煙草(先生、いつもこんなことしてるのかな)
なにか頼み事をして、その代わりに身体を差し出すようなことを。
裸の肩がひやりとする。乾きかけた汗が体温を奪っている。空調の音が急に耳障りに感じて、僕は床に落ちていたズボンのポケットから煙草とライターを取り出した。窓の外から入るネオンの光が、その人の肌を青白く照らしていた。眠っているように見える。少し乱暴に、してしまったかもしれない。ため息とともに吐き出される白煙は暗い部屋に溶けて消えた。
「明日そっち行くから」と唐突に連絡をよこしてきたその人を迎えに行き、ホテルに向かう途中にした話を僕は思い出していた。「自分の身になにかあったら、同級生や後輩のことを頼む」というものだった。拍子抜けしたというのが正直なところだ。言われなくても、学校の皆はいつでも守りたいと思っているし、電話で済む話だと思ったし、それ以外の用事だったとしても、先生の言いつけなら僕は何だって……。
「いつもこんなことしてるの?」
「え?」
寝ていると思っていた人が急に口を開いたのと、ちょうど頭の中で考えていたことをその人が口にしたのとで、僕は驚いて振り返った。先生は肘で顎を支えながらシーツの上に寝そべって、振り向いた僕を上目遣いで見ている。先生の言っている意味が分からず、僕は小首をかしげた。
「女の人とした後、煙草吸うの。嫌われちゃうよ?」
「僕、童貞です…でした」
「え!?うそ」
「どうして驚くんですか?」
「だって君、久しぶりに会ったら急にかっこよくなってたし、昼間だって女の人にちょっかいかけられてもさらっと躱してたから、ここで一皮むけたのかと」
「日本人が珍しいみたいでよく声かけられるので…、何回か断り切れずにデ、デートとか…行きましたけど、セ、…クスまでは、好きな人でないと、ちょっと」
「え?君、僕のこと好きだったの?」
先生がぽかんと口を開けて固まる。僕は眉を寄せて、煙草をもう一度口元に持って行った。手のひら越しに、呆けた顔をしている先生をじとりと睨む。
「言ったじゃないですか」
「いや、だって……」
数時間前、食事を一緒にして、先生をホテルの前に送っていったところで、「憂太、僕のことちょっとでも好き?」と先生が聞いた。それに「はい」と答えたらこんなことになってしまったのだが、確かにそのあたりでコミュニケーションに齟齬が生まれたかもしれない。
「好きです、先生のこと、大事な人だと、思ってます」
「……そう…」
それから少し、待ったが、先生から得られた返事はそれだけだった。沈黙の間、僕は煙草の先の灰が長くなっていくのを眺めていた。いい加減落ちてきそうになったので、灰皿の上ですり潰した。
「僕からもいいですか」
「なに?」
「先生、いつもこんなことしてるんですか?」
「なんのこと?」
「生徒とか、他の人と、こういうことです」
「え?してないよ」
「じゃあなんで僕なんかとこんな…」
「それは…ごめん…」
「ごめんってなんですか?」
「先生なのに」
言うと、先生は肘をついていた腕を投げ出して、ぽすんと枕に顔を埋めた。
「僕のカンって妙に当たるんだよ。だから今日が君と会う最後かもしれないと思ったらさ、もう、やっとこーと思っちゃって、…教師失格です。君が好きだ」
枕ごしの、ぼそぼそとした先生の声を聞きながら自分の顔が熱くなっていくのを感じていたし、先ほどの自分のふるまいを猛烈に後悔していた。先生を抱きながら、僕はぐるぐると別のことを考えていたのだ。やりなおしたい、…やりなおそう。
「…せんせい」
先生の肩を掴んでくるりと転がして、僕はまた口づけた。先生の腕が首の後ろに回る。湿っぽい吐息が、二人の間にこもった。
「そうだ」
「はい?」
「煙草やめようよ。苦いよ」
「はい、先生の頼み事なら、なんでも聞きますよ、僕は…」