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    おはずかしい

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    8/20のインテで出すネファ本の本文サンプルです。
    R18、A5、70P、500円(会場価格)。
    ネファが推しカプなヒースが、ネファになりたいネロを応援するコメディです。
    前半はヒースクリフ視点、後半(R18部分含)はファウスト視点に切り替わります。

    イベント会場で購入すると、クリアしおりがおまけでつきます。

    よければお願いします!

    ネロと先生っていい感じじゃない!? 1


     目が覚めたけれど、まだ朝ではなかった。

     カーテンの外はまだ暗くて、階下から僅かにざわめきが聞こえてくる。
     一度寝付くことが出来たのは何だったのだろうか、自分は本当に眠っていたのだろうかと不思議になる。時計を見ると、まだ日付は変わっていなかった。
     ――お子ちゃまは遠慮すんなよ。
     そう人懐こく笑いかけてくれた顔が頭をよぎる。同じ生徒というには恐縮するくらい歳が離れていて、自立していて、けれどすごく繊細な、頼れるお兄ちゃんみたいな存在。少しだけ、いいだろうか。完全に目が冴えてしまって、ほんの少し誰かと話したい気分だった。

     ネロの部屋をノックすると、緩慢な「開いてるよ」という声が返ってきた。
    「ごめん、夜分遅くに。起きちゃって、眠れなくて……」
     ネロは何かの紙を見ながらお酒を飲んでいたらしかった。俺を認めると紙をテーブルの上にひっくり返して席を立ち、人好きのする笑みを浮かべてそこに掛けるように促した。
    「それは大変だ。ホットミルクでいい?」
    「ありがとう。お願いしてもいい?」
     ネロは微笑んだまま頷いた。ネロは寝る前の身支度を済ませてしまっていて、髪は結んでおらず、エプロンもなく、ラフな寝巻きを身につけていた。ネロはすごく優しい。夜眠れない者やお腹を空かせた者が急にネロのところを訪れても邪険にしたりしない。手際よくコンロに火をおこし、鍋で牛乳を温める仕草はこなれていて格好よくて、見ていて惚れ惚れしてしまう。そんなネロに快く招き入れてもらえたことが嬉しくて、気持ちが少し明るくなった。
     ネロには迷惑だったかもしれないけど、助かった。ごめんね、今度何か埋め合わせをしなくちゃ。
     着席しようとしたところ、ガウンの裾が擦れてテーブルに伏せてあった紙が床に落ちた。
    「……ん?」
     はらりと裏返ったそれは、つい先日のテストの答案だった。それほど難しくなかったように思うが、点数は三十点だった。最後の問題なんて先生からのコメントで真っ赤だ。どんな問題だったっけ。興味をそそられて文字を追うと、とある魔法生物の特徴を六つ答えよ、という問題だ。そうだった、思い出した。授業で丁寧に解説があったので特に難しい問題ではなかった。しかし、ネロの答えは「優しい」「真面目」「酒好き」「猫好き」「子供好き」「叱ってくれる」であり、その少し下に「わかんなかった、ごめん。先生のいいとこなら書けるんだけどな」……そして猫の落書き。
    (わ……)
     俺がいうのも烏滸がましいが、ふざけを通り越して甘えている。いくら答えが出てこなくても、こんな思いきった回答は俺にはできない。そして、先生はそれを無視するでもなく赤文字でコメントを書いていた。『僕は魔法生物ではない。点はあげられないが気持ちだけもらっておくよ。残念ながら君は赤点だから手隙の時に僕の部屋まで補習に来るように』先生とネロの関係を伺わせる肩に力の入っていないコメントに思わず顔が綻ぶ。
     とはいえ、俺が見てはいけないものを見てしまったので答案を机の上に元通り置いてから、椅子にかけた。これを見ながらネロは酒を飲んでいたのだろうか。酒を飲みながら勉強をするのは難しそうな気がするが。すると、こつこつと窓硝子を叩く小さな音がした。ネロが小さく窓を開けると、隙間から黒いトカゲがするりと入ってくる。
    「今日はありがとう。遅くまですまなかったな。今度復習テストをするから勉強しておくんだぞ。わからなかったらまた僕のところに聞きにきて。……おやすみ」
     ファウスト先生の声で喋ってからトカゲは猫になり、その場でくるりと回ってから煙のように消えてしまった。先生の伝達係だろう。二人は先程まで補習がてら一緒に飲んでいたということか。『僕のところに聞きにきて』『おやすみ』の声色が甘く滲んでいるような気がして、俺は思わずにやにやしてしまった。テストの答案よりもさらに親密なやり取りを目の当たりにして、先ほどまでの憂鬱な気持ちなどどこかへ行ってしまう。
    「先生からだったな。はい、どうぞ」
