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    キャリコ

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    キャリコ

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    ブライテスト・ダークネス②-1

    ナイフを首に突き立てる。興奮に息が苦しくなって、一度大きく吸っては吐いた。どうせもうすぐ殺される。それなら自分でしたほうがいい。無数の札に囲まれたこの部屋は日も入らず、時間の感覚がない。連れてこられて丸1日も経っていない気がするし、もうずっとここにいる気もする。床を血まみれにして汚してしまうけれど、それくらいは許してほしい。あと数センチで楽になってしまえる。今だ、いけ。
    「…っ!」
     息を止めて、やっと覚悟が決められた、その瞬間だった。ナイフがめきめきと金属音を立てて、首とは反対方向に折れ曲がる。その振動が手に伝わってくる。
    「…里香ァ!」
     激高して、思わず椅子を引き倒す。自分でも信じられないほどの怒号が思わず口から出てしまった。ナイフが転がるカラカラという音が止まると、里香は小さく「ごめんなさい…」と言って消えてしまった。
    「何してるの?」
     背後からの声に振り返る。高身長の髪色の明るい男が立っていた。乙骨はじとりと睨み返す。
    「座って」
    「……」
    「座れ」
     一度目の命令に聞こえないふりをしていると、次に飛んできた声は、先ほどの明るいトーンが嘘みたいに、ぞっとする低い声だった。乙骨は仕方なく、緩慢な動作で椅子をもとに戻すと、その上にうずくまった。
    「これは何かな?乙骨憂太くん」
     すると、その男はまた明るい声で、床に落ちているナイフを拾い上げるのだった。

    ***

    (だからさ~、どこが温厚なんだっての!ナイフとかどこから出してきたんだよ怖ぇーわ!)
     乙骨を連れて、教室までの長い廊下を歩く。俯く乙骨のまっさらな腕がのぞき見える。この丈にしたのはやはり正解だった。それに似合ってる。硝子にあらかた手首の傷を治してもらった後で、「次やったらすぐ分かるから」と釘を刺して、カスタムした制服を着せたのは五条だった。猫背でひょろりとした身体が厚手の生地でうまく隠れる。やっぱり僕センスあるな、と五条は思うのだった。

    ***
     
     乙骨を真希に任せて、初めての任務に向かわせた。助けに入ろうかどうかずっと様子を伺って、結局手を貸さずに済むようだったので、二人の帰りを校門で待つことにした。
     結構度胸がある。しかも素直。子供と真希を背負って小学校の門に向かってきている姿が見えたが、あえて境界をくぐるまで手は貸さないことにした。時折足を止めながらもゆっくり進んでいる。がんばれがんばれ。この門をくぐれたらきっと、君は大丈夫だ。
    「おかえり、がんばったね」
     思わず笑みが漏れる。先に重体のほうの子供一人を抱いて車に乗せ込んでいると、まだぜぇぜぇと息をしている乙骨が立ち上がって、もう片方の子供を抱いて五条に渡してきた。
    「大丈夫でしょうか、その子は…」
    「大丈夫だよ、憂太のおかげでね」
     言いながら頭を撫でてやると、乙骨は五条の前で初めて、ほっとゆるんだ顔を見せたのだった。

