倫敦小景②資格なき者 ベイカー街の外れ、赤茶けた煉瓦の3階建。《蛇と狼の魔法探偵事務所》の郵便受けに、金の箔押しで飾られた壮麗な封筒が届いたのは3日前のこと。その封筒は、今、封を切られたまま暖炉の上に放られていた。
――我が高貴なる友よ
初夏の陽光の下、世界は勇気と希望に満ち、貴殿が誇り高く立っていることと、心より信じております。
ここに、我らがグリフィンドール寮への集いへの招待状をお送りします。どうかご参席いただき、共に友情の声を上げ、あの尊き学舎で結ばれた絆を新たにいたしましょう。
……
「…Yours in courage…監督生・煉獄杏寿郎、あいつらしいよな」
不死川が、取り出した手紙をまたテーブルの上に放った。3日前から、開けては放り、また取り出しては…。
ランプの灯は小さく抑えられ、室内は薄暗い。
不死川はソファに背を預け、封筒から目を逸らす。夜気の差し込む窓辺から、銀色に輝く月を睨み上げた。
――俺が、グリフィンドール寮?
思い出すたびに、胸の奥がざらつく。
幼い頃、悪魔に憑かれて家族に襲いかかった母を、この手で仕留めた。
あの血の温度。歪んだ母の咆哮。
――勇敢さだの、誇りだの。…そんなもの、俺にはねェ。
「お前が物思いに耽るとは、珍しいな」
気配もなく、背後から声をかけられた。
影の中から湧き出すように、伊黒がするりと窓辺に歩み寄る。
首元に侍らせた白蛇の鱗が、月明かりを細く反射していた。
「グリフィンドールの、脳筋が」
くすりと笑むように、空気が揺れる。
「るせぇ、こんなの…行かねェよ」
不死川の口中に苦味が広がる。伊黒が、ついと手紙を取り上げ、目を走らせる。
「交流会…行けばいいだろう。たまには、お節介で向こう見ずな仲間たちと、羽を伸ばす必要があるんじゃないのかね」
「俺は……!!」
知らず、不死川の声は大きく響いた。
「…母を、殺した」
絞り出すような告白に、伊黒が片眉を持ち上げた。
「悪魔に憑かれて、家族に襲いかかったんだ。なんでだか、わかんねぇ。小柄で優しい女だったのに!放蕩者の親父の分まで働いて…でも…子供にはいつも笑顔で…」
「…その善性こそが、悪魔の嗜虐心を煽ることもあるだろうな」
伊黒が、静かに、揺るぎなく告げる。ほっそりとした身が、ガウンの裾を払って、不死川の隣に腰掛けた。
「…スリザリン生なら、どう考える…?」
不死川の声は低かった。
「グリフィンドールなんざ、俺には…煉獄みてぇな奴とは違うんだよ!俺には、そんな資格、ねェ…」
伊黒が短く息を吐いた。
「ならば、誇るべきだな。無意味な看板に自分を押し込めずに済んだ、と」
毒のように冷たく、乾いた口調。だが、その奥に小さな温もりがあった。
「お前の決断で、生き延びたのだろう?何を恥じることがある?――お前はお前だ。何がどうあろうとも、不死川実弥でしかない。それでは足りぬか」
沈黙が、二人の間に落ちる。
不死川は、ふ、と目を伏せた。
「…馬鹿馬鹿しい軛に足を取られている暇があるなら、紅茶を淹れてくれ」
唐突に、伊黒が言った。
「今、湯を沸かしたはずが――石油のように燃え立っている」
「はぁ!?また魔法でキッチン立ったのかよ!?やめとけ、ったく……」
慌てて立ち上がる不死川の背中を、伊黒は何も言わず見送った。
――伊黒が、誰のために湯を沸かし始めたのか――小さな秘密は、夜霧に溶ける。
湯気の立つポットが並ぶ頃、部屋にはもう、月明かりよりも柔らかい香りが満ちていた。
〈いつかの2人の物語〉