出会いは始発電車にて 夜勤明けの朝、朝日が妙に眩しく感じられて、ガミジンは普段よりも眉間のシワを深くした。現在時刻は午前6時を少し過ぎた頃。既に会社員や学生が詰まった電車がホームに滑り込んできて、車体の腹から陰気な顔の人波が吐き出される。一日の始まりだというのに、誰も彼もが疲れきった顔をしていて、妙に暗い気持ちにさせられる。
ガミジンは朝の電車が嫌いだった。狭い車内にすし詰めにされるのが特にダメだ。他人の気配がそこら中にあるのが良くない、落ち着かないし様々な香水やら柔軟剤やら体臭やらの匂いが交ざって最悪だ。そんなに色々漂わせなくたっていいだろう。吐き気をこらえながら、ガミジンは車両の端へと移動する。
ゆっくりと電車がホームから滑り出し、二駅ほど通過した頃、ガミジンは少し隣の女の咳き込む声が妙に気になった。社内に響くほどの大きな咳ではないのだが、そばにいればしっかりと聞こえてしまう程度の音量だ。そちらを見ると、肩口あたりまで髪を伸ばしている女が俯きながら咳き込んでいた。女は丈の長いスカートと薄手のカーディガンを羽織っていて、地味で落ち着いた装いをしていた。髪の毛で顔は見えないが、やたらと苦しそうだった。しかも、よく聞けば啜り泣くような嗚咽も交ざっている。
電車の中で泣く女を見るのは初めてではない、だが、彼女の肩は異常なほど震えていた。重篤な病の類いかもしれない、以前、パニック障害を持った学生が動けなくなって苦しんでいるのを彼は遠目に見たことがあった。その類いならば、車掌を呼ぶべきだろうか。そんなことを考えていると、不意に女の背後に異常なほど近付いているスーツ姿の男が目についた。片手はつり革を掴んでいるが、もう片方の手は見えない。
(……そういうことかよ、胸糞わりぃ)
ガミジンは舌打ちをしてそちらを観察した。そ知らぬ顔でスーツの男は女の背後に立ち続けていて、女は女で咳き込みながら、時折肩を大きく揺らし、怯えるように身体を震えさせていた。声が出ないのだろう。女の顔からぽたぽたと透明なものが流れ、床に落ちるのを見た時、ガミジンの中で何かが限界に到達した。
ガミジンは無言で彼らの近くに歩き、女の身体に触れていた男の右腕を掴みあげた。
「な、なんだあんた……」
「なんだも何もねぇよ、さっきからずっと不愉快なことしやがって……欲求不満だかなんだか知らねぇが、そこの女はテメェの女じゃねぇんだろ」
「わけのわからんことを……!」
「おい、そこの。テメェはコイツに触られるのを許可したのか?」
ガミジンに声をかけられ、女はハッとして顔をあげ、泣き腫らした赤い目でガミジンを見詰めて首を横に振った。それを見て彼はニッと笑って、女の方に頷く。そして再び厳しい目付きでスーツの男を睨む。
「……ってわけだ。諦めて捕まれよ、おっさん」
駅に電車が滑り込み、男が逃げ出そうとすると、ガミジンは思い切り男の背中に体重をかけ、ホームにうつ伏せに男を倒した。
「痴漢だ、おい駅員を呼んでくれ!誰でも良い!」
彼がそう呼ばわると、近くでそれを見ていた学生が走り出す。ガミジンは男を押さえ込みながら、咳をしていた女性に声をかけた。
「これから色々訊かれるだろうが……そこで待ってろ」
女は驚いた顔をしていたが、彼の言葉で覚悟を決めたように真剣な顔付きになって頷いた。
少しして駅員がやって来ると、女と痴漢はそれぞれ別の場所に連れていかれ、ガミジンは現場で何が起こったのか、何を見たのかを訊かれた。見たことをあるがままに話し、いくつかの質問に答え、やがて解放される頃にはもうクタクタになっていた。
本来ならばもう家に帰りついて眠っている頃だというのに、なんだってこんな雑踏の中に居なくてはならないのか、ガミジンはそう思いながら溜め息をついた。
痴漢に遭遇した事件からしばらく経ち、ガミジンは警察から感謝状を受け取った。彼としては人助けのつもりで手を出した訳ではなかったので、少々複雑な気持ちになった。誰がなんと言おうがあの女性がガミジンに救われたのは事実だったかもしれない、しかし、それを喜べるほど彼は陽気ではなかった。