     ネロに差し出されたホットミルクは、とても甘くてほんの少しお酒の味がした。アルコールが飛んでいるとはいえ普段お酒は飲ませてもらえないので、今日は特別だ。何だかくすぐったい気持ちになって頬が緩む。
    「ね、ずっと思ってたんだけど」
    「ん?」
     ほっとして気が緩んで、というか想像が確信に変わった気がして、以前から思っていたことをつい口にした。
    「ネロと先生って、付き合ってる……よね?」
     ネロと先生は子どもの俺が見ても似合いの二人だ。いつも一緒にいて、俺とシノが喧嘩をすれば魔法舎で初めて出会ったとは思えないほど息のあったツッコミを入れてくれるし、戦闘となると背中を預けあい強大な敵にも怯まず立ち向かう。深く信頼しあっているのが手にとるようにわかるし、なんとなくだけれど、二人の間に特別な甘い雰囲気が流れているように思えた。だから俺は二人は付き合っているのではないか、というか付き合っていて欲しいと思っていた。
    「え……? ああ……えっと……」
     ネロはびっくりしたらしく固まり、顔を赤くしたり青くしたり、目を泳がせたり忙しなく表情を変えている。
    「付き合ってるように見える?」
    「俺からは見えるけど……」
     さっきのトカゲだって、テストの答案だって甘い恋人同士のやりとりに見える。けれど意外なことに、ネロはそうだとは言わなかった。
    「あれ、違った?」
    「いや〜……うん、まあ、違うんだよな、これが」
     ネロは気まずそうに頭を掻く。
    「そっか。俺、二人のことが大好きだから、二人の仲が良いと嬉しいのにって思っちゃった。ごめんね、変なこと言って」
    「俺たちのことを……ありがとな。ちなみに、なんでそう思った?」
    「ずっと一緒にいるでしょ? お互いを思いやってるのがよくわかるし、なんていうんだろう、二人の距離が物理的に近いというか、ぴったり寄り添ってる感じがして。友達どうしともちょっと違う感じだし、いつも仲睦まじいよねってシノとも言ってたんだ。違うなら言っておくね。……あ、何も言わない方がいいか、ごめん」
     違ったか。小さな子どもみたいな安易なことを言ってしまったかもしれないと今更恥ずかしくなった。ネロには開放的な雰囲気と会話力があるので、思いついたことを気軽に喋ってしまいがちだ。いつもの彼なら適当に流してくれるのだが、今日はやけに狼狽えていた。やはり良くない話題だった。
    「うん……それはまあどっちでも……」
     ネロは悩ましげに眉間に皺を寄せ、何かを思い悩んでいるようだった。お付き合いを俺に言いたくないだけかと一瞬思ったが、そうでもないらしい。
    「あ、ごめんね、困らせちゃったよね」
     申し訳ない。今の発言はなかったことにしてほしい。俺の願望が口から漏れ出ただけだから。
     ところが、である。
    「いや……俺は好きなんだよ」
     どき、と心臓が跳ねた。あれ? ……もしかして。
    「俺はそう。先生はどうだかわかんないけど」
     ネロはそう言いながら目を逸らして口元を手で覆った。みるみるまに頬に朱が差して耳まで真っ赤になっていく。六百歳も年上なのに、俺はネロを可愛いと思ってしまった。
    「そうなんだ……!」
    「うん……」
    「応援するよ……!」
     大変なことを聞いてしまった! 俺は二人が恋人なのだとばかり思っていたが実際は違っていた。しかし、ネロは先生に片想いをしているのだという。俺には先生もネロのことを想っているように見える。そして、俺は二人に幸せになってほしい。となると……応援するしかないではないか。
    「お、おう……」
    「えっと……お付き合いとかしないの……?」
    「しない……と思う……」
     意外だ。ゆくゆくは付き合うと言うと思った。
    「そうなんだ? 先生もネロのことが好きだと思うけど」
     そうでなければ、あんなに甘いコメントや手の込んだ伝言をよこしたりしない。
    「嫌われてはいないと思うけどさ」
    「告白、すればいいのに。先生ならつっぱねたりしないよ」
    「そんなことないよ。あいつはそういうとこで忖度しないから、言って振られたら気まずい」
     先生を馴れ馴れしくあいつと呼びながらも、ネロは誤魔化すような笑みを浮かべた。確かにそうだ。魔法舎の、しかも同じ国の中で振られたりすれば後を引きそうだ。
    「そっか。それじゃあしょうがないよね……」
     これ以上あれこれ言ったら本当に迷惑だろう。時間も遅いし、部屋に戻って寝よう。
    「だろ。ごめんな、どうしようもないこと言っちまって。でも、聞いてくれてちょっと嬉しかった。あ、これは誰も言わないでくれよな。叶わない想いが噂になったらみっともないったらありゃしないから」
     もうネロはいつものネロに戻って、余裕のある苦笑いを浮かべていた。

