獪岳が知らない身体に乗り移ってしまい、現代に過ごしていた善逸と先生に拾ってもらう話。目を覚ました時、何かに閉じ込められているように真っ暗だった。
恐る恐る手を伸ばすとガシャリと柔らかい素材に触れる。両手を伸ばし、引き裂くように引っ張るとあっけなく破れた。
「なんだ、ここは……?」
何やら黒い袋のようなものに閉じ込められていたらしい。
破れた先から出ると、見た事の無い世界が広がっていた。見た事の無い建物、見た事の無い空へと伸びる筒、家のような形をしたもの……。
空は茜がかっている。
「綺麗、だな……」
ここが何処だかは分からないのに空は変わらない。なんだか久しぶりに空を見た気がする。
自分の胸に手を伸ばしぎゅっと握る。そこで初めて違和感に気付いた。
「なんか、小さく無いか……?」
まるで子供の手だ。いや、よく見るといつもより視界が低い気がする。
「なんなんだ一体……臭い……」
良く見ると足元にゴミが散らかっている。なんでこんなところに居るんだ。ガキの頃、盗みをしてボコボコに殴られてゴミ置き場に捨てられた事を思い出す。
クソ、嫌な事を思い出させやがって。
なんだか一気に気分が下がり、その場から動き出す。とりあえずここが何処なのか、誰か人が居たら聞いてみよう。
それからしばらく歩いてみたが、やはり見た事の無い景色に戸惑う。ここはおそらく俺が居た世界ではない。血鬼術か何かに囚われてしまったのだろうか。
そうすると自分が子供の姿なのも納得できる。だがこの身体は随分と空腹で、また体力が無い。こんなところでも自分のガキの頃を思い出す。
「いっそ、泥水でも飲むか?」
自虐的に言い、ハハッと笑う。俺はそこまでして生きたかった。その後の人生は地獄だったが、きっと俺は何度でも同じことをするだろう。
──いざとなったら。
その手段として心構えが有るのと無いのではまるで違う。
全然人に出会うことなく、フラフラと道を歩く。空も段々と沈んできて暗くなり始めてきた。完全に暗くなる前に今日の寝床を見つけないといけないな。目的を変更しようと顔を上げた途端、俺を驚いた顔で見ている男と目があった。
「獪岳……?」
突然目の前に現れたのはあの我妻善逸。大嫌いな人間に会った嫌悪感よりも、ようやく知る人間と会えた安堵感が勝った。
「カス、なんだその恰好「え、うそ獪岳!?なんでこんなところに居るの!?しかもこんなちっちゃくなっちゃってって痛っっっ!!」
俺の言葉に被せるように捲し立てられ、思いっきり脛を蹴り上げる。つんざくような悲鳴を上げるので、耳を塞ぎながらやっぱりカスはカスだなと再認識しながら追加で足を思いっきり踏んでやった。
痛みに悶絶して静かになった善逸を改めて見ると、最後に会った時よりは成長していて、そして見慣れない恰好をしていた。特徴的な金髪じゃなかったら俺はこいつの事が分からなかったかもしれない。
「俺に興味無いのは知ってるけど俺の顔くらいちゃんと覚えておいてね。俺の特徴金髪だけじゃないからね、この眉毛もチャーミングな目も中々特徴的だからね」
「お前の顔見ると殺意が沸き起こるからあんまり見ないようにしてたから仕方ねぇだろ」
「聞きたくなかったよそんな理由!」
「まぁどうでも良いじゃねぇか。それより、ここはどこだ?」
「……え?」
カスもとい善逸に連れていかれたのはそのあたりで特に大きい日本家屋の家。ようやく知っている形の家らしきものを見てほっと息を吐いた。
「おお、善逸帰ったのか。……ん?なんじゃその子供…………獪岳」
「先生……」
突然現れた懐かしい恩師の姿。その先生の目に涙が浮かび、そのまま抱きしめられた俺は意味が分からず、動くことが出来なかった。
