっている癖に指図するな、とファウストが言い出せば、レノックスは主君側につくつもりだったが、まだその日は訪れない。やはりファウスト様は純粋すぎるところがありますね。レノックスは『一生お守りしなければ』と改めて決意を固めた。
したがって、レノックスはこの話の結論が決まっていることを知っていたが、自分らを差し置いてネロに我慢してもらっているのが後ろめたいので、フィガロには伏せておいた。
「フィガロ様」
「なんだよ……」
「大好きですよ」
フィガロは相手の意図がよくわからないらしく、気まずそうにレノックスを見つめる。レノックスが袖を引いたので、渋々フィガロは椅子に腰掛けたレノックスの膝に乗り上げ、腕の中に収まった。
「ファウスト様もそれは同じです。最近フィガロ様と距離を感じて寂しいとおっしゃっていました。こんなことになるとは思わなかった、とも」
「ファウスト……」
「とても悲しそうでした。涙を堪えていらっしゃいました」
「ファウスト……!!」
レノックスは、フィガロの瞳を見つめて言った。
「あなたのそれは、北の本能だ」
「そうだね」
「それで色々なものを守ってきました」
「そうさ」
「けれど、ファウスト様にだけは盲目になりますね」
「お前もそうだろ」
「そうですね」
レノックスは頷いた。
「フィガロ様も仲直りにお出かけでもしたらどうですか? ファウスト様も喜びますよ」
「そうかな。あの子は筋金入りの引きこもりじゃないか。彼ピッピ以外はほとんど家と仕事の往復」
「以前は。最近はたまに俺ともふたりで出かけてますよ」
「……え?」
「時間も行くところも限られますが、ファウスト様は街ブラの楽しさに目覚められたらしくて」
「なにそれ。聞いてないぞ」
「遊んでいたらフィガロ様に怒られるかもしれないから内緒と言われていまして」
「お前、ずるいぞ。満面の笑みじゃないか……俺はそんなことで怒らないのに!」
フィガロは悔しそうに唇を噛んだ。
「ネロとの関係をファウスト様は悪いと思っていませんから、うまく切り分けられないんでしょう。ちなみに、この間は二人で食事をしました。角のレストラン、知ってますか?」
「最近できた、美味しいって噂の……? なんでお前と行くんだよ。それこそ恋人と行けばいいじゃないか」
「あんまり他のレストランで味を褒めるとネロが嫉妬するから気を使うんだそうです」
「……」
「嫉妬したネロは料理研究にものすごく没頭してしまうので、構ってもらえなくなるから寂しいんだとか」
「大司教様相手にそんなことを? あの男、やっぱり殺そう。今すぐ」
「美味しい、って嬉しそうに食事をする顔、可愛かったですよ」
「くっ……俺も行きたい。悔しい。ていうか、それ以外にはないの? 不和」
フィガロはいいことを思いついたと言わんばかりにレノックスに尋ねた。二人の間に発生している不和をつついて、破局させようと言うのだろう。レノックスは深くため息をついた。
「そういうところなんですよ。……そうですね。ファウスト様が信者さんと接している所や、演説をしているのを見ると、身を引いたほうが良いのかもしれないとたまに落ち込むそうです」
「え、待って?」
「何ですか?」
「ネロの話まで知ってるわけ?」
「釣り仲間なんですよ」
「おまえ……」
「それ以外は特に。一緒に住んでいるわけでもないので踏み込んだ不満が出るのはこれからなのでしょう」
「お前ってコミュ力があるのかないのかわからないよな」
「時間はかかりましたが誠実な対話を心がけるのか大事かと」
「……。じゃあ逆に、距離が遠いっていう不満はないわけ? 同棲したいのにできないから別れる、みたいな」
フィガロは「別れる」に力を込めて言った。
「ファウスト様は大司教としてのイメージもあるからまだいいと考えているみたいですし、ネロは別に住んでいる方が良いみたいです。まあ、ファウスト様は本音を言うと城を出て一緒に住んでみたいようですが」
「ほらやっぱり。ファウストのことを満足させられないじゃないか。一緒に住んだら嫌なところも見えちゃうし、飽きるんだろ。釣った魚に餌はやらない。北の男がやりそうなことだよ」
「餌というか、やっぱりファウスト様の立場があるから、自分が何かやらかさないか怖いみたいですね」
「やらかすような奴なのか?」
「そこは北の男なので。もしファウスト様に暴漢が襲い掛かったら一発や二発、反撃するでしょう。相手が無事で済む自信がないと」
「誰でもそうするだろ。でも、それを周囲がどう捉えるかはわからない……うーん。意外と思慮深いな。軽薄だと思ったのに」
「ネロは思慮深い男ですよ。北の生まれですけどね」
「耳が痛いよ」
フィガロはレノックスの胸板にゆったりと凭れた。
「ということはだよ」
「はい?」
「一緒に住んだり、一歩関係を進めれば破局する可能性が出てくるってこと?」
「フィガロ様?」
とても素敵なことを思いついたように、フィガロの沈んでいた表情がパッと明るくなった。
「そういうことになるよね? 今は上っ面だけの子どもみたいな付き合いしかしていなくて、結局お互いの醜いところが見えないわけだ」
「フィガロ様、もう少し言い方……」
「一緒に住んでみればって提案してみようかな。何か口実をつけて俺に一日一回会いに来させるようにすれば魔力の匂いもわかるしさ」
「…………」
「名案じゃない?」
レノックスは凍てついた非難の視線でフィガロを見た。
「本当、そういうところなんですよね……」
【踏み出す1歩も命懸け】
※レノフィがガッツリくっついてます。
※if世界線の為キャラ崩壊しています
・400年師匠と従者に甘やかされた、挫折知らずの甘えんぼファウスト
・400年レノと天命に甘やかされた、愛を知る豆腐メンタルフィガロ
・400年推し活に精を出して満たされた、失う恐怖を知らないレノックス