     ***

     翌日は、中庭で変身の授業だった。
    「今日は変身魔法を練習する。変身魔法でいつもと違う見た目になることで、別の生き物になりすますことができる。体サイズを変えれば人間には入れないところにも入ることができる。魔力の消費もそれほどないし、使えると便利だが、上手くやるにはそれなりの練習が必要だ」
     簡単な説明を終えると、ファウスト先生は立ち上がり、手を叩いた。
    「では順に僕が指定するものに変身して。まずはシノ、黒い小型犬。金持ちが飼っていそうなやつ」
    「黒くなきゃだめか?」
    「黒くなきゃだめだ」
     シノの変身は概ね成功だった。サイズがいつものシノと同じだったことを除けば。
    「見た目はいいが大きいな。顔が僕の腰くらいまであるだろう。小型犬としては失格だ。戻って、もう一度」
    「でかい方が強いだろ」
     シノは文句を言いながら元に戻り、何度か繰り返してサイズを小さくしていった。
    「ヒースは白くて耳がふわふわの長毛種のうさぎ」
     次は俺だった。頭の中でうさぎの見た目やサイズ感をイメージする。北国にいるような、図鑑で見た毛足の長いうさぎ。つぶらな瞳、繊細な足、ひげ、そしてふわふわの耳。先生が喜びそうな姿をイメージしながら呪文を唱え、体の輪郭を合わせていく。
    「ああ、うまいな。全体的にかなりふわふわしていて良い。合格」
     俺はほっと胸を撫で下ろした。
    「じゃあ次。ネロはブデラグロッサ」
    「急にテイスト違わねえ⁉︎」
    「冗談だ。ネロは猫。毛は灰色で目は青色、毛もしっぽも長めで頼む」
     からかうような笑みを浮かべながらファウスト先生は言った。
     こういう時に、二人は付き合ってるのではないかと思わされるのだ。先生はネロには特に親しげに接することがある。しかも、その瞬間、多分本人は気付いていないけれど、親しみに混じって甘えのようなものが微かに匂う。
     ネロは緊張気味に咳払いをし、呪文を唱えて猫に変身した。ふわふわの猫に首尾よく変身したネロは上目遣いでファウスト先生を見つめる。
    「……かわいいよ。じゃあしばらく変身をキープして」
     ささやくような甘い声で、傍から聞いてもどきどきしてしまった。ファウスト先生はネロを抱き上げ、噴水の縁に腰掛けて膝の上に載せた。その瞬間、ネロは抱き上げられるとは思っていなかったらしく、驚いて全身の毛をブワワと逆立てていた。
    「じゃあ、シノ。次は……」
     先生は、膝の上のネロを撫でながらその後も俺たちに次々と指示をした。いくつかの小動物の後にだんだん大きな生き物になり、最後はシノと俺はお互いがお互いの姿になった。
    「ああ、いつも一緒にいるだけにうまい。僕が魔法使いじゃなかったら、見分けがつかないだろうな」
     俺とシノは顔を見合わせて、笑い合った。
    「じゃあ僕も」
     先生は膝の上のネロを噴水の淵に下ろすと、呪文を唱えて体を組み替えた。そこにはネロがいて、気だるい声で「どうかな?」と俺たちに尋ねる。
    「そっくりです」
    「ネロだ」
     先生は徐に噴水の周りを一周歩いて回った。背筋をスッと伸ばし、踵が鳴りそうな勢いでしゃきしゃきと噴水を一周して戻ってくる。
    「感想は?」
    「動きがファウストのままだ」
    「正解」
     顔の作りはネロなのだが、表情はファウスト先生がいつもしているしかめ面のままだ。違和感がすごくて笑ってしまいそうになる。
    「たとえば人間を欺くのに別人に変身することがあるかもしれないが、その時は魔法の技術とは別に演技力が必要になるということだ」
     そう言いながら先生は再び噴水の淵に腰を下ろした。今度は気怠げな仕草でだらりと姿勢を崩し、顔はネロみたいに明るく笑っていて、止まっているせいもあるけれどネロと見分けがつかない。
    「以上。もう昼だ。終わりにしよう。この訓練は心身に負担がかかるから、ゆっくり休むように。提出は不要だが、残りの時間で今感じたことを紙に書いてまとめておくといい」
     パチンと指を鳴らして元に戻ったファウスト先生は一瞬止まった。
    「あ、ネロをしごくのを忘れていた。昼食後に特訓するからここに来なさい」
     そう言うと、すたすたと歩いて行ってしまった。
    「今日はさっぱりしてたな。動き足りないから森に行きたい。ヒースも行くか?」
    「俺は今日はいいかな」
    「わかった。じゃあまた後で」
     シノはあっという間に風のように走ってどこかに行ってしまった。
    「……ネロ?」
     俺が声をかけると、ネロは元の姿に戻って噴水の淵に座っていた。
    「やばかった」
     そして、もう猫ではないのに体を丸めて言うではないか。
    「先生、めちゃくちゃいい匂いした」
     うう、とうめきながら顔を覆う。指の間から真っ赤な頬がちらりと見えて、ネロのときめきが溢れてくるようだ。
    「しかも撫でるのも片手間なのにめちゃくちゃ上手いんだぜ。腰ぬけて動けねえよ。……恥ずかしい」
    「ゆっくりしていって大丈夫だよ」
     俺が隣に腰掛けると、ネロはため息をついた。
    「猫になる練習だけはしてたんだよな……本当に役に立つとは思ってなかったけど。ていうか、最後の、何? 俺?」
    「まさかだったよね。本当にネロそっくりだった。きっと良く見てるんだよ」
     しかも演技力もかなりあった。ネロは嬉しさと困惑が混じり合っているらしく、自らを落ち着けようと心臓を押さえていた。
    「……やっぱり先生もネロのこと好きだと思うけどな」
     俺は今見た印象を思ったまま小さく口に出した。ネロが話題に出したので構わないだろう。
    「そうかな」
    「そうだよ。視線とか、声色とか、俺たちにはあんな態度絶対取らないもん。ネロのこと好きって見ればわかるよ。……前も言ったけど、俺も二人のこと好きだからわかるんだ」
     俺は元々人の顔色を伺ってしまう性格だ。一種の強迫観念のように、リラックスしていい場所だとわかっていても、周りが気になって仕方がない。幼い頃はそれで随分苦労もしたし、どうして自分はこうなのだろうと自己嫌悪ばかりだった。自分がこんな性質に生まれなければよかったのにとすら思っていた。だが、魔法舎に来てからは少し違う。先生とネロに出会って、二人を好きになった。二人からたくさん愛情を注いでもらえて、さらには二人が思い合っているらしい雰囲気を察することができた。二人はどちらかというと顔に出るタイプだ。シノも先生の顔面がうるさい時があるというくらいだ。けれど、表情や仕草に含まれたニュアンス、そして微かな移ろいを克明に読み取るのは誰にでもできることではないのではないかと思う。
