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    shishiri

    @shishi04149290

    マリビ 果物SS

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    モブ視点
    仕事に疲れたサラリーマンと果物

    #果物
    fruit

    DIVE 檀家回りのために坊さんが走り回るような忙しない月だから『師走』
     小学生の頃、国語の授業でそう教わった気もするが、平成の世の年の瀬に、走り回るのは坊さんばかりではない。俺のようなうだつの上がらない銀行マンも課せられたノルマを達成すべく、方々にある得意先のご機嫌取りのために朝から晩まで駆けずり回るのだ。でも、それももう、疲れてしまった――。

     足繫く顔を見せに来るらしい他行の存在をちらつかせ、「融通を利かせてくれないならば、そちらに乗り換える」と得意先から半ば脅すように通告され、決まりかけていた5,000万円の追加融資話がとん挫しかけたのが三日前。ここ半年の俺は、ノルマに届かない成績のせいで毎日のように副支店長からの罵声を浴びているというのに、この案件を落としたとなったら……。
    「能無し」「給料泥棒」と罵られるだけならまだしも、ミーティングでは融資課のエースである3期下である慶応出の男の隣に立たされ、そいつへの称賛、美辞麗句をたっぷりと聞かされた後に浴びせられる罵声は、心身ともに目の荒いおろし金でゴリゴリと削られるような苦痛を伴った。もうこれ以上すり減る場所など残っていそうにない俺のメンタルでは、この失態がもたらすであろう苦痛に、とてもではないが堪えられそうにない。だからと言ってそんな俺を助けてくれるような殊勝な同僚など皆無であり(皆、必死の思いでそれぞれのノルマを達成させているのだ。あの、実家が太い慶応ボーイのエースを除き……)、このピンチを自分でどうにかしのぐしかなかった。
     とにもかくにも、「もう一度チャンスをください!」と土下座をする勢いで先方の社長に頭を下げ回答を先送りにし、その日は一目散に支店に戻った。案の定、副支店長からこっぴどく罵倒された後に、それでも再稟議書を書き上げるために徹夜して。ようやく通った追加融資案件を、あえなく反故にされてしまったのは、ほんの数時間前の話だ。
    「今どきのビジネスで、義理人情なんて流行らないだろ?」
     すげない断り文句で片付けられてしまった、その後で。気付けば俺の足は勤め先の支店に帰ることなく、排気ガスまみれの都心に林立するビルの屋上に立っていた。16時も過ぎれば辺りはもう薄暗くなり始め、低い空を覆う灰色の雲の切れ間から、夕日が細く斜めに差し込んでくる。正面から頬の脇をすり抜けていく風はひんやりと冷たいのに、下から吹き上げてくる風は、みょうに生ぬるくて淀んでいた。身長よりも10cmほど高い金網のフェンスは俺の前ではなく背後にそびえ、あと二歩前に踏み出せば地上のアスファルトまでまっ逆さま……、という状況だ。
     ふと足元に目を落とすと、履いているべき革靴はなく、色褪せたグレーの靴下が見えた。しかも親指の先には穴が開いていて、前にいつ切ったかも忘れてしまった長く伸びた爪が顔を覗かせている。
    (まぬけだな……)
     足先をもぞもぞと動かし、そう腹の中で笑っても、実際には笑い声なんか出なかった。それよりも喉がジンジンと痺れてきて、酸っぱいような味が胃の底からせり上がってくるのを感じる。
    「俺、もしかして泣きそうなのか……?」
     そう呟いた途端、情けなさで胸がいっぱいになり、堪らず一歩足を踏み出した。これまで必死になって仕事にしがみついてきた日々と、「これでやっと楽になれる」という思いを、頭の中でゆらゆらと揺れていた天秤にかける。その両方をのせた途端、迷うことなく『楽になる方』に天秤が傾きかけた時だった――。