○月△ 日快晴
麗らかなこの佳き日、僕とネロとの関係は、大きな1歩を踏み出した。
遂にフィガロ様から、正式に交際のお許しをいただいたのだ。
例の門限破りの件があって以降も、フィガロ様はこれまでと変わらず、穏やかに暖かく愛を注いでくださった。
しかし時折、悲しいような、切ないような、複雑な表情で僕を見詰めるようになった。
そしてある日、意を決したように僕に尋ねた。
「彼で……ネロでいいの?」
フィガロ様と2人、昼下がりの穏やかなティータイムが僅かな緊張に遮られた。
僕はカップをソーサーに静かに戻して、フィガロ様を真っ直ぐに見つめて、迷わず答えた。
「ネロがいいんです」
するとフィガロ様はほんの一瞬驚いて、そして何か吹っ切れたように、迷いが晴れたように微笑んで僕に仰った。
「分かった。彼を、私の元へ連れて来なさい。」
まるで400年前に遡ったかのような、威厳のあるその姿に自然と背筋が伸びた。
今度こそ正式に反対されてしまったら、僕とネロに未来はない。
いっそ2人で駆け落ちでもしてしまおうか。
400年の全てをここへ置いて。
ネロは付いてきてくれるだろうか?彼に、そこまでの覚悟はあるのだろうか。
僕の不安や心配を他所に、フィガロ様へのお目通りは終始和やかに終わった。傍に控えるレノックスも優しい顔をしている。
「400年、大切に育ててきた可愛い子だ。どうか宜しくね」
そう仰った時、僕は思わずフィガロ様に飛び付いた。
「こら、お客様の前だよ」
そう窘められてもギュッと抱き着いて、フィガロ様に何度も感謝の言葉を述べた。
お気に入りのコンサバトリーにあまねく注ぐ春の光が、僕たちのこれからを祝福しているかのようだった。
あの日の出来事は、きっとずっと、忘れることはないだろう。
********************
フィガロから正式な許しを得たあの日。
あの日の恐怖は、きっとずっと、忘れられないだろう。
怖かった。めちゃくちゃ怖かった。
賊から足を洗うために対峙した魔獣よりだいぶ怖かった。
悠然とした態度、穏やかな口調と微笑み、優しい言葉。
その全てが俺に語り掛けていた。
「この子を泣かせたら、この子を傷付けたら、この子を蔑ろにするような事があれば、ましてや不幸にでもしてみろ。この世の全ての苦しみ、痛みをお前に与えてやろう」
そう言ってた。絶対言ってた。
傍に控える従者は呆れ返った顔をしていた。
この期に及んで圧を掛けるフィガロにか、それでもファウスト奪わんとする俺への呆れなのか。
魔王のようなフィガロの姿がファウストには一体どう見えていたのか、今にも「オー・ミオ・バッビーノ・カーロ!」とでも歌い出しそうな、乙女のような表情をしていた。可愛かった。
が、……本当に怖かった。
何とか許可を得た時は、全ての中央の客達に感謝した。彼らから学んだ「誠実・公正な中央の姿」は、きっと命拾いの一助となったに違いない。
しかし、育成期間400年は長ぇよ……
決して身内として迎えるつもりはない「お客様」に込められた皮肉は気付かなかった事にしておこう。
この圧迫面接の間中、庭の池に反射した日光が俺の顔面を燦々と照らしていた。
目が潰れるかと思うほどの眩しさは、俺たちの多難な未来を暗示しているかのようだった。
あの日からどれだけの年月が流れただろう。
この場所に店を開いた当初から通ってきていた幼い子供はあっという間に成人し、明日、遠い街へ嫁ぐ。
独身として過ごす最後の夜。ほんの餞に、少し豪華なデザートをサービスした。
「ネロさん、ありがとう。今度は主人を連れてくるわ」
晴れやかな笑顔を残して店を出ていったその背中に、感慨を覚える。
そして、ふと思った。
そろそろ俺達も、今度こそ、少しだけ駒を進めてもいいんじゃないか。
思い返せば最初に事を進めようとしたのは、あの娘の10歳の祝いの夜だった。
ファウストの顔中にキスの雨を降らせた。唇を避けて、ファウストからのおねだりを待って、そのまま口付けを深める作戦だった。が、ファウストは無邪気に微笑んでこう言った。
「ネロも、レノックスのような事をするんだな。」
俺の中の浅はかな欲望が、スン…と大人しくなって消えた。
こういう時に、親兄弟の顔は浮かべたくない。ましてやあの過保護な父兄の顔など。
というか、してるのかよ。顔中にキスを。唇は避けてるよな?怖くて聞けなかった。
今でも少し引き摺っているし、唇の件は問いただしたい。あの時はすっかり凍りついてしまって、完全に聞くタイミングを逃したが。
次は娘が17になった時。
前回の失敗は犯すまいと、ファウストの頬をチロリと舐めた。
すると今度は嬉しそうにこう言った。
「あぁ、クーリールみたいだ」
犬だった。あの従者が昔飼っていたらしい。
そのままクーリールの思い出話に突入し、到底そんな雰囲気では無くなった。
今度こそ、3度目の正直だ。人間の子供が嫁に行くまで待ったのだ。いくらなんでも良い頃合だ。こんなペースでは俺たちは1000年先もお手々を握って隣合って眠っているだろう。
……眠れているよな?1000年も経てば、流石に外泊ぐらい……いや、考えるのは止めよう。
とにかく今夜、これまでよりも少しだけ、深い口付けをしてみよう。
決戦の場はここだ。俺の部屋に鎮座する不似合いなソファ。
俺とファウストの関係を知ったアーサー王子から贈られた祝いの品で、東の国の貴族のお坊ちゃんに依頼したオーダーメイドの逸品だそうだ。
家具にこだわりはなかった。機能性重視の地味で安価な物ばかりで纏められた殺風景な部屋に突如登場した高級家具は、異彩を放って浮きまくっている。
やんごとなきご子息達は時折お忍びで一緒に食事に来てはキャッキャと楽しそうにしているが、この狭い店の2階にアレが相応しいと、本当に思ったのだろうか?
