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    キャリコ

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    キャリコ

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    #乙五
    b5

    朝寝坊教室の鍵を閉めることが多かった。
    「それじゃ、お先。また明日な」
    「こんぶ~」
    「憂太、まだ残るのか?ああ、任務の報告書か。あんまり根詰めるなよ」
    かばんを背負って教室を出ていく同級生達の背中を見送る。がらんどうになった教室にオレンジの光が落ちている。西陽で温まった室内は埃とワックスの匂いがしていた。
    僕は頬杖をつき、机の表面の、さっき棘くんがが残していったノートの落書きを指で辿る。
    「もう少し一緒にいようよ」とは言えなかった。遠慮ではない。毎日そう思っているので、呆れられるのが分かっているからだった。「また明日」……明日になったらまた会えると分かっていても、明日までのたった12時間ぽっちが、僕にとっては長かった。
    楽しい時間に蓋をする鍵の音。
    運が良ければ、鍵の保管所に行くまでに伊地知さんが残っていて、話相手になってくれるかもしれない。木造の校舎の床は、歩くたびに軋んだ。

    ――呪専時代の夢を見た。目覚めてすぐ目に入ったのは広い天井。五条先生の部屋だ。もう先生と生徒ではないのに、「先生」と呼んでしまう癖はなかなか抜けきらない。ごくたまに下の名前で呼ぶこともある。口にする度に、心の一部が持っていかれる気がするので、頻度は多くない。頭で思い浮かべるだけでも、胸の内側がひりつく。
    ふと時計を見ると時刻は14時だった。少し開けた窓の外側から、街の音が聞こえる。親に連れられているらしい子供が笑う声も。大通りに面したマンションなのだ。起き上がって、(何も着ていないので)そっと目だけで外を伺うと、丁度大通りの信号が変わったばかりで、行き交う人々の頭が横断歩道の上を蠢いていた。
    このふわふわのベッドも、始めの方こそ緊張で眠れずにいたが、今となってはその寝心地にすっかり甘えて起きられなくなってしまった。自室の、量販店で買ったマットレスとはえらく違うのだ。先生の匂いが残っていないかと鼻先をうずめてみるが、自分の汗と洗剤の匂いがわずかにするのみだった。名残り惜しさを振り切って、脱ぎ捨ててあった先生のスウェットを拝借すると、裸足で寝室を出る。先生の寝巻は大きすぎてお尻まで隠れてしまうので、ワンピースを着ているみたいになってしまう。袖をまくりながら僕は、リビングへの扉を開けた。
    机の上に書置きを見つける。
    『鍵はポストに入れといて』
    「了解です」
    僕はメモを手に取り、端に書かれている下手くそな猫の絵にくすりと笑みを漏らした。いつの間にか先生は、朝に僕を起こすのを諦めてしまった。寝汚いのは自分でも悪いと思っていて、寝る前は明日ちゃんと起きようと毎日決意はしているのだが。特に先生が隣にいるときはダメだ。先生によると、起こそうとするとまた布団に引き入れようとしてくるらしい(全然覚えていない)。
    「なんで任務に行く前に一戦しないといけないんだよ。呪霊よりも君の方がやっかい」
    そうして先生は、黙って寝床を抜けて書置きだけして出ていく。僕が部屋を出る際に、ドアを施錠した後エントランスのポストに鍵を入れることになっている。
    先生がいない部屋にいるのは嫌いではない。僕はシンクの下の戸棚を開けると、中からシリアルを取り出して深皿にあけた。冷蔵庫に牛乳が無かったのはしょうがない。というか、先生の部屋の冷蔵庫には生鮮食品がない。出張が多くて帰りも遅いなら当たり前だが。ただ、赤いパッケージの板チョコだけはちょっとしたコンビニの在庫くらいは置いてあった。
     ぼりぼりとシリアルをそのままつまみながら、僕は水分が欲しくなってコーヒーを淹れることにした。半年前に気まぐれで豆を買ったものが冷凍庫にまだ残り続けている。だって、エスプレッソマシンがあるのに何もしないなんてもったいないと思ったのだ。家具付きの賃貸として借りているこの部屋には、元の持ち主の好みなのか、マシンの埋め込まれている冷蔵庫が鎮座していた。その他の設備も見るに、料理好きだったのだろう。この台所の使い方だって、ハイモデルの洗濯乾燥機だって先生は使い方を知らなくて、もったいないと思った僕がネットで説明書を見ながらなんとか使っている。今も「〇〇マシン 使い方」と検索して、おっかなびっくりホルダーに豆を詰めている。
     けたたましい音とは対照的にちょろちょろと流れてくる褐色の液体がカップに溜まっていくのを見ながら、昨晩の光景を思い返す。手のひらに伝わる痙攣や、重ねた唇がぬるついていたこと。首に回った指先のくすぐったさ。
     思わずついたため息の熱に気づいて、僕はぶるぶると首を振った。出来上がったコーヒーに口を付けながら、ソファのあるリビングに向かった。チェストの上には卒業式の写真が飾られていて、自分の代の写真を見つける。ここで何回も見た写真だけれど、目に入る度に皆に会いたくなる。隣の写真は、虎杖くんと伏黒くんと野薔薇ちゃん。ちょくちょく呪専には足を運んでいるので、ここからはずっと知り合いの顔が並ぶ。
