曲げたくない、大切なこと。はあ、と手に息を吹きかける。
手を摩っても、一向に温まる気配もない。
足が、寒さで小さく震える。
それでも、オレはここから移動する訳にはいかなかった。
この"約束"だけは、守りたいから。
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それは、ある日の、公演の合間に起こった出来事だった。
配線が絡んでいたのか、経年劣化なのか。
ショーに使っていた機材の1つがショートし、うんともすんとも言わなくなってしまった。
類が見てくれたが、素人のオレが見ても、修理には時間がかかる上、困難を極めることが容易に理解できてしまって。
明日、最終公演を迎えるこの公にでは、間に合わないことが、確定してしまっていた。
類は、意地でも。徹夜してでも直すと、そう言っていたが。
オレ達が見ても、一日そこやじゃ直せないと思ってしまうほどの状態なのだ。
類もそれがわかっているからこそ、徹夜してでもなどと言うのだろう。
でも。
練習の時でさえ、徹夜した時はそれが動きに明確に出てきているのだ。
もし、機材を直すことができなくて、類も本調子でないまま公演に挑んでしまったら。
そのほうが、目も当てられない。
オレも大分悩んだ上での結論だったが、類はそれをなかなか聞き入れてくれなかった。
でも、えむも寧々もオレの意見に賛同していて、3人で説得して、どうにか類に折れてもらえた。
付け焼刃ではあったけれど、代わりの演出も実現できて。
無事、大盛況のまま、幕を下ろすことができた。
最後まで納得のいっていない、類を除いて。
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全ての公演が終わった後、機材も片付け、後は着替えて帰るだけ。となっていたが。
いつまでも不貞腐れる類に、つい小言のように窘めたところ、それが琴線に触れてしまったようで。
互いに言い争いになって、最後は類がこれ以上聞きたくないとでも言うかのように、逃げるような感じで去っていった。
オレ達の言い争いが聞こえたであろう2人も、様子を見に来てくれて。
気にしなくていいと、言われたけれど。
オレは、類を笑顔にできなかったことが、どうしても心残りだった。
あの演出はできなかったけれど、類が代わりにと考案してくれたものでも、皆を笑顔にできた。
故障なんて、運が悪かったとしか言えない。そういう時もある。
でも、困難を乗り越えて、観客も仲間も、全員笑顔にしてこそのスターなのだ。
気持ちを切り替えて、せめて少しでもいいものを届けられたらという気持ちで、挑んでいたのだけれど。
その気持ちを、しっかり類に届けられなかったことが。
オレの心に、モヤモヤを作っていた。
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そんな公演の次の日。
学校も練習もお休みの日である今日、オレは外出していた。
毎回、新しい公演が終わると、オレたちはいつも、1~2日ほどのお休みをしてから、次の公演の練習をする。
そんなお休みのうちの1日は、2人でデートをする決まりとなっていた。
今回も、この場所に行きたい、ここの期間限定のやつを見たいと、公演前に話していて。
最後の待ち合わせの擦り合せも、最後の公演の時にやっていたのだけれど。
いつも出来ていたそれを、昨日はやることができなかった。
それを、気にしながら歩いていたせいだろうか。
人にぶつかりそうになったり、車に水たまりの水をかけられたりと、散々だった。
特に車は、夜の間だけ降っていた雨だからそこまで大きくはなかったものの、靴はびしょ濡れになってしまった。
しかも、いざ到着してみると、類の姿はない。
確かにいつもやっていた擦り合せはできていないものの、最近は同じ時間、同じ場所に集まっていたからきっと大丈夫だろうと踏んでのことだったのだが。
スマホを取り出し、類に連絡をしようとして。
それを諦め、ポケットに戻す。
催促してもいいのかもしれないが、謝罪は面と向かってやりたいのだ。
事前連絡してしまったらややこしいことになる。
ため息をつきながらも、時計が見える場所に、そっと寄りかかる。
類に会ったら、何を言おうか。
とりあえず謝って。せめて和解には持ち込みたい。
それから、それから。
そんなことを考えているうちに、時間は刻一刻と過ぎていった。
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あれから、4時間。
類は、一向に来る気配がなかった。
連絡しようと、スマホを取り出したけれど。
昨晩のうちにちゃんと充電されていなかったのか、いつの間にか電源が切れていた。
足も、正直感覚がない。
唯でさえ今日は日中も寒いのに、足が濡れたままずっと外にいたのだから、仕方ない。
それでもオレは、ここから移動しようとは、思わなかった。
毎公演後に、デートをしようと言い出したのは、類だった。
ショーバカで、いつもいつもショーのことばかり考えていて、恋人らしいことができないから。
せめてこの時だけは、ショーのことはしっかり忘れて。
2人だけの時間を過ごそうと、そう約束していたのだ。
もし、オレがこの場から離れてしまって。
その間に、類が来てしまったらと思うと、どうしても動けなかった。
もうこれ以上、類に失望されたくない。
オレは、類のことが好きなのだ。
待つ理由なんて、それだけなのだ。
つい頭に過ぎってしまう暗い考えに、顔が俯いていく。