    ***

     「僕は用事があって行けないから」と、乙骨を棘にまかせて五条がやってきたのは、閑静な住宅街の一角だった。なんの変哲もない、二階建てにガレージ付きの一軒家。「乙骨」と書かれた表札の横のインターホンを押す。ピンポーン、と間延びしたベルが鳴って数秒のち、「はい」と小声の女性が返事をした。「●●高等専門学校の者ですが」と告げると、「はい…」と震えるような声がまた帰ってくるのだった。
     困り眉なのが憂太に似ていると思った。憂太の母親は五条にリビングのテーブルに座るように促すと、お茶を淹れに台所に引っ込んだ。その間、五条は部屋の中を見渡す。里香のような特級呪霊が居たとは思えないほど、普通の家だ。隅々まで綺麗に掃除されて、ほこり1つ無いベランダのドアのガラスから真昼の日光が差し込んでいる。
     いや、綺麗すぎるのだ。妹のものらしきマグカップや、ペンなどの小物は置いてあるのに、憂太のいた痕跡が全く無いことに、五条は気づいた。
     母親が戻ってきて、「どうぞ」と五条にお茶をすすめると、彼女は真向いの椅子に座った。「さっそくですが」と五条は話を切り出す。
    「もう話は弁護士からお聞きと思いますが、息子さんは証拠不十分で不起訴となりました。被害者は複数で憂太くんより体格の大きい者ばかりでしたし、そもそも凶器があったとしても人間がひとりでできる犯行じゃありません。被害者も「犯人は乙骨憂太」という証言を取り下げました。きっとあまりのことに憔悴して意識が混濁していたんでしょうね。学校に不審者が侵入して、という線で一応捜査はされるようですが」
     一応、五条はシナリオを母親の前で繰り返した。司法は呪術界の力でなんとかした、被害者は金で黙らせた。あとは、そう、母親から監護権をぶんどるだけなのだ。
    「そうですか」と母親は無感動に言った。続けて、「私としては、刑務所にでも居てくれたほうが安心なんですけど」と付け足された言葉に、五条の頭に一気に血が上る。思わず目つきが険しくなったのを自覚して、サングラスを付けていてよかった、とつくづく思った。落ち着け、考えろ。『アイツ』ならこういうとき一体どうするか。
     五条は一度浅く呼吸をすると、サングラスを外して、目いっぱいの笑顔を見せた。母親の手をとり、自分ができる一番優しい声を出す。
    「お母さん、心配されるのも無理はないことです…。でももう大丈夫。憂太くんは我が校で上手くやっていけます。今まで、さぞ、お辛かったでしょう…私にお任せください。さぁ、ここにサインを」
    「は、はい…」
     母親は少し顔を赤らめて、ボールペンを手に取った。「押し切ってやったぜ」と、五条は額の汗をそっと拭うのだった。

    ***

    「待ってください!」
     乙骨家の玄関を出てしばらく歩くと、後ろから呼び止められた。振り向くと、黒髪を肩まで伸ばした女の子が走り寄ってくる。はぁはぁと肩で息をしながら、紙切れを渡してくる。
    「こ、これ、兄に…。お願いします」
    「君、憂太の妹?」
    「はい。あの、これ、私の電話番号です…。携帯電話、この間買ってもらったので」
     憂太と同じ青い目。センターで分けた前髪が聡明そうな印象だ。渡された白い紙は2つに折られているだけなので、中身が見える。数字の羅列がただ書かれているだけだった。
    「あの、兄には、また会えますか?これで最後じゃないですよね?」
    「もちろん。君が東京に来ることがあれば、きっと会えるよ」
     言うと、先ほどから険しい顔をしていた妹はほっと顔を緩ませた。その様子を見て、五条も控え目な笑みを作る。
    「…ありがとう。これ、渡しておくね」
     五条がメモをしっかりと胸ポケットにしまうと、妹はペコリとお辞儀をして、来た道を戻っていった。
    「そっか。携帯、買ってあげなきゃな…」

    ***

    「憂太、携帯買いにいこう!」
     連れ立って街に来た休日。目についた携帯ショップに入って「好きなの選びなよ」と言ったところ、「い、いえ、自分で買います!高専からお給料ももらいましたし」と乙骨は恐縮した。
    「大丈夫だよ。ここは甘えときなって。貯金しないとでしょ、ひとり立ちするために」
    「え…?」
    「里香ちゃんの解呪ができた後どうするの。家に帰りたいわけじゃないでしょ」
    「…は、はい…!」
     乙骨の顔が紅潮する。解呪できたら高専を去ることになるのは、覚悟はしていた。そのあとはなんとなく、前と同じ生活に戻るものだと考えていた。…戻らなくていい、という選択肢に初めて気づいた。
    「心配しなくて大丈夫。高専のツテで、どこでも働くところは見つかると思うから」
    「はい…!」

