その蝶蝶結びが、解けることは。「……それじゃ、アタシは行くけれど!何かあったら絶対、ぜーったい!連絡してね!」
「わ、わかったわかった。ほら、いってらっしゃい、咲希」
咲希が悲しそうな顔をしながらも「いってきまーす!」と部屋を出て行く。
ベッドの中でそれを見送ると、枕元にあるスマホを持ち、連絡アプリを開く。
……書かれていた内容に目を通すことなく、必要最低限の内容を送ると、既読を確認せずにアプリを閉じる。
自業自得。
そんな言葉が頭をよぎり、自分の情けなさにため息が出た。
-----------------------------
オレが類に告白したのは、つい数週間前のことだった。
絶対迷惑になるだろうと思って、ずっと秘密にしておくつもりだったのに、ついポロリと漏らしてしまった。
ムードもへったくれもないその告白は、オレの一番の黒歴史となってしまったのは言うまでもない。
それでも類は「僕もだよ」と、返事をしてくれた。
オレ達は、晴れて両想いとなった。
なった、筈だった。
類は、その日からも、何も変わることはなかった。
想いを伝え合うでも、くっつくこともない。
変わらず、学校でショーの話をして、ショーの練習をして、ショーをして。それだけだ。
まあ、オレ自身も、そんな恋人らしいことなんて、恥ずかしくて早々できはしなかったけれど。
それでも、二人きりの時なんかは、頑張ってくっついてみたりもした。
……類の反応の薄さに、直ぐにやめてしまったが。
それに。
思い返すと、類はオレに一度も、「好き」ということはなかった。
告白の返事も「僕も」だけだったし、付き合ってからも、言うことはなかった。
……類は、好きでもないのに、オレが離れないように、仕方なく付き合っているのではないか。
そう思うには、十分過ぎる時間だった。
-----------------------------
そんな、ある日のこと。
練習の終わり、帰り支度をしていた時。
オレは類と、口論になってしまった。
オレが提案した演出の1つを、類がばっさりと切り捨てたのだ。
普段であれば、難しい演出だった場合はちゃんと理由を説明してくれるし、場合によっては違った形で考慮してくれる時もある。
でもその時の類の言い方は、明らかに案を切り捨て、その理由も説明してくれなかった。
類の目にはかなり濃い隈があったし、頭がちゃんと働いていないのであろう。
それに含めて指摘しても、別の反論をしだしてちゃんとした話し合いにならなかった。
……本来であれば、そうなったとしても、帰ってしっかり休んで、お互いに謝罪をして、終わる筈だった。
この日だけは、想定外のことが起こってしまった。
来るのが遅いと、寧々が顔を出したのだ。
オレが何も言う前に類が自分にいいように話をしてしまい、寧々もため息をつきながら「それは類が正しい」と言った。
……類は。
「ほら!やっぱりそうだ!やっぱり寧々は僕のことわかっているね」
勝ち誇ったように告げられた、その言葉。
きっと類は、口論の延長戦だとしか、思っていなかったんだろう。
それでも。
類のことがわからなくなっていた今のオレにとっては、あまりにもきつい言葉だった。
だからこそ、無意識に、オレも、言ってしまったんだろう。
「なら、オレとじゃなく、寧々と付き合えばいいだろう」
と。
オレも、本当に無意識だった。
何故、この言葉が漏れてしまったのか、わからなかった。
でも、唯一わかったことは。
これ以上、類の言葉を聞いてはいけない。それだけだった。
オレのその言葉にぽかんとする2人に適当に言い訳をして、そのまま家までの道のりを走り抜ける。
その間響く連絡アプリの通知音は、聞こえないフリをして。
帰宅し、様子がおかしいであろうオレに質問することなく、咲希も、母さんも父さんも、迎え入れてくれた。
何時も通り、夕飯を食べて、お風呂に入って、脚本を書いて、新しいポーズを考案して。
……そのどれもが、類の顔が過ぎって、上手くいかなくて。
思えば。
