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    わたがし大動脈ラメラメ

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    POIPOI 43

    来世で出会うガミイルの話

    再会 訳もなく、胸が苦しい。
    夢を見ているような心地で、日々を歩んでいると、その傍らで何かを見落としてしまったような、大切なものを置き去りにしたような後悔が追い立ててきて、ただ、悲しくなっていた。
    何を置き去りにしたのか、何処へ置き去りにしたのか、わからないまま、何かを探していた。
    当て所ない人生の探し物を、俺はいつまで探せば良いのだろう。
    いつか見付かるのだろうか、それとも、永遠に見つからないのだろうか。その答えすらも、今は闇の中だ。



     溶けた雪が道の方々に広がり、泥や枯れ葉を巻き込んで斑に濁って地面を汚していた。春を目前に控えた大地はどこか混沌としていて、どうにも心をざわつかせる。
    暖かな季節の来訪を喜ぶ人、新たな門出に胸を踊らせる人、そして何かを待つ人で溢れていて、町は生まれ変わったように活気付く。
    ガミジンは楽しげにはしゃぐ通学中の子どもたちを見送って、人知れずため息を漏らした。
    彼は春が好きではない。暑がりな体質もあって、気温が上がるとどんどん過ごしにくく感じてしまう事もあるし、賑やかな場所が嫌いだからか、花見だ行楽だ新年度だとやたら騒ぐ奴が増えるのが特に頭を悩ませた。
    何がそんなに嬉しい、たかだか時間が過ぎているだけだろう。浮かれる奴らを忌々しい気持ちで眺めながら、ガミジンは眉間のシワを深くした。
     皆が春の来訪に浮かれている時、彼は冬が終わることを想ってしまう。
    冬は残酷だ。寒くて、日々の生活のほとんどが億劫になって、どうしたって何処にも行きたくなくなってしまう。誰も彼もが冬の冷徹さの前には平等だ。そこが、ガミジンが冬に安堵する所以だった。素直に季節を楽しめないヘソ曲がりの彼は、誰かと同じように何かを喜んだり楽しむ心が希薄で、それが彼自身の孤独に通じている事を理解していた。そしてそれは、どうしようもないことであるとも理解し、諦めていた。
    表通りを歩く人々を避け、ガミジンは一人路地裏の道へと走り去った。
     彼の職場は民間の警備会社で、主に地域企業を相手にしているごく小さな会社だ。学歴不問のこの会社にガミジンが入って以来、彼は他の仕事に就くことを考えることをやめてしまった。ルーチンワークと肉体労働の単純さが気楽で、更に社員も皆荒っぽい連中が多いせいか、強面のガミジンはここではさしたる違和感を放たず、ごく自然に馴染んでいた。社風と自分の性質が合っていた、というのではないが妙にしっくりと来ていた。
    決まった仕事と、代わり映えのない日常の中、ガミジンは自分の心がゆっくりと鈍化していくのを自覚していた。ちょっとやそっとの事では揺らがず、また感動を覚えることもない。それで良かった。変化は、心をざわつかせる。訪れる前の春と同じで、何かを期待してしまうのだ。代わり映えのない去年と同じ花を見て、落胆することを知りながら。
     新しく配属されたショッピングモールの警備に立ちながら、ガミジンはぼんやりと店内を眺めていた。大型の商業施設にはよく警備につくせいか、構造も客層も大体把握してしまっていて、新しく覚えるべき事があまりにも少ない。今さら何か新しい刺激を求めても、それが彼の心を動かしてくれることはない。
    (変わらねぇな、どこも……人間が多けりゃ起こることも……)
    交代時間になり、同僚に持ち場を代わる途中、ガミジンは一人の女に目が惹かれた。ゆるく波打つ赤毛を背中にかかるくらいに伸ばし、細い身体で大きな荷物を抱えて緑色のエプロンを身に付けていた。たったそれだけのことしかわからない。だが、そんな姿を見て、彼は自分の心が強く彼女に吸い寄せられていくのを感じた。
    目は姿を追い掛け、胸は強く脈打ち、心が追い求めた。そんな感覚を覚えた。
    その女は彼がいるフロアの吹き抜けを挟んだ対岸の通路を歩いていた。
    彼は同僚と別れたあと、女が向かったであろう場所に向かって走り、人込みの中へ飛び込んだ。だが、あの赤毛を見付けることは叶わず、彼は肩を落とした。
    (……俺の見間違えか)
    あの見慣れた赤毛と、頼りなさ気な雰囲気に懐かしさがあった。彼の心臓が高鳴っているのは、走ったことだけが理由ではない、彼はずっと待ち続けた『何か』を見付けたのだ。
     ガミジンは休憩室で昼食を摂りながら、ぼんやりと先ほど見掛けた女のことを考えていた。どこにでも居るような、ありふれた赤毛の女だった。顔は見えていないが、その容貌も遠くから見て目を引くような特異なものではなく、ごく普通のものだったと感じていた。
    (……あれなのか?俺が探してたのは)
    ずっと追い求め続けてきた者の正体を掴めた気がしたが、それがごく普通の女だったことに彼はどこか不思議な気持ちを抱いた。
    あんなにも強く惹き付けられたのに、見た目は然したる特徴もなく、平凡だった。そしてそれが、堪らなく嬉しいと感じた。
    (ほぼ見掛けただけに過ぎない女だってのに……何なんだよ、何でこんな嬉しいんだよ)
    訳もわからず高鳴る胸に、ガミジンは苛立ちを覚えた。よくわからない女を見て喜んで、それが平凡だと嬉しい理由は一体なんだというのか。心を引っ掻き回されて落ち着かない。
    あの女と正面から相対して、本当に例の『探し物』が彼女なのか知る必要がある。だが、あの女の所在がわからない。モールの従業員らしきエプロンはしていたが、このモールに店舗を構えている店の数は72にも登り、従業員の数は1200人を越える。特定するのは簡単ではないだろう。
    ガミジンは目の前の課題に対し、激しく気後れしたが、彼女に会う気持ちは全く薄れていなかった。
    「……仕方ねぇ、足で稼ぐが」
    彼は意を決し、休憩室を後にした。



