🍃🌹 いつもより少し時間をかけてシャワーを浴びた。
今日のパトロールはこれまで以上に力が入ってしまい、冷たいシャワーを頭から浴びても火照った体はちっとも鎮まらない。アドレナリン全開で戦闘をこなしたのはガストだけではなくて、レンはいつも以上に好戦的に弾を打ち込んでいたし、マリオンも冷静なようで少し前のめりに相手の懐に飛び込んでいた。ドクターはいたって平常通りだったように見えて、めずらしくガストとレンが戦いやすいようにお膳立てをしてくれたようにも思う、勘違いかもしれないが。ベッドに腰掛けたまま目を閉じると、突風と爆発音が鼓膜を揺さぶる振動や、冷気を纏った弾丸が肌を掠めていく感覚、そしてしなる鞭が空を切り鮮血のような花弁が目の前に散る光景がガストの五感を支配していく。
13期生の研修は本日をもって正式に終了となった。4つのセクターに配属された現行のメンターとメンティーのチームは解散となり、あと2週間もすればアカデミーから卒業したばかりの正真正銘のルーキーたちがガスト達の部屋を使うことになる。男4人の共同生活なんて冗談だろと最初は思ったものだが、今となってはこの環境を手放すことになることをガストは寂しく感じている。あと少しで出て行くことになるこの部屋の荷物は一向に片付く気配がなく、今も写真を無造作に投げ込んだ箱を前にすっかり片付けの手が止まってしまっている。
「いつまで荷物をいじってるんだ、レンが落ち着いて読書ができないって不満そうにしてるぞ」
感傷的になっていたガストは、部屋にマリオンが入ってきていたことに気がつかなかったようだ。
「おお、お疲れ、マリオン。もうそんな時間か」
メンター達は今日のパトロールが終わった後に会議に出ていたはずだが、どうやらそれも済み、シャワーを浴びて部屋着に着替えた後のようだ。躊躇なくガストの横に腰を下ろしたマリオンの髪の毛はまだだいぶ湿っていて、大きく開いた部屋着の襟ぐりから覗く白い肌は、いつもより血行が良さそうにほんのりと赤く色づいていた。
「写真?」
「あぁ、整理はしてないんだけど3年分取っておいてたんだよ。取材で撮ってもらったやつとか、これはアキラが撮ってくれたやつだな。あと雑誌の切り抜きなんかも取ってあるんだぜ」
「なんだか意外だな」
興味深そうにマリオンが箱の中を覗くと、彼の髪の毛から滴った水が一滴、ガストのスウェットに染みを作った。
「世話になったメンターにアルバムなんかを作ってやれなくて悪いとは思ってるんだけどな、ウエストの連中みたいに」
「どっちかって言うとあそこはディノが率先してやってたんだろ。それにボクはアルバムを貰うよりもふたりが強くなってくれたことの方が嬉しい」
そう言って一枚一枚箱の中の写真を眺めるマリオンの瞳は存外に優しい色を滲ませていた。マリオンが中華飯店で給仕の手伝いをする様子の切り抜き記事が出てきた時には、何かを言いたそうにガストをチラリと見て脇腹を肘で突いてきたが、かなり強めに。
「お、懐かしい写真が出てきたな」
箱の一番底から出てきたのは、配属1年目にブルーノースで観光ツアーをやった時の写真だった。その写真を撮ってくれたのは確かジャックで、ゴンドラに座るマリオンが衣装のブーツを脱いで水路の水を蹴り上げた瞬間が写されていた。
写真の中のマリオンは今よりもいくらかあどけなさが残っていて、不意打ちの瞬間を撮られたのか無防備に少しだけ口を開けている様子が愛おしい。これはガストのお気に入りの写真だった。大切に箱の一番底に閉まっておいて、時々そっと見返しては頬を緩ませているくらい思い入れがある。マリオンがとびきり可愛く写っているからというのはもちろんのこと、あの観光ツアー企画をきっかけにガストは自分の初恋の相手が誰だったのかに気づき、そしてふたりで過ごしたミュージアムでの夜を境に、少しずつふたりの関係がただの上司と部下だけではなくなっていったからだ。
「どんな服でも完璧に着こなせているつもりではあるけど、改めて見返すとよくこんなに脚を出していたなとは思う……」
「そうか?似合ってるし、最高に綺麗だと思うけどな」
「こんな写真を後生大事に取っておいて、この頃の方が可愛かったとか言いたいんだろ」
「違うって、もちろん19歳のマリオンは綺麗だし可愛いと思うけど、今の俺のことを大好きなマリオンの方がもっと好きだぜ」
さすがに調子に乗ったことを言った自覚があったのでガストは鞭打ちを覚悟して身構えたが、隣に座る愛おしい恋人はガストの腹に両腕を回して、綺麗な形の頭をぐりぐりと肩に押し付けてくるだけだった。どうやら感傷的な気持ちになっているのはガストだけではなかったようだ。
「マリオン」
「……なに」
「ヴェネツィアに行こう」
「は?」
ガストの腹に腕を回したままきょとんと見上げてくる表情があまりにも愛おしくて、ガストは白くてなだらかに弧を描くマリオンの額にキスを落とした。
「明日から俺たち1週間オフだ。このことはノヴァ博士にもレンとドクターにも話してあるし、もう飛行機のチケットも向こうのホテルも予約してある。だから一緒にヴェネツィアに行ってくれないか、マリオン」
あまりにも突然のガストの誘いになんと答えていいのか分からないのだろう。マリオンは何度も目を瞬かせながら、小さな口を開けたり閉めたりを繰り返している。3年前にルーキーとメンターとしてマリオンに出会った時よりも彼は少しだけ大人びて、いかにも柔らかそうだった頬は僅かに輪郭が細くなり、より一層の色気を放つようになった。それでもマリオンはガストが一目惚れした時から今に至るまでずっと、どこか放っておけない愛らしさでガストを無自覚に誘惑し続ける。
「……オマエはいつも唐突だし、いろんなことの順番がめちゃくちゃだ」
「わかってる、それで初対面から引っ叩かれたし、何度も鞭で打たれたんだよな」
「だけど……オマエのそういうところが、多分嫌いじゃない。ボクが知らないことをオマエが教えてくれるから」
マリオンはガストの首に縋るように手を回すと、小さくて柔らかい唇をガストの口元に寄せた。
「ボクをオマエのいきたいところに連れていって」
そう言うとマリオンはガストに優しく口付ける。囁かれた愛おしい返事と共に落とされたマリオンからのキスは控えめで、一瞬で離れていったその熱を追いかけ、ガストはマリオンの唇に噛み付くようなキスをした。深くなる口付けと共に、マリオンの体はベッドに沈み込んでいく。このベッドに薔薇色の髪を散らしながら横たわるマリオンの姿を見るのは、もうあと何回もないことかもしれない。写真に撮ることはできないその姿を絶対に忘れるものかと、ガストは息を吐く間もなくキスをしながらしっかりと目に焼き付け、この夜が明けるのが少しでも遅くなるようそっと願った。