精巧な細工の施されたダークブラウンのフレームに、品のある深いブルーのベロアのソファは、今日も部屋に馴染むことなく大いなる違和感を放っていたが、ファウストの御眼鏡には十分適ったようだ。
夕飯後はソファにちょこんと腰をかけて、羊のぬいぐるみを抱きしめて過ごすのがお気に入りだ。
今夜もその心地良さに離れがたくなったのだろうか、使い魔の猫に何事かを言い含め、窓の外へと送り出した。きっと、フィガロの元へ向かうのだろう。
これは絶好のチャンスだ。
隣に座って羊を取り上げて、包み込むように両手を握る。
じっと見詰めて、驚かせないように持ちかけた。
「……ファウスト、今日はさ、もう一歩、先に進んでみねぇ?」
******************
フィガロ様の許しを得て、ひとつだけ変わった事がある。
少しだけ、門限が緩和されたのだ。
定められた時刻を過ぎる前にご報告すれば、多少の時間オーバーが許されるようになった。
ただし、いつも破ってばかりではいけない。限度は考えて。日付を越えないこと。外泊は不可。
今夜は何だか離れがたくて、久しぶりにフィガロ様に使い魔を向かわせた。
いまだに残るほんの少しの後ろめたさは、ネロとの甘やかな時間が霧散させてくれる。
僕が長居するつもりだと知ったネロの嬉しそうな顔とご褒美のキスは、いつも僕の心を簡単に陥落させた
今夜はこのままネロの隣で少し微睡むのもいいかもしれない。
レノックスに貰った羊のぬいぐるみはふかふかで、アーサーから贈られた質のいいソファは程よく沈み込む。つい、行儀悪くゴロンと横になってみたくなる。
そうしてお気に入りの時間を過ごしていると、改まった様子のネロが隣に座り、優しく手を握られた。
先に進む、とはどういうことだろう。
ネロの言う事は時々分からない。
でも、ネロがそう決めたなら、共に進もう。
迷いも恐れもない。ネロと一緒なら、どこへでも進んで行ける気がした。
「もちろん。君と一緒なら。」
僕が頷くと、ネロはホッとしたように微笑った。
「じゃ、目、閉じてて。」
きっとキスをしてくれるのだろう。
ネロとのキスは好きだ。フィガロ様やレノックスの祝福とも違う、ふわふわと不思議な気持ちになる。もっとずっとこうしていたいような、それでいて何か少し足りないような、ネロの愛に満たされて、ああ僕は幸せなのだと噛み締める瞬間。
暖かい手のひらが頬に伸びる。いつものように唇が触れ、そして……僕の口に、ネロの舌が押し込まれた。
いつもと違う展開に驚いて目を見開くと、バッチリと目が合った。
「大丈夫。俺に任せて、目ぇ閉じてて。」
鼻先を擦り合わせながら囁く声はいつも通り優しい。
言われるがままにギュッと目を閉じる。
すると再び、ネロの舌が僕の口に侵入してきた。
ネロは一体何をしているのだろう。
フィガロ様の数々の教えが、ぐるぐると脳裏を過ぎる。
魔力供給には、体液を使うと効果的だ。
これから危険な場所へ向かうのだろうか?
フィガロ様はいつも、ご自身の指先を少しだけ傷付けて、その雫を僕の唇に乗せていた。
他にも方法は様々あるが、こんな方法は教わらなかった。
混乱する僕を他所に、僕よりも厚いネロの舌が口内をまさぐる。
呼吸もままならない。息が苦しい。もう止めてくれ……ネロの肩をそっと押したが、聞き入れられる事はなかった。
僕の後頭部を固定するように片手で掴み、空いた手は腰を抱いて決して離してはくれない。
ちゅく、ちゅく、と聞いた事のない音が耳奥に響く。
ネロの魔力だろうか。背筋をゾクリと何かが掛けあがった。
口中をくまなく舐められて、時折舌先をキツく吸われると、頭がふわふわ、クラクラする。
こんなのは知らない。
舌先で上顎をザラリと撫でられると、ついに身体中の力までカクンと抜けて、ネロの胸元に力無く崩れ込んだ。
「ネ……」
「ファウスト、鼻で息して。いい子。出来る?」
ほんの少し唇が離れた隙に、その名前を呼ぼうとしたのに。 それすらも呑み込んで、ネロは再び僕の唇を塞いだ。
……鼻で息をする?どうやって?普段無意識に行う生命活動がこんなにも難しい。
ふるふると首を振って、魔力供給の中止を訴えると、頭を掴んでいた手が僕の顎に廻った。頬をぐっと押さえられて口が大きく開く。抵抗すら儘ならないまま、ネロの舌が更に奥へと侵入してきた。
苦しい。怖い。喉の奥を突かれると、えづきそうになった。
ふわりと意識が遠退く。これでは魔力供給の意味を成さない。
薄く目を開けて様子を伺うと、戦場を駆け回るレノックスのようなギラついた目付きをしたネロと目が合った。
「……可愛い」
そう囁く声は狂気を孕んでいる。そのただならぬ様子に背筋が凍った。
これはネロじゃない。ネロはいつだって、僕の言葉を、僕の行動を、余さず掬いあげてくれた。
僕の魔力が合わず、精神に干渉してしまったのだろうか。
どうにかしなければ。魔力供給に失敗した時は?フィガロ様は何と教えてくださった?
非常事態にこそ、冷静に。心を落ち着けて。幾度も叩き込まれたフィガロ様の教え。間違えた事などなかったのに……真っ白になった頭が、こんな時に限ってフィガロ様の教えを遮った。
そして、そんなつもりは無かったのに、僕の唇は勝手にこう紡いだ。
「ふ……ふぃ、、フィガロさま……!」
***********************
「……ファウスト、今日はさ、もう一歩、先に進んでみねぇ?」
俺の提案に二つ返事で頷いたファウストの、信頼に満ちた眼差しが擽ったい。
いつもの様に優しく口付けて、舌先で唇を割り開く。そのままそっと滑り込ませると、ファウストは目を白黒させて体を硬直させた。
これが仮にも四百有余年を生きた男の反応だろうか。一体どんな育て方をされたんだ……いや、想像は付く。寧ろ想定内と言えるだろう。
驚かせるのは本意ではないが、いつまでも初心な赤子のままで居られては困る。
ここは少し強引に推し進める事にして、ファウストの咥内をじっくりと味わった。
狭い。舌が薄くて小さい。そして柔らかい。こんな場所まで俺の好みのど真ん中に造られていた事実に、感動すら覚えた。
これが神の創造物でなければ、一体なんだというんだ。神はいたのだ。俺はこれまでの長きにわたる無信心を恥じた。
きつく目を閉じて胸元に縋って、ふるふると肩を震わせながら必死に耐える姿が哀れで愛おしい。
鼻で息をする事も知らずに喘ぐ初心な姿に、嗜虐心を煽られる。
柄にもなく我を忘れて、愛する恋人の唇を貪り尽くした。
ああ、このまま最後までいただいてしまおうか。
……天網恢恢疎にして漏らさず。
そんな邪な思いが脳裏を過ぎったその時、正しく天罰が下った。
「フィガロさま!」
ファウストの唇が確かにそう動いた。
次の瞬間、莫大な魔力の爆発と共に、フィガロが姿を現した。
可愛い小熊は、その可愛い唇で、恐怖の魔せ王たる親熊を呼び寄せたのだ。