痴漢と言うものは、露出が高い格好をしているような女が遭うものだとガミジンは勝手に思っていたが、見るからに気が弱そうで大人しそうな女が狙われ声もあげられずにそこで泣いているのだと思うと、なんだかやるせない気持ちになった。気が弱い女ならば、きっとああいう体験がトラウマになって傷になる。自分が危害を与えたわけでもなければ、彼女は自分にとって何かしらの関わりがあったわけでもない、それなのに妙に胸が悪くなった。
すでにあの事件から数ヶ月が経つが、電車に乗っている時の彼の心持ちは変わった。無意識に目が車両の隅で泣く誰かがいないか探してしまう。幸いあの事件からは一度として痴漢に遭遇することはなかったが、どうしても無視ができなくなった。
(電車に乗る機会もそうそうねぇが……妙に気にしちまう)
ガミジンは数ヶ月ぶりに始発に乗り込み、自宅の最寄り駅に降りるまで車体の揺れに身体を預けた。つり革に掴まったまま、目を閉じていた彼の肩を誰かが控えめに叩いた。ガミジンは無言のままそちらを振り返ると、そこにいたのは痴漢に遭ったあの女性だった。ガミジンが驚いたような顔をすると、彼女はどこかホッとしたような顔をして微笑んだ。そして、彼女は頭を下げて小さな声で告げた。
「この間は助けていただいてありがとうございました。ずっとお礼を言いたくて探していたのですが、ようやく会えました」
嬉しそうに笑う彼女を横目で見ながら、ガミジンは訊ねた。
「探すって、何してたんだ」
「あの時と同じ時刻で同じ路線の電車に何度も乗りました」
「そりゃご苦労だったな……悪いが、俺はほとんど電車に乗らないんだ。無駄足踏ませたな」
「いいえ、そんな……でも、ようやく会えましたから、苦労も報われました」
「……礼を言うために探してたのか」
「はい。でも、お礼を言うだけじゃなくて、何かお返しがしたくて探していました。あの、良かったらお茶でもどうですか、ご馳走しますから」
そう言われ、ガミジンは少し悩んだ。正直なところ、そんな下心があって彼女を助けたわけではないので礼と言われるとなんだか気が重い。だが、ここでその厚意を無下にするのも少しばかり気の毒に思えた。
声がでなくなるほど恐ろしい目に遭ったのに、彼女はガミジンに会うために何度も同じ車両に乗ったのだろう。その勇気と粘り強さをはね除けるには、少しばかり彼女は真っ直ぐすぎた。
ガミジンは考えた末、こう切り出した。
「今日のところは取りあえず連絡先だけ交換しねぇか、俺にも予定があるんでな、あんまり突然だったからまだ何も考えられねぇ」
「ああ、そうですよね……すみません、先走ってしまって」
「いや、別にいい。俺の方からテメェに付き合ってもらう用が出来たら連絡する、それでいいか」
「はい!私で力になれるならどうぞ」
誇らしそうに笑う彼女を見て、ガミジンは少し笑う。そして、彼女に訊ねた。
「……名前は?」
「イルセです。あなたは?」
「……ガミジン」
「ガミジンさん、ですね……覚えました、ふふ」
ここから、二人のやり取りが始まった。
イルセと連絡先を交換して二週間ほどが経つ頃、ガミジンは彼女にメールを送った。
『甘いものは平気か?』
『むしろ大好きです』
その返事を受け、ガミジンは彼女にとある店の住所とそこに行く日取りを送った。
メールのやり取りから二日後の日曜日、イルセは指定された店の前でガミジンを待った。ガミジンは自分よりも先に待機していた彼女に少々驚きつつも、用に付き合ってくれたことに対してやや婉曲に感謝を述べた。
「このお店、初めて来ました」
「ああ、いつもは深夜にやってるからな」
「なんのお店なんですか?」
「甘味だ」
ガミジンと共に、イルセは店に入る。店内は薄暗く、バーのような趣があった。席につき、渡されたメニューに目を通してイルセは驚いた顔をする。
「全部、パフェですか?」
「普段は深夜に飲みの〆向けでやってる店なんだと、俺の仕事の時間ともろに被ってやがるから中々来られなかったんだが、今日は昼営業の日だったから来られた」
「もしかして、一人で甘いものを食べに来るのが……」
「このツラだからな、ネタにされるのもシャクだったしあんま行かねぇようにしてた。だが、丁度よくテメェが用に付き合ってくれると名乗り上げてくれたから、ありがたく付き合って貰った」