「すまん、取り乱して」
「大丈夫ですか、先生?」
あのまましばらく泣きながら抱きしめられていたのを善逸が宥めてくれてなんとか座ることが出来た。座ると疲れがどっと襲ってきて、なんでこんなに体力が無いのかと愕然とした。
「獪岳、今どういう暮らしをしているのか教えてもらっても良いか?」
先生の目がスッと細くなる。どうやら俺の身体の傷を見ているらしい。確かにこの身体は傷や痣が多い。長い袖をめくるだけで酷いやけどの跡もあった。
「さぁ。俺、さっきこの身体で意識を戻したばかりなので。血鬼術か何かだと思います。先ほどまで鬼狩りをしていたので」
俺の言葉に驚くように先生と善逸の目が丸くなる。
確かにこの身体の子供はどういう生活を送っていただろうな。まぁなんとなく想像はつくけど。
二人が何も言わないので、食べるように渡された黄色いバナナを剥いて口へと運ぶ。
「……バナナなんて、初めて食ったな」
バナナは高級品だ。気軽に食べれる代物では無い。鬼殺隊に入って金は出来たが、たかだか果物なんかに金なんてかけたくなかった。
なんでバナナなんだよとは思ったが、柔らかく甘い果物は耐えがたい空腹を満たすように優しく胃に吸収された。
黙々と食べていると、先生と善逸がじっと見ている事に気付き顔をあげる。
そういえば、と改めて見ると先生は偽足ではなく足がある。格好もいつものような着物ではなく、洋服、釦も無い見た事の無い形だ。毛糸で編まれているようで暖かそうだ。
善逸も同じく釦が無く、服に頭巾のようなものが付いている。雨が降った時とか便利そうだな。
ああ、でも良く見たら自分も変な格好をしているな。頭から被るような服で色はくすみ、首元がたるんでいる。もう何日も洗っていないのだろう、清潔とは程遠い汚れと臭い。自分の孤児の頃を思い出し、思わず顔を顰めた。
「獪岳、驚くかもしれないけど聞いてもらえる?」
そう言って善逸が話し始めたのは、この世界の事だ。
ここは俺が居た大正時代から百年以上経った日本。善逸と先生はあの時代で死んで再び生まれ変わった存在らしい。
不思議とあの時代の記憶があるようで、身寄りの無かった善逸は再び先生に拾ってもらっただとか。
「……獪岳のこと、ずっと気掛かりだったんだ。でも中々会えなくて……」
善逸の言葉に先生が目を伏せる。そんな話をされても、この身体は俺のものじゃない。今入っているのも生まれ変わった俺かどうかも分からないのに…………
「なぁ、俺は、どんな死に方をした?」
そうだ。百年も経っているのなら俺もとっくに死んでいるだろう。せめて、何か功績を残していたら良いな、そんな軽い気持ちで聞いてみた。すると善逸はビクリと肩を震わせ目を伏せ、言いにくそうに口を開いた。
「……俺が、頸を斬った。鬼になったんだ、獪岳は……」
「は?何言って…………」
こんな時に冗談なんてと怒ろうとしたら先生が悔やむように目を閉じ、重苦しい空気につつまれる。
「……それは、本当か?」
「……うん」
「そうか…………」
ああ、そうか。俺は鬼になって死んだのか。鬼殺隊の癖に鬼に身を落とすなんて。
でも、なんていうか俺らしいな。だって俺はあの時鬼に自分の命と引換に家族と思っていた人達の命を売ったんだから。
「獪岳……すまんかった」
俺がぼんやりとしていると先生が椅子から降り床に頭を付けた。
「せ、先生!どうしたんですか!?」
慌てて椅子から降り、先生の元へと急ぐ。頭をあげるように言っても先生は頭を下げたまま泣き始めた。
「儂は、甘えておった。獪岳なら言わなくても分かってくれると。もっと言葉にするべきだったんじゃ。儂にとって獪岳は特別だと」