    「なあ、悪いんだけどよ。そこ、どいてくれね?」
     背後から覚えのない声が聞こえ、驚きのあまりもう一歩踏み出してしまいそうになった足を慌てて引っ込め、フェンスにしがみついた。咄嗟に振り返ったそこには、背が高く目付きの悪い男が立っていて、一重の目を更に細めながら俺の顔をまじまじと覗き込んでくる。
    「あんたが死のうが生きようが、俺達には関係ねえけどよ。でも、そこに居られちゃ仕事の邪魔なんだよな」
    「じゃあ、どこに行けば……?」
    「好きにしろよ。下に落ちてもいいぜ?」
    「下、って……」
     つい先程までは飛び降りるつもりでいた数百メートル下のアスファルトを覗き込む勇気などすでに無くなっていたのは、見知らぬ男の突然の登場に、正気に戻ったせいかもしれない。今頃になって爪先から膝に向かってぶるぶると足が震えだし、両手でしっかりと錆の浮いた金網を握りしめる。
    「騒ぎになるから、今ここで飛び降りるなよ。それでも死にたきゃ、裏のビルに場所を変えろ。あのビルならここよりも高いし、下にはクッションになる植え込みもないから確実に死ねる。人通りも少ないからお前の死体が見つかるまで時間稼ぎができて、俺たちにとっても都合がいい」
     あっちが俺のオススメだと、常連の店のメニューでも教えてくるような気軽さで物騒な話をしてきたのは先程の男の隣に立つ、同じように背が高いもう一人の男だった。ゆるく包み込む掌に隠れている筒状の物を左目にあて、俺の姿ではなく遠くを見ているその男は、肩先まで伸びた黒髪を風になびかせている。
    「だってよ! 蜜柑がこれ以上イラつく前に、さっさとこっちにこいよ」
     しゃくるように尖った顎先をクイと持ち上げて見せた目付きの鋭い男が、じれったそうに声をかけてくる。ぼやぼやしていたら、今にも地面に向かって突き飛ばされるのではないかとの恐怖が俄かに襲ってきて、俺はフェンスに足をかけて慌ててそこをよじ登ろうとしたが、焦っているせいか手足が滑ってしまい、なかなか上がることができないでいた。
    「そんなへっぴり腰で、どうやってそっちに行ったんだ? ほら、手を伸ばせよ。引っ張ってやるから!」
     黒髪の男が呆れ顔で舌打ちしたのとは対照的に、一重の男は人懐っこそうな笑顔でフェンスの上から腕を伸ばしてくれる。それにしがみつくようにして手を握ると、「よっこらせ!」との掛け声とともに体を引っ張り上げられた。
     屋上のコンクリートの床に尻もちをつくようにして座り込み、俺は恐る恐る斜め上を見上げた。ビルの谷間にほとんど沈みかけている、細長く伸びたオレンジ色の夕日が僅かに照らす二人の様子は、ずいぶんと受ける印象が違っていたはずなのに……。今は、合わせ鏡を覗き込むかのように瓜二つに見えた。
    「お前、命拾いしたな」
    「この後、裏のビルから飛び降りるんじゃないのか?」
    「今更ビビッて無理だろ。なあ?」
     そう言って長い足を折り曲げ屈んだ一重の男と目が合った俺は、情けないことに返事にもならない掠れた呻き声を漏らしながら、首を縦に振るのが精いっぱいだった。
    「用がないならさっさと行け。邪魔だ」
    「靴と鞄、忘れてくなよ!」
     冷たい視線とケラケラと笑う声に促されるようにして俺は慌てて靴を履き、鞄を抱えると、俺は覚束ない足取りで踊り場のドアに向かった。ドアノブに手を掛けたその時に、悪い夢でも見ていたんじゃないかとふいに不安になって、背後を振り返ると――。夜の狭間に溶け込む影を思わせる、二人の男の姿がまだそこにじっと佇み、俺が立ち去るのを注意深く見守っていた。
    「今度自殺しようと思ったときはよ、穴の開いてない靴下を履いてこいよ! 死ぬ時までカッコわりぃなんて男が廃るぜ!」
     俺は、混乱した頭のままそのビルを出て最寄りの駅から地下鉄に飛び乗ると、支店に連絡も入れずに直帰することにした。何件ものメールと着信があったけれども、それを無視して電源を落とした携帯電話を鞄の奥底に突っ込むと、帰宅ラッシュで混みあう車内であるにも関わらず、やっとまともに息が吸えた気がした。
    (俺、明日からどうなっちゃうんだろ……)
     部屋に帰るなり電気もつけずに万年床に寝転がり、大学生の頃から住み続けているアパートの天井を見上げ、溜息をついた。暗いこの部屋と同じように、先の見通しなんてものはこれっぽっちも見えない真っ暗がりのトンネルの中にいる気分は、この数か月ずっと変わりがない。ただ今は――。そのトンネルの向こうに、あのビルの屋上にいた二人の男の姿が見えるような気がした。


     翌朝、ぬるいインスタントコーヒーをすすりながら見ていたテレビ番組に仰天した。
     勤め先の頭取が、昨夜本店の役員室で遺体となって見つかったとのニュースが流れてきたのだ。そういえば昨日俺が死のうと思って上がったビルは、その本店ビルが真正面に見える場所に建っていた。出世コースから外れた俺が、最後にその頂きが見える場所を無意識であっても選ぶなんて、なんだか滑稽な話だと思う。
     ようやく電源を入れた携帯電話のディスプレイを見ると、一方的に送られてきた連絡も、20時以降はぷつりと途切れていた。頭取の件で騒ぎとなり、下っ端の俺のことなんてきっと構っていられなくなったのだろう。助かったと思うと同時に、これに乗じて俺のノルマやとん挫した追加融資の話も、お咎め無しになってくれないかと虫の良いことを考えながら、焦げた味のするトーストの角の残りを口の中に放り込んだ。
    「まもなく7時になります」
     前髪をきっちり七三に分けたテレビアナウンサーが、いつもと同じテンポでそう告げた。ぐずぐずしていたらバスの時間に間に合わないと俺は焦り、飲みかけのコーヒーを台所の流しに捨て、鞄とコートを小脇に抱えながら狭い三和土の玄関へと向かった。
     昨日と同じ革靴へと足を滑り込ませるその前に、おろしたばかりの靴下の爪先をなにげなく見る。もちろん、そこには穴など開いてはいない。そう、だからいつだって――。

     俺は、飛ぼうと思えば飛べるのだ。

    (終わり)
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