「そうだったんですね、力になれて良かった」
「……良いから、好きなの選べよ」
二人は少し悩み、それぞれ注文を決めた。ガミジンは柑橘類とチョコレートのもの、イルセはいちごとバニラクリームのものを頼んだ。ほどなく注文の品が届くと、二人はそれぞれ手をつけた。
パフェ一本でやっている店らしく、味わいが深くてただ甘ったるいだけではない美味しさがあった。二人は食べながら互いの話をした。
「へぇ、保育園の先生……なんか、それらしいな」
「よく言われます。ガミジンさんは警備員ですか……ぴったりです」
「おい、図体で判断しただろ」
「いえ、あの時助けてくれた時、すごく手際が良かったから」
「……あんなもん慣れだ。つうか、同い年ってのが信じられねぇな、もうちょい下に見えるぜ」
「あら、童顔ですか?」
「いや、いうほど幼くはねぇが、なんと言うか25には見えねぇ」
「ガミジンさんは大人びていますよね」
「いい歳した男つかまえて大人びていますよねって……年相応か老けて見えるだけだろ」
「そんなことないですよ、同い年の男の子達より頼り甲斐があるように見えます」
「……そりゃどうも」
打てば続くように会話が続いた。ガミジンは他人と話すことがさして好きではない方だが、彼女の無理やりに踏み込んでこない話し口や、少し抜けたような雰囲気に毒気を抜かれてしまった。
パフェを食べ終え、精算をする段階になってから、ガミジンは奢ると申し出たイルセを制した。
「俺が個人的に来たかった店だからいい」
「でも、お礼になりません」
「いい。また別の機会に奢ってくれ」
ガミジンがそう言うと、イルセはその言葉に目を丸くして、首を立てに振った。
精算を終え、店を出たあとにイルセはガミジンに訊ねた。
「また次にご一緒してもいいんですか」
ガミジンはその言葉で、彼女とまた会う機会を自分で作ってしまったことに気付いた。
本当は、今日この場で彼女からの礼を受けてこれっきりにするつもりだったのに、どうしてかその事を忘れてしまっていた。
「……今度はテメェがいい店探してくれよ、奢っても懐が痛まねぇ所な。あんま高いと奢られる方も居心地が悪いから」
ガミジンはそう言って、彼女と別れて自宅へ帰った。
自室に寝転がり、ガミジンは今日彼女と交わした会話を思い出した。驚くほどに他愛ない、なんの特別さもないやり取りだった。けれど、休憩室で垂れ流されているバラエティ番組を見ている時に比べ、ずっと笑っている自分がいたように思えた。
(行きたかった店だったのに、食ったもんの味が思い出せねぇ……なんだってんだよ、俺)
力を抜けば上がってしまう口角が少し疎ましくて、ガミジンは乱暴に顔を洗った。
携帯電話には、イルセからのメッセージが届いていた。
『ご一緒できて楽しかったです。今度はここにご飯に行きませんか?』
そんな文言と共に送られてきた店を見て、ガミジンは少し考え、そしてメッセージを返した。
『わかった、何時にする?』
イルセからお礼を申し出られた日から、更に半年が経つ頃、2人は1ヶ月に2回ほど週末に出かけることが恒例になっていた。店選びやその日の計画は交互に決め、過ごす時間も少しずつ増えて、今ではすっかり馴染みの友人同士のようなやり取りになっている。ガミジンは未だに彼女からの奢りは受け取らないでいたが、その理由は彼女に負担をかけることが嫌だという思いと、この交流が絶たれることを恐れる気持ちからだった。
話す度に、彼女が持つ柔らかな雰囲気に癒され、小さなことを喜んだり他人のことを思いやる彼女の優しさに強ばった心がゆるゆるとほどかれていた。彼女と穏やかで温かな時間を過ごせることが彼にとっての楽しみになっていた。だが、彼女を知るほどに気にかかることが増えた。彼女に意中の相手はいないのか、それか交際している相手がいないか。自分ではなく、他にもっと多くの時間を過ごしたい相手がいるのではないか、そう考えてしまった。けれどもイルセはそんな存在を口にしないどころか、色恋の話しもしない。そう言ったものに興味がないのかと思えば、ラブロマンス映画を見て恋をする少女のような表情を見せることがあった。