「え……」
言われた言葉を飲み込めず固まる俺を先生が抱きしめる。
「儂にとって獪岳は大切な子じゃ。育手と弟子という関係じゃったが、儂は本当の孫だと思っておった。善逸の事を贔屓にしたことなんて無かったが、そう思わせてしまいすまんかった」
ずっと、ずっと不安だったことを、聞きたくて、でも怖かった言葉をこんなところで聞くことになるなんて。
抱きしめられた身体から伝わる温かさに大粒の涙が落ちた。どんなにつらくたって苦しくたって泣くなんてもう何年もしていないのに、何故だか涙が止まらない。
「獪岳って結構泣き虫だよね」
うるさい、これは子供の身体だから涙腺が弱くなっているだけだ!と言い返したらニヤニヤと笑われ涙がひっこんだ。
***
「お風呂入っちゃおうか。この時代のお風呂の入り方分からないだろうから一緒に入ってあげるよ」
「お前と風呂に入るなんて嫌だ」
それなら先生と……とチラリと顔を向けると「儂は既に入ってしまったから善逸と入ってきなさい」と事も無げに言われてしまった。
脱衣所で腕をあげてとという言葉に従うと服を脱がされる。だがニコニコ笑っていた善逸は俺の肌を見て目を瞠る。
「ん?ああ、すごい傷だな」
善逸の視線の先にある自分の身体を見るとあちこちに打撲跡や火傷の跡。俺が身体に入っているから痛みは感じないが、相当痛かっただろう。
「あんまりジロジロ見てやるな。さっさと入るぞ」
今は俺の身体だが、元の持ち主はあんまり見られたくないだろうからな。
風呂に入り、身体が温まると今度は夕餉の時間になった。
先程バナナを食べたのに……と思ったが食べられるものはいただこう。決して初めて見る食べ物と美味そうな匂いに釣られたわけじゃない。
「美味しそうに食べてくれるね~作った甲斐があるってもんだよ」
嬉しそうに笑う善逸の言葉に思わず顔に熱が集まる。だ、だって高級品な卵を食べられるのは滅多に無いし、それがとろとろしていて米にかかっているんだぞ?米も赤い色がついているし、肉も入っている。こんなの不味いわけが無いだろう。
「あはは、いっぱい食べてね」
「そうじゃぞ、獪岳。いっぱい食べて大きくなりなさい」
がっついて食べていたら思いっきり子ども扱いされてしまい、さすがに恥ずかしくなった。
飯を終え、食後のあいすくりぃむの美味さに感動していると徐々に眠気がおそってきた。
窓の外を見ると随分と夜が更けている。子供の身体はもう寝る時間だということか。
目を擦り初めた俺を目ざとく見つけた善逸が抵抗する俺を抱き上げ、敷かれた布団におろす。包み込まれるようなふかふかな布団に一気に身体が重くなり、瞼が落ちていく。
「ねぇ獪岳。明日はさ、この街を案内してあげるよ。美味しいオムライスの店があるんだ。土曜日には遊園地に連れて行ってあげる。だからさ、もうずっと此処に居なよ。帰らないでさ」
まるで子守歌のような善逸の声はほとんど理解できず、俺はいつの間にか意識が落ちていた。
夢を見た。
何度も何度も殴られる夢だ。
泣いたって乞うたって何も変わらない。それは永遠のように思える時間だった。
地面に伏す子供がゆっくりと起き上がる。血を拭い、目に涙を溜め、弱音を口にする。
その姿が自分の子供の頃と被った。
場面が変わる。
雨の中何度も何度も素振りをする少年。
こんな土砂降りの中でも手を緩める事は無くまっすぐに振り下ろす。
泣いているのだろうか。だが激しい雨で分からない。
また場面が変わった。
鴉から何かを聞いて驚いた顔をしている。
握りしめた拳を近くの木に叩きつける。
泣いてはいない。だが、怒りと悔しさで今にも泣きだしそうだった。
さらに場面が変わった。
