たのしい婚前交渉のすゝめ トーマという男には、稲妻とモンドの血が半分ずつ流れているという。
「その割には、というか比率こそ同じなのに、という意味ですが……オレはモンド寄りの容姿である気がします。まあ酒にめちゃくちゃ弱いところは、間違いなく稲妻の血が影響してるんでしょうがね」
いつかの酒の席で、綾人に酌をしながら言ったのは確かにトーマだった。ならばと酔ったふりをして、「ならお前は、タキシードと袴のどちらを着たい?」なんて訊いたことがあったな、と。
ほんの短い仮眠から、意識を浮上させた瞬間ふと思う。その時トーマはなんと言っていたか。綾人に向けられた表情は確かに、笑みと分類されるようなものだったけれど。
「……オレは若のそばにいますよ。結婚するつもりはありません」
綾人からすれば正直、半分嬉しくて半分悲しい言葉だった。トーマのことはそれこそ、死ぬまでそばに置きたいと思っている。つまりは生涯を捧げ合うような仲でありたいと、そう思っているから探りを入れただけだった。もちろんそれが、叶うかどうかは別とするものの。
「オレの隣には、白無垢もウェディングドレスもいりません」
そう言って、目を細めた姿があまりにも悲しそうだった理由を。その時の綾人は、まだ何も知らなかったのだ。
「さて。それじゃあトーマ、私との挙式の話だけど」
「う、あいたたたた。すみません若、急に腹痛が……」
「嘘はよくないよ、本当に腹が痛い者は姿勢良くなんか歩けないものだ」
腹を押さえることもせず、逃げ出そうとするトーマを捕まえる。そうして隣に誘導し、綾人は彼の手を握った。
「いつかお前は言っただろう、私のことが好きなんだって」
「……言いました、けど。いつまで本気にしてるんですか、あなたは当主様なんですよ」
「おや、トーマは私相手に嘘をつくようなことはしないだろう? その神の目が現れた瞬間に、立ち会ったのが誰かなんて言わせないでおくれ」
あくまで穏やかに、問い詰めるような雰囲気は出さぬように。緑の瞳をじっと見つめて、言えば居心地悪そうに——けれど目を逸らすことはしないまま、トーマは重い口を開いた。
「……後継のこともありますし」
「それは養子を迎えればいいさ。血筋にこだわるのも重要かもしれないけどね、そればかりが家族の証ではないだろう?」
それこそ私とお前のようにね、と笑みを深くする。ぐ、とトーマの喉が鳴った。
「私はいいと思うけどね。凝り固まった考えに新しい風を取り入れることも、時にはとても重要なことだ」
「とはいえ……周りは納得しないでしょう。若の負担が増えるだけです」
「おや、見くびられたものだね。私がその程度のことを処理できない無能だと言いたいのかい?」
「い、いえ! そういう、わけでは」
「……ふふ、可愛い可愛い私のトーマ。分かってはいるさ、お前が私のことを考えてくれていることくらいは」
元より誰かの困り顔は好きだ。それが愛しい相手なら尚更、それも自分のために悩んでくれているときた。たまらないなあと内心呟いて、トーマの頬を両手で包む。
「……だめ、かい」
「う、ううううう……」
困ったように眉を下げ、小首をかしげる動作までセットだ。これがトーマによく効くことは、長い付き合いの中でとうに実証されていた。
「……若は、オレのこと抱けるんですか」
だから蚊の鳴くような声で、そう言われた時にほんの少しだけ。表情が崩れそうになるのを堪えるのが、なかなか大変なことだと知ることになる。
「……君が望まないなら、手は出さないつもりでいたけどね。そういうものばかりが愛情ではないだろう?」
「はいかいいえで答えてください!」
「なら『はい』としか言えないね。正直今も大分興奮してるんだけど」
「え、っ」
だがまあ、予想外の答えだったのだろう。トーマは赤面と共に硬直した。けれどそこから数秒の後に、「なら、考えがあります」と。
「お、オレも性欲は強い方、でして。これでもかと満足させてくれる相手でなければ、結婚は難しいかもしれませんね!」
……明らかに苦し紛れで、どう見ても悪あがきだった。据え膳、という言葉だけが綾人の脳裏によぎる。
「ふむ……つまりお前は婚前交渉を望むんだね」
「え、えまあ……そういう、ことですかね……?」
「分かったよ、なら三日後だ。三日後の夜お前を抱きに、お前の部屋を訪ねることにする。
その時全て決めようか、お前が言い出したことだからそれでいいね?」
「は……はい……」
言いながらも、微かに震えているトーマが可愛くて仕方ない。耳の先まで真っ赤だよ、と言いたいのをこらえる。
……さて、これで逃げ道は全て塞いだ。あとは三日後のお楽しみだ。