🍫 カフェの店内はコーヒーとおしゃべりを楽しむ人々の心地よい賑やかさと、焼き上がったばかりのペストリーの匂いが暖かく満ちている。
ガストがオーダーを伝える前に、赤いエスプレッソマシンを操るバリスタはミルクのスチームを始めたようだ。ポケットの中のコインは冷蔵庫に入れっぱなしにしたバターナイフくらい冷えている。カフェラテの代金を指先で探すのに手間取るガストに、店員が「いつもお疲れさまです」と声をかけ、ウインクをしてみせた。見つからない50セントを代わりに出したのはガストの後ろにいた客で、カウンターにコインを置いた爪の整った指先を見て、ガストは頬を緩めた。
「サンキューな、マリオン」
ガストは探し当てた小銭で、レジ横のバスケットに積まれた小さなチョコレートを買った。
「別に、昨日の借りの分だ」
「なんか貸してたか?」
「……ここでいうことじゃない」
そう言って頬を少しだけ赤くしたマリオンは、たっぷりの砂糖で甘く煮たベリーのペストリーをテイクアウト用に注文したようだ。靴底を鳴らして背を向けたマリオンのこめかみに、ガストは触れるだけのキスをした。カウンターに置かれたカフェラテを受け取って、チョコレートの包み紙を片手で開ける。艶のあるミルクをたっぷりと注いで描かれたハートのラテアートの真ん中に、ガストはチョコレートを落とした。
「っ、あっちぃ」
寒い日仕様なのか心なしか熱めにスチームされたミルクが、ガストの冷えた指先に跳ねた。マリオンがその手を取って、少し赤くなった指先に唇を寄せた。
「少しだけチョコの味がする」
そう言ってガストの瞳を見たマリオンは、ミルクの跳ねた手を離してそのままガストの左の口の端に触れた。それから頬と額に指を滑らせて、ガストの左胸に手のひらをひた、と当てる。人よりも血が多く通っているマリオンの手は温かい。
「もうとっくに治ってるだろ、な」
あれから3年も経ってるんだ、とは言わないことにした。
これまでに幾度もそう伝えてきたけれど、マリオンは時々こうやって、あの日のガストの傷を思い出すようだった。そんな時はマリオンをぎゅっと胸に抱きしめるか、甘くて温かいものでも腹に入れるに限る。先週、雪が降った夜に作ったフレンチトーストは悪くなかったし、冷蔵庫にはまだ卵があったはずだとガストは思いを巡らせた。
「……」
マリオンはガストの胸から手を下ろして、チョコレートを沈めたカフェラテに口をつけた。
ガストの傷跡はとっくに綺麗さっぱり消えたけれど、サブスタンスの恩恵を受けていなかった間に受けた傷は、しばらく引き攣るような鈍い痛みを肌の上に残した。マリオンはもしかしたら忘れないために、もう見えないガストの傷跡を辿るのかもしれない。それで少しでも温かさを分け合えるなら、マリオンの好きにさせたいとガストは思っていた。
「よく俺がここにいるってわかったな、もしかして」
「表にバイクが停まっていたからな」
被せるようにそう言って、マリオンがくるりとカフェのドアの方を向く。後に続くはずだった言葉を苦笑いと一緒に飲み込んで、ガストはマリオンの肩を掴んだ。
「なぁマリオン、この後暇か? もうパトロールが終わるんだったら海でも」
その時、エマージェンシーを知らせるジャックの声が流れて、カフェに漂う温かな空気を一瞬で緊張させる。マリオンは落ち着かない様子の人々に「大丈夫なので落ち着いて」と声をかけ、ヒーロースーツに身を包んだ。
「この後のプランは、コバルトアベニューに変更だな」
マリオンが前髪を指先で軽く流して、目を細める。
「ほら、行くぞ。ヒーロー」
真っ直ぐに手を差し伸べるマリオンの眼差しを受け、ガストは左胸は早鐘を打って、熱を帯びたようだった。初めて出逢ったあの日から、ガストの心臓はこの熱を忘れずに、ずっとずっと覚えている。
ガストはカップの底に溜まった、喉が焼けそうなほどに甘いチョコレートを一気に流し込んで、先をいく背中を追って駆け出した。