例え、類がオレのことを、嫌ってしまったとしても。
それでも、
オレは、
……その先のことを、考えることが、できなくなった。
暖かくて、固くて、強いそれが。
俯いていたオレの手を引いて、抱きしめてくれたから。
心臓はドコドコと脈打っていて。顔からも、汗が流れていて。
息も、こんなに乱れていたことがあっただろうかと思うくらい、乱れている。
言葉は、なかった。
それでも、なんとなくわかった。
そっと、背中に手を回すオレに、類はより一層強く抱きしめてきた。
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「……はい。これでどうかな?」
「ん。……おお、凄いな、痛くない。ありがとうな、類」
「どう致しまして」
ここは、類の家。
あの後、オレ達は類の家に移動していた。
あの後、類がせめて暖かい場所に移動して、と手を引っ張られた時に、オレの歩き方がおかしいと指摘されて。
その時に、足が濡れたこと、それを放置してそのまま待っていたことを言ったら、類は慌てた様子でオレを担ぎ、家まで運んでくれたのだ。
……流石にお姫様だっこで運ぼうとしていたので、慌てて止めておんぶに落ち着いたが。
類の家について、靴を脱いで漸く気づいたのだが、オレの足はしもやけが起こっていた。
類は、きっとそれを見抜いていたのだろう。
足にどこからか取り出した軟膏を塗ったり、冷たいタオルとホットタオルを交互に当てて、対処してくれた。
ちなみに、対処している間に、充電が切れたオレのスマホは、類の充電器を貸してもらって、電源を入れることができた。
夥しいほどに残っている通知に目を見開いたが、類もそれだけ必死に探してくれたのだと思うと、なんだか胸がぽかぽかした。
漸く症状が落ち着いたところで、類は対処に使ったタオルを傍に置くと、座ったままオレを抱きしめてきた。
そっと抱きしめ返すと、類はピクリと反応した後、口を開いた。
「……ごめん、ごめんなさい」
「……類?」
「ちゃんと、司くんは考えていたのに。……上手くいかないことに苛立って、傷つけて。ごめんなさい」
オレの肩に顔を埋めたまま話す類の頭を、オレはそっと撫でる。
類はそれに反発することもせずに、ぽつりぽつりと話しだした。
オレとのやり取りに苛立ったまま、類はあの機材の修理に取り掛かろうとしたらしい。
作業している間に段々と落ち着いていき、作業に集中しようにも、オレの必死に説明しようとしていた顔を思い出して、手を止めてしまい。
拉致があかないと、さっさとご飯とお風呂を済ませ、寝てしまったそうだ。
次の日、改めて確認した際に、到底公演に間に合わないであろう惨状に、言っていたことが正しかったと自覚し。
更に、醜い八つ当たりでオレを傷つけてしまったことに、自己嫌悪していたらしい。
そのまま二度寝してしまい、漸く起きてご飯を食べたところで。
母親から、素朴な疑問をぶつけられたらしい。
「いつも、公演終わりに外出していたが、今日はないのか」と。
そこで漸くオレとのデートを思い出した類は、慌ててオレに連絡を取ろうとしたが、返事はなく。
着拒しているのではと慌てたが、セカイに趣いてオレがどこにいるかを確認してもらい、電源が切れていることを確認したそうだ。
類は、自分から約束していた大切なことを忘れていたのも相まって、オレが怒っているのではないかと慌てふためき、思いつく場所を全部巡るように走っていたそうだ。
最終的に、『司に連絡がつかない』と連絡をしてきた寧々に事情を話し、一緒に考えた際にここを思い出し、来れたのだそうだ。
「苛立って、ぶつかっちゃって。全然周りを、見れていなくて。」
「…………類」
「勝手に自己嫌悪して、約束をすっぽかして、挙句の果てに、大切な司くんの身体を、傷つけちゃって……」
「類、類」
「僕……僕、は」
「類!」
大きい声で呼ぶと、びくりと身体を震わせる。
俺は少し離れ、類の顔を正面から見ると、口を開いた。
「類。オレの方こそ悪かった」
「…………え」
「オレだって、類のことをもっと考えてやれればよかったんだ。もっと言い方があっただろうし、別の策もあったかもしれない」
「で……でも、」
「それに」
そう言いながら、類の頬に手を添える。
その暖かい温度に、涙が出そうになった。
「観客を笑顔にできて、えむと寧々もやりきれたと嬉しそうだったけれど。……類を笑顔にすることは、できなかった」
「……あ……」
「観客も仲間も、皆笑顔になれるショーをするのがオレにとってのスターだと、豪語していたくせにな」
「だから、悪いはオレの方で……っ」
そう続けようとしたオレの口を、類の口が塞ぐ。
びっくりして言葉を止めてしまったオレに、類は笑いかけた。
「互いに、思うところはあるようだし。今回は、痛み分けとしようじゃないか」
「だ、だが……」
「司くんがそう言ってくれたのと同じように……、僕だって、自分の感情だけでぶつかってしまったことは、後悔しているんだ」
「…………!」
「一旦ショーのことは、明日反省会をやるとして。……今は、傷つけてしまった大切な恋人を、労ってあげようじゃないか」
そう言いながら、抱きしめてくる身体に、泣きそうになる。
それをぐっと堪えて、口を開いた。
「……っ、それなら、オレも」
「ん?」
「一所懸命改善案を出して、必死にオレを探してくれた大切な恋人を、労らねばなっ!」
オレの言葉に、類が嬉しそうに頷く。
そのまま、ゆっくりと唇が、近づいていって。
その日、オレが自宅に帰ることはなかった。