彷徨う死者と嘆きの谷 死者は蘇らない、それが世の常だ。
だと言うのに、目の前の『これ』は一体なんなのか。
おぞましい腐臭を放ち、そこに立ち尽くしているそれは……。
*
「亡霊騒ぎ?」
「眉唾物だけどね、なんでもカサラヒの谷に亡霊が出るってもっぱら噂さ。それをキャラバンの連中が皆怖がって寄り付かないもんだから、護衛が欲しいんだとさ」
「そんなもんで怯えるなんざ商人が聞いて呆れるな」
「信心が全くないのも考えものだけどね」
マスターに軽く詰られ、ガミジンはムッとする。所詮ヴィータもメギドも死ねばそれきりだろうに、それをわざわざ恐ろしい何かがいると錯覚して怯えるのは馬鹿げている、そう思うだけだ。信心深いということは、誰よりも絵空事を信じやすい事に他ならない。
こう言った話題をガミジン以上に心ない感想を抱いて聞くであろう相棒がムッツリと黙り込んでいたのを、ガミジンは不思議に思った。
「なんだよカイーヌ、テメェもお化けが怖いってのか?」
「いやいやまさか……って、言いたいところではあるんですがね……」
声を潜め、カイーヌは耳打ちする。
「ちょっと前に歩く死体騒動があったじゃないですか……あれと同じような事なんじゃねぇかなって、ちと疑ってましてね」
「歩く死体……シナズか」
ウンガン島から広まった怪事件、通称・歩く死体事件と呼ばれているあれは、ガミジンとカイーヌは二人とも現場で実際に死体が歩き回るのを見ており、傭兵界隈で噂話として霧散した後も記憶に残している。
「つまり、馬鹿げた話に聞こえるが、実際に亡霊みてぇなのがいる可能性もあるってことか」
「そうです。けど、俺はあの時死体に襲われてから、もうこういう事件はウンザリです……」
カイーヌは死体に噛まれた痕を擦り、身震いした。確かに、あの時はガミジンも生きた心地がしなかった。同僚が化け物になっていたかもしれないなんて、考えたくもない。
「あの辺に近寄るのを嫌がる奴が多くて商売上がったりだってさ、商人連中が溢してたよ」
「そりゃそうだろうなぁ、カサラヒの谷を通れば三日で辺境に着くってのに、あそこを迂回したら一週間もかかるんだから」
「だからカサラヒを通るキャラバンは護衛に倍以上の報酬を出すってさ」
「護衛で倍?えらくつり上げたな。それなら食い付く野郎は多いだろうぜ」
通常、キャラバンの護衛に掛けられる報酬は途中のトラブルの規模で加算され、道中で商品に傷が付いた・死人が出たなどの被害があれば報酬から引かれる方式で、相場は3000ゴルドから5000ゴルドほど。
それが倍ともなると、普段なら護衛などやらない者でも乗り出す。
「でもね、それだけ大枚はたいてもカサラヒに行きたがる奴はいないのさ」
「ああ?みすみすそんな稼ぎを逃すってのか?どうにかしてるぜ」
「依頼が貼り出された頃はそれなりに名の知れた傭兵やら用心棒やらが名乗り出たよ。『豪腕』のウデキキン、『名騎手』シヌーンなんかがね」
「へえ、ウデキキンの奴、最近見かけねえと思ったらその仕事を受けてたのか」
「シヌーンは用心棒連中の間じゃ有名じゃねえか、どんな暴れ馬でも乗りこなすって」
話を聞く限り、腕の立つ者ばかりが駆り出されているが、それでも依頼の紙が剥がされていないと言うことは、まだこの仕事は終わりではないと言うことだ。
「二人とも死んだってさ、どっちも事故だって噂だよ。依頼主側も何人か死んじまったって」
「…そりゃ、ただ事じゃねえな」
「ああ、なんでも亡霊の呪いだって言われてるよ」
「…呪い、か」
ウデキキンは十人の盗賊を相手に全員をのして報償金をせしめた事を自慢するほど腕利きの傭兵だったし、シヌーンは並みの騎手では追い付けないほどのスピードと巧みな誘導で知られていた、そんな連中が事故で死ぬとは思えない。
しかし、なぜマスターはそんな話をガミジンとカイーヌにしたのか。
「あんたら、今懐が寒いって言ってたろ?この仕事を成功させたら暫くは楽だよ」
「おいおいマスター!いくら金払いが良くたってこんなおっかねえ案件は俺たちでも手に余るぜ!」
「なんだい、いつもなら俺とガミジンさんなら余裕だって言うところじゃないのかい」
「うっ……ガミジンさんはともかく、俺じゃ手に余るってのはわかるぜ。なんと言われようと請け負う気はねえからな」
「わかったよ、あんたの言い分はね。それで、そっちはどうなのさ?あんたの相棒はまだ黙ってるよ」
マスターがそう言って指で示す先では、ガミジンがなにやら思案げにグラスを見詰めていた。
「ガミジンさん、まさか受けるつもりですか……?」
カイーヌの不安げな声に、ガミジンは顔をあげ首を横に振った。
「…流石に名の知れた傭兵が二人も死んだって案件には乗らねえよ。負け犬の俺にゃ荷が重いぜ」
「…そうかい。まあ命あっての物種だ、無理に勧めたりはしないよ」
会話が途切れ、カイーヌとマスターが別の話を始める傍ら、ガミジンは自分のグラスを見詰めながら思案を巡らせていた。
(…腕利きのヴィータが二人も死んだ。しかも、依頼主側にも被害が出てる。まさか、幻獣か?)
仮に幻獣の仕業なら、放っておけばもっと悪い方へ転がっていく可能性もある。こうしている間にも犠牲が増えているかもしれない。ガミジンはカウンターに硬貨を置いた。
「……マスター、その話を詳しく知ってる奴を紹介してくれねえか」
*