     俺は二人のやりとりを見ていると心が弾むような心地になる。なんなら、やりとりが素敵すぎる時は大声でうわあと叫んで走り出したい気持ちになる。軽口や雑談なんかにお互いを想う感情が溢れていて、さらには肘で小突きあったりはにかんだり大変可愛らしい。年長者に対して失礼だとは思うが、見ていると本当に癒されるのだから仕方がない。そんなわけで、人の小さな反応が気になる性格を存分に活かして、微に入り細を穿ち二人を見守るのが俺の密かな趣味になっていた。
    「ネロと先生ならきっとうまくいくと思うけどな」
    「…………」
     今日のやりとりを見る限り、先生はネロのことを特別に思っている。二人に付き合っていてほしいという俺の願望を除いたとしても同じのはずだ。なのに、ネロは渋い顔をして押し黙った。しばしじっと考えたあと、言いづらそうに口を開く。
    「や、こないだは言えなかったけど」
     ネロは周囲を見回し、誰もいないことを確認すると俺の耳元で声を潜めて囁いた。
    「一回告白っぽいのを言ったことがあるんだよ」
    「ええ⁉︎」
    「で、振られた。というか、反応がなかった」
     慎重だから何らかの行動に出ないのだろうと思っていたが、それは違ったらしい。な、何それ。どうしよう……。衝撃の事実が出てきて、俺は冷や汗が止まらなくなった。もしかして、俺は突いてはいけない藪を突いてしまっていたのだろうか。ネロにとっては好きな人の話ではあるけれど、同時に傷に塩を塗りこまれた気分になっていたのでは……。ちょっと泣きそうになっていると、ネロが俺を落ち着けるように笑った。
    「そんな顔しなさんな。もう終わったことだから。気にしなくていい。俺から話したろ?」
    「ごめん。そんなことになってたとは知らなくて。本当にごめんね」
    「いいや、いいんだ。そろそろ誰かに聞いて欲しかったから」
    「……」
     ふと俺は『反応がなかった』という部分が引っかかった。
    「……ちなみに、反応がなかったって、どういうこと?」
    「ああ。俺は、『魔法舎出たら付き合って』って言ったんだよ。そしたら『いいよ、どこに行く?』って言われちまって。どこか行きたい場所があると思われたみたいなんだよな。まあ、そんな風に誤魔化せる言い方をした俺も悪いんだけどさ」
     何というか、ネロらしい告白だと思った。一緒に暮らしていて拒絶されれば気まずいし、けれど先生への想いが溢れて、思わず告げたくなったのだろう。誤魔化しもきく繊細な言い回しだ。先生にはちょっと伝わらなかったようだが。
    「その反応は完全にナシのやつじゃん。多分いけるだろうと思ってたからすげえがっかりしたんだけど、その後先生なんて言ったと思う? 『君とならどこへ行ってもきっと楽しいから嬉しい』って笑ったんだぜ」
    「ええ……羨ましい。俺も先生にそんなこと言われてみたいよ」
     そんなことを言ってもらえるのは多分世界中でネロだけだと思う。
    「ん、だろ? ……だから、なんか、もういっかと思えてさ」
     ネロは柔らかく微笑んだ。
    「それに、先生って皆に好かれるタイプだろ?」
    「ああ、まあ……」
     うんとは言いにくかったが、ファウスト先生は人気者だ。というか、若者を中心にだいたいの者はファウスト先生のことが好きだと思う。
    「引きこもってた時は俺らだけだったけど、最近は交友関係も広がった。それで、他に仲が良い奴もできたみたいなんだ。だから……俺みたいなのが付き合える人じゃないんだよ」
     ネロは自ら言いながらしゅんとした。ネロは自己評価が低すぎる。俺も自分に自信はないが。
    「他に仲がいい人?」
    「先生の話の端々に出てくるんだけど、良く一緒に出かけてる奴がいるみたいなんだ」
    「誰かな?」
     誰だろう。順当にいけば、昔なじみらしい南の面々だろうか。あるいは、賢者の魔法使いとして長く付き合いのある誰かだろうか。
    「わかんねえ。誰とどこで何してたかなんていちいち聞けねえし」
     そう言われて、ふと思い当たることがあった。
    「あれ、俺かな? たまに一緒に出かけてるよ」
    「そうなの?」
    「うん。この間のお休みの日も出かけた」
     俺は思い出しながら、先生と出かけた日を口にした。
    「俺が聞いた日もあるな。……だけど数が足りない。もっと他に誰かと一緒に出かけてるはずなんだよな」
    「そうなんだ」
    「でもまあ先生のことだから、街で猫の溜まり場見つけて、一人で行って和んでるだけかもしんねえけどな。だとしたらめちゃくちゃ可愛いけど」
     ネロはそれをイメージしたのか、幸せそうに笑った。ネロが先生を思って幸せそうに笑っていると、俺も幸せになる。
    「ちなみにネロは先生と出かけたりは?」
    「散歩はよく行くよ。でも街はないな。お互い街で見つけたもんを晩酌にもちよる感じになってて」
    「ふうん」
    「二人で街をぶらぶらしたりもしてみたいけどな」
    「行けばいいじゃない」
    「なんて誘えばいいかわかんねえよ」
     というか、ネロが街に行こうとするとなりゆきで誰かと一緒に行くことになるから、先生を誘うタイミングがないのだと思う。ネロは、先生は皆に好かれていると言ったけれど、ネロ自身もそうだ。
    「だから、これからも俺が普通に先生のこと大事にしていければそれでいいんだよ、俺は」
    「そうなんだ……」
     そうなのだろうか。何となく俺は飲み込めないものを感じたが、うまく言葉にできなかった。
    「先生とは毎晩晩酌してるの?」
     シノが、あいつらは隠れて美味いものを食ってると言っていたのを思い出した。
    「毎晩じゃねえよ。でも週に一、二……三回くらい?」
     結構な頻度である。
    「じゃあ毎日会ってる?」
    「そうでもねえよ。でもまあ、会えそうにない日はおやつ作って持って行ったり、色々理由をつけてしゃべるようにはしてるけど……何も喋らない日もあるかな。そんな日は晩にこれから晩酌しねえ? って誘ったりするんだけどさ」
     結局毎日会っているということでいいのだろう。想像通り二人が仲良くしているらしいとわかり、俺はひとりでに微笑んでしまうのを止められなかった。
     前々から思っていたが、ネロはかなりマメに先生に贈り物をしている。猫のクッキーだとか、美味しい茶葉だとか、先生がもらって負担に感じない程度の小さなものを、授業の時に渡しているのを何度も見た。全く余っていないのに、ケーキが余ってるからお茶でも飲まないかと誘っているのも俺は何となく知っている。

