『断崖に立つ(仮)』ドラマイ四十八手ってさ、いくつかカブってるよな?
と、そいつはオレの顔を見た第一声がソレだ。
地元の高校生たちに呼び出されても全く気にも留めなかった。
虚勢を張る様子もなく、ビビってさえいなかった。
その理由は、すぐにわかった。
向こうには倒れた男たちが足元にうずくまっている。佐野よりもずっと身長は高く体格がよかった。
佐野万次郎はオレよりずっと小さいくせに、オレよりずっと強かった。
目が覚める思いだった。
佐野は『無敵』だった。
直感だった。こんな男に、この後人生で出会うことはない。
だから、オマエの背中についていきたいんだ。
その小さな背中に言おうとした。
でも、言うより早く佐野は振り返った。
「オレの友達になれ、ケンチン」
オレに選択の余地はなかった。
佐野はオレを引き寄せた。オレの腕を掴んだ手は想像通り小さかった。
オレは言えなかった言葉を飲み込むと、佐野の隣に立つ。
この日から、佐野万次郎という男はオレにとって『無敵のマイキー』になった。
マイキーは後に創設される東京卍會の総長となり、オレは副総長となった。
総長が被る泥は副総長であるオレが全部引き受ける。
東卍の『無敵のマイキー』の看板は傷一つつけられなかった。
マイキーは皆の憧れの存在だ。
だから、東卍のメンバーはもちろん、日本中の不良たちが見上げる存在でなければならない。
マイキーが総長であるために、何か努力をしているところを見たことがない。
同年代の少年が持つ苦悩や葛藤から、マイキーは無縁の存在だった。
それに、兄の真一郎が東卍メンバーの一虎に殺されて以来、個人的な感情をほとんど表に出さなくなった。
東卍の看板にふさわしく、いつも高いところから悠然と皆を見下ろしていた。
その横顔に一番見惚れていたのは、きっと自分だったんだと思う。
「ケンチン」
だからもう一度オレを引き寄せるのは簡単なことだったし、この時もオレに選択肢はなかった。
友達、総長と副総長、その他もろもろの関係をマイキーはひらりと飛び越えた。
真一郎君の部屋で初めてセックスをした。
もちろんうまくいくはずがなかった。オレだって要領を得ないし、マイキーもそうだ。
マイキーは口ぶりこそマセてはいたが体はところどころが子供のままだった。
そんな体にさえちゃんとオレの本能は反応した。
理由があるとすれば、オレはマイキーには逆らえない、そんなところだろうと思う。
それを言い訳だと気づいたのは大人になってからのことだ。
けれどオレの興奮が静まると、すぐに理性が戻ってくる。
腕に抱いているのは誰なんだ?それを尋ねるのは副総長であるオレ自身だ。
目を逸らさず直視すると、罪悪感がずしっと背中にのしかかってくる。
総長と寝た。それは他の東卍メンバーには絶対知られてはならないことだ。
最中、小さな体の中にねじ込んだ。マイキーは眉を寄せて苦しそうに喘いだ。掴んだオレの腕に爪の跡が残っている。
それでも「嫌だ」とは言わなかった。
あの時のマイキーの顔は忘れられそうにない。
アレはきっとオレしか知らない顔だから。
そうだ、その時、オレは少し嬉しい気持ちになったんだ。
それと同時にメンバーの皆に申し訳ない気持ちにもなった。
「マイキー、痛かったんだろ」
オレはごちゃごちゃしてきた自分の心を奥に押し込めて、マイキーの背中に尋ねた。
マイキーはベッドの上でオレに背中を向けて寝そべっていた。
部屋の中はしんとしている。
マイキーのむき出しの白い肩がぴくっと反応する。
「ケンチン……」
セックスって案外つまんねーもんだな。
てっきりそんなことを言うんだと思っていた。
オレはそれに、多少がっかりするが、たぶん安心するんじゃないかと思っていた。
こんなことを続けたら、集会の時どんな顔して総長の隣に立っていいかわからなくなる。
だから、一回きりにして忘れてしまえばいい。マイキーだってすぐに忘れるさ。
痛いし、気持ち良くもなかったし、結果的に、マイキーは耐えるしかなかったんだから。あいつは我慢が何よりも嫌いなのに。
暗い部屋の中でマイキーはくるりと振り返った。
「オレは、楽しかったよ」
マイキーはにこっと笑った。よそ行きの笑顔にオレはちょっとムッとする。
「……ウソつけ。オマエ、イッてねぇだろ」
「オレ、まだ子供だし。無理なのは分かってたよ」
マイキーはすぐさま言い返した。
そして、早くケンチンみたいなカッケェチンチンにならないかなぁ、とかのんきに言ってる。
分かってたってどういうことだ?それに、マイキーの顔に罪悪感も後悔は少しもない。
オレは複雑な気持ちになって尋ねた。
「……で?何が楽しかったって」
マイキーの額にかかる金髪を払いのける。前髪は目をすっかり覆い隠ほど長く伸びていた。
学校に行く時は結ってやらないとな。
マイキーは暗闇の中で猫のような瞳を向けた。
「……ケンチンの顔見てんの、楽しかったよ」
「はぁ?オレの顔ォ!?」
「そう。だってケンチンもオレのこと見てただろ」
それに、オレはグッと言葉が詰まった。
マイキーがにじりよって来て、オレの胸に顔を埋める。
「それに、今はうまくいかなくたっていいよ」
マイキーは無責任なこと言う。想像以上に男のプライドは傷つくもんだ。
「良くねぇだろ……」
オレが呆れて言うと、マイキーは顔を上げる。
その顔は笑ってなかった。
「そのうち、うまくなりゃいいんだよ」
「そのうちって」
オレはマイキーの言葉を繰り返した。
つまり、次もあるってことだ。
「今まで、オレとケンチンでうまくいかなかくなったことなんてなかっただろ」
「そりゃ……」
喧嘩の話だろ、と言いかける。
その時、何となくマイキーのことを否定しちゃいけない気がした。
だから『副総長のオレ』が口を開いた。
「……そうだな、マイキーの言う通りだ」
そう言ってオレは細い体を抱き寄せた。
マイキーもオレの体にしがみついた。鼻先に触れる金髪は子供っぽい汗の匂いがした。
その下でマイキーは小さく呟いた。
「……やっぱ、ケンチンはオレのこと何でもわかってる」
「…………」
『ケンチン』
それはマイキーがオレにつけたあだ名だ。マイキー以外にそう呼ぶ奴はいない。
『ケンチン』と呼ばれる男は、マイキーの友達でもあり、東卍副総長でもあり、総長の最高の理解者だ。
そして、『無敵のマイキー』の背中に生涯ついていくと決めた男だ。
だからオレは迷うことはない。迷いは、弱さだ。
そうだよな、マイキー。
オマエはオレに選ぶことさえ許さない。
「ん……」
マイキーはオレの腕の中ですうすうと寝息をたて始めた。小さな手に捕まって、オレは逃げるどころか寝返りも打てない。
勝手なヤツ。
でも。
『側にいろ』
マイキーにそう言われているようで、オレは悪い気はしなかった。
(続)