     誰かに見られていた、という気配を感じ、イルセは来た道を振り返った。だが、そこに彼女を気に留める誰かはいなかった。誰もが急ぎ足で歩き、彼女を追い抜き去って行くばかりだ。
    誰かに見られていると感じるのはこれが初めてで、その気配はほんの少しの間だけだが彼女だけをずっと追い掛けてきていた。だが、いつの間にかその気配は消え失せていて、振り返ってもそこには何もない。
    彼女は自分の勘違いだったのかもしれないと思い直したが、何故かそれをとても残念に感じた。
    どうしてかはわからないが、あの気配に何か温かいものを感じていた。一方的に睨み付けるような冷たさではなく、見守るような温もりだ。
    そこに居てくれるだけで安心するような、不思議な心地を感じさせてくれるそれは、一体誰からのものなのか、彼女にはわからなかったが、叶うならもう一度あの気配を感じてみたいと思った。
    イルセは名残惜しそうに後ろを振り返り、バックヤードへと歩いていった。



     従業員がエプロンを身に付ける店舗はごく僅かで三店舗だった。
    生花店と雑貨店、そして鉢植え屋だ。
    生花店と鉢植え屋で使用しているエプロンは深みのある緑色で、雑貨店で使用しているエプロンは黄緑だった。ガミジンの記憶の中にあるエプロンのカラーは確か深い緑色だ。
    ようやく候補が二店舗に絞られ、彼は疲れをにじませつつも安堵した。
    昼休憩を返上し、巡回としてモール全体を三回歩き回り、ようやく探し出せた。
    巡回とは言え、店内を何度もじっくりと見詰めることは出来ず、回数を繰り返すことで彼は何とか店員の制服を頭に叩き込むことが出来た。
    (我ながら女探しにこんなに走り回って、どうかしてる)
    冷静になって思い返すと、自分の必死さが馬鹿馬鹿しく思え、ガミジンは自嘲気味に笑った。しかし、ここまで来たのならばもう腹をくくるより他ないと決意を固めることが出来た。
    すぐにでも彼女を見つけ出し、彼女とまみえて答え合わせをしたかった。
    はやる心を抑え、彼は鉢植え屋と生花店をそれぞれ訪れ、店主に問い掛けた。
    「ここに俺と同じくらいの女性が働いてないか?」と。
    どちらとも「イエス」と回答したが、彼は生花店に踏み込んだ時にもう答えを得ていた。
    店の中に貼られた従業員のスナップ写真の中に、たった一人見覚えのある女が写り込んでいるのを見付けた。
     朗らかに笑って色とりどりの花と共に写る女は、波打つ赤毛を持っていて、初めて見るはずのその顔は懐かしく、彼が思っていたよりも整った目鼻立ちをしていた。
    「……この店員は、ここでまだ働いてるのか?」
    「ええ、今日も来てますけど。ごめんなさいね、今は休憩中なの。またあとで来てくれる?」
    「休憩中か……いや、特別用があったわけじゃないんだ、だが……」
    ガミジンは彼女を探すうまい口実が見付からず、ただ言葉を濁らせて花を一輪買った。
    (……花なんざ愛でる質じゃねぇのに、馬鹿だな俺)
    彼は自分の咄嗟の行動に苦笑し、だが例の女がいる場所を見付けられたことでいくらか安堵していた。
    今日はすれ違ってしまったが、あそこに彼女がいるとわかれば、また何度も会いに行けば良い。そう考えた。
    今彼が考えなくてはならないのは、この手の中にあるカーネーションを何処へやるかだ。