********************
「ああ、どうしたのファウスト。こんなに怯えて可哀想に」
空色の男など存在しないかのように視界にすら入れず愛弟子の傍に片膝を付くと、フィガロは慈しむような眼差しでファウストの髪を優しく撫でた。
ネロは油の切れたからくり人形のようなぎこちない動きで、ファウストからギシギシと体を離す。
「あの……いえ、これは……違……フィガロ様、僕は…」
フィガロの名を口に乗せたのは、全くの無意識だったのだろう。
突然姿を現した師を前に、しどろもどろに言い訳の弁を紡ごうとする。
「大丈夫。フィガロ様が来たからね。もう何も怖くない。さ、城へ帰ろう」
その言葉にハッと我に帰ったファウストは、慌てて事情を告げる。
「違うのですフィガロ様。申し訳ありません。魔力供給に失敗してしまいました。ネロの様子がおかしいのです。」
あの時いくら考えても出てこなかった対応策は、今になってスラスラと溢れ出す。
いつもの冷静さを取り戻したファウストは、自らが招いたとんでもない状況を彼なりに理解した。
魔力供給に失敗した挙句、パニックを起こして、あろう事か偉大な師を一方的に呼び付けてしまった。
戦時中ですら、こんな失態を犯した事は無い。
「ハ?魔力供給?」
間の抜けた声にファウストが振り向くと、そこにはいつものネロがいた。
良かった。正気に戻ったのだ。先程の記憶が無いのだろうか。
ネロの無事を確かめようと動いたその時、急激に部屋の気温が下がり始めた。
フィガロの視線が初めてネロに向けられる。
凍てつく様な、刺し殺さんばかりの視線が。
テーブルの水差しが凍りつき、薄いガラスがピキピキと音を立ててひび割れた。
フィガロの怒りが、部屋を満たした。
ネロにだけ向けられた、明確な殺意。
ファウストは咄嗟にネロを背に庇った。
強大な魔力を有する、北の大魔法使いフィガロ。
その膨大な殺意が、たった一人の人物へ向けられる。
ファウストは初めて、フィガロを恐ろしいと思った。
他でもない大切な人が、今は薄氷の上に立っている。
何か1つ言動を間違えれば、彼の命はついと消えるだろう。
「フィガロ様、申し訳ございません。決してお呼び立てするつもりではありませんでした。フィガロ様にこのような失態をお見せしてしまったのは僕の落ち度です。どうかお怒りは僕に……」
「ファウストは黙っていなさい」
ピシャリと言い放たれると、返す言葉を失う。
どうしよう。何を間違えた?フィガロ様は何故ネロにお怒りでいらっしゃる?こんなにもお怒りのフィガロ様は初めてだ。一体どうすれば……
その時だった。もう1つのよく見知った魔力が、猛スピードで近付いてきた。
フィガロは心底忌々しいといった様子でドアの方を睨み付ける。次の瞬間、鉄の扉がいとも容易く吹っ飛んだ。
そこにはファウストの従者であるレノックスが立っていた。無遠慮に上がり込むと、ズンズンと一直線にフィガロの元へ向かう。
その表情からは、何の感情も読み取れない。
「フィガロ様」
そう呼び掛ける声はどこか優しい。
「何をしにきたの。邪魔をするならお前も……」
フィガロが言い終わるのも聞かず、レノックスはフィガロの顎を掴んだ。そしてファウストに背を向けると、噛み付くように口付けた。
驚いたフィガロは、咄嗟に突き飛ばそうと魔力を発動させる。その動きを読んでいたかのようにあっさりといなすと、今度はフィガロの体をきつく抱きすくめた。
「貴方をお迎えに上がりました。……帰りましょう、フィガロ様」
レノックスが穏やかな声でそう呟くと、水を掛けられた綿菓子のように、殺気と魔力がシュンシュンと萎んでいった。
部屋の温度も徐々に適温に戻る。
「でも、レノ、ファウストが……」
「大丈夫です、フィガロ様。……少なくとも、今夜の所は」
レノックスの深紅の瞳が、横目でネロを捉える。今の言葉は、フィガロに向けられているようで、そうではない。
止めておこう、今夜の所は。
怒涛の展開に置いてけぼりにされたネロの心は、すっかりとへし折れてしまった。
目の前にはネロを庇ったままの姿勢で、石像のように固まったファウストが徐々に意識を取り戻していた。
きっと、両親のあられもない姿を見たのは初めてなのだろう。
少し刺激が強すぎたか。
「ネロ、ファウスト様を頼む。」
フィガロの腰を抱き寄せてそう告げる優秀な従者の声音には、存分に他意が含まれていた。
一見するとマトモな良識を持っているように見えたレノックスも、やはりファウストを純粋培養で育てた戦犯の1人なのだ。
「生意気な小僧が。1000年早い。」
最後にそう吐き捨てて去っていくフィガロの後ろ姿に、ついぞ言い出せなかった。
ドア、直して帰ってくんねぇかな。
今夜はキス所ではない。
1000年先も俺たちは、お手々を繋いで隣に寝ていられれば充分なのかもしれない。
********************
《サティルクナート・ムルクリード》
ファウストはいとも簡単に、ねじ曲がった鉄扉を元通りにしてみせた。
思わぬ騒動になった事を気に病んでいるのか、表情は硬く沈み込んでいる。
「迷惑をかけて済まなかった。今夜は失礼するよ」
その声があまりに弱々しく悲しげで、思わず引き止めた。
「待って。何かあったかいもん入れるからさ。飲んでいかない?」
暫くの逡巡はあったが、大人しくソファに腰掛けた。羊を抱きしてめ膝を抱える姿が、なんとも哀れで愛おしい。
何が何でも拒絶の姿勢ではないことに少しホッとする。
「ごめん。無理させて悪かった。怖かっただろ?」
いつもより甘めに作ったホットチョコレートをファウストお気に入りの猫のマグカップに注いで、猫型のマシュマロを乗せて手渡すと、僅かに表情が緩んだ。
「君は悪くないよ。僕が上手に受け取れなかったのが原因だろう?」
「……その事なんだけどさ。」
そう言い掛けて、口ごもった。ファウストが、今にも泣き出しそうに顔を歪めたからだ。目尻にはうっすらと、涙が滲んでいた。
「ファウスト?どうした?そんなに怖かった?ごめんな。」
大切な人に恐怖を与えてしまった時には何と言って詫びればいいのか。600年生きていても、経験のない事だった。
オロオロと様子を伺う。隣に座ってもいいだろうか。いや、余計に怖がらせてしまうかもしれない…でも、あぁ…どうすりゃいいんだ。
暫し悩んで、正面に両膝を付いてファウストよりも視線を下げ、そっと見上げて反応を待つ。
「……違うんだ。違う。君は悪くないよ。」
更に何かを言い掛けて、悲痛な表情でぐっと唇を噛んだ。
続く言葉を根気よく待つ。すると、恐る恐る唇を開いた。
「………ネロは、本当に僕でいいの?」
そう言った声は弱々しく震えていた。
俯いて、マグカップをゆらゆらと揺らす。
何かで気まずくなって、言葉に詰まった時の癖だった。
いいに決まってる。何を気にしている?キスが上手くいかなかったこと?最悪のタイミングで親熊を召喚しちまったこと?魔力供給がどうしたって?