オレは類に、あんなことを言ってしまったが。
寧々と類は幼馴染なんだから、考えてることがわかって当然だ。
……そんな、「当然」のことに、オレは嫉妬してしまったのか。
無条件で考えていることがわかることが、羨ましくて。
オレも幼馴染だったらわかったのかと、ないものねだりをしていたのかもしれない。
でもそんなもの、なくて当然なのだ。
どこからどう見ても、勝手に嫉妬してそんな考えに至ってしまった、オレが悪いのだ。
……きっと、嫌われてしまった、だろうな。
なんて謝れば、いいんだろうか。
そんなことを、延々と考えていたからだろう。
次の日、オレは高熱を出していた。知恵熱、というやつだ。
昔から、イライラしたり思考に耽ったりしてしまうと、高熱を出してしまう。
普段は出しても37度前後だったこともあって、風邪でもなんでもないしと普通に学校に向かっていたのだが。
流石に考えすぎてしまったんだろう。39度前後まで、熱は上がっていた。
流石に39度前後ともなると、誰よりも咲希に止められた。
風邪じゃないことは重々承知しているけれど、それでも休んでほしい、と。
父さんも母さんも朝から仕事に向かってしまっている。
咲希のそのお願いを、聞かないわけにはいかなかった。
-----------------------------
何時も通りの知恵熱で、対処法もわかっている。
かなり高い熱は出ているものの、頭痛もなければ喉や鼻に炎症がある訳でもない。
ならばこれ幸いと、脚本用に使っているメモアプリを開いた。
熱が出ているから眠くなりはするが、それまではじっくりと脚本を考えられる。
書く事は出来なくても、ネタ出しをしておいて纏めておくのも手だろう。
そう思いながら、今までのネタをざっと見ていた時、ある箇所で指が止まった。
「運命の赤い糸」
確か、恋愛ものもいいかもしれないと書いたものだったか。
人の縁が糸で見える主人公が、自分の好きな人の運命の人を探してあげる話。
確か、紆余曲折あって、実は主人公が運命の人だった、で終わるラブストーリーだった筈だ。
まあ、その紆余曲折と、糸をどうするのかが決まってなくて、ずっとメモに眠ったままなのだが。
「……運命の赤い糸、か」
自身の小指から繋がる、今にもきれそうなほど細い糸。
小指には蝶蝶結びで結ばれていて、すぐにでも解けてしまいそうで。
それでも。
「…………いいなあ」
そんな、明確な指標でもあったら。
こんな風に、悩まなくていいのかもしれない。
そう思っているうちに、眠気が訪れて。
抗う間もなく、意識は闇に沈んでいった。
-----------------------------
ピン、ポーン……
響いたチャイム音に、ゆっくりと意識が浮上する。
未だにぼんやりとする思考に、恐らくまだ熱は下がりきってないんだなと思いながらも、布団から出る。
もう一度鳴らされたチャイム音に急かされながらも、階段を降りて、インターホンを確認する。
「……え」
そこに映った紫色に、思わず声が漏れた。
『……よかった。司くん、いるね。よかったら、出てきてくれないかい』
どう言おうかと迷っているうちにそう声がかかり、仕方なく玄関へ向かう。
そっと鍵を開けると、待ってましたと言わんばかりに扉が開き、オレはバランスを崩した。
「っ、わ……!」
「お、っと」
開けた張本人である類が、咄嗟に身体を支えてくれる。
オレの身体を支えると、びっくりした様子でオレの方を見た。
「ちょ……ちょっと司くん、熱高くないかい!?」
「そう、か?朝よりはマシになったと思うが」
「いや朝どれだけ高くなって……!?と、とりあえず上がっても構わないかい?」
「あ、ああ……」
類の勢いに押されるがまま、家に上げる。
手洗いうがいを済ませ、部屋に戻ろうとするオレを支えながら一緒に来てくれた。
「……それで、突然来るなんて、何かあったのか?」
「ま、まあ、確かに用事はあったけれど。こんなに熱があると思わなかったよ。また今度に回してもいいけれど」