ガミジンは、自分が彼女の邪魔をしていないか、そればかりが気になったが、それを直接問い質すことは出来なかった。
そして、彼女が色恋の話や異性の話を口に出さない理由がすぐにわかった。
いつものように二人で出掛けた日の夕方、帰りに電車に乗り込むと車内は人でごった返していた。二人は車内の隅に寄り、互いに無言で電車に揺られていた。その時、ふいに大きく車体が揺れ、イルセの近くにいた男が彼女にぶつかりかかって、それをギリギリで男は回避した。そして一言「すみません」とだけ謝ったのち、男は途中の駅で降りていった。イルセはぶつかられそうになった時の身を強張らせた姿勢のまま、その場に硬直し、小さく震えていた。ガミジンは、それを見てひどく胸が痛くなった。
彼女はずっと男が怖いのだ。きっと、あの日からだ。交流する間、彼女の生い立ちを聞く機会があったが、幼年期から今に至ってまで彼女は男性恐怖症を患っているとか、そう言った話題を出すことはなく、ガミジンの前ではごくごく普通だった。だが、実際は男が近付いただけで動けなくなるほど、あの事件は根深く彼女の傷になっていた。いつか、彼が懸念したように。
また別の日に、二人は電車に乗り込む機会を得た。その際、ガミジンはイルセの近くに身体を寄せた。イルセはそれには怖がる様子もなく、少し距離が近いことに照れるようにはにかんでいた。そして、ガミジンは切り出した。
「目的地に着くまでは、俺が壁になってる。怖いかも知れねぇが、少しだけ頑張れ」
そう言って、ガミジンは彼女を周囲から覆い隠すように立った。イルセは、彼のその言葉に何を思ったのか、困ったような顔を浮かべなにかを言おうとして口を閉じ、ただ黙ってガミジンの胸に額を押し付け、彼の服の裾を握り締めていた。
「……大丈夫だ、俺がいる」
イルセには触れず、彼はただそう言って彼女を見詰めていた。
それから、二人は何度も以前のように交流を重ねた。ただ、少しだけ変わったのは、イルセとガミジンが仕事で電車に乗る時間が重なる時にも二人でいるようになった。ガミジンは彼女が降りるまで周囲から守り、彼女を見送ってから家へと戻った。
イルセの男への恐怖心は相変わらずだったが、ガミジンがいることで彼女は少しずつ本来の日常を取り戻すことが出来ていた。
彼女が恐怖心を克服したいと申し出、ガミジンに隠してもらうことをやめて電車に乗った際、彼女は青ざめた顔で立ち尽くし、不安げに目を瞑っていた。ガミジンは、彼女の意思を尊重したかったが、彼女の傷に不安も取り除きたい一心で彼女の手を握った。
(嫌じゃなけりゃ、こうしてろ。少しはマシになる)
イルセは彼の方を見ず、ただ強く彼の手を握っていた。二人は目的地までそうして手を握ったまま無言でいた。
二人が出会ってから1年が経ち、夏が巡ってきた頃、イルセからガミジンに誘いかけがあった。
『夏祭りに行きませんか』
ガミジンは夏祭りというものにそれほど縁がなかったが、イルセとなら行ってもいいと思い、二つ返事で了承した。
蒸し暑い夜、人波が道を埋め尽くす中、イルセは藍色の浴衣に身を包んで姿を見せた。結い上げた髪は涼しげで、少し照れくさそうに笑うその頬が赤かった。
気の利いた台詞が出てくる質ではないガミジンは、恥ずかしいと思いつつ、素直な感想を述べた。
「似合ってる」
「……嬉しいです」
二人はそんなやり取りをして、どちらともなく手を取った。
ガミジンもイルセも、いつの間にか2人でいる時にはこうして手を握ることが当たり前になっていて、それが友人同士のそれではないことに気が付いていた。だが、それを言葉にすることはない。
目が合えば笑って、他愛のない話を楽しんで、そして別れ際には名残惜しく何度も互いを振り返るばかりだった。
気がつけば二人は互いを強く意識し合っていて、無意識に色恋や異性の話を避けていた。
自分ではない誰かの話が相手から出てくることを恐れていた。それに踏み込んでも良いものかわからずにいたのだ。
今この瞬間にも、二人は互いの距離をはかりかねていた。
いつも最優先で会いに行き、会えない日は出掛けた日の何気ない言葉を思い出して胸を満たし、二人で出掛ける日は可能な限り共に過ごした。けれども、二人は夜にはそれぞれの場所へと戻ってしまう。男と女が夜を越えて共にいる意味を苦しいほどに理解していたからだ。それを相手が望んでいるかさえ、考えられなかった。