どこから聞けばいいのか。どこから話せばこの行き違いを正せるだろう。
「きっと、僕と君は相性が良くないんだ」
「………ハ?」
「魔力供給をされたのに、力が湧くどころか、僕もネロもおかしくなってしまっただろう?」
「おか……あー、うん……」
この無垢な子供にどう説明するべきか、困惑を曖昧な相槌で誤魔化した。
「今回はフィガロ様の魔力と混ざった訳でもない。きっと、魔力の相性が悪いのだろう。」
おっと、雲行きが怪しくなってきた。
「魔法使い同士でこれは致命的な事だ。本当に、僕でいいの?君にはきっと、もっと相応しい相手がいるのに。」
無知は罪なりとはこういう事だろうか。
あまりにも無知で無垢な姿が、直視できないほどに眩しい。
しかし残念ながら俺は、あの親熊と対峙した直後に「恋人とのキスが気持ちよくて、2人でちょっぴりえっちな気分になっちゃっただけだよ」なんて説明出来るほど図太い神経は持ち合わせていない。
前途多難。俺たちは、1000年先も互いの唇を小鳥のように啄んでいるかもしれない。
なんだかもう、それでもいい気がしてきた。
兎に角今は、可愛い恋人の憂いを晴らすことに全力を注ごう。
********************
一度は大人しく帰城したフィガロ様は、帰るなり怒りを再燃させた。
「やっぱりファウストを連れて帰れば良かった」
俺の部屋までついて来て騒ぎ立てるフィガロ様を落ち着けるべく、温かいラベンダーティーの入ったマグを握らせてベッドに座らせ、隣に腰掛ける。
「落ち着いて下さい、フィガロ様」
「あんなの野蛮だよ。何も知らないあの子に、いきなりあんな……」
哀れに怯える愛し子の姿が余程ショックだったのか、言っている事が滅茶苦茶だ。
「……俺も、野蛮ですか?」
からかい半分に問い掛けた言葉は見事にスルーされた。
「まだあの子は400歳なのに!」
俺も大概ファウスト様を甘やかした自覚があるが、流石に400歳は「まだ」と言える年齢ではない。
「……申し上げにくいのですがフィガロ様、実は俺も400歳です。」
「知ってるよそんな事!!」
場を和ませる軽口のつもりだったが、ちょっと食い気味にキレられてしまった。
やはり俺はジョークが下手らしい。
「そうですか。それはすみません……」
これはもう、今は何を言っても無駄だろう。ここは聞き役に徹して、怒り疲れた頃にうまく寝かし付ける事にしよう。
「俺はもっと褒められてもいいんじゃないの?」
「………はい?」
この流れのどこに、褒める要素があったのだろうか。
「ネロを殺さなかった。」
どうだ、と言わんばかりに得意げだが、弟子の恋人を簡単に殺してしまう倫理観は、中央には相応しくない。
「あそこでネロを殺してしまっては、流石のファウスト様も許してくださらないと思いますが……」
打っても響かない俺の反応に、フィガロ様は更に苛立ちを滲ませた。本当に、困ったお方だ。
「ネロを殺して、ファウストの記憶を弄って連れ帰る事だって出来たのにしなかった!」
まるで子供の癇癪のようだ。
ここは、取り敢えず話を合わせておくのが賢明だろう。
「偉かったですね、フィガロ様。」
しかし誠意のない賞賛は、フィガロ様の神経を逆撫でしてしまったらしい。
「全然心がこもってない!」
と、すっかり不貞腐れてしまわれた。
「貴方は、そのような事は決してなさいませんよ。ですが、よく、我慢なさいましたね。」
そっぽを向いてしまった背中からぎゅっと抱き締めて、優しく言い聞かせる。
「俺は、いつでも貴方の味方です。」
ふと、フィガロ様の肩の力が抜けた。どうやら、上手く宥める事が出来たらしい。
「……嘘だ。お前はファウストの味方だろう」
まだ拗ねているフリをなさっているのは、フィガロ様なりの甘えだろう。
「はい。俺はファウスト様の味方です。ですから、貴方の味方です。」
ファウスト様の名前が出ただけで、少しずつ、フィガロ様の心が凪いでいくのが分かる。
「ファウストを手放すなんて、考えた事がなかったんだ。」
その声は、迷子の子供のような不安と寂しさに満ちていた。
「フィガロ様、ファウスト様は、貴方の手を放した訳ではありません。」
お腹のあたりをトントンと軽く叩いて慰める。
「俺だけのファウストじゃなくなる事がこんなに辛いなら、天命なんて……」
「出会わない方が良かった、ですか?」
また、心にもないことを。そう言い掛けた時、こちらを振り向いて、キッと俺を睨んだ。
「そんな訳ないだろう!そんな訳ない。ファウストと出会えない人生なんて、ファウストが傍に居ない400年なんて、何の意味もない!」
ああ、なんと一途で愛らしいお方だろうか。
「そうですね。それは同意ですが、俺にとっては貴方も同じです。これからも、俺と共に居てくださいますか?」
両手でフィガロ様の頬を包んでそう言うと、顔をくしゃっと歪めて俺にしがみついてきた。
こういう仕草は、ファウスト様とそっくりだ。
「俺にはもう、お前しか居ないじゃないか。」
背中を撫でさすってあやしながら、再度言い聞かせる。
「ファウスト様も、いらっしゃいますよ。あの方は、貴方の手を放したりはなさいません。」
「……分かってる。分かってるよ。何があろうと、あの子は俺の唯一の弟子だ。可愛い我が子を、簡単に手放すものか。」
俺の肩に頬を乗せて、いかにも北の魔法使いらしい言葉を自身に言い聞かせるように呟くと、その顔に笑みが戻った。
「さ、そろそろあの子が帰ってくる頃だ。あの子の生まれ年のワインを開けよう。ネロの話を、たっぷり聞かせてもらわないと。」
すっかりご機嫌が治ったフィガロ様は、ベネットの希少な1本をワインクーラーから魔法で取り出した。
「あまり、虐めないでさしあげてくださいね」
「分かってるさ。でも我が子の恋バナを聞く権利ぐらいあるだろう?」
「悋気を起こされませんように……」
不穏な話題に、つい煩く口出してしまった。
「俺は嫉妬なんて醜い真似はしないよ。」
当然とばかりに言い放たれた言葉に、思わず笑ってしまう。
「どの口がおっしゃいますか。」
とびきりのワインによく合う軽食を、ネロに頼んで持たせてもらおうか。
早くファウスト様のお顔が見たい。
毎日お会いしているのに、それでも思慕は尽きる事がない。
明日からも続くであろう平穏な日々が、ひどく眩しいものに思えた。
@sio5911 しおさんからの寄稿でした!