     ここまで話を聞いて、俺はネロの気持ちがやっとわかった。これだけ頻繁に顔を合わせて共に時間を過ごし、たくさん言葉を交わし、贈り物をマメにし、労い、気も使い、なのに振り向いて貰えない。繊細なネロが諦めてしまうのは理解ができる。
     俺としては二人が親密になれば嬉しいと思っていたが、これだけアプローチしていて手応えなしとなると、早くも手詰まり感が否めない。俺がもっと世馴れていれば良いアドバイスの一つもできようものだが、残念ながら俺は同年代の中でも恋愛に疎い方だ。ましてや振り向いてもらえない辛さや、裏切られた苦しさなんて知らない。そんな俺がネロと先生の恋愛に対してできることは何もない気がした。

     ***

     それから数日後のうららかな昼下がりだった。あたたかい陽の光が差していて、ピクニックにでも行きたくなるような日だ。喉が乾いたのでおやつどきのキッチンに行くと、ネロがせっせとホットケーキを焼いていた。
    「あ、ヒース。良いところに来た。ちょっと一緒に来てくれよ」
    「どうしたの?」
    「小さいお客さんが来ててさ。依頼人の娘さんなんだが、これがなかなか元気で」
     娘さんか。何歳くらいなのだろう。というか、誰が相手をしているのだろう。
     ホットケーキの入ったトレイを持って俺たちが中庭に着くと、子供の楽しそうな声が聞こえた。
    「ねこちゃん!」
     三歳くらいの女の子がファウスト先生にしがみつくように抱かれて、中庭にやってきた猫におそるおそる手を伸ばしている。
    「ファウスト! 遅くなってわりいな」
    「いいや、ありがとう。シェフが美味しいおやつを作ってくれたよ」
     先生が女の子の顔を覗き込みながら優しく話しかける。
    「ファウスト、抱っこかわるよ。そろそろしんどいだろ」
    「辛くはないよ。でもありがとう」
     先生がネロに女の子を渡そうとすると、抗議の声が響き渡った。
    「や! ねお、きらい!」
    「えっ⁉︎」
     女の子は本気らしく、手をばたつかせてネロを遠ざけようとしていた。さらには先生にがっちりしがみついていやいやと首を振っている。子ども好きであしらいも上手いネロが、子どもに嫌われるなんてことがあるのだろうか。その光景にぽかんとしているとネロに袖を引っ張って引き寄せられた。
    「お嬢ちゃん、じゃあこいつはどうだ? 絶世のイケメンだ。優しいし気もつくし若い」
    「ええっ⁉︎」
     悪い、とネロに小声で謝られる。先生の腕に抱かれながら女の子はまじまじと俺の顔を見た。まんまるの可愛らしい目がじっと俺を凝視し、満面の笑みになった。
    「だろ?」
    「しぇんしぇ、しゅき!」
     そして先生にぎゅっと抱きついた。
    「くそ……」
    「あ! きれいなおはな」
     ネロの舌打ちなんて何のその、彼女の興味はすぐに花に移ったらしく、ぴょんと飛び降りて先生の手を引っ張り花の植え込みへ歩いて行った。
    「振られちゃった」
    「ダメか……悪かったな、ダシに使って。誰でも良かったんだけどタイミングよく来てくれたから」
    「いいや、ネロが嫌われるなんてびっくりしたけど。何があったの?」
    「いつもみたいに依頼人の話を聞いてたんだ。そしたら、娘さんがやけにファウストのことを気に入っちまって。外に遊びに行きたいってしきりに言うから俺らで抜けて面倒見てた。あの子が言うには、先生のことは大好きだが、俺のことは大嫌いらしい」
    「どうして」
    「わからない」
     俺たちは微妙に困惑した雰囲気で顔を見合わせた。ネロはいつも通りに優しく接したのだろうし、きっと相性が悪かっただけだ。向こうで花を見て楽しそうに言葉を交わす二人を見て、ネロはぎゅっと眉根を寄せ、心底悔しそうにつぶやいた。
    「俺も先生と手繋ぎてえ……」
    「……」
    「めちゃくちゃ羨ましい」
    「……」
     俺は耐えられず、思わず吹き出してしまった。
    「あ、悪い。バカみてえだよな」
    「ううん、ネロは可愛いよね」
    「ええ? 先生みたいなこと言うじゃん」
    「……」
     え、先生に可愛いって言われてるの? 以前一度だけ言っているのを耳にしたことはあるけど、もしかしてあの後も頻繁に言われているのだろうか。もっと詳しく聞きたいが、これ以上聞いてはいけないのを本能的に察して、泣く泣く聞かなかったことにした。悔しい。いつかその現場に居合わせたいものだ。
     今や依頼人の娘は先生の脚にきつく抱きついて、ほとんど引きずられるようにしながら移動している。
    「見る目があるのは認めるけどさ。……いただけねえよなあ」
     ネロが恨めしそうに情念たっぷりに言うので笑ってしまう。
    「可愛いライバル登場だね」
    「しょうがねえ。今日はとびきり美味い飯とツマミを作って先生を振り向かせてやる」
     腕組みでキメ顔をするので笑ってしまった。
    「あはは、その調子」
     どちらの可愛さに軍配が上がるのか、大変気になる。

