社長やってる轟炎司×探偵やってる鷹見啓悟 ヤクザみたいだと思った。
デカくてごつくてやたら高級そうなスーツ。そして泣く子も黙りそうな強面が応接室のソファに座りこちらを睨むように見ている。
「お待たせ致しました。所長の鷹見です。よろしくお願いします」
俺はにこやかに名刺を差し出し本題に入った。
轟炎司。大きな会社の代表取締役社長。別れた奥さんの新しい彼氏の素性を調査して欲しいとのことで、俺の探偵事務所にやってきた。
紹介者は昔のバイトの先輩のキドウさん。今はこの轟さんの秘書をやっているらしい。そこそこ世話になった顔見知りからの紹介だから受けたけど、正直気乗りはしないな。
人を近づけさせない苛烈で傲慢なオーラ。俺の説明を聞いてる間、こんな若造で大丈夫か? と顔に書いて隠しもしない。
まったく、そんなんだから逃げられるんだよ。そもそも部下に探偵探させて別れた女性を見張るなんて。離婚した相手をいつまで自分の所有物だと思ってるんだろ。情けないおっさん。
「それではこの書類にサインを」
俺は同意書やら誓約書やらの紙とペンを差し出した。受け取った轟さんは熊みたいな身体を丸めてローテーブルの上でペンを走らせた。なんて大きな手だ。ペンが小さくみえる。丁寧で、少し不器用な筆致……。
「本日は以上です。なにかありましたらいつでもお電話ください」
「ああ。くれぐれも相手に察知されないでくれ」
俺の名刺を懐にしまいながら轟さんは念を押す。
「承知致しました」
俺は終始そつ無く愛想良く応対した。馬鹿にしている内心はまったく表に出していない。それでもなにか察したか、それとも元々自責の念があるのか、不遜な大男は最後に少しバツが悪そうに言い訳めいたこと呟く。
「……元妻には、自由にやって欲しい。しかし、狡猾な悪人はいるだろう……」
「ええ、しっかりと調査させていただきます」
俺が神妙な顔で頷くと、轟さんはまっすぐ俺をみて言った。
「よろしく頼む」
そして轟さんは俺の事務所を去った。
威嚇するオーラから一転、真摯な碧の瞳。堂々として大きい、孤高の背中。
ああ、流石シャチョーさん。
この人に頼られたら、応えたいと思う。支え
たいと思わせる。俺だけはこの人の良さがわかる、みたいな。悔しいけど、そんな魅力がある。恐らく無自覚の人誑し。キドウさんが夢中な訳だ。
真正面で目が合うと圧巻だった。整った目元、高い鼻筋。精悍で、渋くて、俺がこの先どんなに歳を重ねようと、一生出せない大人の男の色気……。
▫️
1ヶ月程経って、調査結果を報告した。
轟さんにとって幸か不幸かわからないが、元奥さんの彼氏はなんのホコリも出なかった。
「……十年前に離婚歴がありますが、原因は相手の不貞です。DV、浮気癖、ギャンブル依存症等の交際相手として問題となる経歴はありません。不安でしたら、もうひと月ほど調査し続けることも出来ますが、対象に調査されていると気づかれてしまうリスクがアップします。いかがなさいますか?」
「……もう、いい。問題なさそうだ。俺が調査を依頼したことは気づかれたくない」
轟さんは気丈に振舞おうとしているが、目に見えて憔悴していく。
「了解です。彼の身辺調査についてはこれにて終了とします」
「ああ……」
ギラギラと燃え盛っていた炎がしゅんと消えてしまったみたいだ。
「彼女の、新しい恋人が、善い人間で安心した……。感謝する」
「ご満足頂けて良かったです。ありがとうございました。何かまたご入用の際は是非当事務所を」
「ああ……世話になった」
ふっと寂しそうに微笑む轟さん。つられて切ない気持ちになる。ひとりぼっちの迷子みたい。寄り添ってあげたい。
「あの、轟さん……」
思わず声を掛けてしまった。
「なんだ」
轟さんはあまりに無防備に返事をした。
今ならなんでも受け入れてくれそうだった。ぽっかりと空いた胸の中、俺で全部満たしてしまえたら……。
「……えーと……お気をつけて!」
飲みにでも行きませんか、と喉まで出かかった。しかし依頼人の心の隙間に付け入るようなことは出来ない。この仕事のプロとしての誇りを捨てることになってしまう。危なかったけど、俺は耐えた。馬鹿なことをしなかった。俺はよくやった。けど、ああ……。もう、会うことは無いかもしれない。そう思ったら、なんだか切なくて苦しい。馬鹿なこと、したら良かったな。