「いや、いい。咳も頭痛もないから、大丈夫だ。言ってくれ。」
そういうオレに、怪訝そうな顔をしながらも、類は口を開いた。
「ちょっと、セカイに趣いた時にね。凄いことになっていたものだから」
「セカイが……?俺の体調不良で、なんか影響が出たのか……!?」
思わず類を問い詰めると、類は落ち着いてと言わんばかりに俺の頭を撫でてきた。
「悪いものではないから安心して。まあ状態は見たほうが早いけれど……。咲希くんやご家族がまだ帰ってこないのなら、行ってみるかい?」
「咲希は今日アルバイトだと言っていたし、休まないでくれとお願いしたからな。父さん達も帰りは遅いと聞いているから大丈夫だ」
「そっか。なら行こう」
繋いできた類の手を、そっと握り返す。
火照った身体に、類の低めの体温が心地よい。
……そういえば、あんなことを言ってしまったのに。類はまだ、オレに触れてくれるんだな。
そんなことを思いながら、「セカイはまだ始まってすらいない」をタップした。
-----------------------------
「……う、わ!?なんだこれ……!?」
ひと目でわかるほど、セカイは異様な姿になっていた。
空は、曇一つなく。観覧車は相変わらず光っていて。汽車は、変わらず空を飛んでいる。
そんな、いつものセカイ。
そんなセカイの至るところが、赤い糸で結ばれていた。
少し離れたところが結ばれていたり、はたまた凄い至近距離で結ばれていたり。
観覧車は、骨組みのところに糸が張り巡らされていて、それはそれは見事な模様を描いている。
汽車は……結ばれた先が繋がっていないのか、糸をぷらんぷらんとさせながら飛んでいる。
この光景は、どう考えても 異常 だった。
「る、類!どういうことなんだ……!?」
「どういうことも何も、司くんのセカイなんだけどね。……まあ、カイトさんが言うにはね、」
類が掻い摘んで説明してくれた内容に、オレは頭を抱えたくなった。
オレが強く考えてしまったことが、オレの体調不良も相まって変に作用してしまった結果がこれだというのだ。
こんな赤い糸のことなんて考えたかと思っていたが、糸の先が蝶蝶結びになっているのを見て、すぐにわかった。
『運命の赤い糸』。
いやだからといってここまでなるのか!?オレそんなに考えていたのか!?と思わず考えてしまう。
正直逃げ出したくなったが、類はそれを見越してかオレの手首を掴んだまま話をしていた。
つまり、話を聞いて真っ赤に染まった顔も、一切隠せない訳で。
「……やっぱり、司くん心当たりがあるんだね」
「うぐぐ……わかっててやるなんて卑怯だぞ……!」
「確かにそうかもしれないけどね。昨日の話もしたいのに一切連絡も見てくれないんだから、こうでもしないとできないだろう?」
昨日の、話。
その言葉を聞いて、思わずびくりと反応してしまう。
……何を言われるのか、怖い。
そう思ってしまい、類の顔が見えないように、俯いてしまう。
そんなオレを見て、類がため息をつくのにも、びくりと反応してしまった。
別れる。
そんな単語が頭をよぎり、目を開けられず、ギュッと閉じてしまう。
だから。
「司くん」
オレは、何が起きたのか、ちゃんと理解できなかった。
オレの、顎に手が触れて。
そのまま上に持ち上げられたと思ったら。
……オレの唇に、柔らかくて暖かい、「何か」が触れた。
驚きのあまり、閉じていた目を開き、類を凝視してしまう。
そこには、見たこともないほど顔を赤くさせた、類の姿があった。
「な………なん、で、」
「だって、こうでもしないと司くん、話を聞いてくれないでしょう?」
そう言いながら、類の手が俺の頬に触れる。
類は、顔を赤くしたまま、悲しそうな顔をしていた。
「ごめん」
「……え?」
「寧々にね、怒られたんだ」
類は、ぽつりぽつりと、あの日の後から、今日ここにくるまでのことを、話してくれた。
--------------------------
司くんが去った、あの後。