     ところがそれは叶わず、先生はその日のうちに依頼人について依頼を解決しに行ってしまった。

     ***

    「ファウストを連れていくなんてなかなかだよ、あのお嬢ちゃん」
     女の子は先生から引き離されそうになるとこの世の終わりのような勢いで泣き出した。なだめすかしても泣き止まず先生にしがみついたため、やむなく先生ごと出発することになったのだった。だから、ネロは晩になって俺の部屋に押しかけてきて、机に突っ伏してぶつぶつ言っている。寂しくて丸まった小動物みたいだ。先生はネロに小動物的な可愛さを感じて可愛いと言っているのかもしれない。ちなみに晩ごはんはいつもより凝っていて、すごく美味しかった。
    「やっぱさ、生まれた時から中央の気質があるんだろうな。確固とした意思があって、すげえ頑固なんだ」
     先生みたいだよな、とネロは机に突っ伏しながら、愛おしそうにつぶやいた。
    「寂しい?」
    「あんたが話聞いてくれるから寂しくなんかねえよ」
     ネロは顔を上げると微笑んだ。それが本心なのか自分に言い聞かせているだけなのかはわからないが、本当だったら嬉しい。
    「ねえ、もしよかったら、皆で一緒にテスト勉強しない? 今度は試験範囲が広いから俺も先生のいない間に勉強しようと思ってて。ネロは忙しいと思うから、もしよければだけど」
    「勉強ねえ……」
     ネロは微妙そうな顔でつぶやいた。勉強はやはり苦手なのだろう。
    「勉強して、疑問点を先生に聞きにいけば一緒に過ごす時間も増やせそうかなって。どうかな……?」
    「なるほど……」
     ネロはいまだ渋い顔だ。
    「先生は、俺たちがいい点をとったら知識を身につけて成長してるってことだから嬉しいって前言ってた」
     いつだったか忘れてしまったけれど、以前テストの後に実際にそう言っていた。
    「先生を喜ばせるのは生徒の俺たちにしかできないことだと思うから俺は頑張るつもり。あ、補習の時間を楽しんでたりする……?」
     補習の時間が楽しいからネロは頑張らないのかもしれないという気はしていた。やけくそで説得すると、ネロはしばらく考えて結論を出したようだ。
    「やってみようかな」
    「ほんと?」
    「ああ。たまにはいい点とってカッコつけとかなきゃな」
    「ネロ……!」
    「悪い点ばっかりだって呆れられたらちょっとな。ヒースが教えてくれるなら安心だし、頑張ってみるよ」
    「やった!」
     うんと言うと思っていなかったので、俺は思わず歓声を上げた。
    「喜ぶのは俺の方じゃね?」
     ネロはおかしそうに笑った。そうと決まったら勉強である。俺には恋愛はわからない。だけど、勉強はどちらかというと得意だ。ネロと先生に対して俺ができることをここしばらく考えていたのだが、結局めぼしいことは何も思いつかなかった。俺がネロに勉強を教えて点数を上げられるかは不明だが、勉強したことを先生が褒めてくれるかもしれないし、多少は二人の間で話題になるだろう。その程度のことだが、ネロだって、先生と一緒にいて叱られるよりも褒められる方が良いに決まっている。

     ***

     それからは三人で毎日集まって勉強することになった。ネロは勉強時間の長さにたじろいでいたが、俺にとっては普通である。今度の試験は試験範囲が本当に広い。三ヶ月分ほどを復習しなければならないので時間はいくらあっても足りない。
    「こんなの覚えらんねえよ」
    「先生の資料、最強にまとまってるから頭に叩き込んで」
    「お、おう……」
    「わからないところには印をしておいて、先生に聞きに行くといいよ」
    「全部わからないんだけど」
    「そんなことないよ。ネロは経験で知ってるから、絶対大丈夫」
    「ヒース……」
     そう励ますと、ネロは天から救いの光が差し込んだみたいな顔をした。
    「数術は絶対毎日やってね。積み重ねていくものだから一夜漬けは無理。逆に地理や薬草学は毎日する必要はない。魔法理論は理屈をきちんと理解すれば難しくないよ」
    「はあ……?」
     ネロはずっと戸惑った様子である。いけない。
    「ネロは作業に没頭するのが好き?」
    「え? ああ、好きだよ」
    「じゃあ絶対大丈夫。俺は似たようなものだと思ってるから。それにネロは料理に対しては勉強熱心だろ。同じだよ。慣れないうちはしんどいと思うけど、慣れれば意外と楽しいんだ」
     俺が言うと、ネロは曖昧に笑った。
    「というか、何でまた勉強なんてしようと思ったんだ? 苦手だろ?」
     シノが口を挟んだ。
    「え⁉︎」と焦る俺。
    「暇だからな」と余裕のネロ。
    「べ、勉強でもしてみたらどうかなって……」
    「暇だからって勉強するタマかよ」
    「たまにはそんな時もあんだよ」
     俺はしどろもどろになってしまうが、流石にネロはかわし方が堂に入っている。言葉は曖昧だが、態度と口調に説得力があった。早くこんな風になりたい! 俺がこんなこなれた大人になるまでは後どれくらいかかるんだろうか? そして、もし俺のせいでネロの恋心がシノにバレてしまったらどうしようと内心涙目になった。