    「休憩いただきました」
    イルセがそう言って戻ってくると、店長はなんだか残念そうな顔をした。
    「ちょっと惜しかったね、少し前にイルセちゃんに用があるらしい人がここに来てたよ」
    「私に?」
    「うん、なんか警備員の人らしいけど。イルセちゃんが居ないって聞いて花だけ買っていった。買うつもりなさそうだったから、なんかおすすめはって訊かれたよ」
    「……花に用がないのに、花屋に用事があったんですか?」
    「そうらしいね。変な人だ」
    イルセは店長に言われたことを反芻しながら、視界を横切った警備員をちらりと見つめた。このモールの警備員とは時々言葉を交わすが、彼らの顔は制服の帽子のせいでよく見えず、そのため個人を認識するというのは難しい。
    警備員と言うことは何度か会う機会があったのかもしれないが、それすらもよくわからない。ただ、イルセの方は認識していなくとも、彼がイルセを知っていると言うことは、どこかで彼女を見かけていたと言うことだろう。
    (今日感じた視線って、その人だったのかな)
    イルセは一抹の下心交じりの期待を胸に浮かべ、午後からの業務に取り掛かった。



     もはや、神がかり的なタイミングでガミジンは彼女とすれ違い続けていた。最初はしらみ潰しに一週間通い詰め、なんとか彼女が勤務している曜日を教わってそれに従って生花店へ通っているのに、何故か会えない。
    さっき配達に行った、今朝は少し遅れるらしい、今日は体調が優れない、今は休憩している、などの理由で何かとタイミングが噛み合わず、ガミジンは毎度毎度律義に花を一本だけ買って帰っていた。
    (どうしてこんなに会えねぇんだ……姿は何度か見掛けてるのに)
    閉店作業後の巡回中や、日中の警備の時には何度も彼女の姿を見掛けた。そういう時に限って持ち場を離れられなかったり、彼女がすぐにいなくなってしまうため、話しかけることは叶わないが、いつも彼女を見詰めていた。
    そして、やはりその姿を見て嬉しいと思ってしまうのだ。
    体調が優れないと聞いた日の翌日、彼女がマスクを着けて歩いているのを見て、無理をしていないか気になってしまった。
    モールが込んでいる日、誰かにぶつかられてよろめく彼女を見て、すぐにでも支えに行きたくなった。
    常連らしき男性客と話す所を見た今日、彼女が楽しげに笑うのをひどくささくれた気持ちで見つめた。
    いつの間にか、その目で追うことが日常になっていて、彼女がどんな風にしているのか、何か辛い思いをしていないか、そして、楽しそうに笑ってるか、そればかりが気にかかっていた。
    彼女が自分の探し物なのかなんて、もうどうだってよかった。例え彼女が何者でなくても、ガミジンは彼女の息災を祈っていてしまう。もう、ただの他人ではなかった。
    けれど、見つめるばかりで側に近寄ることも、ましてや言葉も交わすこともない、不毛で無意義な観察だ。
    もう、なんだって良い。彼女と話してみたい。彼女の笑顔を、間近で見ていたい。彼はそれだけを願っていた。