仕事帰り、行きつけのバーに寄った。今日は飲みたい気分だった。
「やあ、鷹見か。久しぶりだな」
入るとカウンターに袴田さんがいた。めちゃくちゃ長身で綺麗な顔してて、モデルみたいな出で立ち。動物用のサロンとジーンズショップを経営しているカリスマ。その見た目の良さと個性的なキャラで店のスタッフはみんな彼の崇拝者である。
このバーで何度か会ううちに一緒に飲むようになった。彼のジーンズショップに服を買いに行ったことも何度か。
かなり独特な人だけど、何故だか気を許してしまう。秘密主義の俺なのに、くだらない話を打ち明けてしまう。
「袴田さんて、お客さんに手ぇ出したことありますか」
「無いが」
「無いですよね」
「なんなんだ一体」
「いや……うーん……」
「客に惚れられたのか? 君ならよくあるだろう。君も惹かれたのならば受け入れたらいい」
「俺が一方的にですよ。二度、会っただけなのに、なんだか気になっちゃって。あー、また、会いたいな……。依頼人じゃなかったらなぁ。でも依頼人じゃなかったらそもそも出会ってないし……」
「君が恋の悩みとは……なかなかの希少モデルだな」
「ぶっちゃけはじめてっすわ」
「初恋か。恋はさながらヴィンテージデニム……一期一会のもの……」
「てか独身とは言えお子さんもいるんですよ」
「ほぉ……?」
「みんな成人してるっぽいけど」
「それなら問題ないだろう」
「ですよね! はぁ、声かけちゃえばよかった……でもなぁ。あ~」
「まぁ、運命の一本ならば、自ずとまた巡り会うものだ」
「そうだといいですねぇー。もしもプライベートで会えたら最速で口説き落とします。今すぐそこのドアを開けてここに来てくれないかな~」
でもそんな奇跡あるわけが無い。俺がやるせなさにカウンターのテーブルに突っ伏したところで丁度、からんからんとドアベルが鳴った。
「おや? 君の想い人なんじゃないか」
「アハハ」
袴田さんが言う冗談に笑いながら客をみた。俺は、ハッと息を呑み、呆然と呟いた。
「運命……」
彼は憂いを帯びた顔をあげ、見つめる俺に気がついた。
「貴様は……探偵の……」
俺は手の甲の皮をギュッと抓った。目の前の光景があまりに都合がよすぎて、現実感が無い。抓った手の甲は、痛い気がするけど、なんかもう、わからん。まぁ、夢でもいいか。
「轟さんじゃないですか! こちら空いてますよ、良かったらどうぞ」
「ああ……」
明るい声を出して俺の隣を勧めると、轟さんは素直に来てくれた。
「やぁ、これは驚いたな。轟さんか」
袴田さんが声を掛け、轟さんは驚いたように返した。
「袴田……!」
「エッ知り合いなんです?」
「高校の母校が一緒なんだ」
「でも年代違くないです?」
「我々はOBとして母校に呼ばれることがあるんだ。公演だとか」
「へぇ~おふたりとも成功者中の成功者ですもんね。轟さんの公演、聴いてみたいです!」
袴田さんと会話していたが、轟さんに話を振ってみる。
「む……外部の社会人向けの公演はしたことが無い」
「そっすか~もしやるとき教えて下さいね」
「ああ……」
ヤバい。ドキドキする。もし会えたら最速で口説き落とす、なんて息巻いていたけど、一体何話したらいいんだろう。何話しても空回りしてしまいそうだ、と内心焦ってると袴田さんが立ち上がった。
「……すまない、折角だが俺はそろそろ」
「エッ帰っちゃうんすか?」
袴田さんはフッと目を細め、俺の耳元でそっと、轟さんに聞こえないよう囁いた。
「幸運を祈る」
袴田さんは轟さんと握手を交わしてスマートに去っていった。いつもカッコよさの度が過ぎてちょっとおもしろなんだよな……とか思ってる場合じゃない。ふたりきりじゃん。気を使ってくれたんだろうけど、まだいて欲しかった。心許ないって。
轟さんはバーテンダーと話している。どうするかな、と思いながらグラスのお酒を1口含むと、轟さんから話しかけてくれた。
「よく来るのか」
「そうですね……行きつけです」
「そうか。俺は初めて入った。いい店だ」
「ええ……」