     カラーが白い機種を選んで、店を出た。君の妹から、と言ってメモを渡すと、乙骨は妹と同じ困り眉で笑った。紙に書いてある電話番号を登録として、ふとその手を止める。
    「先生の連絡先も、教えてくれませんか」
    「もちろん」
     すると乙骨はメモをポケットに一度しまって、こちらが電話番号を言うのを待った。
    「ん?アドレス帳一番乗りが僕でいいの?」
    「はい、先生がいいんです!」
    「ふふ」
     お互いの番号を打ち込んで、名前を入力しようとしたときに、ふと思ったことを口に出す。
    「憂太って呼ぶの嫌じゃないよね。乙骨ってなんか、いかつくない?」
    「はは、僕もそう思います」
    「僕のことは別に先生じゃなくていいんだよ?真希もパンダも悟って呼んでるし」
    「い、いえ、僕は、先生がいいです」
    「そう?まぁ別にいいけど」

     連絡先を交換したあと、「このまま、まっすぐ高専に帰るのももったいないよねぇ。せっかくの休みだし」と五条が言い出し、乙骨の恰好を頭からつま先までスキャンするように眺める。
    「ところで憂太は、どうして制服なの?」
    「あ、ほかに持ってないので…高専には、ほとんど着の身着のまま来ちゃったし」
    「…あ、そっかぁ。気がつかなくてごめんねぇ。そうだ、憂太の服を買いに行こうよ」
    「え!?だ、大丈夫ですよそんなの」
    「好きなブランドはある?」
    「ブラン…ド……?」
     初めて聞く日本語ですね。といった様子で固まる乙骨を見て、五条は口元に手をやって考える。「ふむふむ、なるほどね~。…僕が決めていいってことだよね!」
     そしてその後ずっと、ショップを連れまわされたのである。今まで母親が買ってきたものを着るだけで、たまに自分で買い足すときもファストファッションという平均的な男子高校生の生活を送ってきた乙骨にとって、試着して服を買うのは稀だった。「着たら一回出てきてね、勝手に脱いじゃだめだよ」と念を押され、乙骨は言われるがままに用意された服を着ると、おずおずと試着室のカーテンを開けた。
    「こ、これでいいですか…」
    「わっ!憂太ジャケット似合うねぇ~」
     店員と会話をしていた五条が振り向くと、ぱぁっと顔を明るくする。その笑顔をもろに受けて、乙骨はいっそう顔を赤らめた。
    「本当ですね!大人っぽくなりますね~」と、店員も乙骨を見て言った。「でも、ちょっと大人っぽすぎるかな?彼、まだ高校生なんだよね」「では、色を紺でなくてこちらにしてみるのはいかがでしょう?」「いいかも!じゃ、憂太、つぎこれ」
     五条と店員が乙骨を置き去りにして盛り上がり、乙骨は黙って着せ替え人形になるしかなかった。そのまま何店舗もはしごして、いくつも紙袋を下げた乙骨はよろよろと五条についていく。ようやく「そろそろ休憩しよっか」と言い渡され、席につくころには、任務の後よりも疲労していた。
     ぐったり椅子にもたれている乙骨を前に、五条はメニューを見てはしゃぐ。
    「ちょっと前からここのワッフル食べて見たかったんだよね~。どうしよ、ベリー系にしようと思ってたけどチョコも捨てがたいな~…」
     メニューを手にして本気で悩む高身長の男性と、その前でぐったりとしている男の子。女性客メインの店内で浮いてしまっているが、そんなことを気にしている余裕は当人たちには無いようだった。
    「じゃ、これにしよ。憂太は決まった?」
    「えっと…先生は何と何で迷ってらしたんでしたっけ」
    「これとこれ」
    「じゃあ僕そっち頼みます。半分こしましょ。…あ、注文お願いします」
    はい、と寄ってきた店員に注文を伝えると、憂太はテーブルの水を一口飲んだ。
