「……ッ、ん……ぁ」
静かな部屋にあえかな声がぽつりと落ちた。細い音に合わせるように、爪先が白むほどに握り締められたシーツがカサついた音を上げた。耳を澄ませば、熱の籠もった弾んだ呼気と、しっとりと触れる肌の音も重なって、どこか甘さを含んだ音色となっている。
きっとそんな音を奏でる彼は気付いていない。必死に声を噛み殺し、吐息を漏らさないようにしていても、仰け反った喉からは絶えず緩やかに溢れている。
ゆっくりと響くその音にうっそりと笑っていると、目の前の唇がはくと動く。音もなく呼ぶその声を聞くために、顔を近づけた。ふうふうと息を零すその中に、ふわりと優しい音が混じる。いつもよりも幾段か高くなった声。二人だけの時にだけ聞ける特別なもの。
まるで指揮者にでもなったかのように錯覚してしまう。自分の動きに反応してくれるのが嬉しくて、次はどうしようかなんて悩んでしまう。
「ぅ…ん、はっ……ァ」
瞳の奥まで覗けるほどに近付いたせいか、二人を繋ぐ角度が変わり、閉じかけた唇がはくと熱い吐息と共にうっすらと開く。艷やかな動きに目を奪われ、ついつい強く掻き抱いてしまい、浮かび上がった涙のせいで綺麗な翠緑がぼんやりと霞んで隠れてしまった。
「レオナさん……」
幼い頃から変わらない色。どんな状況でもどんな表情でも、変わらずこの人を飾り立てる蠱惑的な色。
どれほどこの色に憧れ、心を奪われたか。子供の頃、視線を合わせて話をしてくれる時間が、どれだけ嬉しかったか。きっと彼はわかっていない。
「次のおやすみはお出かけしようか。今日はもうどこも行けないしね」
聞こえているのか聞こえていないのか、瞼が一度ふわりと閉じて、長い睫毛の先で小さな雫になった涙が揺れていた。夢の中のようなぼんやりとした光の中に、彼はいる。
「きっとね、今街中賑やかだよ。もうすぐイースターだもんね」
遠い昔、彼がたくさんの卵を隠してくれた。赤にピンク、空みたいな鮮やかな色のものもあって、それが本棚の隙間やカーテンの影で眠っていた。毎年難しくなっていくこの宝探しに、彼の気持ちが込められているのに気付いたのはいつだっただろう。
必ず一つ、見つけられない場所にあった卵。それは忘れた頃に姿を現した。見つけられなかった派手な柄の卵はぽつんと部屋の隅に置かれていたが、太陽のような赤さですぐ目に付いた。ここにいるよ、とあの小ささで主張してくるのだ。
「最近やってないけど、今やったら僕ちゃんと見つけられるかな」
「ん…ッ、ぁ……ちぇ…」
「うん、今度は僕が隠すのはどうかな。昔のレオナさんみたいに」
体を離して見下ろせば、力の抜けた体が真っ白なシーツの上でほんのりと色づき、いくつもの汗が浮かび肉の薄い体の筋に沿って流れ落ちている。ただ眺めているだけなのに、繋がっていることで感じてしまうらしい体がひくひくと揺れていた。見詰められた部分が触れられた時の感覚を覚えているのか、体を硬くしきゅうと中でしがみついて、そしてまた体を揺らす。
「どこに隠そうかなぁ。レオナさんに見つからないとこ。どこだろ」
つい先ほど、視線で辿った場所を今度は指先でなぞっていく。反って浮き出た首筋から忙しなく上下する胸の間を抜けて、ひくんと細かく波打つ腹筋の筋へとゆっくりと指を滑らせた。あっあっと細切れな声が指先の動きに合わせてあがる。じっとその指先を追う視線には、どこか濡れた色が含まれているのはいつものこと。
臍の窪みを通り越してそのすぐ下で少しだけ力を込めれば、薄い腹越しの感触が伝う。今動いているのは指先だけなのに、全身でぎゅうとしがみついて何かを必死に耐えている。
「ここなら誰にもみつからないかな」
「や…ッ、ちぇ……ぁ、だめ…だッて」
「うん。ここだと一番最初にレオナさんに見つかっちゃうもんね」
「ちがッ…んぅ、あッ…やっ」
ゆっくりゆっくりと奥を広げていく。それくらい広げたらこの中に卵は入るのだろうかと考えながら、この指の下を考える。静かな肌の奥で熱くうねり吸い付いてくる場所に、どれだけの思いを詰め込めるのだろう。
赤くペイントされた卵を押し込んで、そして奥へと隠していく。じわりじわりと広げて少しずつ人目に触れない場所へ、孵ることのない卵を隠せたら。誰にも見つからない場所に一つだけ。
そんなことを思いながら揺すっていけば、硬く閉ざされた唇はいつの間にか割れて甘い音を生み出していた。もう名前も呼べていない。もう自分のことをよくわかっていないかもしれない。ただこの熱を受け入れるだけ。そしてそれを笑ってくれている。
「ちゃんと見つけてね。レオナさん」
もう聞こえていないだろう相手に、そう呟いた。部屋はもうさっきからいくつもの音が洪水のように溢れている。今はこのままこの音を楽しまなければ。望むものを、望むままに。
孵らぬ卵は外を夢見る。いつの日かとその先を思い描いて。せめて孵るその日まで、今はこの甘い音の中で。
二人は昼とも夜ともわからぬ中で、ただお互いの名前を呼び続けた。