伝説の地　階段の上から太平洋を臨む景観は、季節の花々と文化に彩られて休日ともなれば多くの観光客の訪問を受けるK県の陸続きの小島の隣に、人知れず漂う離島があるのを多くの人は知らないだろう。
　先の観光島とは異なり、この離島は完全に本土とは隔てられているため、海路をボートで向かう以外に道はない。それではちょっとしたプライベートビーチとして使用されているのだろうかと想像してみるが、この離島には文化も風情も全くなく、この世の春とばかりに咲き誇る雑草たちが栄華を極めているばかりである。
　他の誰にも知られていない秘密は往々にしてヒエラルキーの欲望を満たすものであるが、この離島がひっそりと存在している事実が公になっていないのは、そんなことを口にしたが最後、捨てそびれた燃えるゴミの袋を部屋の隅に隠すがごとき恥辱を味わうからだ。「まあ、そんな貧相な島があるの？なぜそれを知っているの？まさかよく行くということ？そうなの」という言葉と共につまらなそうな視線を投げかけられ、逆に相手の欲望を満たす結果に終わる。
　知っていたところで益はないし、行ったところで得はないし、虫に食われ徒労感いっぱいの帰り道が面倒なだけである。それでも一応、誰が名づけたのかこんな島にも名前はあって、緒の島といった。


　仕事に貴賎はないという。どんな仕事にも大変な面はあって、それが苦にならないタイプの人間もいれば、肌に合わない人もいる。理解はできる。けれど、こんなにも相手の要求が強い業界も少ないのではないだろうか、とも考えてしまう。
　今日蜜柑がこなした仕事は、仲介業者から依頼を受け、内容を聞き、内容にケチをつけ、提示された報酬と比べてさらにケチをつけ、自分たちの能力と考え合わせてまずまず納得できる水準まで交渉をして書類に判を押す、というものだった。これが第一段階で、次に依頼内容を檸檬に共有するという第二の仕事が待っており、なんと無報酬である。
　嫌な仕事は早く済ませるに限る。早速、打ち合わせに使うダイニングテーブルに檸檬を呼びつけ、パソコンを起動し、仕事の依頼の入ったUSBを差し込む。もちろんウイルスチェックを忘れずに行う。中にはプレゼンテーション資料が入っており、書類ファイルではないことに疑問を抱きながらクリックした。

「なんだよこれは」
檸檬が画面を睨みつけながら文句を言う。蜜柑も同意見で、依頼人と思しき人物がファイルの中で喋りながら大仰な身振りで滔々と語り始めたところで、思わず一時停止ボタンを押す。「俺が聞いた時にはこんなに面倒なことは言われなかった」と、柄にもなく弁解をする。
「当然、書類ファイルが入っていると思うだろ。内容を確認しながら、おまえに説明しようと考えていた。で、結果がこれだ」
檸檬が再びプレゼン資料を再生する。再び依頼人が大仰な手振りで動き始め、ご丁寧なことに、説明の合間にグラフやら地図やらの情報が差し込まれる。再び動画を一時停止する。
「なあ、蜜柑。ちなみに仕事ってどんな内容だった？」
「殺せ、だな」
「三文字か」
「もう少し詳細に言うと、探して殺せ、だな」
二人で停止した画面を見つめる。流行色は二年前に決まる、だとか、ファッションの中心地で作られた意匠が世界に波及し、やがて安価な商品に落とし込まれるまでの軌跡が図示されている。意外にも見やすいデザインになっていて作成者のセンスを感じたが、檸檬にも蜜柑にも依頼内容との関連性が小指の先ほども見出せないことが問題なのだ。
今二人は同じ疑問を共有していた。これ最後まで見る必要ある？である。
　そもそも、蜜柑が仲介業者から依頼内容について、きちんと受けているのだ。念の為にファイルを開いたに過ぎない。檸檬がプレゼン資料を勢いよく再生し、スクロールバーをお終いまで持っていく。最後の画面には、『協力：緒の島観光協会』と飾らないフォントで表示されていた。