ありがとうございました。
【かたくなっちゃった】
「服、脱いで?」
「ああ」
ベッドの上に腰掛けたファウストはゆったりとした動きでシャツを脱ぎ、その下の肌着も脱いだ。躊躇わずにルームウェアのボトムもするりと脱ぎ、しなやかな脚を部屋のライトのひかりの下に晒す。そして、緩慢な動きで、バスタオルを敷いたベッドの上にうつ伏せに横になった。そのさなか、一瞬俺の方をちらりと見たが、その視線には恥じらいと期待がありありと浮かんでいて、こちらも緊張してしまう。
(今日はどうしてやろうかな)
手のひらで温めた、瓶に入った油をちゃぷんと揺らしてみる。
「ネロ? 今日は……その、優しくしてくれよ。この間は少し痛かった。……少しだけだが」
「わかってるよ。無理させちまって悪かったな」
「無理はしてない。僕だって立派な大人だ。だが、僕に悪い所があるなら……」
「ごめんごめん、今日はあんなことはしないから安心して」
俺が穏やかに返すとファウストは眉尻を困ったように下げながらも、ほっとした様子だった。前回は可哀想なことをした。ベッドの上で、ファウストをいじめて、ぎりぎり涙が溢れない程度のところまで追い詰めてしまった。
「いいから、あんたは気持ちよくなってな。今日はとびきり優しくするからさ」
「ネロ…………ありがとう。いつもすまないな」
最後にファウストは蕩けそうに甘い声を出して、促すように俺のシャツの裾を引いた。
「んっ……♡」
油を纏わせた手で、ファウストの薄い肌を何度もなぞる。伸ばされた油がくちゅくちゅと音を立てた。
「は、ネロ……そこ……」
「ん、ここがいいんだな。……硬くなってる。たくさんすんね」
「あ……ネロ……すごくいいよ……もっと……ん……♡」
ファウストは俺に体重をかけられながら、鼻に抜ける甘い喘ぎをこぼし、快感に身を沈めている。
「痛くねえか?」
「もちろん……もう少し激しくしてくれてもいい……ぞ……♡」
「やらねえけどさ、ここ、もうちょっとやらせて」
「ああ、構わない……っ♡ あ、んん、そこ、もっと……♡」
「じゃあここは? くすぐったくないか?」
「……♡ ん、きもち、いいよ……♡ ……っもっと……っ! あ……っ……して……♡」
俺は甘い時間を堪能していた。膝の間には半裸のファウストが横になっている。俺の手で柔らかくほぐされ、仄かに頬さえ染めている。
聡い皆さんはもうお気づきだろう。
俺はファウストにマッサージをしているだけである。
こんなことを始めたのはもう何十年も前だろうか。
俺は恋人のファウストのことが好きだ。旺盛とはとても言えないながら、それなりに性欲だってある。そうなれば、ことに及ぶしかない。甘くて熱くてとろけるような時間を二人で過ごすのはたまらなく魅力的だし、恋人どうしなので変なことではない。……はずだった。
だが、ファウストには恐ろしい保護者がついていた。優しそうに見えてストロングスタイルのあいつと、ストロングスタイルに見えて優しいがやたらにこちらを探ってくるあいつである。さらに言うと、俺の存在にはまだ気付いていないが、何かあったら俺を血祭りにあげるのも辞さない信者の皆様も後ろにひかえていて油断できない。体液が混ざり合うような触れ合いは、魔力が匂って保護者一同にすぐにバレてしまう。父兄の二人など一緒に暮らしているので絶対即バレる。行為をしたと知られるなんて恥ずかしいし、あの過保護な保護者達に殺されるのではないか、という恐怖が湧いてくると、俺はどうしても触れ合うキス以上のエロい行為に及ぶことができなかった。
そして、ファウストはファウストで、性欲があまりないようだった。『どうする?』とお互いの意思を確認することもなくここまできてしまったが、何も言ってこないところを見ると、本当に特に困っていないのだろう。
でも俺はそれなりにムラムラしている。ファウストのような素敵な人を目の前にして、しゃぶりつかずにいられないわけがない。だが俺もそれなりに自分の命が可愛い。エロい行為はいつか出来たらいい。今共に過ごす時間をゆったり楽しむことにした。
そんな折、ファウストが、事務仕事が多くて肩が凝ると言い出した。そうだ、マッサージをしてあげよう。めっちゃいい考えじゃん。体には触れるが、えっちなことじゃないから問題ない。むしろ一種の治療である。最初は服の上から肩まわりを揉んでいるだけだったのだが、俺は凝り性であり、かつ奉仕するのが大好きである。本を読んだり、マッサージ店でプロの施術を受けたり、独学で人の体やマッサージについて勉強した。そして、保湿もできるし、気持ちいいからと説得してオイルマッサージにもちこんだらこちらのものである。しかも、ファウストはめちゃくちゃ快感に弱かった。マッサージをしてやると意味がわからないくらい喘いだ。それとなく確認したところ、ちんちんは硬くなっていないのでただただマッサージがものすごく気持ちいいのだろう。合法的にファウストの肌に直接触れられるし、喘ぎ声らしきものまで聞けるとなれば俺が夢中になるのも無理はないと思う。いや合法的って何だよ。別にセックスだって合法なんだが。
まあそんなことはどうでもいい。そんなわけで俺は毎週毎週ファウストに会うたびにマッサージを施している。ちなみに先週は足つぼマッサージをやりすぎて嫌がられてしまった。足の裏には臓器に対応したツボがあるらしく、ツボを押さえて痛ければ、該当の臓器の調子が悪いとのことだ。ファウストは肝臓のツボをものすごく痛がった。酒の飲みすぎだろうと言うと、むくれた顔がまた可愛く、それ以来量を減らしているらしいのも可愛い。
だから、つまり、別にいやらしいことなんて何もしていないのである。ファウストがどれだけ喘ごうと、俺のちんちんがどれだけ元気になろうと。ちょっと本格的にオイルなど使って半裸でマッサージをしているだけで、全く全然これっぽっちもいやらしいことはしていないのだ。文句あるかよ。