こうして友人同士としての体面が守られている限りは、ずっと二人で笑っていられる。その幸せから出ていくことを恐れた。だが、最もそれを恐れていたのはガミジンの方だった。
イルセは、いつも少し先へと進むために勇気を出していた。
『今日は遅いですし、うちに泊まっていきませんか』
『まだ夜は長いし、映画にでも行きましょうか』
『帰るなって、言ってくれないんですか』
イルセが放った数々の言葉が、ガミジンの理性を揺さぶり、そして自分の想いとイルセの想いが同じであることに気付かせようとする。
だが、彼女がガミジンに熱い目線を向ける度に頭を過るのは彼女と出会った日のことだ。
あの日、あの時、ガミジンが痴漢から彼女を救ったことで、彼女は彼をヒーローだと思ったのではないか、助けられた安心感を恋心とすげ替えてしまっているのではないか、そう思うと、ガミジンの心中は複雑だった。
もっと、別の形でするはずだった恋を自分が掠め取ってしまったのではないか、そんな自己批判に苛まれ、彼女の手を握るより先のことができない。
楽しげに笑うイルセの顔を見つめながら、ガミジンは嘘偽りなく、彼女を愛しく思った。そして、叶うならば、この先も隣にいることが許される男は自分だけであって欲しいと、強く願った。ガミジンがイルセに待ってもらい、買い出しに行き戻って来た時に、彼女は同年代の女性たちとなにやら話していた。
それを遮らないよう、ガミジンは少しペースを落とし彼女の元へ戻って、女性たちが居なくなった頃合いにイルセに声をかけた。
「さっきの、知り合いか」
「はい、同期の先生です。お洒落してどうしたのって聞かれて、お友だちと遊びに来たのよって話してました」
「同期か」
「てっきり彼氏と来てたのかと思ったって言われました」
「……勘違いされずに済んで良かったな」
ガミジンがそう言うと、イルセは彼を見つめて言う。
「……勘違いして欲しかったですよ、私は」
聞こえなかったことにしようとするガミジンの手を握って、イルセは言葉を重ねた。
「もしかして、彼氏さんって言われたかったですし……あの子達に、ガミジンさんを見せたかった。私が好きなのはこんなに素敵な人よって……言いたかった……男の人は怖いけど、この人は、怖くないって……そう言いたかったんです」
ぽたぽたと涙を溢しながら、イルセは言う。ガミジンはその顔を見て胸を締め付けられた。泣かせたくなんてない、自分のせいでそんな顔になんてさせたくはなかったのに。
ガミジンはイルセの手を引いて、祭りの会場から少しそれた林で彼女を抱き締めた。男の腕の力に彼女は少し驚いたように肩を跳ねさせたが、やがて力を抜いて彼に体重を預けた。
「……悪い、これが今の精一杯だ。なんの自慢にもならねぇ男が、イルセと並んでると思われたくなかったんだ。テメェにヘンな目を向けられるのも嫌で、けど、胸を張って隣に立てる自信もなくて、色んなことから逃げた」
「……もう、逃げないでいてくれるんですか」
「逃げない。逃げないし、イルセの隣にはこの先も俺だけが立ってたい、どこに行くにもずっと俺の手を握らせたい、テメェの知り合いに会っても恥ずかしいと思いたくねぇ」
「私も、この先も他の男の人じゃなくて、ガミジンさんが隣にいて欲しいです」
二人は互いに見詰め合う。そして、ガミジンが彼女に唇を近付けた時、イルセがその唇を手で防いだ。
「……なんだよ」
「……キスするってことは、本当にそういう仲になるってことですよね。他の子にもこういうことしないんですよね」
「……テメェ以外の誰にこんなことするんだよ」
「ほんとですか」
イルセがまた言葉を重ねようとするより先に、ガミジンはその口を塞いだ。そして、少し時間を置いて唇を離して問う。
「……改めて言おうか?」
「……それは、私から言わせて欲しいです」
「じゃあ言ってくれよ、聞くから」
イルセは唾を飲み込み、赤かった頬を更に赤く染めて、ガミジンを見詰めて、告げた。
「…………大好きです、ガミジンさん」
「……俺もだ」
二人は互いに顔を見合せ、笑いながら手を繋いだ。