     ガタガタと玄関で物音がして、先生が帰ってきたことを悟る。しまった、と思った。気が付けば時刻は16時になっていた。コンビニの買い物袋と、ポストに入っていたらしい封筒を手にしている先生は、僕を見るなり少し目を丸くした。
    「あれ、まだいたの?」
    僕は、先生の言葉に肩をびくりと震わせると、急いでコーヒーをテーブルに置いて、持ってきたカバンのある寝室に急ごうとした。すれ違いざま、先生が僕の二の腕を掴む。
    「待ちなって、こんな時間だし晩御飯食べてけば?」
    「あ、はい…」
    「僕もコーヒー飲みたいな。外暑かったから、氷入れて」
    「分かりました。…あ、牛乳無いので、カフェオレできません」
    「あ、そっか。切らしてたっけ。まぁいいよ、砂糖だけで」
     僕はその足でまた台所に戻ると、先ほどと同じ動作を繰り返した。少し大きめのグラスを用意して、たっぷりのシロップと、氷をぎゅうぎゅうに入れた。「どうぞ」テーブルの上に座る先生の前にそれを置くと、僕は先生の向かい側に座った。先生はコンビニスイーツと、ポストに溜まっていたらしい封筒をテーブルに広げている。
    「好きなの食べていいよ」という言葉に甘えて、僕は並べられたパッケージの中から、わらび餅のカップを取った。透明な丸い玉に、黒蜜ではなくパインのソースがかけられている。他には、手のひらサイズのチーズケーキや、濃厚チョコテリーヌ、バナナクレープなんかがあった。先生が今全部食べるつもりで買ってきているのは分かっているので、見ているだけで胸やけがしそうになる。
    「へぇ、ここオートロックになるんだ」
    『住民の皆さまへ』と題された通知を横目で読みながら、先生がアイスコーヒーを一口飲んだ。
    「オートロックって、ホテルみたいですね」
    「あはは、そうだね。鍵を中に忘れたら締め出されちゃうから気をつけて」
    「はい。やっちゃいそうだな、僕…」
    「必要な鍵の数をお知らせください、か…ふーん。ねぇ憂太、もう一緒に住んじゃう?」
    「え、はい……」
    「じゃあ2つ要るって管理人に言っとくね。引っ越しどうしよ」
    「あ、ちょっと僕、……」
    僕は手で口を押さえると、トイレに行って急いで鍵を締めた。間に合ってよかった。涙がぼたぼたと出てきて、口を押さえる手の甲にこぼれる。あ――、と嗚咽が出そうになるのを食いしばる。壁にもたれたら、そのまま腰が抜けてしまったみたいに、ずるずるとしゃがみ込んでしまった。どれくらいそうしていただろうか。待つのに痺れを切らしたらしい先生が扉をノックしてきた。
    「ゆうたくーん。閉じこもられると僕が使えないんだけど?引っ越しの相談したいから、落ち着いたら出てきてね」
    「あ、はい、今でます……」
    焦った僕はトイレットペーパーを厚めに巻き取ると、濡れた頬を拭いて、紙屑を流して外に出た。腕を組んで廊下の壁に持たれていた先生が苦笑する。
    「泣いちゃうと思わなかったな」
    「泣いてないです」
    「お前のその、変に強情なのはなんだろうね。ほら、おいで」
    先生が、組んでいた腕をほどいて作ったスペースに、おずおずと収まりに行く。先生の肩に額を預ける。さっき食べていたらしいお菓子の甘い匂いがした。背中に腕が回る感触に、僕はゆっくり目を閉じる。
    「なんにも変わんないよ。最近ほとんど入り浸りだったじゃん」
    「全然違いますよ。いいんですか、僕…」
    「引っ越しいつにする?」
    「今日がいいです…」
    「今日!?は、ムリかな、あはは…鍵もらえる日、聞いておくね」
    腕の中で、こくり、と控え目に頷く。いつまでも胸がどきどきしていた。

    引っ越し当日。もともと多くない乙骨の持ち物は既にある家具の空きスペースに収まるくらいだったので、家具の持ち込みもなく、荷物は少なかった。業者は段ボール数個だけ搬入して午前中には去っていった。
    「なんかすぐ終わっちゃったね。お腹すいちゃった」
    「ごはん食べに行きます?段ボール開けるのは後からでもいいんで」
    「うん。あ、そうだ、鍵渡しとくね…はい」
    「カード型になったんですね」
    「財布に入れられるよ」
    玄関で靴を履くのを、先生が外で待ってくれている。ドアを閉める段になって、僕はぽつりと呟いた。
    「もう鍵、締めなくていいんですね」
    「そうだね、オートロックだからね。便利」
    「いや、そういうことじゃなくて…僕、鍵締める時の音が嫌いで」
    「え、なんで?珍しいね」
    「なんででしょうね。昔からなんです」
    僕は先生の傍に立つと、先生の腕を取ってそのまま指を絡めた。そのまま、エレベーターに向かう先生の足取りに着いていく。本当は駆け出したいほどだった。もう帰らなくていい。明日を待たなくてもいい。ずっと一緒にいたい気持ちを、我慢しなくてもいい。
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