     三人でいる数日間は、特にネロの恋の話が出ることもなく、平和に過ぎていった。五日目の夕方、たまたま俺とネロが二人で部屋に集まっていたところに先生がふらっと入ってきた。しかもいつもの黒い服ではなく、動きやすそうなシンプルなコットンシャツにスラックスで、子守の大変さをまざまざと思い知らされる。
    「ただいま。帰りもなかなか大変だったけれど、何とか帰ってこられたよ」
    「依頼は?」
    「それほど難しい依頼じゃなかったからつつがなく」
    「お疲れ様でした」
     俺とネロはファウスト先生の表情や仕草をじっと見た。やはり仲間が帰ってくると任務先で心を掻き乱されるようなことがなかったか気になってしまう。俺は心身が消耗するようなことはなかったらしいと読んだ。ネロもすぐに頬を緩めたので、おそらくネロの目から見ても大丈夫だったのだろう。
    「帰りも泣いて泣いて大変だった。滞在中、何度あの子と結婚式を挙げたか」
    「五日も行ってましたもんね」
    「だけど、途中で相手はオズに交代したんだ」
    「ええっ、あんなに先生のことが好きだったのに?」
    「子どもの興味はどんどん移り変わっていくものだな。最後はオズと離れたくなくて泣いたのを親と僕でなだめた。あの人も意外と魔法で子どもを眠らせて別れたりはしないんだ。きちんとさようならを言っていて、ちょっと面白かった」
     先生は腕を組みつつ俺たちの前に立って、満足そうに、そして面白そうに笑った。素敵な表情だ。
    「子どもってオズが好きだよな」
    「ああ。背が高いのと長い髪の毛がいいんだそうだ。あの人も子どもの扱いは上手いから。ふふ……」
     ファウスト先生はいつもよりもっと薄い色のサングラスの位置を直しながら、リラックスした様子でネロの部屋のベッドに腰掛けた。
    「依頼人の夫婦も良い人たちだったよ。結婚して子どもが産まれてずっと仲睦まじいなんて素晴らしいな。僕は結婚なんてごめんだけど、誰かと一緒に生きていくのは悪くないかもと思わされた……あ、いやまあ、僕は呪い屋だから幸福とは無縁だが?」
     先生は言ってしまったことが恥ずかしくなったのかはにかんで頬を赤らめた。あ、可愛い。ネロが可愛いと言うのは多分こういう瞬間の先生のことなのだろう。一瞬あどけない表情になって、少女のようで本当に可愛らしかった。俺はこういう表情はごくごくたまにしか見ないけれど、ネロはいつも見ているのだろう。
     というか、先生が恋愛絡みのコメントをしたことに俺は驚いた。誰かと一緒に生きるだなんて、これまで口にしたことはなかったように思う。
    「じゃあまた夕食の時にでも」
     恥ずかしくなってしまったのかそそくさと先生は去っていった。俺は興奮して思わず早口になってしまう。
    「ネロ、聞いた⁉︎ やったね、先生は難攻不落じゃないよ。きっとあれはネロのことだ!」
     俺は胸が弾んで、パッとネロの顔を見た。だが、ネロは心底憂鬱そうな、この世の終わりみたいな顔をしている。あれ?
    「絶対俺じゃない」
    「えっ⁉︎」
     そんな訳なくない? だってあの先生がわざわざ俺たちの前で言ったんだよ? ネロに言いたかったに決まってるだろ?
    「俺じゃない。一緒に出かけてる奴だよ。俺に言いたきゃ二人きりのときに言えばいいんじゃん」
     ネロは魂が抜けたように表情を失っていた。
    「そうかな? そんな風には見えなかったけど……」
    「絶対俺じゃない……」
     ネロは力なくうなだれる。心なしか顔色も悪い。
     いや、冷静に考えて絶対ネロの言うことが間違っていると思うのだが。どうしてそうなってしまうのだろう。
    「もう今日は寝る」
     ネロは上の空でつぶやいた。

     翌日、朝早くに部屋がノックされた。廊下には、赤い顔をしたネロが立っているではないか。
    「熱が出たから今日の授業は休むって先生に言っといてくれる……?」
     だるそうに壁にもたれていて、息をするのに肩を揺らして辛そうだ。
    「わかった、言っておく。でも大丈夫? とりあえずネロの部屋に」
     肩を貸して、何とかネロの部屋に辿り着くとベッドに寝かせ、水差しの水を飲ませた。
    「情けない話なんだけど、昨日あれから熱が出てさ……」
    「あの話のせいで……⁉︎」
    「た、多分な……」
     俺はネロの繊細さに心底驚き、ネロは恥ずかしそうにしょんぼりしていた。メンタルと体調が直結している。よほど悲しかったのだ。
    「もう好きでいるのはやめなきゃって思ってんのにさ……」
     ネロは枕に突っ伏し、弱った勢いでなかば独り言のように心境を吐露した。
    「でも顔見たら嫌いになんてなれっこねんだよな。話したいし、笑って欲しい」
    「いやだから、あれはネロの事なんだって……」
     おろおろしてしまった。俺が心から信じていることも、ネロにとっては気休めにしかならないのが歯がゆい。
    「ねえ、ネロ」
    「何?」
    「あのさ、もう一回、はっきり告白したら? 先生も今なら気付かないってことはないでしょ? ネロが辛そうなの、見てらんないよ……」
    「でも……」
    「多分……昨日の口ぶりから、やっぱり先生は気になる人がいるんだと思う」
     俺としてはその相手は間違いなくネロなので、ネロに対してこんな事を言ってなんの意味があるのかさっぱりわからない。だが、当の本人が全く逆の主張をするので仕方がない。厳しい内容だと思うが、ひとまず俺の考えを聞いてほしかった。
    「仮に、まだその相手と恋人にはなっていないとするだろ。そこにネロが告白をする。そうしたらどうなるかなって」
    「振られて俺が傷付く」
    「だけで済むよ?」
    「……え?」
    「告白すれば、ネロは恋人に立候補することができる。先生にとって意外な相手かもしれないけど、ネロもありかもしれない、ってなってネロと付き合ってくれる可能性だってある。そして、もし振られたとしても、先生は律儀だから、その……別の相手と付き合う時期を遅らせたり、ネロには知られないように厳重に隠すんじゃないかな。ネロのことを大事に思っているのは絶対に絶対に本当だから。なんていうか、言わないままでいて目の前で別の誰かといい雰囲気なのを見せつけられるよりはいいのかもって」
    「……」
     ネロは葛藤していた。
    「もし恋人に既になっていたとしても同じ。わからないように取り繕ってくれんじゃないかな」
    「確かに一理あるな。……先生、なんでも顔に出るもんな」
    「うん」
    「……先生は顔に出やすいんだよな……」
    「……」
     全くその通りだった。先生はことポジティブな感情は顔に出やすい。
    「多分……恋人と一緒にいりゃあわかるよな、俺らには」
    「……きっと」
     隠そうと努力しなければ、先生が大好きでいつも先生の様子を気にしている俺たちにはたちどころにわかってしまうだろう。はあ、とネロは深くため息をついた。ファウスト先生が自分以外の誰かに身を寄せて、親密そうにおしゃべりする様子を想像しているのだろう。表情の暗さが尋常じゃない。
    「これも仮の話だけど、もしもネロが告白して、先生がいいよっていってくれたとする。そしたら……手だって繋げるし、くっつけるし、用事がなくたって一緒に出かけられるんだよ」
     俺がそう言うと、死んだ魚のようだったネロの瞳がキラリと輝いた。
    「ん……そうか。そうだよな。手を……死ぬまでにファウストと手を繋ぎたい……」
     急に大袈裟である。それから、決意したように俺を見た。
    「わかったよ。もっと前向きに考えとく。……とりあえず先生を呼んでくれる? 今日休むって伝えたいから」
    「うん、待っててね」
     独善的な言い方をしてしまった自覚はある。俺の想定に収まらない可能性は大いにあるし、やっぱり気持ちを告げるのは精神的に負担が大きい。ネロはやや元気を取り戻したようだったが、俺の願望を口にしてしまっただけなのかもしれず、俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