僕よりも早く正気に戻った寧々は、僕を問いただしてきたよ。主に付き合ってる云々の方向で。
あまりの勢いにタジタジしちゃいながらも答えたら、寧々にため息をつかれたんだ。
「あまりに普段と変わらないから、付き合ってないんだと思っていた。司も、そのことを言ってるんじゃないか」って。
僕も反論しようとしたけれど、「その前にその隈をなんとかして」って押し切られて。
強制的に帰らされて、眠らされて。すっきりとした頭で、考えて。
僕の頭に浮かんだのは、後悔だけだった。
司くんの意見を汲み取ることなく切ってしまったことも、寧々の言っていたことが間違いでないことも。
その全てに、気づいたんだ。
そう思って連絡をしても既読がつかないし、きても「休む」って連絡のみ。しかも以降も既読はつかない。
クラスに直接突撃しても、今日は休んでいると言われたら、何も対処しようがなくて。
落ち込む僕に、寧々がえむくんも呼んで作戦会議しようと、そう言ってくれて。
……まあでも、作戦会議なんてものは、セカイの形相で吹き飛んだけれどね。
カイトさんの説明で、司くんが想定してたよりもずっと重症だって知って、2人が言ってくれたんだ。
練習を休みにするから、司くんのとこに行ってきて、って。
そして、今に至るんだよ。
--------------------------
「……僕はね、司くん」
これまでの話をして、類がオレと目を合わす。
その顔は、全く見たことがない、一切余裕がない顔だった。
「人を好きになった、恋をしたのも、付き合ったのも、全部全部。司くんが初めてなんだ。」
「司くんが傍に来てくれた時も、とっても嬉しかったのに、どう反応したら、返したらいいかわからないうちに、終わってて。」
「進み方もわからなくて。キスもデートも、どれだけ脳内でシチュエーションを考えたり、シミュレーションをしても、自分がそれをできてるイメージが、全然つかなくて。」
掴んでいた手で引かれて、抱きしめられる。
とても早い鼓動が、これが嘘でないことを、教えてくれていた。
「でもね。司くんが不安になるなら、そんなものは必要ないって、思ったんだ」
「…………!」
「ねえ、司くん」
「僕は、司くんのことが大好きだよ。……司くんも、思っていたこと、教えてほしいな?」
ドキドキが止まらない、暖かい腕の中で。そんなことを言われて。
話さないなんてことは、できなかった。
「……オレ、は」
「うん」
「……何も反応がない、好きも言われていないことが、怖くて。離れていかないように付き合ったんじゃとか、色々、考えてしまって」
「別れた、後も。幼馴染だからわかってて、オレも幼馴染になれたらとかって、ないものねだりしてしまって、」
「……いっそ、運命の赤い糸のように、明確な指標があったらなんて、思ってしまって」
「……だから、赤い糸だったんだね。熱が出てしまったのは、どうしてだい?風邪とかではなさそうだけど」
「これは、ただの知恵熱だ。色々、考えすぎてしまったみたいで、」
「…………ここまで明確に苦しんでたとわかると、本当に申し訳ないね」
頭を撫でてくれる類の肩に、うりうりと摺りつく。
「オレも、ちゃんと相談しなかったのがいけないんだ。オレも悪い」
「……だとしても、このまま甘える気がないよ。ちゃんと、言葉にも態度にも行動にも、出していくから」
「……ありがとう」
「それから」
「指標が欲しいのなら、僕がいいものをあげるよ」
そう言いながら笑う類の顔は、何時も通り楽しそうなことを考えている顔だった。
--------------------------
相変わらず、2人揃ってまた演出の話し合いをしている。
類もあの日から反省したのか、徹夜する日が減った気がする。いい傾向だと、思う。
ふと、2人のスマホが目に入る。
そこにそれぞれついているキーホルダーに、思わず笑みが漏れた。
「……ほんっと、ラブラブなんだから」
視線の先には。
先が黄色や紫で染まった、蝶蝶結びの赤い糸のキーホルダーが、風で揺れていた。