     店長が口を開くより先に、イルセは肩を落として答えた。
    「またすれ違ったんですね」
    「もう、ここまで来ると運命よね。あんたたち、何でこうタイミングが合わないのかな」
    「こっちが聞きたいですよ、また後ろ姿しか見えなかった……」
    イルセが溜め息をつくと、店長は小声で彼女に訊ねた。
    「やっぱり気になるの?一輪の人」
    「こんなに足繁く通ってくださってるんですし、やっぱり気になりますよ」
    「あの人もね、イルセちゃんをナンパしたいのか何なのかよくわからないけど、毎回お花は買ってってくれるから無下に出来ないのよね」
    「本当にいつも買ってくれるんですね、お花」
    「そうね、もう一輪ずつ買ってった数で小さい花束が出来るくらい通ってるんじゃない?春先から続いてるし」
    「もう三ヶ月になるんですね」
    例の警備員の通いは三ヶ月続き、その度に花を買ってまた来ると行って去っていくらしい。毎度それに出くわすことはないけれど、店長が追い返してない辺り、彼の態度は悪くはなそうだ。
    「ちょっと花の知識が付き始めてるわよ、あの人」
    「ふふ、常連の域ですね」
    「ほんとよ、次はイルセちゃんと会えると良いわね」
    「……そうですね」
    そうは言ったものの、イルセはほんの少しだけ怖いと感じていた。彼の執拗さがではなく、実際に相対することへの恐怖だ。
    花を買いながらここへ通い、日常の中でイルセを見守りながら、彼は彼の中で理想の自分を作っているのではないだろうかと考えてしまう。
    他人をそのまま見ることは難しい。ましてや、それが何度も会おうとしてすれ違っている相手ならば、すれ違ったその数に値するだけの人間性を期待されている気がしてしまうのだ。
    (私は、そんなに優れた人間じゃない。ずっと、曖昧な夢を追い掛けて恋もしてこなかったんだから)
    彼女が見る曖昧な夢とは、幼い時から時々見る夢のことだ。ずいぶん昔の時代の衣服を身に纏った自分と、その向かいに座る顔の見えない男が他愛ない話をして過ごしているだけの夢だ。その夢の中でイルセはいつも『また彼が会いに来てくれるように』と祈っている。夢の中では変わらず、彼は彼女に会いに来るのに夢から覚めてしまうと寂しさで胸がいっぱいになった。
    そして、いつしかその夢の中の男にイルセは淡い想いを抱いていた。
    物語の中の王子さまに憧れるような、無為な想いだった。夢でしか会えない誰かにこんな想いを抱いていたから、他の男の子たちにはまるで興味を抱けなかった。
    それでも、その愛しさだけで満たされていた。彼の目線に気付くまでは。
    警備員の彼が自分を見る目に、彼女はいつしか胸を踊らせるようになった。側にはいなくても、こうして見詰めていてくれる、イルセを見つけてくれることが嬉しかった。
    生まれて初めて、男の人に近付きたいと思った。
    けれどそれは、夢の中の彼への理想を育て続けたのと同じように、イルセの中の理想を彼に見ているのではないかと感じてしまった。
    (それは、彼に失礼よ)
    幻想を抱き、抱かれる関係ならばきっと出会うべきではない。けれど、もし叶うならば一目で良いから、彼と正面から見つめあってみたい。彼女はそう願った。



     朝、ガミジンは憂鬱な気持ちでいた。梅雨本番が鬱陶しいということもあるが、そうでなく、今日この日をもって、彼のこのショッピングモールでの勤務が終わるのだ。明日からは別の商業施設に勤めることが決まっており、正直なところ、気が重かった。
    慣れてきた場所を離れる不便さもあったが、それ以上に思い残していたのはまだあの女性に会えていないことだった。すれ違ってばかりで、何度繰り返しても顔を合わせることすら叶わなかった。不毛な時間を過ごしていたはずだったのに、彼女を想いながら生花店へ行く日々、彼女を見守る生活が彼の中ではいとおしいものになっていた。
    ある種の生き甲斐だった。
    無味乾燥な単調な日々が、彼女と出会ってから色を変え、花を愛でるように彼女の幸いを見つめ続けられたことが彼の幸せになった。
    一目で良いから会いたいという望みさえも、彼女が幸せなら会えなくても構わないと思えた。それでも、今日も会いに行って確かめなければならなかった、彼女が平穏無事であることを。



