届いた音色 興行の合間を縫い、プロメテウスとプロデューサーはアジトへ戻ってきていた。休養期間と銘打っての帰還であるため、なるべくは身体を休めることをプロデューサーに言い付けられているが、プロメテウスは歌いたくてウズウズしていた。
(暫く来ないと、ここの音色もどんどん変わってるんだよね……皆、色んな事があったんだろうな、何があったのか聞いてみたい……皆の音色につられてとってもワクワクしちゃうな)
マルチネから差し入れられた牛乳を飲みながら、プロメテウスは周囲をぐるりと見回した。ホールには数名のメギドたちがいて、各々が好きなように身体を休めていた。きっと、ここで歌い出せばいつものように盛り上がってくれるだろう。そう考えると、今すぐにでも歌い出したくてたまらなくなるのだが、騒ぎになればまたプロデューサーに叱られてしまう。それは避けたい。
(……それに、いつもアタシの歌を喜んでくれる大勢に届けることより、これまで届かなかった人に届けられるように頑張りたい……ロキみたいに)
ロキと出会い、プロメテウスはこれまでよりもずっと音楽に対する意識を強くした。思いが届く相手と、響かない相手のことを思うようになった。響かないということは、無意味というわけではない、まだその心に触れられていないということだ。ロキのパフォーマンスのように、一人一人へと音色を届けるにはどうすればよいのか、彼女はそれを模索していた。
(戦争する相手がいないときみたいに、仮想敵を浮かべて歌ってみれば良いのかな?敵じゃなくてお客さんだけど)
プロメテウスは一人になれる場所を求め、ホールから静かに抜け出した。
普段あまりメギドがいない場所はどこか、彼女は考えに考えを重ね、殆んど手入れされていない中庭へ向かった。
アジトの中庭は、よく手合わせをしているメギドたちが集うエリアと、殆んど踏み入れられないエリアに別れている。踏み入れられないようにと言われている場所は敷地内でもかなり自然に還っている場所で、たまに野性動物が入り込むため、小さなメギドや気が弱いメギドは立ち寄らず、足場も良くないので訓練を目的とした者もそこを避ける。彼女はそこを目指して小走りで向かった。
まだ昼前ということもあってか、中庭にはメギドの気配が少なく、雨上がりで足場が少々ぬかるんでいた。これなら、誰も立ち寄らないだろう。
(思わぬ穴場だったな~これから雨のあとはここで練習してもいいかも)
プロメテウスは周囲に誰もいないことを確かめ、歌い出す。まだ新しい、ロキと出会ってから生まれた歌だ。誰かの背中を押すためのプロメテウスのエールであり、そして自分の前に現れたライバルであるロキへの精一杯の決意表明。
広い中庭に彼女の歌声が響き渡り、雨上がりの空に音色が吸い込まれていく。聴衆がいない場所で歌っていると、どこか物足りなさを感じるが、それ以上の解放感が生まれて心地いい。伸び伸びと自分の望むまま、自由に歌う楽しさが彼女の心を弾ませた。
(……楽しい)
三回ほど歌って、プロメテウスは一度喉を潤すために水を飲みにホールへ戻った。そしてついでに出された菓子も平らげ、活力を取り戻したプロメテウスは再び中庭へ向かった。
だが、そこには思わぬ人物が立っていた。
「あ……ガミジン」
「プロメテウス、戻ってきてたのか」
「うん、興行の休養期間ってことで……ガミジンも休みに来たの?」
「仕事が一段落ついたからな」
「そっか……」
そして、沈黙が降りる。プロメテウスは微笑みながら少々悩んでいた。
(ガミジンと話したことあんまりないよ!)