     翌朝、容態が気になってネロの部屋を覗くと、既にもぬけの殻だった。キッチンに行くと、彼は鼻歌混じりにガレットを焼いている。
    「あ、おはよ、早いな?」
    「ネロが気になって。もう元気になった?」
    「完全復活だよ。ショックで寝込むなんて情けないよな……」
    「そんなことないよ。ちょっと親しみが湧いた」
    「ありがとな」
     ネロは嬉しそうに俺に微笑んだ。俺も嬉しくなる。
    「で、あの後先生が部屋に来て手握ってくれてさ」
    「へえ!」
     意外と先生もやるではないか。その調子でネロに接触してわからせてあげてほしい。
    「手袋してないんだぜ、素手だよ」
    「へえ、珍しいね」
    「やばいよな。素手とかほぼ裸じゃん」
    「え、どういうこと?」
     急にネロの言っていることの意味がわからなくなった。先程まではよくわかったのに。俺の理解力が乏しいのだろうか……。
    「言葉の綾だ。そりゃもう最高だった……しかも、握った俺の手が乾燥してるってハンドクリームまで塗ってくれてさ……手から先生の匂いがして、どうにかなっちまうかと思った」
     ネロは顔を赤くして嬉しそうに笑った。本当に、ネロは先生のことが好きだ。聞いているこちらも嬉しくて、ぴょんぴょん飛び跳ねてしまいそうになる。
    「裸の話か? ヒースは裸も美しいぞ」
     思わず話に夢中で、背後ががら空きだった。急に声がしたことにびっくりして振り返ると、朝の鍛錬を終えたシノがこめかみの汗も拭わぬまま立っていた。
    「シノくん!」
    「シノ! い、いつから聞いてた!?」
    「はは、ほぼ全部だ」
    「ご、ごめんね、ネロ! シノ、今すぐ忘れろ!」
     掴みかかる俺をよそに、シノは憎らしいくらい涼しい顔だ。
    「ネロ、今すぐ行って告白してこいよ。ぐだぐだ言ってヒースを煩わせるな」
    「シノ‼︎」
     うるさい。こちらは好んでやっているんだから、放っておけ。
    「最近コソコソしてると思ったらこういうことか。まあ、オレにはわかってたけどな」
    「いや、ヒース、いいよ、大丈夫。ていうかシノにも言わずに秘密にしてくれてたのか。お前さん、いい奴だな……」
     シノは得意げに笑い、ネロはなぜかじーんと感じ入っていた。
    「悪いが悩むだけ無駄だと思うけどな。ファウストもネロが好きだろ」
    「だよな⁉︎ 俺もそう思うんだけど……えっと、シノには言えないようなままならないことがあるんだよ……」
    「そうかよ。ファウストも強情だから苦労するだろうな。で、今日の朝飯は?」
     シノは二人の恋愛がどうなるかなどどうでもいいらしく、本題とばかりに朝食のメニューを尋ねた。興味がない方が俺としてもありがたいからそれは別にいい。
    「オムレツかガレット。今なら選べる」
    「オレはオムレツがいい。じゃあ、焼いてる間にひとっ走りして主賓を呼んできてやるよ。あんたの元気な顔を見れば喜ぶだろ」
    「シノ、先生に勝手に言ったりするなよ」
    「わかってる。そこまで野暮じゃない」
     念押しをすると、シノはおかしそうに笑った。

     翌日の夜のことである。そろそろ寝ようと思っているところに、ネロがやってきた。お酒を飲んできたみたいで、ほんの少しアルコールの匂いもする。
    「こんばんは? 夜分遅くに悪いな、ちょっとだけいいか?」
    「こんばんは、どうぞ」
     ネロは俺の部屋の椅子にどっかと腰を下ろして言った。
    「勉強、本気で教えてもらえる?」
    「……え?」


    続きは本で!
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