バボがライの膝枕で寝てる(赤安) 道中の一件以来、いつもより口数が少なくどこか疲れている様子のバーボンだったが、これでもかとのもてなしはどうやらお気に召したらしい。ソファに深く沈み込んで、自分が口をつけたのを確認してから給仕されたティーカップを手に取った。一口二口と口をつけて、ベルガモットの香りに心ほぐされたのか、ほうと溜息。そのまま彼は、珍しく何をするでもなく、車窓の景色を眺めていた。
──タタン、タタン。
列車ならではの規則的な振動、軽やかな線路の音は耳心地よいものだ。寒いところから一転ぬくいところへ来たせいで、眠気に誘われたか。瞼がだんだん降りてきて、そのままこくりこくりと船を漕ぎ始める。ついには身体がぐらりと傾いて、思わず咄嗟に、手を伸ばして身体を支えてやったのだが。
「んぅ、……」
「……おい」
一瞬開いた目は、ぼんやりと焦点の定まらない様子。
ややあって、己を見上げ認識し──。一体何を思ったのか、目の前にあった自分の長い髪に手を伸ばし、一房握りしめると、掴むものを得て安心したというように、再び、寝息を立て始めたのだった。
前かがみの中途半端な姿勢で腕を伸ばし身体を支えてやりながら、途方に暮れる。
このまま寝られたら、一体どうしろというのか。持ち込んだ本を取りに行くことさえできやしない。文句の一つもぶつけたって罰は当たらないだろうが──。
こんこんと眠る姿を見ていると、どうにも毒気を抜かれてしまう。
こうしてみると、ただでさえ幼く見えがちな顔はどうみたって成人には見えないし、きゅうと握り締めた手は、母親に置いて行かれまいと必死にしがみつく子供のよう。何より、警戒心の塊のような男が、己の前ではこうして無防備な姿を見せることに、何とも言えないくすぐったさを感じるのだ。
「チッ……」
結局、本を読むのは諦めることにして、ソファの隣に腰を下ろし、膝枕をしてやることに。バーボンは、よほど疲れていたのか、体勢を変えさせられても起きる気配はなかった。……時折、不自然に寝息が乱れる。何かに耐えるように、眉を寄せている。悪夢にでも魘されているのだろうかと、かつて妹にしてやったのを思い出しながら髪を梳く。母親が口ずさんでいた子守歌を思い出してなぞる。
静寂を、己のとぎれとぎれの歌が揺らす。
柔らかな猫っ毛が、するりと指の間からこぼれ落ちていく。
しばらくそうしているうちに、やがて、苦しげだった寝顔は穏やかさを取り戻した。規則正しい寝息とともに上下する身体。何かから身を守ろうとするように、あるいは、己を己のなかに押し込めようとするように。手足を縮めて眠っている姿は、どう見ても「奪う側」ではなく、庇護されるべき存在だった。けれど──。
数時間前、その手は確かに、幼い命を奪ったのだ。凍てついた横顔。躊躇いなき動作。それらを思い出して、再び胸の中で問う。
その瞬間、お前は何を思ったのか。
なぜ、人を殺すようになったのか。
外の景色を眺めていても一向に目の前の光景は目には入って来ず、頭の中は彼のことでいっぱいだった。繊細そうな見た目に反して、タフで豪胆な男である。短くない時間同じアジトで生活を共にして、何度感心させられたことか。けれど、こうやって日の高い時間から寝入る姿は珍しくて。ただ眠いだけか。体調が悪かったのか。それとも。
──やはり、先ほどのことが堪えているのか。
考え事をしている間に、窓から見える景色はずいぶんと変わっていた。切り立った岩肌の一帯を過ぎて、高架線路の足元には、ここに住まう人々の日常の営みが広がっている。
色濃い肌の人間はこのあたりでは珍しくない。けれど、この肌の色に金色の髪、ブルーの瞳は世界どこへ行っても珍しい。だから、あちらこちらで目をつけられる。むしろ、己の容姿の価値を理解し、武器にしている。美しい見目に引き寄せられてくる者たちを食いものにして、吸い上げたさまざまな秘密を売り買いしていくことで、彼の生業は成立しているのだ。つくづく抜け目のない、厄介な探り屋である。
そんな身の立て方を、この子に教えこんだ人間の慧眼たるや。あるいは、誰に教えられるでもなく、自身でたどり着いたのか。だが、これだけそつなく立ち回れる人間ならば、もっとほかの生き方ができるだろうに。なぜ、こんな組織に身を置いているのだろう。
そしてなぜ、こんなにも、この探り屋のことが気になるのか。
いくら任務を共にしているからといっても、こうまでも、境遇や考え方や、それこそ一挙一動に、何かを思う相手はバーボンだけだ。それは果たして、行動を共にする時間の長さやとりたてて若い外見だけのせいなのか。たとえば、スコッチが同じように眠っていたとしても、わざわざ膝を貸してやったりするだろうか。
自問自答を繰り返すも、結局は何一つ結論を出さずに、今この穏やかな時間が少しでも長く続けばいいと、考えるのをやめた。もし叶うならば、二度とこの手が、人殺しの道具を握らずに済めばと願う。そう思うのであれば一刻も早く、FBIの網にかけて捕まえてしまうべきだが──。
それを容易にさせない隙のなさ、何より、自分以外の手で彼の腕に手錠をはめさせたくないという身勝手な思いが、決断を先延ばしにさせているのだった。相反する部分があって掴み切れないのはバーボンだけではない。近頃己も──。どうにも、調子が狂っている。