ちなみに、たまにマッサージしている時にファウストは眠ってしまう。実はそんな時、そっと下着をめくって尻肉のふにふにした感触を指で楽しんだり、本人には言えないような場所にキスしたりして楽しんでいる。寝ている間にというのはどうなのだろうかと自分で思わないこともないが、それくらいは許して欲しい。というか、今俺が生きているということはファウストの怖い師匠にバレていないということだ。つまり……またこれも合法である。
「そろそろ交代しようか?」
しかも、マッサージには特大ボーナスがある。
「ああ」
ファウストからも奉仕を受けられるのである。
「あ~……きもちい…………」
最高。最の高。最&高。ファウストも手先は器用だし、奉仕の精神があるから上手い。ファウストの細く薄いがしっかり骨張った手が俺の背中を滑り、慈しんだ。
「きみ、背中が凝っているな」
ファウストが眉をひそめた気配があった。
「ん、そうかも……」
「無理はしてはいけないよ」
「あ、ハイ……♡」
優しく、念入りに揉んでくれる。やばい。俺も思わず語尾に♡がついてしまった。肉体労働の俺を労ってくれているのがわかって、どうしようもなく心も満たされるのだから仕方がない。
触り合い抜き合いのほうがその瞬間の熱は高まるし気持ちいいのかもしれないが、こんなほのぼのしたいちゃいちゃも悪くない。ファウストも嫌がっていないし、かなり癪だが関係者一同の皆さんにも角が立たない。俺のメンタル的にも安心この上ない。今はまだそういう方が良い。
幸せだな……悪くねえな……と俺が浸っていると、急に足の裏に鋭い痛みが走った。
「いたたたたたた?!」
「仕返し。君もどこか悪いんだろう」
「ちょ、やめ……!!」
いつのまにかファウストは俺の足元に移動していて、意地悪そうな顔で足裏を揉んでいた。意地悪そうな顔もそそるんだよな……なんだか被虐心がそそられる。そんな馬鹿なことを考えていると、ふたたび足裏のツボをぐいぐい押される。
「いたたたたたたた」
本当に痛くて、涙目になってしまった。俺も肝臓なのかな。わかんねえけど。転がって逃れようとするがファウストは足首をガッチリ掴んでいて、離してくれない。
「ひゃひゃひゃひゃひゃ」
そこはくすぐったい。
「いたたたたたたたたた」
そこは痛い。あれ? 腎臓もだったりする?
ごろんごろんと左右に転がってベッドから転がり落ちれば、さすがにファウストの手が離れた。床にぶつかった尻なんかよりも、足裏がまだ鋭く痛む。
「え? 大丈夫か? きみ……」
ファウストがこちらを覗き込んでくるが、気まずそうである。
「いや、大丈夫だよ。俺も酒、控えたほうがいいかな」
行儀悪いと思いつつも、あぐらで床に座る。太ももが床材に触れて冷たかった。
「酒っていうか、それ」
「それ?」
「ああ……」
ファウストはいまだに気まずそうだ。
「そ、れ……!」
苛立ったようにスッと指で指し示した先には、下着越しにも明らかに猛りに猛った俺のナニがあった。
「その……いつもこうなっていたのか?」
「や、いつもってわけじゃねえけど……」
こうなった時は気付かれないように部屋着を着て、勝手に収まるのを待っていたのだが、今日はイレギュラーである。
「すまなかったな……き、気付いてやれなくて……」
ベッドに腰掛けた俺の足元にファウストは跪坐になり、向かい合っていた。
「ちんちんに向かって喋らないでくれる?」
「ぼ、僕が……こうなった責任を……と、取る……」
ファウストは生唾を飲み込み、決意を固めた様子だ。
「いや、いいって。あとほんと話しかけるのやめて」
ファウストは真剣に俺の恥部に向かって話しかけていた。恥ずかしすぎる。恥ずかしさや居た堪れなさで萎えて欲しいところだが、残念ながら俺は恥ずかしいのも気持ちがいいので、さらにギンギンになっただけだった。
「くそ……」
このまま触れられるとやばい。俺の命が。何十年も溜めた性欲を舐めないで欲しい。いやファウストに舐められるのはやぶさかではないが、多分ほんの少し触れられただけで暴発してしまう。普通ならそこで落ち着くのかもしれないが、なにせおあずけの期間が長い。全然収まることが出来ず、ダメだとわかっているのに興奮で理性も知性もゼロになり押し倒して最後まで抱いてしまうのが見えている。そうなると手を出したことが遅かれ早かれバレて、連鎖的に俺の命が失われる。
ジ・エンド。それはいけない。
俺はファウストを抱えるようにして、一緒にゴロンとベッドの上に転がった。一瞬で離れて、横並びにベッドの上で仰向けに寝転ぶ。大丈夫。落ち着く。俺は落ち着くことができる。
「今日はそういうつもりじゃないからいいんだよ。ていうか、ファウストはこんな風になったりしねえの?」
「僕?」
天井を見つめながら、かねてからの疑問をぶつけてみることにした。今勢いのまま押し倒したくない理由もそこで、きちんとファウストの気持ちを聞いておきたい。
「僕は……あんまり……」
ファウストが言いにくそうに言葉を紡いだ。まあ俺との触れ合いでむらむらしないなら仕方がない。なんとなく予想していたことだ。
「でも自分で抜くくらいはあるだろ?」
「それもないな……」
ない? え、なんて?
「え、しないって言った?」
「しないけど」
俺なんてこの年になってもまあまあなペースで抜いているというのに。ファウストは落ち着いていてすごい。でも、しないって、そんなことある?
「魔法で散らしてるんだ」
「そんなことできんの!?」
「やればできる。というか、多分僕の欲が薄いからできることなんだろう。あまり体液をばら撒くのはいいことではないと教わったから、そうしたほうが良いかと思って、いつもそうだよ」
「俺も教わったけど……」
徹底しすぎじゃね?