     昼頃、イルセが店に出てくると、店長が何やら花を渡してきた。
    「ありがとうございます……でも私、誕生日はまだ先ですよ」
    「私からじゃないわよ、それ、例の警備員の人から」
    「え……あの人から?」
    「そう、今日でここに来るのが最後だからこれを渡して欲しいって頼んでいったよ。中々キザだね」
    「……何か言ってましたか?」
    「元気でってさ」
    イルセは店長に渡された花を見つめた。彼女に渡されたのはスイートピーだ。三ヶ月ここへ通い詰めた彼が、意味も知らずに選ぶとは思えなかった。
    「……どうして」
    彼女は複雑な想いでスイートピーを見つめた。



     勤務を終えたガミジンは、雨が降りしきる中、歩道橋を歩きながら彼女に渡した花のことを考えていた。言葉をうまく伝えられない彼にとって、花は良い手段だと思えた。一方的に見つめ続けていただけのくせに、何かを贈るというのは一線を超えているようにも思えたが、何もせずに離れていくには彼女への想いを募らせ過ぎていた。せめて、何かを残したかったのだ。
    バラバラと大粒の雨を受けながら、彼は妙に滑る歩道橋の少し先を、一人の女が歩いているのを見詰めていた。薄いピンク色の傘を差す、若い女だ。少々足取りが覚束ないせいか、とても危うく感じた。
    (大丈夫か、あれ)
    ガミジンは警戒しながらそちらをじっと見つめ続けた。そして、その瞬間がやって来た。
    彼女が階段に足をかけた時、雨水に足をとられて彼女の身体は頭から落ちていこうとする。揺れる身体と、放られた傘がまるでスローモーションのように見えた。ガミジンは咄嗟に走り出し、彼女の腕を掴んで自分の方へ引き寄せた。
     彼女を受け止めた彼はそのまま自分も足を滑らせて歩道橋に座り込んだ。デニムに雨水が染み込む嫌な感触が広がったが、目の前の女性を助けられたことの方が大切だった。
    「いってぇ……おい、大丈夫か?」
    「あ、ありがとうございます……足が滑ってしまったみたいで……危ないところでした」
    彼女はガミジンに抱き抱えられたままの体勢で横向きに倒れ、荷物をかばうように身体を丸めているせいか、顔がよく見えなかった。
    よく見ると、女はさっき放った傘の他に手荷物のバッグと紙袋を手に下げていた。これでは受け身も取れなかっただろう、危なかった。
    「手荷物が多すぎるぜ、それじゃ転んだときに危ねぇ」
    「そうですね……でも、これは貰ったものだからどうしても放り投げられなくて……」
    そう言って彼女が大事そうに抱き締めている紙袋の中には、一輪のスイートピーが入っていた。ガミジンはそれを見て目を見開く。
    「本当に、ありがとうございました」
    そう言って自分を見つめるのは、ずっと追い求めていたあの女だった。彼女もガミジンを見てその目を見開き、二人は互いに縫い付けられたように見つめあった。そして、どちらともなく涙が溢れた。
    ガミジンは、ずっとこの時のために何かを言おうとしていたのに、言葉が出てこなかった。言いたいことがあったはずだった、言わねばならないはずだったのに、溢れてくるのは涙と記憶ばかりで、身体は濡れて冷たくなっていくのに、胸が熱くなっていた。
    彼女もまた、泣き笑いで彼を見ていた。口を開く度に漏らす嗚咽と、温かな記憶と気持ちで胸が満たされていた。
    雨に濡れながら、二人は笑って、そしてようやく話し始めた。
    「何でだろうな……ずっと、アンタに会いたかった……ようやく会えて、どうして良いのかわからねぇんだ」
    「私もです。私、あなたにすごく会いたかった、会えなくて会いに来てくれなくなるって聞いて……寂しくて仕方なかった……」
    「……ずっと待たせてごめんな」
    「……私も約束に遅れてしまった」
    「なぁ教えてくれねぇか、アンタの名前」
    「私は──」



    「海、初めてだろ」

    「……いいえ、連れてってくれたでしょう?」

    「……なんで」

    「よかった、ちゃんと覚えてた」

    「……ずっとそばに居たのか」

    「はい、ずっとあなたと一緒だった」

    「…………」

    「もう一度、連れてきてくれてありがとう」
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