精一杯クールなキメ顔で相槌を打っているものの、マジでどうすればいいかわからん。よく考えたら自分からグイグイ行ったことないし。ただ俺が愛想良くしていたら、いつも相手が勝手に口説いて来る。
轟さんは結婚して家庭を築いていた男性だ。恋愛対象は女性だろうし……。俺が女だったら……いや……轟さんのような立場なら、若くて綺麗な女に擦り寄られることなんて慣れっこだろう。地位のある男性が、ホステスではなくホストにチヤホヤされるほうが金目当てじゃない気がして(んなわけ無いのに)癒されるなんて話をきいたことがある。ワンチャンある方、という可能性が無きにしも非ず。
色々考えているうちにバーテンダーが轟さんの注文を差し出してきた。
「ギムレットです」
ライムの香りが漂う白く透明感のあるカクテル。受け取った轟さんはグラスの脚をつまんで口に含んだ。男がバーでカクテルを飲んでいる。なんの変哲もないそのら光景が、うっとりするくらいセクシーに哀愁を振り撒いている。
「……絵になるなぁ」
「なに?」
「あなたがお酒を飲んでる姿」
「何を言っているのかわからん」
俺だって何言ってるんだろうと思うけど、本当にそう思ってるのだから仕方ない。
「轟さんはかっこいいって意味ですよ」
「……フン。世辞は結構だ」
「あなたに媚びて俺になんの得があるんです? ただ、そう思っただけです」
轟さんはふん、とまた鼻を鳴らした。
「俺は……貴様のような奴は好かん。胡散臭い若造だ」
「あはは」
「だが……依頼して良かった」
「そうですか……もしかして後悔しているのかな、と思いました」
「……後悔はしていない。安心した」
轟さんは言いながら切なそうに顔を顰め、ぐいとグラスのなかの酒を飲み干したので、俺はバーテンダーに追加の注文をした。
「……すみません、轟さんにもう一杯。俺の奢りで!」
「いらん」
「まぁまぁ、ここで会ったのはきっと何かの縁。今夜はとことん付き合いますよ。俺、口は堅いですから。こうみえて」
「……信用ならん」
「あはは。でもあなたのような立場の方だと、なかなか愚痴も言えないでしょう。俺なら……あなたの立場なんて知らんし、気楽に吐き出せばいい」
「それでおまえになんのメリットがある」
「えー? メリット? そうだな……あなたとお話できること?」
「人脈か」
「えっ! あー。まぁ人脈あって困らないんでそういうことでもいいですけど」
「要領を得んな」
「そんじゃ1杯奢ってください。それが報酬ってことで」
轟さんは、なんだコイツは、という顔で眉を顰めた。俺は知らんぷりして再びバーテンダーに声をかけた。
「俺に1杯ください。轟さんのおごりで!」
「おい!」
「だめですか?」
俺が社長さんのくせにケチだな、みたいな顔をすると、轟さんはくっ、と憤りながら吐き捨てた。
「……勝手にしろ!」
「あざまーす」
「貴様がさっき俺に無理やり奢ったぶんがチャラになっただけだ」
「そんじゃ、これ飲んだらもう一杯奢ってもらおっかな」
「飲みすぎだろ」
「強いんでヘーキです。それに俺は若いので」
「フン……小僧が……」
社長という立場上、褒められ慣れているであろう轟さんに、無難に好意を示すだけでは歯牙にかからない。だからちょっと生意気な態度を振る舞った。悪い印象でも、無いよりいい、と思う。多分。
恋愛経験はほぼ無いけど、探偵として交渉術や心理学について知識があるし、いろんな人の恋愛模様も目にしてきた。この技術と経験を活かしてなんとかしてみせる。
俺が早めのペースで飲んでいると轟さんもつられて結構飲んで、饒舌になってきた。そして元奥さんとの思い出をぽつりぽつりと話してくれた。
「元奥さんとはどんなふうに出会ったんすか」
「……冷とは……家同士の決めた見合いで……俺は選ぶ余地があったが、彼女に選択肢は無いようだった。当時俺はまだ学生だったのに、見合いだの美人局だの既にうんざりしていて、色々と面倒で、ととっとと結婚してしまおうという気持ちがあったし……どうせなら、この女がいいと思った」
「どうして……?」
「……氷のような……女だと思った。……触れれば溶けてしまいそうな……」
轟さんの瞳は、うっそりと、遠く、切なく、彼女を想う。