「ていうか時間の無駄じゃないか? 何も産まない。手を動かすのもめんどくさいし」
「本気で言ってる?」
俺はファウストが大司教だと聞いた時よりよっぽど驚いていた。マジで? そんなこと、考えたこともなかった。
「ああ。……いや、普通の人がもっと頻繁に射精しているのは知っているから安心してくれ」
ファウストは顔をこちらに向けて頼もしい表情をしたが、俺は全然安心できなかった。ちょっと理解できない領域の話になってきている。
「それに、君との触れ合いは好きだよ」
そう言いながら、ファウストはぎゅっと俺に抱きついてきた。
「やばいやばいやばい本当やめて」
「元気だな」
ファウストの柔らかい下腹にいまだにそそり立つ俺が当たった。まだ波は引いてくれない。ちんちん痛い。助けて。
「君も同じかと思っていたけど違ったんだな」
ファウストは遠くを見つめながら独りごちた。
自分が『普通の人』と違うことは知りながらも、俺が自分と同じだと思って安心してくれていたとすれば、俺の勃起は裏切りなのではないかという気さえしてくる。ファウストの言葉になんと返せはよいか俺はわからなかった。どうしても、それには寄り添ってやれないからだ。
「わ、悪いな……」
「いいや。最近は君に触れられるとちょっと気持ちいいよ。触れられていて、思わず魔法で散らしてしまう時がある」
「そうなんだ。言ってくれりゃいいのに」
「言えないよ。君を驚かせたらどうしようかと思っていた」
ファウストは苦笑いした。俺も苦笑いした。恋人になってから、それ以外のことで数限りなく驚いてきたんだが。
「じゃあ次は言ってくれよ」
「うん……」
ファウストは頬を赤く染めて頷いた。う、可愛い。もう驚きとか困惑とか全部忘れた。大好き。
「じゃあそろそろ離れてくれる?」
「いやだ」
そして、まだファウストの下腹は俺に当たっていた。
「爆発しそうなんだって」
「ちんちんが?」
ファウストの口からそんな言葉が出るとは。やめてくれ。一気に自分の頬が赤くなるのを感じた。
「そうだよ!」
「したらいいだろ」
よくねえよ。よくねえんだって。俺はまだ死にたくないんだよ。ファウストはその辺の因果も全くわかっていないのだと思う。体の中にそれを突っ込んで射精するのだとか、魔力でバレるとか、そういうことを1から説明するのは心底恥ずかしいし、ファウストの理解度を鑑みると夜が明けてしまいそうだ。くそ……仕方ない。俺はファウストの股間をすっと撫でた。
「ひゃっ」
するすると手のひらで下着の上からソフトに撫でただけで、驚きの声が上がった。
「逆に俺があんたのを触ってやるよ」
「あ、ちょっと……」
小動物を可愛がるように、指先で小刻みに擦る。少し芯を持ち始めたので、長めのストロークで撫でてやった。
「……」
ファウストは眉根を寄せて、困惑した表情のままだ。もう少し。もう少し可愛がってやろう。慈しむようになでなでと何度かさすった。
「…………」
気付くとファウストは顔を顰めてすごく居心地悪そうにしていて、俺は慌てて手を離した。意地悪しすぎたかもしれない。ファウストの話でいけば、触れれば反応くらいはするのだろうが、気持ちよくはないのだろう。
「な、したくないことをしようって誘われるのは嫌だろ? だから俺も同じだよ」
そういうとファウストは黙った。よしよし。わかってくれたよな。言ってて悲しいが。
「……嫌じゃなかった」
ファウストは茫然としたように小声でつぶやいた。強がりだろうか?
「俺の前でまで聖人やらなくていいんだぜ。中央の奴ってそういうとこあるからな。俺にくらいは、嫌なことは嫌だって、心に正直に言いなって」
俺が優しく諭すと、ファウストは不安げに視線を揺らした。ほらな。
「違う……多分……でも、わからない」
「……」
「嫌じゃない。不思議な感じだ……昔、君にされたキスみたいに……」
あ、覚えててくれた? 嬉しい。もうそんなこと忘れたかと思ってたぜ。
「何なのか確かめたいんだ、その……」
ファウストは俺の手首を掴み、自らの股間に押し当てた。
「ここ、もっと触って……」
マッサージのせいでおねだりが上手くなりやがって。
「っ……! マジで今日は勘弁して!! 心の準備できてねえし!! 俺、まだ死にたくない!!」
俺はほとんど怒鳴りながらその場で土下座した。ほんとごめんなさい。もう許してください。いくらだらしない俺でも眠っている時にそんなところを触ったことはないです。合意の上で触ってしまったら、もう止まれる気がしないんです。
俺が涙目で頼み込むと、ファウストは不思議そうな顔をした。
「話が急だったということか? じゃあ、また今度してくれる?」
「今度、まあ今度な」
「……今度っていつ? 次会ったとき?」
うう、と重たいなにかに押し潰されたみたいに勝手に口から嗚咽が漏れた。そんな俺をよそに、ファウストは瞳を輝かせて、興味津々、勇気りんりん、知りたくてたまらないという好奇心でいっぱいの顔をしている。くそ、こうなるとは思わなかった。これまでマッサージで性欲を発散していたのに、一気にガチの誘惑をかわす日々が始まってしまうとは。辛い。辛すぎる。これじゃ良くなっているのか悪くなっているのかわからない。
「まあ、君が嫌みたいだからやめておこう。今夜の所は?」
いつかどこかで耳にしたフレーズが、再び俺を苦しめる。
だけど、ファウストに求められるって結構いいな。俺がおあずけをしてる側なわけだし。なんかちょっと機嫌良くなっちまう。
それに思い至ると勝手に顔が笑ってしまう。俺は指を鳴らして魔法でお互いに服を着せると、ファウストを抱きしめた。ああ、やっぱ今はまだこれくらいがいい。可愛くて、柔らかくて、ふわふわしたものも俺は心底好きだ。
いけね、そろそろ帰さなきゃ。門限だ。
【宗教の描写について】
(興味の無い方は読まなくて大丈夫です)
読めばわかると思いますが、私はあまり宗教に詳しくありません。
どうしてもこの本の話が書きたかったのですが
・カトリックの大司教という階級を使いたい
・しかしカトリックの神父は結婚できない
・プロテスタントの牧師なら結婚OK
・プロテスタントには位階制度は無い
などなど、詳しい方に固有名詞の意味他を教えてもらって、固有名詞の意味を変えて使うのはあまりよくないなと思い、でもうまくこう…なんとかできないもんかなと思ったのですが無理でした。
なのでそれぞれの宗教に詳しい方には片腹痛いと思うのですが
キリスト教、仏教、神道などを知っている範囲でチャンポンして書く感じにしました。原作で中央の国の宗教が詳しく書かれていないこともあり、好き勝手してしまいました。
事と次第はそんな感じです。
各宗教に失礼のないように、特定の宗教を信仰していなくても親しみやすく、と思って書きましたが、至らないところがありましたら申し訳ないです。
ここまでお読みくださりありがとうございました!
仁川