彼はアジトでプロメテウスが歌っていると、いつの間にか消えてしまっているのだ。ジズやアバラムから聞いたところに寄ると、ガミジンは騒がしい場所が苦手なため、メギドを集めてしまうプロメテウスと行動が重なりにくいのではないかと予測が出来た。何を好むか好まざるかは個人の自由であるものの、毎度毎度律儀に避けられてしまうため、プロメテウスは微妙にショックを受けていた。避けられていることだけではない、ガミジンはいつもどこか悲しい音色を響かせていて、それが小さくなることはあっても、消えることはなかった。彼女はそれを気にしていたのだ。
しかし、今日はいつもとは違った。
(……ガミジンの音色、悲しくない? ううん、悲しい音はいつもと同じでそこにあるけど……温かい音色が交ざってて、なんだか優しい。どこかで聞いた気がする……)
聞いたことのない彼の心の音色に、プロメテウスは不思議な気持ちになった。
この音色は、アジトのメギドたちにも持つ者がいる音だった。ベリトやアイム、ビフロンスやフェニックス、彼らの他にも何人ものメギドが聞かせてくれる音色だ。
「……ここ使うんなら俺は行くぜ、じゃあな」
沈黙に蓋をするように、ガミジンはプロメテウスの横をすり抜けて立ち去ろうとする。しかし、彼女は咄嗟にそれを引き止めた。
「待って!……あのね、ガミジン。アタシここで歌の練習してるの」
「……そうかよ、ならなおさらいない方が良いな」
「ううん、違うよ。ガミジンはいつもアタシの歌を聞かないで居なくなっちゃうでしょ?だから、練習だけでも聞いてくれないかなって」
「なんで俺なんだよ」
「ガミジンならきっと、ここで歌ってたこと、秘密にしてくれるから」
(それに、今ならガミジンにもアタシの歌が届く気がする)
プロメテウスの真剣な眼差しを見返し、ガミジンはすぐに目をそらして「少しだけだ」と言って地面に腰を下ろした。
「ありがとう……!それじゃあ、いっくよー!」
彼女はたった一人の観客に向けて歌い始めた。いつか届かなかった想いを、悲しみを喜びに変える歌を、背中を押すため音色に想いを乗せて。
*
「……どうだった?」
(……ウソ、変わってない!!)
プロメテウスの歌に合わせ、ガミジンの音色はやわらかになり、ゆったりと揺れていたがその色が変わることはなかった。少しだけ落ち着いていたが、時折大きく波立っていた。
「売れっ子と聞くだけあってうめぇんだろうなとは思ったが……俺は音楽にはあんまり興味なくてな」
「そっかぁ……」
彼女は眉を下げて笑いながら、少し肩を落とした。今ならば届くと思ったのだ、それなのに、何が足りなかったのだろう。うんうんと唸り始めるプロメテウスに、ガミジンは言葉を重ねた。
「……さっきの新しい歌、あれに励まされる奴もいるんだろうが、俺みてぇな奴には違って聞こえるんだよ」
「違って聞こえる……?嫌だった?」
「いや、そうじゃなくて……どうしようもなく気が落ちて、中々前を向けねぇ奴はな、励まされるともっと気が落ち込むんだよ」
「……んん?励まされると落ち込むの……?」
プロメテウスは混乱した。ヴィータはひどい言葉を言われれば落ち込むし、励まされれば前を向ける、そう教わってきて、実際にそうなっている姿をたくさん見てきた。それなのに、ガミジンはそうでない者がいるという。
「……ヴィータって、難しいね」
「何事もシンプルにはいかねぇよ」
彼女はならどうすれば良いのかと考え込みながらその場でぐるぐると歩き始め、それを眺めていたガミジンは更に言葉をかけた。
「……いつも歌ってる奴は、歌わねぇのか」
「いつも歌ってる奴?」
「……あーあれだ、キミに……なんとかってやつ」
「ああ、あれね!……聞いてくれるの?」
「俺は、新しい奴よりそっちの方が気に入ってるんだよ」
「ガミジン……アタシの歌、聞いてくれてたの?」
「……まあな」
そっぽ向きながらそう答える彼を見て、プロメテウスは嬉しくなった。ずっと、ガミジンは自分を避けているのだと思っていたのに、彼はプロメテウスの気付かないところから彼女を見ていてくれたのだ。いつもアジトのどこかから流れてきたあの悲しい音色は、彼のものなのだろう。
「じゃあ、精一杯キミに届くように歌うね!」
「ああ」
「……ねぇ、ガミジン。歌う前にひとつだけ聞かせてくれる?」
「……なんだよ」
「ガミジンの音色、アタシが前に聞いた時よりも優しくなってたんだ。それって、ガミジンの中で何かが変わったからなの?」
「……さあな、俺には聞こえねぇから何とも言えねぇが、俺が変わったんじゃなくて、変えてくれた奴が居たんだよ。もし、俺の頑なさがどっかで和らいでたんなら、そいつの手柄さ」
そう語るガミジンの眼差しは、どこか悲しく、けれども何か暖かで優しかった。プロメテウスはそれを見て、そっか、と呟いた。
そして、彼女は歌い出した。彼女がこの世界へ渡って、初めて歌った歌を。誰もが知るプロメテウスの歌を。
歌声が熱を帯び、優しく強く想いをフォトンに乗せ、彼に届けた。
彼は目を閉じて彼女の音色に耳を傾けて佇んでいる。眉間の皺をは失せ、心の音色は穏やかになり、悲しみが膨れ上がりながら、それを包み込むほどの温もりに満ちた優しさが溢れてくる。
(……キミに、ようやく届いたんだね)
雨上がりの空の下、プロメテウスの歌声はどこまでも響いていた。