「……惹かれたんですね」
「そうだな……端的に言えば。だが、向こうは、家のための結婚で、俺のことなど……。そう思うと素直にそれを示せなかった」
「……意外と臆病なんですね」
「ああ……そうだな……」
俺の言葉に轟さんは怒るかと思った。しかし轟さんはただ肯定し、自嘲気味に笑った。
「可愛い……」
俺は思わず口から出ていた。
「なんだと……」
「すみません。でも、あなたみたいに強がりなひとが、俺に弱味を見せてくれて……とても嬉しいです」
歯が浮くようなセリフがペラペラ出てくる。もしかして酔ってるのか。初めてだ。自分をコントロールしきれない感じ。いつもならいくら飲んだってなにも変わらないのに、この人の隣では、酔っちゃうんだな、俺。
「何が目的だ……俺の金か……?」
「俺が欲しいのは、あなた自身です」
「……胡散臭い」
「よく言われますけど。まあ、いいじゃないですか。この勇敢な若者に騙されたと思って……新しい扉、開けてみません?」
そっと触れてみた手。きっと振り払われると思った。だけど振り払われなかった。
◾︎
昼に探偵事務所に寄って調査結果を聞いたあとは、また会社に戻って仕事をこなした。
書類を確認し判を押していると、秘書のキドウが追加の書類を持って俺の執務室に入ってきた。
「あ、社長、調査結果どうでした?」
「問題なかった」
「あー、……そうなんですね。そりゃ良かった」
キドウは少し気まずそうに言ったが、そのあとはいつも通りにすごした。
そして仕事を終えた後、俺は急に寂しくなってしまった。
どうしてこうなった。離婚を切り出された時は驚いたが、少し頭を冷やせば、元に戻るものだと思っていた。
こどもたちは思ったより冷静だったが、冬美が動揺し、悲しんだ。だから俺たちは月に一度、家族みんな揃って食事をすることにした。
それまでは、食事のとき、全員が揃うことなどあまり無かった。離婚を機に以前よりも家族の絆は増したように思う。だから尚更、時が立てば改めて、元鞘に戻ってくれるものと……。だが、もう、そうはならないと、完全にわかってしまった。
悲しいときは、どうすべきなのだろう。この歳になってもわからない。
俺が最も悲しいと思った記憶は、父が俺を置いて逝ってしまったときだ。そのとき、俺はどうしていただろうか。まるで思い出せない。
ひとりになりたくない。などと……この歳になって。
なんとなく開けてみた酒場の扉。そこに顔見知りが居るとは思いもよらなかった。
探偵の若造。この男の第一印象は悪かった。まず若すぎる。所長がこんなに若手で大丈夫なのかと思った。若いだけでなく、なんとなく胡散臭い雰囲気だ。キドウの紹介だから大丈夫ではあるだろうが……。
対応は慇懃だが、馬鹿にされている気がした。そう感じるのは、俺自身、後ろめたい気持ちがあったからかもしれない。
別れた妻の恋人を探ろうとするなど情けない。しかし本当に悪い人間が冷に近づいているのだとしたら……何かがあってからでは後悔してもしきれない。だから俺は依頼することにした。結果として、そうではなくて良かった。本当に、良かったと思っているのに、冷にはもう、俺は必要ないのだと思うと胸にポッカリ穴が空いたようだ。
探偵の男は、俺が気落ちしてるのを気遣ってなのか、やたらと明るく俺に話しかけてきた。
はじめはその軽い調子を不愉快に思ったが、徐々に、そうは思わなくなった。
流石探偵だ。話を聞き出すのが上手い。誰にも話したことのない、冷への想い、俺の弱味と言える部分をぺらぺらと喋っている自分に驚く。
依頼した調査も、もっと時間がかかると思ったのに、かなり早く、しかし報告書は納得のいくものだった。情報を集める技術が卓越しているのだろう。ずっとこの男と話していたい気がする。
臆病だと言われても、可愛いなどと言われても、何故か怒りが湧かなかった。触れられた手。俺を、欲しいなどという。胸に空いた穴が、塞がっていくような気がした。
この若者の目的は、一体なんだろう。純粋に俺を求めているなど、そんな都合のいい話がある筈ない。きっと裏があるに違いない。だが、いま、俺の孤独を埋めてくれるのならば、たとえ悪魔の囁きでも構わなかった。