     五条がぽかんとしながら礼を言う。
    「優しいね、ありがと…」
    「え…そんな。妹にずっとこうしてあげてたので。まぁ、ほとんど妹に食べられちゃうんですけど」
    「お兄ちゃんだー」
    「そうですね、えへへ」
     あ、そうだ、と乙骨は携帯を取り出す。妹にメールを送りたいのだという。運ばれてきた生クリームで飾られたワッフルの写真を撮って、送信する。
    「妹ちゃんとは仲いいの?」
    「え?どうなんだろう、すごく仲良しってわけでは…」
    「ふーん?僕も兄弟いるんだけど、あんまり話したことないから分かんないんだよね」
    「え?どういうことですかそれ」
    「六眼が顕現してから別で暮らしてたし、お母さんが別とかもあるしね~」
    「え!?」
    「呪術師の家って変だから気を付けといたほうがいいよ~」
    「それって棘くんも?真希さんも?」
    「本人たちに聞いてみて~」
     僕の家の問題なんて大したことないのかもしれないな、と思いながら、乙骨はフォークを手にとった。バターの香る焼きたてのワッフルの上に、これでもかとホイップクリームが乗せられていて、たっぷりのチョコソースにナッツ。フォークを突き立てると、熱いワッフルの表面からカリ、と音がした。
    「おいしいです…!」
    「こっちのもおいしいよ!…ほら!」
     乙骨が顔を上げると、眼前は赤いソースのかかったワッフルが差し出されていた。五条がフォークを持って満面の笑顔を見せる。とたんに乙骨の顔が真っ赤になる。動揺して、自分が持っているフォークを握りしめてしまい、皿の上でカチャリと音がした。熱が出たのかと思うほど頬の表面が熱い。
     息すらできないまま、少し口を開いて、かがむように口を近づける。ふわふわとしたクリームが舌の上にのり、その後すぐ、金属の触感が唇に触れる。五条先生も口で触れたはずのそこに。
     味なんかしなかった。「おいしいでしょー?」と屈託なく笑う先生に、「はい…」と消え入りそうな声で返事をするしかなかった。飲み込めないかもしれない、と思ったその時、机の上の携帯電話がなった。メッセージの内容がメニューバーに映し出されて、それが目に入った乙骨は吹き出しそうになり、それを堪えたせいで盛大にむせてしまった。
    「大丈夫!?あはは、はい水」
    「うう、ありがとうございます…」
     妹からのメッセージ。カフェテーブルの上に二つ並んだ皿を見た彼女は、「だれかとデート?」と返信したのだった。

    ***

     12月24日夜。穴の開いた校舎を眺めながら、真希がぽつりと呟く。
    「クリスマスだってのに、なんて日だ」
    「パーティでもしちゃう!?」と五条が言う。
    「しゃけ!!」
    「え…疲れたからもう寝たいんだけど」と真希。
    「しょうがない。真希はサンタさん待たなくちゃな。行こうぜ悟」
    「もしかして信じてるの?だっさ~!」
    「は?ふざけんな!!」
     悟に掴みかかろうとする真希を笑いながら、パンダは傍から見ていた憂太に向き直る。
    「憂太も行くだろ?」
    「うん!!」
     ほどけるような顔で憂太は笑う。パンダはふわふわの腕で憂太の肩を抱くと、棘が手招きしている方へ向かう。ごちそうを買うのにこれから忙しくせねばならない。
    「あれ。棘、なに持ってんの?…って悟の財布じゃん。ウケる」
    「えっ!?先生いいって?」
    「めーんたいこ★」
    「明太子だって早く行こうぜ」
    「えっ?えっ!?」
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