目の前には鬼が居る。黒い襟詰めの服を着た青年は鬼に跪いている。
心は完全に折れているようだ。
何かを会話し、震える手を皿にして赤い血を受け取った。
「――――っ!」
血を飲んだ瞬間に目が覚めた。
今自分が居る状況が分からず周りを確認すると、目眩に襲われ目を押さえる。
脳裏に〝知らない記憶〟が波のように押し寄せてきて、気が付いたら泣いていた。
「……そうか。お前も、いや俺はどうあっても……」
自分の痣だらけの小さな手を見つめる。ふと、部屋の机の上に置かれた紙が目に留まった。
***
「獪岳!おはよう!」
昨夜早くに眠ってしまった子供の兄弟子を起こすために部屋の扉を開ける。
今日は明るい時間からこの街を案内するんだ。前世であんな最期を迎えた獪岳ともっと話をしたかった。あの頃色々と言い訳をして避けていた事をずっと後悔していたから。
でもこれから始めたら良いんだ。血鬼術はいつまで続くかはわからないけど、あれは〝獪岳〟なんだから。
「……ってあれ? 獪岳ー?」
部屋の真ん中に敷いていたお客様用の布団は綺麗に折り畳まれ、寝ていた主は居ない。
名前を呼びながら見渡しても狭い部屋には隠れられそうな場所も無かった。
「……手紙?」
机に置かれた紙が目に入り手に取る。几帳面に三つ折りにされた紙はあの頃じいちゃん家に残された手紙の折り方と全く同じだ。何故だか心臓が煩いくらいに脈を打つ。嫌な汗が止まらず、震える手でなんとか手紙を開いた。
拝啓 桑島慈悟郎殿、我妻善逸殿……から始まる懐かしい字。使い慣れていないペンで書いたからだろう、字が震えていたり、逆に力を入れすぎて濃くなっていたりしている。
「嘘……」
信じられない内容に思わず紙を握りしめてしまう。居ても立っても居られず獪岳を探しに外へ飛び出た。
「獪岳ー!獪岳ーー!」
あんな話、信じない。だってこれから始めるんだ、俺とじいちゃんと獪岳の三人で。また一緒に暮らして、美味しいもの食べて、楽しいところに行って、いっぱい思い出を作って。だから、だから────
***
手紙を置き、静かに部屋を出た。
まだ夜は深くて冷たい空気に身を擦る。
……夜が明ける頃にはもう俺はもう動けないだろう。迷惑をかける前に最初に居たところに戻らなければ。
何故俺はこの時代の身体に乗り移ったのか。それはこの身体の最期のあがきだと分かった。
でももう全部遅かったのだ。
この子供は俺の生まれ変わり。今度は親が居たようだが酷い虐待を受けていた。
「……死んでも親に恵まれねぇって中々だよな」
対する俺は、命乞いをして鬼になった。身体が作り変えられる苦しみに藻掻いている最中に死んだこの身体に魂が入ったようだ。
そろそろ完全に鬼になり目を覚ますだろう。それと同時にこの身体は亡骸になる。
だが、あの二人に会えて良かった。ずっと心に引っかかっていたものが取れた気がする。風呂の中で善逸に言われたが、あの頃もっと話をすれば良かったかもしれないな。いや、でも死ぬ死ぬと泣き喚いて逃げていたあいつが悪い。あんな状態じゃ話したくもなくなる。
「心配すんな。身体を貸してもらった礼はするから」
自分の胸に向かって笑いかける。礼と言っても自分の身分を証明するような情報を書いてポケットに入れたくらいだが。それでもこの身体を殺したクズ共を一日でも早く捕まえる切っ掛け程度にはなるだろう。
自分の名前を呼ぶ声が遠くから聴こえた。
──こんな時間に大声出すなよ。近所迷惑だろ。
いつもなら苛立つ声も、不思議と心が凪いでいたせいか口元が緩む。
もう時間が無い。
「じゃあな、善逸」
続く言葉は音にはならず、俺の意識は真っ白な世界に飲み込まれていった。